2

強引な仕草とは裏腹に、驚くほど彼の唇は優しい感触だった。
始めは戸惑っていた私の舌を甘く吸い、弄び、何度も絡める。
間近に吐息を感じて恥ずかしさに身を捩れば、額や頬にも口付けてくれた。

「ふぁ、とう……えもんっ、さま……」
「口付けも初めてか」
「ん、ちゅ……はぁ、初めてで……っ、ございます……」

初めての感覚に戸惑い蕩ける。
それくらい彼の口付けは優しかったからだ。
私の言葉を遮るように、再び唇を重ねると、嫌でも力が抜ける。
そうして翻弄されていると、ふんどしを脱がされてしまった。
拒絶する力すら残っておらず、尻に彼の肉棒が突き刺さる。

「んっんぅ……っ」

だが、呻き声も塞がれた唇に消えてしまった。
使っていた張形よりずっと大きくて、下半身に違和感が走る。
その衝撃に顔を背けようとしたが、董右衛門の執拗な口付けは続いた。
(痛いはずなのに、きもちいい……)
体を貫いたのは、痛みより甘い疼きだった。
初めてを散らした私は、覚悟していた痛みが僅かだったことに動揺して、甲高い声を漏らしてしまう。

「あ、あぁっ……んっ」

卑猥な声が薄暗い座敷牢に木霊した。
手で覆うことの出来ない口許からは女子のような淡い声が出てしまう。
最初こそ乱暴だった董右衛門は、激しくも優しく抱いてくれた。
(まるで……恋仲のように……っ)
目を合わせれば、先ほどまでの冷たさを忘れるような熱情的な瞳が私を捉える。
何度も名を呼ばれると、それだけでどうにかなってしまいそうだ。
突き上げられるたび、従順に彼を受け入れてしまう。
嫌なのに、辛いのに快楽で満たされるとそれ以外考えられなくなった。
髪を振り乱し、情熱的に私を抱く彼の姿が、切なくて気を許してしまいそうになる。
董右衛門は何度も私の中に精を放った。
それでも飽きずに行為を続けた。
時間の感覚がなくなった頃、私は気を失った。
初めての体験に肉体がついていかなかったのだろう。
最後まで私を見る彼の眼差しは眩しかった。
胸を焦がしてしまいそうなほど、強いものだった。

***

「んぅ――」

それから気がついたのは、翌日の朝になってからだった。
昨日のことなどすっかり忘れてぼんやり起き上がる。

「痛っぅ」

途端に、体が裂けるような痛みが走った。
思わず布団に倒れこんで辺りの様子を窺う。
(ここは……)
地下の座敷牢だった。
水を打ったように静まり返る牢は異様な雰囲気だ。
走馬灯のように昨夜を思い出して、なんともいえない気分になる。
とっくに董右衛門の姿はなかった。
いつの間にか着物を着替えさせられ、布団の上に寝かされていた。
枕元を見れば、いつだったか彼と出かけた甘味処のまんじゅうが大皿に溢れんばかり乗っている。
隣にはご丁寧に口直しの果物まで置いてあった。

「おお目覚めたか」
「吾郎さ……」

地下へ降りてくる足音共に姿を現したのは吾郎だった。
私は痛みの残る体を引きずって柵を掴む。

「あの、董右衛門様はっ」
「旦那様ならとっくに仕事へ行かれた。ほれ、飯だ」

吾郎は持っていたお盆から皿と茶碗を柵の間に通した。
ここから出さない気満々である。

「お前さんには悪いが、当分ここで生活してもらう」
「なぜですか!?」
「さぁ。旦那様の命令だからあっしはよく分からん。それより飯食え。冷めるぞ」
「……っ……」

董右衛門の命令であることに愕然とした。
ならば絶対であり、ここから出ることは叶わない。

「でも、風呂や……厠は……」
「厠はその端にある。風呂はお前さんが寝ている間に旦那様が入れて下さった」

吾郎はあくまで淡々としていた。
説明するだけして、さっさと上の階に戻っていく。
座敷牢にひとり残された私は為す術もなく、座り込む。
(どうしてこんな酷いことが出来るんだ)
茶屋ですら、牢に入れられたことはなかった。
柵を掴んでもビクともしない。
心細さに涙が溢れ出た。
私は体を丸めて泣きじゃくる。
体を蹂躙されただけでなく、閉じ込められて自由はなくなってしまった。

「ひっぅ、うぅ……ひっく、ぅっ、ふ……」

声は誰にも届かない。
無情な仕打ちに従うしかない。
耳の奥には、いつかの楼主が言った「怨まないでくんさ」の声が響いていた。

私が座敷牢に閉じ込められている間に秋は深まった。
実家の裏山のもみじ、陰間茶屋のもみじ、そしてあの部屋から見えたもみじも赤く紅葉しているだろう。
私は今日も陽の光を浴びることなく壁にもたれて時を過ごす。
ただでさえ白かった肌は青白くなっていた。
脱走を考えた日もあるが、牢から出ても同じこと。
私には行くあてがない。
家族のもとに帰りたくても、探し出されてしまうことを考えれば賢明ではない。
(甘い……)
今日はみたらし団子が置いてあった。
毎晩、董右衛門は座敷牢にやってくると明け方まで私を抱く。
気を失うまで行為を続けて、目が覚めれば枕元には甘いお菓子が置いてあった。
食べきれないほどたくさんの皿に乗せられている。
好物の菓子から、高そうな菓子、見たこともない菓子まで。
(私が甘い物が好きだと言ったから?)
まだ豪華な部屋に住んでいた頃、彼と出かけた歌舞伎小屋の帰りに、人気の甘味処に寄ったことがあった。
それまで私は菓子など口に出来る金がなかったから、その美味しさにえらく感激した。
その様子を嬉しそうに見ている董右衛門の顔が過ぎって首を振る。
(騙されるな)
彼は冷淡な人だ。
惑わされてはいけない。
振り回されてはいけない。
札差の仕事は駆け引きが重要だと聞く。
飴と鞭を使いこなす彼には、私など赤子同然なのだ。

「みーつけた」

するとその時だった。
また泣こうとしている私に、聞き覚えのない明るい声が響く。
姿を現したのは見慣れぬ男であった。

「やっと見つけた。……ふぅん、なるほどね」

男は地下に降りてくると、物珍しそうに座敷牢を見て回る。
私の前まで来るとニコッと人懐っこい顔で笑った。

「あ、あなたは……?」
「俺は董右衛門の幼馴染で正吉と申します。君が小太郎君、だね」
「は……はい……」

なぜ私の名を知っているのかと怪訝に見つめる。
それが伝わったのか「怪しくない、これでも呉服問屋の跡取り息子だから」と煌びやかな自身の着物を指差した。

「いえね、上玉を身請けしたことは聞いていたんだけど、さっぱり教えてくれないから、ちょいと探しに来たんだよね」
「あ、あなたひとりで?」
「だから怪しくないって。今日、董右衛門と約束していたんだが、まだ帰ってこなくて暇だから探索していたんだ。付き人はちゃんと上にいるよ」
「…………」
「ほら、この屋敷って大きくて迷路みたいじゃない」

ニコニコと悪びれなく笑う様子は無邪気で悪い人には見えない。
だが私は警戒を解こうとは思わなかった。

「それで、私に何用ですか」
「え?」
「用がなければ主人のいない屋敷を無意味に歩き回ったりしないでしょう」

すると男はさらに笑みを深くする。

「頭の良い子は好きだよ」

男は屈むと顔を近づけてきた。
手招きしている。
始めは近付かなかったが、いつまで経っても手招きをやめないため、仕方がなく傍へ寄った。
するとわしゃわしゃと頭を撫でる。

「君を助けにきたんだよ」
「えっ」
「俺は花街にもちょいと顔が利くもんで、君のいた茶屋の楼主とも知り合いなんだ」
「――!」
「話は全部聞いている。俺なら君を逃すことが出来る。家族のもとに帰すことも出来るよ」
「そ、そんなまさか――」

驚きで目を見開いていると、彼はすくっと立ち上がった。
そのまま階段の方へと歩いていく。

「今日はこれぐらいでお暇するよ。また来るからね」
「あ、ちょっと……!」
「俺は君の味方だよ」

引きとめようとする私に手を振り、飄々と階段を上がっていく。
呆気にとられてしばらくそこから動けなかった。
再び座敷牢に静寂が訪れる。
ふいに甘い匂いがした。
南国の花を思わせるようなきつく芳しい香りである。
(董右衛門様とは違う、お香の匂いがする)
不思議な男だった。

「…………」

本当に牢から出られるのだろうか。
家族のもとへ帰られるのだろうか。
想像するだけで希望に胸は膨らむ。
ふいに、青い空に紅いもみじを見上げた日々を思い出した。
懐かしくも幸せな記憶は、私の心を自由にしてくれる。
頭ではそんな簡単に出来るはずがないと諭しながら、気持ちだけは先走っていた。

その日の夜遅くに董右衛門はやってきた。
相変わらず肌を重ねる。
牢の隅に置かれた行灯が妖しく翳った。
繋がった二つの影がゆらゆら揺れている。
私は昼に会った正吉のことは黙っていた。
従順に受け入れ、満足するまで委ねる。
この頃にはずいぶん慣れて、なんでもするようになった。
尻だけでなく口淫を覚え、自ら董右衛門のために動くことも出来た。
茶屋に居たとするならば、一人前の色子になれたのだろうか。

「んぅ、あぁ……はぁ、く……んっ、ふぅ……」

毎晩違う男を相手にするのか、同じ男を相手にするのか。
どちらが楽なのだろうと考えるが、よく分からない。
ただ嫌がるようなことをしない分、董右衛門で良かったのだと思う。
あとは恥じらいさえ忘れることが出来れば十分だ。

「や、やだ……っ、んぅ……見ないで、ぇっ……あぁっ、う……」
「ちゃんと見なさい。私と小太郎の繋がっているところはどうなっているのです?」
「ひっぅ、うぅっ……ん、はぁ……っぅ……ぐ、ぐちゅぐちゅにっ、とろけて……んっんぅ」

見たくなくて顔を背けるが、彼の手が私の頬を包む。
蜜を塗られて蕩けた結合部分がいやらしい音を立てた。

「甘い……」
「はぁ、あぁ……と……え、もんっ、さま…あぁっ……」

素直に言うことを聞けば、極上の微笑みが返って来る。
董右衛門は尻から垂れた蜜を指で掬い取り舐めた。
赤い舌が合間に見えてドキリとする。
それを知られて、悪戯っ子のような顔をした。
再び掬い取り私の口元に持ってくる。
私は差し出されるまま、舐め取った。
犬のようにペロペロと指を綺麗にしていく。
それを見ていた董右衛門は我慢できないかのように覆い被さった。
指を離したかと思えば、唇を合わせてくる。
私は指と同じように咥内を舐め回した。
角度を変え、鼻を擦り合わせて息も出来ないほど深く口付けをする。
そうしてまた快楽の海へと二人で沈んでいった――。

次に気がついたのは、カタン――という僅かな物音のせいだった。
うっすら目を開ければ話し声が聞こえる。
私はいつものように布団に寝かされていた。
蝋燭が消されても、これだけ明るいとなればもう夜明けか。
相変わらず激しい情事のあとで体は動かなかったが、耳を傾けることは出来た。

「またこんなになるまでして。あっしは分かっているんですからね」

最初に聞き取れたのは吾郎の声だった。
声色と口調で呆れているのだと分かる。

「わざと気を失わせ、翌日も引きずるくらい激しく抱いているのでしょう。全ては旦那様が怖いからだ」
「吾郎、朝早くから説教は聞きたくない」
「いいえ、そろそろあの子も限界です。言わせて下さい。旦那様はご自分が屋敷にいない間に彼が居なくなることを恐れて、あんな風に抱いているのでしょう?」
「…………」
「仕事から帰って真っ先に小太郎様のもとへ向かうことは周知の事実でございますよ」

(え……?)
私は吾郎の言葉に目を見開く。
思わず身じろぎそうになって慌てた。
起きていることを知られたら拙い気がしたのだ。

「分かったからその話はあとにしなさい。私はこれから出掛けねば……」
「また今日も寝ずに行くのですか。昨日だってあまり睡眠をとっていらっしゃらなかったのに、旦那様だってそろそろ限界が――」

二人の声は段々と小さくなり、それ以上は聞き取れなくなった。
足音が遠のいて、去っていったことを知る。
私はその場で起き上がった。
腰に鈍痛が響き、立ち上がれそうもない。
それでも出て行った方を見ずにはいられなかった。
四つんばいになって柵までいくと、階段の先を見つめる。
(董右衛門様……)
気付かなかった。
朝方まで抱かれているとしたら、彼だって同じ体力を必要とする。
毎日、寝て起きて出されたご飯を食べて、一日中ゴロゴロしている私と違い、彼は立派な仕事を持っているのだ。
(でもなぜ?)
肝心なところが分からなくて困惑する。
座敷牢に閉じ込められている私に恐れを抱く必要なんてないのに。
私は金で買われて檻の中にいるのだ。
すべて董右衛門の言うがまま従っている。
一度も反抗したことはない。
そんな彼が恐れる理由はないはずだ。

「…………はぁ」

とはいえ、どれだけ考えても答えは見つからない。
董右衛門の考えていることが分からないからだ。
彼のことは彼にしか分からない。
当然の話にため息を吐くと、朝餉が出来るまで大人しく横になっていようと思った。
布団の方に振り返ってあることに気付く。
(……あれ?)
枕元に近寄った。
朱色の大皿に乗せられたのは和菓子。
それも、もみじの形をした饅頭だった。

「可愛い……」

思わず感嘆の声を上げる。
こんな可愛い菓子は初めて見たからだ。
ひとつ手に取ってみる。
すると饅頭で隠れていた本物のもみじがヒラヒラと膝に落ちた。
十分に赤く染まったもみじは赤子の手にそっくりで愛らしい。
手に取ってから気付いた。
(まさか、庭の……?)
もう一度階段の先を見つめる。
意味なんてないのに、途端に涙が零れた。
(どうしてこんなに嬉しいことをしてくれるのだろう)
彼は酷い人だ。
座敷牢に閉じ込めておきながら、ふいに気遣いを見せてくれる。
毎日変わるお菓子や着物を見るたびに、本当は優しい人なのではと思ってしまう。
惑わされてはならないと心に決めても、決心は水のように揺らいだ。
頬を伝う涙がもみじを濡らす。
いっそのこと、冷酷か優しいか一方であれば楽なのに、分からないから心を掻き乱した。
董右衛門を思うと胸が痺れて痛くて――でも温かいのも事実で……。
私はもみじを握り締めて、涙が枯渇するまで泣き続けた。

二日後の昼、また正吉と名乗る男がやってきた。

「久しぶり。元気にしていた?」

彼は楽しそうにけらけら笑っていた。
私は牢の隅で膝を抱えたまま、何も言わず聞き流す。

「今日はね、ある情報を持ってきたんだ」

聞く気がないことを分かっていて、彼はあえて知らぬ振りをしていた。

「君の家族のことなんだけど……」
「えっ」

家族という単語に思わず反応してしまう。
目があった正吉はなおさら嬉しそうに笑った。

「多摩の奥地に住んでいるよね。家族構成は両親と君、弟、妹の五人家族だったかな」
「そ、そうですけど」
「じゃあやっぱり小太郎君の家族のことだ」
「どういうことですか」
「董右衛門がある家族を金に物を言わせて追い出したって噂が耳に入ってね。ちょいと調べてみたんだよ」
「…………」
「わざわざ金掛けてそんな馬鹿げたことをする必要があるのか疑問だった。でも君の家族なら納得だ」

男は企んだ顔をしながら声を潜める。
その表情にゴクリと息を呑んで、次の言葉を待った。

「小太郎君の帰る家をなくすためさ」
「そんなまさか!」
「ついでにあの周辺で作られている木炭はいい値がつくという。こりゃ金の匂いがプンプンするぜ」

江戸っ子のように鼻をすすり斜め上を見る。
私は信じられなくて「ありえない」と横を向いた。
だがそれでも彼は諦めない。

「なら董右衛門に聞くといいさ」
「……っぅ……」
「金の件は商売人の勘だが、あながち間違いでもないだろうよ」

自信満々に言い切る男に気持ちが揺らぐ。
(そんな馬鹿なことを――)
それでも拭えないのは私自身が董右衛門の考えていることを分からないからだ。

「で、でも私なんかにそんな――」

払拭しようと反論した声は弱々しくて自分さえ驚いてしまう。

「上玉の色子を高い金で買ったんだ。しかもまだ手の付いていない一級品さ。簡単に鳥籠から出してたまるかってんだ。あの男は卑しくも回りくどい。おおかた周囲から責めて囲おうって魂胆だろうよ」
「…………」
「ま、現状が一番物語っているんじゃないの」

それを言われて、反論出来なかった。
久しく陽も浴びれず、暗い牢に閉じ込められている。
人としての自由も尊厳も与えてもらえず、ただなすがまま董右衛門を受け入れている。
それは生き地獄も同然だ。

「おっと、もういかないと危ないな」
「あ……」

男が立ち上がった気配に、私も顔をあげた。
その顔はどうしたらいいか分からず、助けを乞うようだ。
見なくても分かるほど心細い。

「もしここが嫌になったら逃げるといい」
「え?」
「三日後の戌ノ刻(夜七時)、杉山大橋を北にいったところに廃寺がある。そこに来れば俺が君を家族のもとへ送り返してあげよう。彼らの居場所なら把握している」
「で、でもそんなことしたら……」
「大丈夫。これでも大棚の息子さ。立ち回りには慣れているよ」

男はそれだけ言うと、階段を上がっていってしまった。
ひとり残されて困惑する。
(せっかく身請けしてもらった董右衛門様を裏切ることになるのでは)
正吉から言われたことを繰り返し反芻する。
真意はどうあれ、彼が原因で家族が引っ越さなければならなくなったのは事実なようだ。
まだ幼い弟や妹たちを連れて住まいを移すことがどれだけ大変なことか。
しかも父親は体が悪く、ずっと寝たっきりであった。
そんな彼らをどこに行かせたというのか。
思うだけで辛くて胸が痛くなる。
(酷い。行くあてなんてないだろうに)
閉じ込められたまま無力な自分に苛立った。
今すぐにでも家族のもとに駆けつけたかった。
柵を掴んで揺らす。

ガシャガシャ――。

それはビクともせず、冷たい木の感触だけが掌に残った。

***

その二日後の夜、董右衛門は座敷牢にやってきた。
日を空けたのは初めてのことで、今の私はなんでも勘ぐってしまう。

「小太郎、元気にしていましたか」
「…………」

牢の中に彼が入ってくる。
私はじっと見つめた。
疲れているのか、元気がないのは彼の方である。

「このもみじを置いて下さったのは董右衛門様でございますか」

そっと着物の袖から、この間もらったもみじを取り出した。
すると彼は気まずそうに顔を背けて「庭を歩いていたら偶然もみじが落ちていたから拾ったまでのことです」と、呟く。

「私がもみじを好きなこと、覚えていて下さったのですね」

もみじをぎゅっと握り締めて問うが、返答はなかった。
彼は私の側により、腰に手を回す。

 

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