鳥籠に金魚

華やかな花街に初めて足を踏み入れた時、本当にここでやっていけるのかと不安になった。
同時に花街を出た時、私はどんな風になっているのだろうと思った。
しかし、その時は意外と早くやってきた。
年季が明けるまで逃れられない女や、夢追う男の苑から、私はわずか二年で仕事を終えた。
出られぬまま死する女たちがいる中で、男の私が外に出られたのは奇跡としか言いようがない。

そもそも、なぜ花街で働くことになったのか。
始まりは私がたまたま近所にやってきた芸人に見初められて、買われたことがきっかけだ。
本来なら商店に奉公して、より多くの知識を得たがったが、弟と妹がいて、父は体を壊しているといった有様で、より多くの金を出す彼らのもとで働くことになったのは、仕方がないというよりありがたい話であった。
そうして私は花街に売られて、陰間茶屋で働くことになった。
茶屋では明日の売れっ子役者を目指す少年たちが春を売っている。
ここ近年は商売も盛んで、役者だけではなく専業の陰間として身売りをする子も多くいた。
私の売られ先には両者がいて、同じような境遇の少年たちが生活している。
中には、吉原の太夫を凌ぐほど稼いでいる色子もいた。
私は禿(かむろ)として働き始め、兄陰間の身辺雑用を引き受け、この世界を学んだ。
幸いなことは楼主(主人)に気に入られて、客を取らされる前に、彼のもとで芸事の心得を受け、様々な知識を与えられた。
禿から新造として昇格し、座敷に上がって客に酌をすることはあったが、兄の世話だけで酷な仕事を与えられることはなかった。
とはいえ、いつ自分が店先に立つのかと思うと不安で、やるせない日々が続く。
兄を傍で見ているからこそ、いつかはああなるのだと覚悟が必要だった。
客は取らねども、毎日のように張形を入れられ、尻の穴を慣らすことは当たり前で、嫌だとは言えなかった。
そうして二年が過ぎたころ。
呼び出されて楼主のもとへ向かった時のことだ。
私は明日から客を取らされるのではないかと重い気持ちで薄暗い廊下を歩いた。
だが苦渋の顔をした楼主は全く違うことを告げる。

「私を買いたい――でしょうか」
「ああ」

手塩に掛けて育てられた分、決してこの茶屋から逃れられないと思っていた。
彼もそのつもりだったのだろう。
本来なら身請けが決まれば、大喜びする。
陰間を身請けすること自体少なかったから、なおさら喜ばしいことだった。
私のいた二年間で身請けが決まったのはたったひとりである。
陰間茶屋は遊郭よりずっと高い遊びだったため、よほど裕福な客でなくてならない。
身請けとなればなおさらだ。

「しかし、私はまだ客を取っておりませんし、当然ご贔屓もいませんが、誰が……?」

宴会で酌をする程度で、莫大な金を要する陰間を買うとは、どのような人なのか。
かなり余裕のある人物でなくてはならない。

「札差の主人さ」
「札差ですか」
「そうだ。相当なやり手で、話はこの業界でも有名さ。贔屓には旗本や御家人もたいそういるそうだ」

札差とはこの時代の金融業で、始まりは米問屋と役所の間に入り、手続きの代行をしていた者たちのことである。
それが次第に利子をつけて金を貸すようになり、現在のように金融を生業にするようになった。
金持ちが多く、花街でも派手にお金を使っていく。
侍より裕福な者もたくさんいて、中には贅沢をし過ぎて一時牢屋に入っていた者もいたという。

「なぜ渋っているのでしょうか」
「うむ」

すると楼主は腕を組んで唸り声をあげた。
不安そうに見つめる。
ここを出られるなんて嬉しいのに、その表情に不安は増した。

「あまり良い噂を聞かんで、せっかくお前を一流の色子にすべく育てたのに、このまま渡していいもんかと思ってな」
「はぁ」
「やり手な分、敵も多いさ。それにどこの出かも分からん子を買い、いいように扱っているとも聞く。どっちにしろやっかいな人物に間違いはないさ」

しかしそれだけの男となれば、顔も利き、権力もあるのだろう。
楼主は断ることが出来なかった。
大金を積まれればなおのことである。

「……それに」
「え?」
「いや、なんでもねえ」

楼主は何か言おうとしたが言い濁した。
その続きを聞こうにも、話は終わりだとその日は仕事に戻されてしまう。
後日、結局その話は受けることになった。
最後に挨拶したとき「怨まないでくんさ」と、下を向いたまま呟かれたので、首を振って「今までお世話になりました」とお辞儀をした。

先方からの使者が送られてきて、私は共に花街をあとにする。
入り口の門の前まで来て振り返り、もう一度頭を下げた。
二年といえども、入る時は相当な覚悟のもとやってきたのだ。
出て行く感慨深さは何とも言えない。
とはいえ、新しい主人に不安がないわけではない。

「……っぅ……」

私は幸運にも体を汚さずに済んだ。
その運がきっとまた導いてくれるはず。
そう思いなおして、顔を上げると門を出て行った。

着いた先は、見るも稀な大屋敷であった。
札差の金遣いが荒いことは有名だが、これほどまで儲かっているのか。
相手は並の札差ではなく、相当な顧客を持つ男である。
私は屋敷の前で見上げた。

「さ、旦那様がお待ちでございます」
「はい」

促されるまま中へ入った。
そうして迷路のような廊下を抜けて、とある広間で待つよう言われる。
あまりに場違いな世界に恐縮して震えていた。
これからここで生活せねばならない。
自分を買った男がどんな人なのか、想像するだけで不安と期待が入り混じる。

「待たせましたね」

するとその時、後ろの襖が開いた。
ビクリと反応して振り返れば、優男が立っている。

「と、董右衛門(とうえもん)様……?」
「いかにも、私が董右衛門です」

彼は上座に置いてある座椅子に腰掛け笑いかけた。
(こ、この人が私の主人になるのか)
旗本や御家人、ひいては大商人相手に勘定をしているとは思えない程、優しげな男であった。
てっきり厳つい大男を想像していた分、拍子抜けする。

「こ、この度はありがとうございました。私、小太郎と申します。どうぞよろしくお願い致します」

自己紹介がまだだったと、慌てて頭を下げる。
見かけに安堵しても主人は主人だ。

「結構。言葉遣いは申し分ないですね。さ、頭を上げなさい」
「は、はい」
「楼主から芸事を習っていたようですが、何が出来ます?」
「はい。三味線と八雲琴を少々やっておりました」
「なるほど」

彼は満足げに頷く。

「では、次。聞くところによればまだ客を取ったことがないということですが、実際は?」
「え……あっ、はい。新造として兄様のお世話をしておりました。あとは宴会に出るくらいで客を取ったことはございません」
「……そうですか」

董右衛門は考えるような仕草をしながら返事をした。
その反応に緊張が増して震える。
拙いことを言ったのかと思ったが、何も言えず縮こまるばかりだ。
当然、こちらから聞ける雰囲気ではなく、以後押し黙った彼に重い空気が圧し掛かる。

「では、あなたの部屋へ案内しましょう」

その空気を破ったのも董右衛門であった。
彼は立ち上がると、私に着いて来るようにいう。
屋敷には数多くの部屋があり、迷子になりそうだった。
物珍しげに周囲を見ながら後を追う。
そうして辿り着いたのは、ひとつの和室だった。
畳の新鮮な匂いが部屋に入るだけで感じる。

「ここが今日からあなたが生活する部屋です」
「こ、ここが……」

思ったより広く、整頓されている。
美しい細工の施された箪笥が並び、本棚もある。
他には机、行灯も置いてあり、何不自由なく過ごせそうだ。

「布団は奥の押入れに入っているから、好きに使いなさい」
「あっ……でも……」

(こんなに豪華な部屋で暮らしていいのだろうか)
身請けといえども、名のある花魁ではなく、ただの陰間見習いである。
当然ある程度の扱いは覚悟していた。

「不満でもありましょうか?」
「い、いえっ。ただ私などにこのような素晴らしい部屋を与えてもらえるなんて……」
「なぜ?当然でしょう。何を驚くことがありますか」

董右衛門は私の背中を優しく押して、中へ促した。

「ごらんなさい。ここからは庭が見えます」
「わぁ……」
「春は桜を、秋にはもみじが色付くでしょう」
「わ、私もみじが好きなんです」

大きな庭にはいくつものもみじの木が植えられていた。
まだ青い葉が風に揺れてさらさらと涼やかな音を奏でている。
もみじは実家の裏山にたくさん生えていて、秋になると山が燃えるように色付いた。
陰間茶屋にも小さいながら一本のもみじが生えていて、辛くなった時はいつもそれを見て元気を出していた。
大切な思い出が詰まったもみじである。

「良かった。ではそこにいなさい。今小太郎の世話をする女中を呼んできます」
「えっ」

すると董右衛門は足早に去っていった。
その後すぐ現れると、後ろには女中と思われる女性が一緒である。
名は「茜」といった。
まさか世話人まで与えられるとは思わず、さすがに遠慮したが聞いてくれない。
何か仕事はないかと問えば、それもすぐさま却下された。
こんなにも良い待遇でいいのかと戸惑う日々が続く。
三味線や琴、他にも望む物は何だって与えられた。
毎日、好きなことを好きなだけやっていい。
学びたいといえば、家に先生がやってきた。
美味しいご飯に、優しい人々で文句の言いようのない生活が続く。
だけどそんな人生慣れていないから、十分に満喫できずいつも躊躇いの方が勝った。

「茜さん、後生ですから私にも仕事をさせて下さい」
「何を言っているんですか。そんなことをしたら旦那様に叱られます」

彼女は困ったように笑う。
私の身の回りの世話をよくやってくれて、董右衛門より彼女といる時間の方が長かった。
董右衛門は不思議な人である。
身請けされた身で、その日から体を迫られるかと思ったが、彼はそんな素振りひとつ見せない。
連れ立って歌舞伎を見に行ったり、甘味を食べたことがない私に、美味しい和菓子をご馳走してくれる。
江戸見物にも何度か連れて行ってもらった。
花街の外を知らない私に、彼はひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
(なぜ、こんなにも良くしてくれるのだろう)
ここに来る前、楼主に言われたことも忘れて浮かれていた。
董右衛門を信頼し、新鮮な生活に目を奪われていたのだ。

「小太郎と茜は仲がよろしいですね」
「そ、そんなことないですよ」

夕餉の最中、ふと思いついたように董右衛門に問われた。
私は箸を置いて否定する。
茜は気立ての良い娘で、近頃ではよく懐くようになった。
居もしない姉の姿を重ねて慕っていたのである。
最初こそお互い気を使っていたが、今は色々なことを言い合える仲になっていた。
彼女は私のより良き話し相手であり、慣れない生活を補助してくれる大切な人であった。

「そうですか」

董右衛門は箸を置くと席を立つ。
同時に私も倣って箸を置いた。

そうして、ふた月経ったころ――。
何か恩返しがしたいと、朝から庭の掃除をしていた。
だいぶ暑さが引いて、そろそろ紅葉が色付く頃である。
箒で掃いていたら慌てて茜がやってきた。

「小太郎様、お掃除なら私がしますよ」

彼女も箒を持っている。

「いえ、ただ私が何か恩を返したいとやっていることですから、大丈夫です」
「で、でも」
「董右衛門様はもちろん、いつも茜さんにもお世話になっています。少しは私も何かしなくては」
「小太郎様……」

されるがままの生活には少し飽きていた。
今まで時間さえあれば仕事に追われてきたのに、急にやることがなくなれば戸惑うのは当たり前である。
時間を持て余すのは当然で、同時に元来の貧乏性が抜けず、働いていないと不安になるのだった。

「小太郎様はお優しいのですね」
「茜さんはもっと優しいです。あなたのために何かしたいのに、こんなことしか出来なくて」

そっと手を握れば、掌は傷だらけだった。
彼女も奉公に出されて、幼いうちから懸命に働いている。
それを見ると楽している自分に申し訳なさを感じた。

「あれ?茜さん……」
「えっ」

すると手首にくっきりと青あざが残っていた。
不審に思って握った手を引っ張る。
着物を捲れば腕にも大きな切り傷があった。
それを見た瞬間茜は私の手を振り払う。

「は、はしたのうございますっ」
「ごご、ごめんなさい」

彼女は腕を胸元で組むと顔を背けた。
無礼をしたと慌てるも、気になるのはあざや傷である。
普通に暮らしていてそんなところに、傷は出来ない。
他にも蚯蚓腫れが出来ていて、茜の白い肌は無残な状態だった。

「でも……その傷、どうして……」
「……っぅ……」
「ま、まさか董右衛門様が……」

まさかそんなことあるわけない。
口に出してから、なんて恐ろしいことを言ったのだと噤む。
茜は彼の名が出たところで、キッとこちらを睨んだ。

「ち、違います。……これはっ、私が未熟だから……」
「どうして?茜さんはいつも頑張っているじゃないですか。一生懸命で、気立ても良くて」
「小太郎様……」

わけが分からなくなる。
茜も私に何か言おうかと躊躇っているようだった。
(女子にあんな傷があってはいけない)
私は彼女の肩を掴む。

「とりあえず医者に行きましょう」
「え、でも……そんな……」
「お医者様なら、その傷を癒すことが出来るかもしれない」

せめて薄くするくらい――と、茜を掴んで離さなかった。
彼女は食い下がる私に戸惑っている。
夏の暑さを引きずった風が二人の間を吹きぬけた。
変わらず心地好い音を立てながらもみじの葉が揺れている。

ガサ――。
「そこで何をしているのです?」

不意に砂利が擦れる音が聞こえた。
私と茜はハッと気付いて振り返る。
そこには董右衛門様とお付きの吾郎がいた。

「旦那様……」

茜は彼の姿を捉えると絶句したように動かなくなる。
その間に董右衛門は近付いてきた。
すぐそばで私の使っていた箒を手に取る。

「掃除をしていたのか」

ふと目があった彼は、冷たい眼差しで二人を見ていた。
私は慌てて彼女から手を離す。

「茜、どういうことだ」
「あの……そのっ……」
「小太郎に掃除をさせたのか」

董右衛門の声は怒気を含んでいて、茜は怯えていた。
彼は彼女の前に箒を放り投げる。
柄の部分が僅かに当たった。
痛そうに顔をしかめる。
それを見て頭にきた。

「違うのです、董右衛門様。私が勝手にやったことで、茜さんは関係ないのです!」

すると彼はまた私を見た。
先程より冷酷さを増した瞳は、一粒の温かさも残しておらず背筋が寒くなる。
怒鳴られたわけでもないのに、凄まじい迫力だ。
お蔭で今にも慄き、口を閉ざしてしまいそうになる。

「小太郎は関係ありません。私は茜に聞いているのです」
「そんな……」

願いは切って捨てられた。
彼は温情を与えなかった。
風貌からは想像出来ないほど、厳しく無慈悲な男であった。
茜は一言も反論せず何度も「お許し下さい、お許し下さい」と土下座をしたが、吾郎に連れて行かれてしまった。
以後、彼女とは会っていない。
私も董右衛門に腕を掴まれて、強引に地下の座敷牢に連れて行かれたからだ。

「な、何をするのですっ」

六畳ほどの座敷牢に入れられると、董右衛門が覆い被さってくる。
突然の豹変振りについていけず、当惑していた。
明かりのない地下は昼間だというのに薄暗い。
力のまま着物を乱されて、半裸のまま逃げようとする。
怖かった。
董右衛門の瞳はいまだに冷たく、目を合わせただけで凍えてしまいそうだったからだ。

「客を取っていなくても、陰間なら張形で慣らすことはしているでしょう?」
「なっ……んっぅ……」

私の抵抗は無意味で、ビクともしなかった。
優男のわりに力は強く、逃げられない。
その間に彼の手は下半身に触れ、尻に指を這わした。

「あ……っ、くっ……」

久しぶりの感触に目を見開く。
彼の細い指が乱暴にも内部をこじ開けた。
途端に動きを封じられて体が強張る。
隙を狙って私の腕は頭上で纏められ、紐で縛られてしまう。
強引に帯を取られて、淡い肌が晒された。

「ほう……美しい……」

それを見て董右衛門は卑しい笑みを浮かべた。
満足そうに舌舐めずりをして見下ろす。

「まだ誰にも穢されていない肌は、なんて男を誘うのでしょう」
「と、董右衛門様……」
「言葉、態度、教養、芸事……そしてこの体。あんな金で買えるのなら安いものです」
「お、お許し下さい……後生ですっ、なんでもしますから!」

必死の嘆願も虚しく、彼は私の首筋に顔を埋めた。
そっと唇を這わして痕を残そうとする。

「あなたが悪いのですよ。茜を必要以上に構うから……強引にはしたくなかったのに」
「なにをっ」
「私だけを見ていれば良いのです。そうすれば何でも与えましょう」
「ふっ……んっ、んぅ……あぁっ……う……」

尻に入れられた指が、私のいいところを探していた。
そのせいで董右衛門の言葉に構う余裕すらなく聞き逃す。
頭は真っ白で、抗うことすら困難だった。
感触を覚えていた体は、すぐにいいなりになってしまう。
そう躾けられてきたのだから当然だ。

「ひ……ぁ……あ……ぅう……」

自然と涙が零れる。
手を縛られて拭うことの出来ない雫は、彼に舐め取られて消えた。
徐々に解されていく尻に内壁は震え、収縮を繰り返す。
とっくに性器は勃起し、ふんどしの下で窮屈そうに染みを作っている。

「いやらしい体だ。尻だけでこんなに感じるなんて……」
「んぅ、ふ……っ、うぅ……っ」
「本当に客は取っていないのか。男の味は知らないのか?」

吐息混じりに囁かれて、羞恥心が募った。
嫌だと首を振り唇を噛み締めるも、漏れる声は甘く艶やかである。

「こんなことっ……初めてですっ、あぁっ……んぅ、董右……っ衛門様が、初めてでございますっ……」
「小太郎っ――」
「んっ、んぅ!」

その言葉に深く口付けられた。

 

次のページ