今どき少年の金銭事情

住田は教師として三年目をむかえ、新米の名も消える前に大きな悩みを抱えていた。
原因は目の前で大した反省もせず興味津々に生徒指導室を見回す生徒にあった。
受け持つ生徒のひとりで、普段接するにあたっては成績や素行に問題はなく、特に手を焼いているわけではなかった。
なのにこんなところに呼び出さざるを得ないのはなぜか。
住田は頭を抱える。

「本当に……本当なのか」

始まりは昨日の放課後に遡る。
クラスの学級委員で原因の生徒の幼馴染である川澄が職員室にやってきたことだ。
彼は仰天の事実を密告しに来たのである。
それは目の前の生徒――加持が上級生に体を売って金を稼いでいるという話だった。
馬鹿な、ありえない。
とんでもない話に腰を抜かしかけ、信じることは出来なかった。
住田の人生の中で、そのような事例に遭遇したことはない。
まだ二十数年しか生きていないくせに、いっぱしの大人になったつもりだった彼は鼻で笑った。
しかし事実は現前としている。
翌日冗談のつもりで声をかけると加持は否定するところか嫣然と微笑んだ。
そうして今、二人は狭い生徒指導室で向き合い懊悩と頭を抱えているのである。

「ええ、本当ですよ。っていうか何が悪いんですか?」
「何が悪いって――」

平然と口許を歪ます彼に、幻が揺曳して眩暈がする。
ゆとり世代に片足を突っ込んでいる住田さえ、現代の子供は理解を超える怪物だった。
理想だけで教師になったことを、何度後悔したことか。
人づてに聞いた話より経験は強烈で、たった三年すごしただけなのに数え切れない挫折をした。

「だ、だいたい体を売ってまで稼いで何が欲しいんだ。ゲームか?服か?」
「いえ、特に欲しいものなんてないです」
「あのな……じゃあなぜ加持は」
「欲しい物がなくちゃお金を稼いではいけないんですか?」

こめかみが痛くて眉を顰める。

「不況なのは僕も知っています。今からちゃんと貯金しておかないと、いつ何が起こるか分からないじゃないですか」
「しかしな、君の年でそれを考えるのは早すぎるんじゃないのか?加持の家だって貧乏なわけじゃないだろう」

彼の父親は商社マンで、自分よりずっと勝ち組であることは家庭訪問の時に知った。
この不況だというのに大きな三階建ての家は、住田が憧れたマイホーム暮らしであった。
何より厳然とした父親に内緒で身売りまがいのことをして、後々知られたら大変である。

「貧乏になりたくないから稼ぐんでしょ。先生は馬鹿だなぁ。大体お金の価値観に対して早いも遅いもないじゃないですか」

ずっと年下の生徒に呆れられてため息を吐かれた。
恬淡とした語り口調は年齢よりずっと大人びて見えて、より冷艶に映る。
不思議だ。
意識をしていなかったころは気付かなかった相貌に引き寄せられる。
(惑わされてどうする)
叱るために呼び出したのに、窘められたのは住田の方だ。
話の継穂を失い途方に暮れる。
昔のように「馬鹿者ー!」と怒鳴る教育は終焉をむかえ、現在は保護者を気にして穏便にことを運ばねばならなかった。
いや、それだけでなく、住田は叱り方が分からず、どう怒っていいのか当惑していたのだ。
教師になって最初の挫折も叱りだった。

「いいか。お金を稼ぐことは素晴らしいんだ。でも、加持の年で体を売るのは危険なんだ」
「どうして?僕、女じゃないし妊娠の心配だってないんですよ。気持ちよくお金を稼げたら最高じゃないですか」

伝わらないもどかしさは、歯痒さを通り越して苛立ちすら感じる。

「だからって不特定多数の人間とセックスすれば病気になるかもしれない!行為の危険さも知らないで易々と許せるわけがないだろう!」

彼の言葉には僅かな怒りが込められていた。
古びた机を握った拳で叩くと、さすがの加持も驚いて反論しなかった。
夕陽の翳る室内で息も止まるような静寂が包み込む。
今まさに西の彼方へ沈もうとして空が濃淡に染まっている。
住田は厳しい顔をしたまま下を向いていた。
生徒相手に感情を露にしてしまった恥じらいに、目を見られなかった。
きっとまた呆れさせてしまったのだろう。
考える。
もし自分に多くの経験があって、言葉に説得力があれば、もっと簡単に彼を救えたのではないだろうか。
教師としての未熟さが、消えない不安となっていつもどんな時も住田の影に潜んでいた。

「先生可愛い」
「っぅ……ば、馬鹿にするのもいい加減にしろっ!」

完全に舐められていることに激情し、理性と感情が相克する。
しかし加持は怒鳴られても涼しい顔で聞き流した。
その瞳はいつになく好奇心で溢れ、輝かせると前のめりになって住田に近寄ってくる。
今度は何だと彼は怪訝な顔をした。

「ん、いいですよ。先生の言うとおり他の人とセックスするのやめます」
「えっ……」
「その代わり、先生が恋人になってくださいよ。それだったら不特定多数じゃないし性病にもならないでしょ?」
「はっ、えっ、ちょっ……!」
「もしダメって言ったら今まで通りの生活を続けるだけですよ。どうします?先生が選んでください。生徒を救うか見てみぬ振りをするか」

いきなりそんなことを言われたって動揺するだけだ。
しかしその姿が面白かったのだろう。
無邪気にケラケラ笑い、住田の判断を待っている。
選べといいながら首を振ることは許されなかった。
逡巡する彼を見て、「うちの生徒がダメならそこら辺のおじさん掴まえようかな」なんて脅しに等しい呟きがなされたからだ。
本格的に援助交際に発展すれば、それこそ危険である。
危機管理意識が薄いのか、分かっていて面白がっているのか判断出来ないが、どちらにせよ纏う雰囲気は危さを含んでいた。
こうなれば致し方ない。
教師は学問を教えるだけでなく、道に外れそうな生徒を修正してあげることも大切な仕事のひとつだ。
彼女いない歴年齢の彼は項垂れると力なく頷く。
初めての告白が情意そっちのけで甘ったるさの欠片もないことに、暗澹たる気持ちが過ぎった。

***

翌日は金曜日だというのに、住田は晴れない表情のまま登校した。
昨日は勢いに呑まれる形で加持の恋人になったのだが、早まったという思いが頭から離れない。
梅雨独特のじっとりとした暑さに汗を拭いながら、校舎へと入る。
と、下駄箱に加持の姿があった。

「先生遅いです」
「加持?」

笑って手招きしている姿に若干の嫌な予感を残しながら近付く。

「靴を換えたなら早く早く」
「ちょっ、おい……どこいくんだよ」

腕を掴まれて引っ張られた。
まだ早い時間の校舎はほとんど生徒も来ておらず、水を打ったように静まり返っている。
二人分の足音だけが異様に響き長い廊下に木霊する。
連れて行かれたのは最も人が来ない別棟のトイレだった。
個室に押し込まれる形で入ると、ドアを背にした加持がにっこり笑う。
企んでいる顔だ。
トイレの個室となれば容易に想像つく。

「ミルクください」
「あのな……」
「先生の朝いちミルク飲ませてください」

無邪気な顔で擦り寄られると、住田はタジタジになって後ろに下がる。
とはいえ、狭いトイレでは高が知れているものだ。
下がりきれず便器にぶつかると、膝を折られて座ってしまった。

「先生も乗り気なんですね」
「い、いや違う。勘弁してくれ」

さすがに大人しくしていられず、体を突き放そうとするが、相手は生徒で思い切り力は使えない。
だからといってミルクをほいほい飲ませるわけにもいかない。
そうして押し問答を繰り返していると、急に加持の顔は歪み、今にも泣きそうになった。

「どうしてもくれないなら嘘をつきます」
「え?」
「朝から先生にトイレに連れ込まれそうになったって職員室に飛び込みます」

自ら制服のボタンを外すとランニングシャツを着崩す。
その格好で逃げられた日には言い逃れ出来ないだろう。

「お前な」

なぜそこまでするのか分からずに呆れると、押し返していた肩から手を離した。
それを許しと捉えて加持は擦りついてくる。

「ま、ちゃっちゃと抜いちゃうので嫌なら目を瞑っていてください」
「お前はどこぞのピンサロ嬢か」
「先生も風俗とか行くんですね」
「きょ、教師になってからは行ってない」

弁明するが声に出してから無意味なことに気付き、顔を真っ赤にする。
しかし風俗といえど、住田が行ったのは大学時代サークルの先輩に連れて行ってもらったキャバクラで、正確には風俗店に行ったことはない。
とはいえ興味がなかったわけもなく、財布を握り締めて何度も行こうとしたのだが、気後れして入ることはなかった。
特有のチカチカした派手な看板や入り口、いかにもな店構えと傍に立っている店員であろう男の姿を見ると躊躇してしまう。
人通りがあるところなら尚更だ。
デリヘルに電話する勇気さえなく現在に至っている。
もしそういった積極性が少しでもあれば彼の大学生活はもっと華やかだったに違いない。

「う……っ、く……」

他人に触られるのがこれほど刺激的なのかと驚いた。
ズボンの上から加持の手が股間を撫でるたび、男だとか生徒だとか忘れて気持ちよくなる。
おかげで数回撫でられた程度で完全に勃起し、ズボンの上にテントを張っていた。

「わぁ。じゃあ早速」
「や、やめろ。やっぱり……」

加持は止める間もなくチャックを下ろすと性器を取り出した。
(み、み、見られた……)
住田の性器は皮を被っていた。
本来なら誰にも見られたくなかったのに、よりによって生徒に見られてしまった。
耳まで赤くなると顔を背けて羞恥に耐えた。

「もしかして先生って童貞?」
「うぅ……」

傍からキツイ一言が発せられて何も言い返せない。
あまりの惨めさに何の罰ゲームかと泣きたくなった。
(笑い者にされる、一生笑われ続けるんだ)
目に浮かぶのは加持を始めとした生徒たちに、卒業するまで笑われる光景である。
昨日まで爽やかさが売りだった新米教師は、今日からあだ名が包茎くんになるのだ。
噂は広がっていつしか学校中に知れ渡り、保健室の美智子先生や音楽の桜田先生にまで笑われてしまう。
(し、死にたい)
完璧に絶望モードに入った住田に性器まで頭を下げ、元気がなくなってしまった。

「ごめんなさい。気にしていました?」
「当たり前だろ……」
「なら手術すれば良かったのに」
「……っ……」
「何?何か言いたげに睨まれても困ります」
「……っぅ、こ……怖かったんだよ!皮を伸ばしてちょん切るなんて!」

ヤケクソのように言い放つと口をへの字に曲げた。
朝から何をカミングアウトしているのか疑問に思う。
笑われることを覚悟した住田だったが、薄暗いトイレに笑い声は響かなかった。
代わりに頬に柔らかな感触がして驚くと、キスをされていた。
一瞬のことで思考が止まる。

「ん、先生可愛いです」
「あ……っ……」

萎んだ性器を掴まれたと思えば加持が皮を被った先端にキスをした。
思わず声をあげると、嬉しそうに笑っている。

「じゃあ僕が代わりに皮の中まで綺麗にしてあげます」

嫌がる素振りすら見せず、彼を性器を口に含んだ。
途端に生温かい感触が全身に伝わって下半身に力が入らなくなる。

「ん、ちゅ、ふ……っんんぅ……」
「あっあぁ……加持っ……」

彼はじっとこちらを見つめ、口を窄めると吸い付き咥内で舌を這わす。
器用にも細かく丁寧な愛撫に、性器が溶けてしまうのではないかと思った。
刺激に敏感なそこはすぐに勃起すると硬く天を仰いだ。
皮の中に溜まったチンカスを喜んで舐めとり、涎を垂らしてヌルヌルにすると、再び咥えこむ。
――と、一気に皮を剥いた。

「ん、ぷはっ……先生、大丈夫です。大きくて素敵です」
「はぁ…っ…加持っ」
「気持ちいいですか?こんな可愛く反応してくれたのは初めてです」

吐息がかかるだけでビクビクと震える。
加持は愛しそうに陰嚢から裏筋、陰茎を舐め、手で扱いた。
くちゅくちゅといやらしい音が響くがそれどころではない。
ここが学校だということも忘れて、なすがまま口に咥えてもらった。
無意識に腰を揺すれば喉の奥まで挿入を許してくれる。

「……イっ……!」

初フェラチオではもつわけもなく、ほんの数分で射精してしまった。
最近抜くのも忘れるほど忙しかったのだから仕方がない。

「ん、うぐっ…っ、ふ……」

量の多さと勢いに驚いたのか、加持は目を見開いて苦しそうに咽た。
その幼い顔に容赦なく精液を浴びせると、飛び散った白濁液が糸を引いて垂れる。

「はぁ、んっ……すごっ…はぁ、はぁ……」

それでも嫌な顔をせず、指に絡めて舐め取ると、性器も綺麗に掃除してくれた。

「はぁはぁ……ごめ、ん……」

快楽の波が去ると荒く息を吐く。
オナニーで抜くより数倍気持ちよくて、一瞬自分がどこにいるのか、何をしているのかすら分からなくなった。
感官の昂ぶりに眩暈が起こりそうな刺激はあまりに大きく魅了してしまう。
道理で風俗産業が廃れないのだと、ぼんやり頭の端っこで考えた。

「じゃあ、はい」
「え?」

一呼吸吐いて落ち着いたところで加持が手を差し出してくる。
何のことだかきょとんとすると、悪戯っ子の笑みを浮かべた。

「他の人なら二千円貰うんだけど、先生なら特別大サービスの半額、千円でいいよ」

言われてから理解するまでしばらくかかる。
だが加持は相変わらず爛々と目を輝かせて手を出していた。

「ふ、ふ、ふざけるなあああああぁぁぁ!」

とうとう住田は爆発してしまった。
今日一番のデカイ声はトイレだけでなく外まで響いた。

「そうかそうか、そういうことか」
「え?なんですか。気持ち良かったんでしょ」

あくまで当然のように振舞う加持なら言い合いになっても平行線を辿るだろう。
根本がズレた彼と話しても意味はない。
住田は憤然として立ち上がると、傍にあった鞄から財布を取り出して一万円投げつけた。
こんなにもらえないという彼を無視して肩を掴む。

「明日駅に来い!本当の恋人というものを教えてやる」
「童貞の先生が?」
「うるさい!俺だってデートのひとつやふたつはやったことある!」
「えー」
「その金はデート代だと思え」

行く気がない加持に睨みを利かせて先にトイレを出る。
(根本の間違いを正してやねば何の意味もないんだ)
こうなれば一から教育が必要である。
しかし頭に血が上って咄嗟に嘘を吐いたが、住田自身デートをしたことがなかった。
二人の関係はどこまでも前途多難である。
窓から差し込む朝日はやけにトゲトゲしくて、今後の成り行きを示唆しているようだった。

翌日、天気は微妙だった。
梅雨とはいえ曇り時々雨ほど面倒な予報はあるまい。
それなら一日中雨であったほうが予定を立てやすい。
同じく加持のテンションも微妙だった。
どうやら男とはホテルに行くくらいでデートには興味すらなかったのである。
それでも一万円をもらっているせいか文句を言わなかった。
分かりやすい性格である。

「先生、動物園なんてベタにもほどがありますよ」
「う、うるさい」

経験がないから理想で補うしかなかった――なんて、死んでも口に出せない。
動物園や遊園地のデートは学生時代からの憧れだった。
しかし当人は高所恐怖症でジェットコースターが苦手なため、前者を起用したのである。
昨日仕事を終え自宅に帰ると、途中の本屋で買いこんだレジャー雑誌を片っ端から読んでプランを練った。
時間配分も完璧で、鞄にはもしもの時のカンペが入っている。
もはや彼に隙はなかった。

入園すると天気が思わしくないにしては人が多かった。
親子連れがほとんどで年の差はあれど男同士二人という客は住田たちしかいない。
だが当人はそんなこと関係なかった。
入園した途端一番テンションが上がったのは住田だったのである。
動物園はさほど広くないが動物の種類は多く、爬虫類館に野鳥園、夜行動物館など見所は盛りだくさんだ。
大人の余裕で紳士に振舞う予定が、加持の手を掴み、あっちこっち引っ張りまわしていた。

「おおお。あっちにライオンがいるぞ」

檻の中には岩や木、草が生えた丘と広く、人工の滝まで流れていた。
じっとりとした暑さに動物たちも参っているのか寝そべって見に来た人間たちをあしらっている。

「デカイな。格好良いな」

雨の予感をさせる風が吹くとライオンの威厳ある鬣が揺れた。
オスは一頭しかおらずメスが数頭辺りを囲んでいる。
岩の上に身を伏せ、窺うさまは人に飼われているとはいえ凛々しくて美しい。
目を輝かせて檻にしがみ付く住田は隣の子供と大差なかった。
思わず加持は吹き出す。

「そんなに動物が好きなんですか」

問われて我に返ると途端に恥ずかしくなって咳払いをした。

「いや、はは」

ひとりで夢中になるなんてそれこそデートで許されない行為である。

「ごめん」
「いえ、普段見られない先生の一面を知られたので面白いですよ」

ふふ――と笑うさまは年齢よりずっと大人びていて戸惑う。
余計に己の幼稚さが浮き彫りになったが、なぜか雰囲気は朗らかで照れ笑いをした。

「俺、小学生の時遠足がここだったんだけど、楽しみにしすぎて当日熱出して行けなくなったんだ。だからといってそれを口に出すのも恥ずかしい年齢でさ。でも男ひとりじゃさすがに来られないだろ」
「あれ?デートで来たことがあるんじゃないんですか。てっきりだからここを選んだんだと思っていました」
「あっ……」

余計なことを口走ったと気付いた時にはすでに遅く、あたふたする住田だったが、加持はそれ以上突っ込んだことを訊いてこなかった。
動揺する住田の手を握ると柔らかく微笑んで檻から離れる。

 

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