4

その後も肛虐は続いた。
山岡の下半身は満足していなかった。
居間のソファで一回、書斎のベッドで一回した。
途中、トイレに行きたいと言う学に結合したまま連れて行った。

「んぅ、あぁっ……せ、せんせい……っ」
「なんだ?」
「ひぁあんっ…ふ、そんなっ、突かれたら…お、おしっこ出ないですっ…」

いつ出しても良いように足を広げて後ろから突き続ける。
便器には尿ではなく、彼のカウパーが滴り落ちた。
だいぶ緩んだアヌスは熱く熟れて山岡を離そうとしない。
もはや夢か現実か区別がつかなかった。
いつも見ている淫らな夢の延長にいる気分で蹂躙する。
夢の中同様に学は拒絶することがなかった。
どんなに激しくしても、辱しめても従順なままだった。
だから余計に夢と錯覚していたのかもしれない。

「と、トイレでこんなこと…っ、んっはぁ…されたら、もう普通に…行けないですっ」
「思い出してしまうか。素直な子だ」
「ああぁ、ああっ…んぅ、だって…先生がこんなに求めてくる…からっ…」
「じゃあ次からトイレに行く時は私が同伴してあげよう」
「ひぅ…っん、い、いじわる…ですっ、せんせ……っ」

学の体はどこもかしこも甘くて病み付きになりそうだった。
山岡は若い肉体に心酔していた。
結局そこでも射精すると、もう一度書斎で情事を重ねた。
全て終わった時には二人とも精根尽きていて何も言うことがなかった。

***

出すもの出して、ようやく我に返った山岡は落ち着かせるように風呂に入った。

「はぁ……」

体中に染み付いた精液の匂いを落とすように洗う。
同時に頭を抱えた。
(なぜ、こんなことに……)
冷静になってみると信じられないことだらけだった。
二十年前ならまだしも、くたびれた体で五回も射精してしまった。
下半身の異常な元気具合に辟易とする。
近年は飢えているどころか、枯れているとすら思っていたのに。
目は血走り、尋常じゃない興奮は今の山岡らしかぬ精神状態だった。
おかげで学には酷いことをしてしまった。
抱くにしても襲い掛かる必要はない。
だが確かにあの時は、欲情しきっていた。
繰り返される淫夢の中で、次第に性欲は増したのか、学の姿を見て抱かずにはいられなかった。
(なぜ?)
急速な状況の変化についていけず困惑する。
まるで自分であって自分でないような気がした。
(誰かに操られている?まさか?)
犯したのは自分だ。
今さら言い逃れをするつもりもない。
不確かな疑惑で己の行為を正当化するつもりはなかった。
だが山岡の体には言い知れぬ何かが纏わり憑いている気がした。

風呂から上がると、どんな顔で学に合えばいいのか分からぬまま書斎に戻った。
気まずいだろうことは容易に想像できる。

ガチャ――。
「……学君。そろそろ夕飯の時間じゃ――」
「あっ……」

ドアを開けると、学がベッドに腰掛けていた。
先に着替え終え、山岡を待っていたのだろう。

「学君?」

だが山岡の表情が瞬時に青ざめた。
ベッドの上に隠しっぱなしだった恋愛小説が広げてあったからだ。

「何をしている」
「あ、あの……」
「…………」
「ベ、ベッドのシーツが皺だらけになっていたので綺麗にしようとしたら見つけてしまって」

手にはあの原稿用紙がある。
学は焦りながら状況を説明していた。
山岡は顔色を変えると憤怒の形相になる。
突如込み上げた怒りは、鎮めるより先に矛先へ向けられた。

「触るなっ――!」

なぜこんなに腹を立てているのか分からないほど憤っていた。
勝手にあの小説を読まれたと知っただけで、なぜ大切なものを踏み躙られたような気になるのだろう。
自分でも苛立ちの原因は分からなかった。
発売前の新作を読ませたことはあるし、詰まった時は相談紛いのことをしたこともある。
全ては学を信頼していたからだ。
今さら何を持って嫌悪しているのだろう。
山岡は怒気をみなぎらせてベッドまで行くと、彼の手から原稿を引っ手繰った。

「触るんじゃない!」

ボツになった小説を見られたくらいで目くじらを立てるわけがない。
だが一瞬で怒りが頂点に達すると語気を荒げた。
その様子に怯えた表情で学が見上げる。
よほど怖い顔をしていたのか、声を発することも出来ず震えていた。
山岡は小説をかき集めて大事そうに抱き締めると、急いで机の引き出しにしまう。
室内の空気は張り詰めて息が詰まりそうだった。
そうしたのは自分なのに怒りは治まらない。
目を吊り上げたまま強引に頭を掻いて窓を開けた。
涼しい風と共に現れたのは、幽玄の月である。
闇夜に浮かんだ満月は、黄金の海を優しく照らした。
さわさわと稲穂が擦れる音に僅かな理性を取り戻す。
だが、もう遅かった。
小説を知られてしまった、僅かにでも読まれてしまった。
それは万死に値する罪だ。
(………なぜ?)
頭の中がぐちゃぐちゃになって錯乱しそうになる。
不意にこめかみが痛くなった。
同時に目の奥が重くなる。
後ろで不安げに山岡の背中を見ているだろう学に「怒りすぎた。すまない」と謝らねばならないのに言葉が出なかった。
(支配されている)
何に――、とは思わなかった。
それより先に山岡の口が勝手に動き出したからだ。

「学君、帰ってくれ」
「せ、先生」
「そして、もう二度とここへは来ないでくれ」
「――!」

先ほどとは打って変わって随分冷静な声が出た。
なのに自分で言っている意味が分からないほど頭痛は増すばかりである。
思わず窓枠に寄りかかった。
そんな状態ならば、学がどれだけショックを受けていたのか気付けなかったのは当然である。

「先生!た、確かに先生の原稿を勝手に見ようとした僕が悪いんです!ごめんなさい」
「…………」
「で、でも、本文は読んでいません!先生が帰ってきたら、聞こうと思っていて……」
「…………」
「気を悪くしたのなら何度でも謝ります。本当にごめんなさい!もう二度と勝手に見ようとしませんから……だからっ……」

無音の室内に悲痛な声が聞こえたのに、山岡は何もしてやれなかった。
黙って霞む視界を堪えて、その場を乗り切ろうとしている。

「言いたいことはそれだけか」
「……え……?」

地の底から響くような声に、見なくても学の困惑した顔が分かった。
(許さない。許してはいけない)
心の声が言う。
ここで引いては駄目だと。
追い出さなくてはならないと。

「悪いと思っているなら今すぐ帰りなさい」
「……っせ……」
「言い訳は聞きたくない。さっさと帰れ。今すぐ帰れ」
「せんせっ……」
「何回も言わせないでくれ。もう二度とここへは来るな!」
「!!」

とうとう学は声を失った。
仕方がないことだった。
山岡はとどめを刺したのだから、これ以上ここにいるわけにはいかない。
月の綺麗な夜だった。
どこかの地で生きる狼男も、今頃見上げて遠吠えしているだろう。
学は音もなく立ち去った。
山岡の意識が朦朧としている中で、涙を堪えて出て行った。
ひたひた、ひたひた。
書斎から足音が遠くなる。
やがてそれも消えると、元の無音に戻った。
早秋の静けさが満ちる。
彼は忌み嫌われる屋敷に戻ってくることはなかった。

***

翌日の夜、山岡は机に座りながらぼうっとしていた。
締め切り間近の原稿も忘れて、魂が抜けたように宙を彷徨う視線は不意に落ちる。
引き出しに手をかけるとゆっくり開けた。
昨夜揉め事の種になった原稿が顔を出している。
(なぜあんなことを言ってしまったんだ)
普段の山岡は短気ではない。
だからこそ学は当惑し、怯えたのだ。
言うつもりのない言葉はどこからやってきたのだろう。
翌朝になると全てがいつもの山岡に戻っていて、学を激しく犯したことや、怒鳴り上げたことは他人事になっていた。
起きてまもなくは夢かと思ったほどである。
だが恋愛小説は机の引き出しにしまってある。
こうして一日中覚めぬ現実に嘆いては、机を開けて存在を確かめていた。
後悔するくらいなら謝りに行くべきだが、どんな顔をすればいいのか分からない。
だから引き篭もるしかなかった。

――そうしてうとうとし始めた頃。
いつの間にか机に突っ伏して睡魔に襲われかけていた時のことだ。
耳が僅かな音を捉えた。

ひたひた、ひたひた。

それは紛れもなく廊下を歩く足音であった。
絨毯の上をスリッパで歩いた時に擦れる独特の音だ。
木造のせいか時折軋む音も含まれる。
(学君か……!)
眠気も忘れて勢い良く起き上がった。
気まずかったはずなのに、嬉しさが勝って顔が緩む。

ひたひた、ひたひた。

健気な彼のことだ。
謝りに来たに違いない。
そうしたら今度こそ、山岡も謝るつもりだった。
改めて恋愛小説を読んでもらおうと思ったのだ。

ひたひた、ひたひた。
ひた、ひたひたひた……。

だが学は中々姿を現さなかった。
ドアを見つめ、今か今かと待ち望んでいる山岡を焦らすように、足音は近付いては遠のいてしまう。
(彼も顔を合わせづらいのかもしれない)
傷つけてしまったのは間違いない。
山岡よりも学の方が気まずいのは当然だ。
あんなに怒鳴られて平然としていられるほど面の皮は厚くない。
山岡は歯痒くて立ち上がると室内をうろうろした。
足音は今も聞こえている。
書斎まで来るかと思えばまた小さくなった。
ドア一枚隔てただけなのに焦燥感でいっぱいになる。
それに我慢が出来なくなると、とうとう自ら行動を起こすことにした。
年上の自分がしっかりせねばと思ったからだ。
深呼吸するとドアの前に立つ。

ひたひた、ひたひた、ひた――。

廊下から聞こえる足音もピタリと止まった。
山岡に合わせるように書斎の前で止まったのだ。
ゴクリ。
息を呑む。
この扉の向こうに学がいる。
苦しかった胸は鼓動を速めて促していた。
意を決してドアノブを握るとゆっくり回す。
気持ちが揺らがないように一気に押し開けた。

「学君――――!」

山岡は目を瞠る。

「……えっ……」

同時に固まった。
開けた先には誰もいなかったからだ。
一瞬頭が真っ白になる。
開けた先の廊下は薄暗く、どこまでも続いていた。
静まり返って何の音もしない。
当然誰かが来た気配はなかった。

「え?あ……」

あの足音は聞き間違いだったのか。
狐につままれたような気で書斎に戻るとドアを閉める。
よほど緊張していたのか、呆気にとられて茫然としてしまった。
(空耳……か)
一日中学のことを考えていたせいで、有りもしない音が聞こえてしまった。
情けなさに顔を歪ませて後頭部をかきあげる。
時計を見ればとっくに夜の十一時を過ぎていて、こんな時間にやってくるわけがなかった。
ドアにもたれてため息を吐く。
その時だった。

ひたひた、ひたひた。
「――っぅ――!」

再び足音が聞こえたのだ。
耳を澄ますように息を止めるが、今度は決して幻聴ではない。
考えるより先にドアを開けた。
当然廊下は先ほどと同じ暗闇に支配されている。

「ま、まさか……」

血の気が引いた。
末端が冷えていくのを感じながら闇の先を見つめる。
窓ひとつない廊下は暗黒に包まれていた。

ひたひた、ひたひたひた。
ひたひたひたひたひたひたひた。

その中で不気味に木霊する足音が存在している。
誰もいない廊下で歩き回る音がしている。
状況を理解すると、肌が粟立って冷や水をぶっかけられたみたいだった。
心許ない不安が押し寄せてくる。

“屋敷の人間を皆殺しにするために徘徊する青年の霊”

この耳で聞いたのは、まさしくそれだった。

恐怖の一夜は過ぎた。
山岡にとっては喜びの一夜――のはずだった。
念願の怪奇現象に遭遇したのだ。
そのためにわざわざ引越してきたわけで、最高の気分である。
ようやく夢が叶って、今頃は仕事に精を出しているだろうはずなのに、現状は違った。
山岡はがっかりしていた。
足音の正体が学ではなかったことに落ち込んでいたのだ。
あれから足音は続いた。
数週間と経つ今も変わらず足音が聞こえる。
まるで学との別れを待っていたかのように、それから毎日屋敷に現れることになった。
始めの頃は深夜だけだったのに、少しずつ時間が伸びて昼間だろうとひたひた歩き回っている。
幽霊との同居は希望していたものだった。
本来の山岡なら、嬉しさのあまり担当者に報告の電話をしていただろう。
だがその気力さえ削がれていた。
それどころか、とっくに締め切りは過ぎて、山岡の携帯や家の電話には多くの着信履歴が残っていた。
仕事も何も手につかない。
髭を剃るのも、風呂に入るのも億劫になっていた。
日がな一日憑かれたように机に突っ伏して過ごす。
まるで廃人のようだった。
食べ終わったカップラーメンの容器だけが散乱している。
その間にたくさんのことを考えた。
大部分が学のことだった。
足音がすると期待してしまう。
学がやってきたのだと心が躍ってしまう。
いるのは人間ではない、この世に未練を残した亡霊だけである。
ドアを開けるたびに、誰もいない廊下を目にして虚しくなった、悲しくなった。
そうなった時、ようやく実感した。
彼に惹かれていたこと。
もう誤魔化しはきかない。
淫夢の影響でもない。
手の中の恋愛小説は神が与えたものではなかった。
学に恋をしたから書けたものだった。

***

翌日も山岡はやる気が起きず、腹を空かせたままキッチンに下りていた。
カップラーメンを食べるためにお湯を沸かしにきたのだ。
もうそろそろ買い置きしていた分もなくなる。
どれくらい屋敷から出ていないのか分からなかった。
だが窓の外の稲穂はとうに刈り取られてしまった。
残された田んぼは寒そうに地面を露出している。
空気はだいぶ冷たくなり紅葉は散った。
つまり季節は移り変わっているのだろう。

――カタン。
すると居間の向こうから音が聞こえた。
足音には慣れたが、不審な音にキッチンを出る。
音がしたのは廊下の奥からだった。
そこは使用人の部屋だったくらいで今は荷物置き場にしている。
一旦キッチンに戻ると、何気なしにコンロを止めて、音の方へ向かってみる。
それぞれ部屋を開けたが、音の原因になるようなものは落ちていなかった。
(おかしいな)
一通り確認を済ませると、首を傾げてキッチンに戻ろうとする。

――カタ、ン。
するとまた音が聞こえた。
今のところ怪奇現象は足音くらいである。
むしろ怖いのは広い家に不審者が侵入していて気付かないことだ。
再び部屋を確認しようと手にかけるが、ふいに納戸が目に入って止めた。
和室二部屋の隣には小さな納戸がある。
(納戸なんてあったっけ?)
引越し初日に探検がてら全ての部屋を見てまわったが気付かなかったのだろうか。
何となく興味を引かれて扉を開けた。
立て付けが悪いのか、ギギィ――と、気味の悪い音がする。
中は三畳くらいの広さで小さな箱が置いてあるだけだった。
とりあえず入ってみると埃臭くて咳払いをする。
部屋の隅にはくもの巣がはられていた。
犬養さんもこの部屋の掃除は忘れていたのだろう。
すえた匂いが鼻についた。
扉に背を向けていると、またカタン――と音が聞こえる。
明らかにこの部屋からの音だった。
瞬間、肌が粟立つ。
得も知れぬ澱んだ空気がまとわりついた気がして、無意識に手で払った。
さすがの山岡も背筋が冷たくなって慌てて振り返る。
――と、隅に退けられていた小さな箱の位置がずれていた。
怖さより好奇心が勝ってしゃがむと手に取る。
中身は空だったが、下に一冊の冊子が挟んであった。

「なんだこれ……」

眉間に皺を寄せると冊子を捲る。
随分古い冊子だった。
紐で綴じられているところを見るに、かなり昔のものだというのか。
その割に状態が良く、染みや滲みは一切ない。
綴りや文字が間違って表記されていることはあるが、意味はなんとなく伝わった。
そうして薄暗い納戸で読み進めていると、あることに気付く。
この冊子に記入していた人物のことだ。
山岡は冊子を持つと納戸を飛び出して、犬養さんの携帯に電話をかけた。

「え?行方不明になった青年の持ち物ですか?」
「そうです。事件当初警察が捜したが、何も残っていなかったという話でしたよね」
「確かそうだったと思います。私も年に一度屋敷の掃除を業者にお願いしていましたが、そういった報告は受けてないですね」
「納戸もですか?」
「はぁ。もちろん納戸も掃除していますから同じだと思いますけど」
「その後屋敷に住んでいた人からそういった話を聞いたことはありますか?」
「いえ、特に。代々うちが管理していますが、そういった話は聞いたことありません。まぁ、山岡さんほど長く住まれた方もいらっしゃらなかったようですからね。もしかして何かあったんですか」

電話越しに犬養さんの不思議そうな声が聞こえた。
何を確認したいのか分からないのだろう。
山岡も余計なことは言わなかった。
持っていた冊子に目を輝かせる。

「あ、そうだ。ちょうど良かったです」
「え?」

すると急に声の調子が変わった。

「ご存知でしょうが、明日の夜に嵐がくるでしょう?山岡さんにお頼みしたいことがあったんですよ」
「え?」

長らくテレビと無縁の生活を続けていたため、山岡は戸惑った。
それどころか外にすら出ていない。
話を聞きながら随分季節はずれな嵐だと思った。
(そういえばこの地には昔から季節はずれの嵐が来るって話だったな)

「その日、私は役所に泊まらなければならないんですよ。何かあった時に迅速に動けるように」
「ああそうですか。犬養さんは役所勤めですもんね。大変ですね」
「いやぁ。昔からここの嵐は恐れられているもので……。まぁ、仕方がないんですよ。あ、それで妻は今祖母が倒れて実家に帰っているんです」

山岡はなんとなく嫌な予感がした。

「危ない状況が続いているみたいで、その間は戻ってこられないみたいなんですよ」
「はぁ」
「そこでなんですか、うちの学を一晩だけ預かって欲しいんです」

人の嫌な予感が的中するのはなぜだろう。
その割に良い予感の話は滅多に聞かない。

「学も山岡さんには懐いていますしね。お願いします。一晩だけ置いてください。さすがに家に残しては行けません」

引越し当初から世話になりっぱなしの犬養さんの申し出を断れるはずがなかった。
二人の関係は知らないし、言えるはずがない。
山岡は仕方がなく了承した。

 

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