近距離恋愛のススメ

盆と正月、毎年親戚一同が父親の実家に集まる。
だが僕は夏に体調を崩して集まりに参加出来なかった。
つまり親戚に合うのは一年ぶりで、それは特別な行事だった。

「どうした?落ち着かない様子でウロウロして」
「あ、いや……うん」

東京から新幹線でトンネルを二、三通れば、車窓の外は雪一色に変わる。
前日まで部屋の掃除に追われてクタクタだった。
僕は片づけが苦手で、母親の小言を耳にタコが出来るまで聞かされ続け、どうにか間に合わせた。
今年は例年よりチェックが厳しくて苦労したものだ。
物置代わりにしている部屋すら、隅から隅まで掃除を強要され、父親に助けを求めたが、やんわりと丸め込まれて渋々従わざるを得なかった。

「やりっぱなし、しっぱなしはやめなさい」
「ちゃんと宿題は終わらせたの?」
「休みとはいえ、夜は早く寝て朝は普段通り起きなさい」

どうして母親というのは、こう口うるさいのだろうか。
休みといえども宿題はあるし、家にいたら一日中あれやれこれやれと命令される。
長い休みは至福のひと時で、僕だって朝はゆっくり起きたいし、遊びにも行きたいし、ゲームだってしたい。
なのに、父親より先に休みに入った僕は、大掃除の手伝いを余儀なくされた。
年末年始は帰省するからだ。
だが家を出てしまえばこっちのもの。
普段ガミガミうるさい母親といえども、帰省中はよほどのことでないと怒らない。
幼少のころからそれを分かっていたから、父親の実家へ行くのは嫌いじゃなかった。
途中で特急に乗り換え、しばらく経てば、音さえ呑み込まれそうな白の世界に閉じ込められる。
父親の実家は新潟の高田からバスを乗り継ぎ一時間以上、賑やかな繁華街を抜けると何もない田舎にあった。
代々農家で家だけは馬鹿デカイ。
敷地内には本家の他に離れや分家が建っている。
長男が跡を継ぎ、次男は九州へ行き、三男である僕の父親は東京で生活していた。
他に叔母さんやいとこ、はとこと、昔ながらの農家なせいか、他にも親戚が大勢いて数え切れない。
集まるときは三世代、四世代と年齢幅広く大賑わいだ。

「暇なら雪掻きの手伝いをしろ」
「う、うん」

親戚の中でも一足早く着き、僕は時間をもてあまして廊下をウロウロしていた。
雪掻きしに行こうと厚着をしている父親に言われて落ち着きなく頷く。
慌てて部屋へ上着を取りに行くも、心臓は嫌な音を立てて苦しめた。
一年ぶりの実家は驚くほど何も変わらずのどかである。
毎年父親の仕事が休みに入ると母親と三人で新潟へやってくる。
日本中から集まった親戚と、毎日毎晩酒盛りの大騒ぎで、新年を迎えると恒例の餅つきが行われた。
それ以外やることはなく、帰省の約一週間はほとんどぐうたらして終わるのだった。
今年も父親は土産にいくつかの日本酒を買って「いっぱい飲むぞー!」なんて騒いでいるから馬鹿みたいである。

「はぁ……寒っ」

着られるだけ厚着をして帽子を被り、長靴を借りて外に出ると白い息が漏れた。
慣れない寒さに節々が軋む。
東京も寒いが、新潟の寒さは少し違う気がした。
外は昨夜降った雪で一面真っ白である。
人や車の出入りするところだけ、雪が除かれている。
屋根の上には厚い雪が乗っているが、傾斜のせいで下へ落ちてくる。
新潟といえども雪の多い少ないはあって、実家はさほど多くなかった。
しかし今年は寒くなるのも早く、現状として雪が多く降って地元民を悩ませている。

「湊は入り口を頼む」
「分かった」

雪掻き用のシャベルを受け取ると、敷地内の外へ出た。
数件立ち並んだ家は静かで、道にも人っこひとりいない。
どこまでも続く雪の道は見ているだけで眩暈を起こしそうだ。
玄関周辺の雪を掻いている父親を一瞥すると、自らも作業を開始する。
東京では雪掻きするほど降ることなんてないから、特に嫌悪感はなかった。
これが毎日何ヶ月も続くようならうんざりするが、数日ならば新鮮な気持ちのまま終わる。
せっせと重い雪を掻き分けながら邪魔にならない場所へと運んだ。
見た目より重労働に感じるのは、着膨れして身動きとるのも億劫な厚着のせいかもしれない。

「……ふぅ」

なのに鼓動は嫌な速さのまま変わらなかった。
ここへ来る前から――いや、一ヶ月前から次第に速さを増して、昨夜にいたっては眠りについたのが朝方になってからである。
それには大きなわけがあった。
いつの間にかかいていた汗を拭い、曲げていた腰を叩くと一息つく。

「湊っ!」

後ろから大きな声で呼ばれた。
ざわついていた心臓は一瞬で緊張に固まる。
同時に振り向いた。

「おーい!みーなとっ」
「ひ、広文……」

見れば坂の先に大きく手を振る青年がのぼってくる。
その後ろから両親であろう夫婦が会釈した。
僕は返すようにお辞儀をすると、ぎこちなく手を振り返す。
広文は僕のいとこで、六歳上だが一番歳が近く、良い兄代わりだった。
何もやることのない田舎で、面倒見の良い遊び相手であり、色々なことを教えてくれる先生でもあった。
九州からではさすがに遠く、東京の僕たちより時間がかかったのだろう。

「偉いなー。お手伝いか」
「なっ、子供扱いすんなよっ」

駆け寄ってきた広文は僕の両頬を包み込んだ。
柔らかく微笑まれて、ぎこちなく返事をする。
なんてことないやりとりなのに、目を見られず顔を背けたままであった。
(今までどんな風に会話していたっけ?)
普通に接しているつもりなのに、どの言葉を選んでも不自然にしか聞こえなさそうで困る。

「会いたかった……」

広文は両親に聞こえないよう小さな声で囁いた。
二人の間で白い息が広がり邪魔をする。
その言葉に心臓は激しく呼応した。
(広文の顔、眩しすぎて見られない)
太陽に反射した雪のように光り輝き目を向けられなかった。
そんな変化に戸惑いうろたえる。
始まりはちょうど一年前のこと。
同じように親戚一同集まって年末年始を迎え、さぁ、東京へ戻ろうという日のこと。
別れる直前に広文に誘われて、一足早くバス停で待っていた時だ。
時刻表は一時間に一本という壊滅的な状況で、これから二線のバスを乗り継いで駅まで向かうのかと思うとうんざりした。
昨夜飲みすぎて寝込んだ伯父が恨めしい。
しかし広文と一緒に駅まで行けると思えば嬉しい。

「ずっと、好きだったんだ」

簡易的な屋根のついたバス停。
ふいに呟かれた言葉に顔をあげた。
先ほどまで他愛もない話をしていた横顔が、真剣な眼差しに変わっている。
そろそろバスが来る時間だ。
見れば道の先から双方の家族がゆっくりした足取りでこちらに向かっている。

「湊が好きだよ」

告白するために、僕だけ先に連れ出したと気付いたのは、そのすぐあとのことだ。
きっと振られてもいいように、別れる直前に切り出したに違いない。
見れば右手が僅かに震えていた。

「………僕も」

同じように想い合っていた事実に、躊躇いながら頷く。
まさに青天の霹靂。
僕だって本当は同じことを思っていた。
年に二回、会える日を心待ちにして、別れに胸を痛めていたのだ。

「僕も……好きだよ」

そう言うと、広文の目が見開いた。
信じられないといった顔で何度も確認する。
掴まれた肩は痛いくらい強かった。
それでもひたすら頷き続けていると、ようやく彼も納得する。
同時に思いっきり抱き締められた。
両親たちの前だということも忘れて、大喜びしてくれた。
その素直な反応に心を躍らせて、僕も遠慮がちに胸元に納まる。
しかし残念なのは、これでお別れということだった。
せっかく想い合っても、明日の今ごろ、二人は別々の場所で生活をしている。
初恋は初めての遠距離恋愛へと続いた。
夏までの八ヶ月に気が遠くなる。
メールをして、電話をして、それでも会いたい気持ちは治まらなくて。
待ち遠しいほどの夏休みがやってきたのに、お盆休みに合わせるかのように、ウイルス性の胃腸炎になった。
夏にお腹の風邪を引いた間抜けさを呪いながら、苦しさにぐったりして夏は終わった。
直前まで「ようやく会えるね」と、話していたのに、その約束を果たせなかった。
それから約四ヶ月。
告白から一年経って、こうしたまた会うことが出来たのだ。

***

夜、案の定親戚が集まっての大宴会となった。
十五畳ほどの広間にはテーブルが並び、たくさんのごちそうや飲み物が用意される。
あのあと、僕は照れすぎて広文と満足に話せないまま、逃げるように母親たちの手伝いをしていた。
次々と出来上がる料理を、キッチンから広間へと忙しなく運ぶ。
ちょうど刺身の盛り合わせをテーブルに置くと、すぐ傍で親戚たちが広文と話していた。

「ほう。広文君も来年は大学生か」
「えっ?じゃあ今ごろは受験で大変なんじゃないのか」

彼は男たちの輪に加わって世話をしていた。
ビールや焼酎、日本酒を注いだり、足りなくなったつまみを用意したりで結構大変である。

「いえ。もう推薦で決まっているので、じゃなきゃ帰省なんかしませんよ」
「相変わらず偉いなぁ。んで、どこに行くの?」
「まだ内緒です」

昔からの馴染みで慣れているのか広文は要領良く相手をする。
おばさんたちには「男前になって」と騒がれ、おじさんたちには「まだまだ青二才だ」とたしなめられ、酔っ払いと付き合うのは面倒なことだ。
それを嫌な顔ひとつせず上手くこなすからすごいと思う。
彼らを相手にするなら、まだはとこの赤ん坊をあやしていた方がましだった。

「湊、こっちはもうほとんど終わったから、あなたもご飯食べなさい」

手伝いが終わると、渋々広間へ戻ってきた。
まだ宴会が始まって少ししか経っていないのに、大人たちは出来上がっている。
どこへ座ろうかと見回せば、広文に手招きされた。
大人しく隣に座ると、再び胸の鼓動が騒ぎ出す。
だが、話すチャンスは訪れなかった。
相変わらずおじさんたちは広文に絡んでいるし、僕は黙々と出前の寿司を食べていた。
祖母の漬けた大根や白菜、母親の作った味噌汁を飲みながら、ああだこうだ話し続ける大人たちを見つめる。
(お酒を飲むのがそんなに楽しいのかな)
酒の味すら分からぬ年齢で、普段より陽気になった父親を怪訝な目で見ていた。
仲が良いのは結構だが、これから東京に帰るまでの数日、夜は飲んで昼はだらだらして、一年の疲れを取るというのだ。
大人というのは中々理解しがたい生き物である。
そうして腹がいっぱいになったころのこと。
ほとんど誰も見ていないテレビを見ながらリンゴジュースを飲んでいた。
年末のテレビは、どのチャンネルも似たり寄ったりで、取って付けたような笑い声が響いている。
選局するも、変わりばえなく興味をそそられなかった。
何より室内が騒がしくて声が途切れ途切れにしか聞こえない。
向かいには、調理を終えた母親やおばさんが楽しそうに食事をしていた。

「広文君はしっかりしているなぁ」

隣では未だに広文の話をしている。
どうしようかと考えていると、ふと床についていた手に何か触れた。
それが身じろいだ広文の手だと気付いた時、急に居心地悪くなって困惑する。
ちらっと彼を盗み見たが、態度は変わらず、おじさんたちの話に付き合っていた。
(偶然か)
今日は意識しすぎてギクシャクしている。
気のせいだと思ってそのままにしていると、今度はハッキリと僕の手に触れてきた。

「……っ……!」

手の上から掌を重ねられている。
驚いて顔をあげると、一瞬柔らかく微笑まれた。
机の下で握られた掌に顔が赤くなる。
(偶然じゃなかった!)
まさかこんな風に積極的になるとは思わず、焦る。
広文はおくびにも出さず、余計に反応に困った。
握り返すことの出来ない手が思い迷っている。
嬉しいのに上手く表現できなくて歯痒かった。
ドキドキとうるさい心臓の音が邪魔して、賑わいも耳に入らなくなってしまう。
最初は触れる程度だった指が、しっかりと掴まれて振り解けない。
会えなかった時間、触れられなかった距離を埋めるように執拗な指先だ。
そのうち絡み合うように握られて、手汗をかいていないか不安になった。
ゴツゴツとした骨ばった感触は、同じ男なのに歳の違いを思わせる。
大きな掌だった。
僕のを包み込んで離そうとしない。
言葉はないのに、ハッキリと意思表示をされたみたいで全身が熱くなった。
浅い呼吸を落ち着かせるように、空いた手でグラスを掴むと一気にジュースを飲み干す。
喉が渇いてカラカラだ。
そんな僕の反応を楽しむかのように、時折握る力が強くなる。
二人の間に起きた変化は知られてはならないものだ。
こんな大勢が集まっている場所では平然とやり過ごすしかない。
分かっていて広文は触れてくるのだ。
そうして誰にも内緒で掌だけのいちゃいちゃを楽しんでいる。
余裕の有無は年の差なのか経験の差なのか。
考え出すと止まらなくて、どんどん卑猥な妄想が膨らんでいく。
優しいお兄ちゃんとしての広文しか知らなかったから、男を見せ付けられて動揺していたのだ。

「湊、どうしたの?」

悶々としていたら向かいにいた母親に訝しげに見られた。
だが僕は何も言い返すことが出来なかった。

***

宴会後、男たちは酔いつぶれて使い物にならなかった。
彼らを寝室へと運ぶのは広文の役目で、僕は再び母親たちの手伝いで後片付けをする。
内心ホッとしていた。
何もやることがなければ、緊張のあまり広文を避けてしまいそうだったのだ。
なぜだろう。
早く会いたくて、毎日カレンダーを眺めていた。
昨日まで楽しみにしていたのに、今、何を話せばいいのか分からなくて二人きりになるのが怖い。
好きだという気持ち。
会いたかったという気持ち。
それらに偽りはないのに、いざ対面すると心の準備が足りてなかったことに気付いた。
会えなかったのはたったの一年なのに、前回とは全然違う。
僕だって成長した。
身長も伸びたし体つきも大人に一歩近付いた。
広文にも同じ変化があるのは当然なのに、ギャップを埋めるのに苦労している。
汚れた食器を洗いながら掌の感触を思い出していた。
胸の奥がツンとして弾ける。
変な気分だ。
まるで熱にうなされるように、頭が朦朧とする。
初めて広文を好きなのだと自覚した時もそうだった。
認めたくなくて認められなくて、でも心は正直で、会えて嬉しい・別れるのが寂しいと胸をざわつかせる。
一度認めてしまえば開き直って楽になれるのに、それまでが大変だった。
あれから数年。
まさか恋人同士になっているなんて夢にも思わない。
(ゆ、夢じゃないんだよね)
泡のついたままの手で抓ると頬が痛かった。

僕ら家族はいつも母屋の二階に泊まっている。
広文の家族は分家の二階を使用していた。
手伝いを終えると風呂に入るよう急かされて、彼とは会えずじまいのまま一日を終えようとしていた。
風呂からあがると室内はしんと静まり返っていて、木造の床が軋む。
家は広くて迷路のようだった。
薄暗い廊下が幼いころは怖くて、誰かと一緒でなければトイレに行くことすら出来なかった。
よく母親や広文にお願いしてついてきてもらっていたのを思い出す。

ボタ、ボタ――。

鈍い音は屋根の雪が解けて地面へ落ちているのだろう。
雨戸が閉められて外の様子は見えなかったが、音だけで情景が浮かんだ。
僕はふと思い立ち、二階へ上がる前に外へ出ようと玄関に向かう。
周囲には高いビルや明かりはなく、満天の星空が眺めるのだ。
特に冬の澄んだ空気なら綺麗に見えるに違いない。
湯冷めする前に、少しだけの気持ちで覗くことにした。
音をなるべく立てないよう、ゆっくり引き戸を開ける。

「わ……」

外は想像以上に寒かった。
何も羽織らないできたことに若干の後悔を募らせる。
白い息は見ているだけで体が冷えそうだ。

「湊……?」

するとよく通る声が僕の名を呼んだ。
まさか――と、仰天して声を辿ると、広文の姿がある。
彼もまた驚いて目を見開いていた。
しばらく見つめ合ったあと、雪掻きで出来た一本道を辿ってこちらへ向かってくる。
身軽に駆けてきて隣に並ぶと嬉しそうに笑った。

「本当に湊?」
「う、うん」
「すごい」
「何が?」
「湊が出てこないかなって、願ったんだ。そしたら本当に現れた」
「ばっ……それなら呼べばいいじゃん」
「呼ぼうと思ったらおばさんに風呂入ってるって言われたんだよ」
「あ…、そっか」

 

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