3

いつものように情事が始まるのだ。
満足な会話も出来ずに体を重ねるのは寂しい。
肉体しか欲していないように思えるからだ。
(元々、最初から覚悟の上だ)
身請けとはそういうこと。

「なら、芝居見物の帰りにお話した裏山のもみじの話は覚えていますか?」

押し倒されながらもう一度問うた。
すると董右衛門が怪訝そうに見下ろす。

「……何が言いたいのです」

彼は決して身を起こさなかった。
あくまで布団の上に私を倒し、覆いかぶさっている。

「……家族に、会いたいです……」
「は?」
「いますぐ家族に会いたいのです!それから薄暗い牢の中ではなく、眩しい陽の下で美しいもみじを見たいのです!」
「小太郎……」

董右衛門の着物を握り、嘆願する。
こんなに必死になることはなかった。
いつも従順だったせいか、彼は変わりように驚いている。
しかし願いは聞き届けられなかった。

「逃げるつもりか……」

董右衛門は悲しそうに顔を歪ませる。
ぼそりと呟かれるが、私には聞こえなかった。

「認めません。家族に会うことも座敷牢から出ることも許しません」
「なぜですか!?どうしてそんなひどいことをするのですか。……私の、実家が……もうないからですか……」
「何を馬鹿なことを……」

普段なら言い合いすらしたことがない。
しかし、ここで食い下がらないわけにはいかなかった。

「私の家族はどこにいるのですか!お金を渡して、どこかへ越させたのは本当ですか?どうして……追い出したりなんか……」

激昂して言い途中なのに涙が溢れた。
歯が震えて言葉にならなくなる。
頭の中が乱れて何ひとつ冷静になれなかった。

「馬鹿馬鹿しい」
「ひっぅ、ふ……っぅぅ……っぅ……」

軽くため息を吐かれた。
その顔に戸惑っているといきなり着物を開かれる。
露になった肩や胸元に、抵抗した。
しかし力では適わず、すぐに白い肌が広がっていく。

「いやだっ……ふっぅ、うぅっ……いやっ……」
「黙りなさい。あなたに拒否権はありません」
「そんな……っ!」
「小太郎。よく聞きなさい。あなたにはもう帰る場所も家族もないのです。だから他のことは全て忘れなさい」

乱暴に開かれた体は、痛みより快楽の味を覚えている。
泣いて拒絶をしたが、そうすればするほど強引に内部に入ってきた。

「一生離しません」
「……ひっぅ、ぅく……うぅっ……」
「あなたは私の側以外では生きられない」

“簡単に鳥籠から出してたまるかってんだ”

ふと正吉の言葉を思い出す。
(私は一生、籠の中)
激しい愛撫に、見上げた天井は煤汚れていた。
無我夢中で抱く董右衛門に息苦しさを感じて目を閉じる。
強引に広げられた尻が痛いのに、胸の方が痛くて張り裂けそうだった。
抵抗は無意味。
願いは届かない。
金で買われた体は意思を持てない。

「たす……け……」

最後まで言い切れなかった。
董右衛門の執拗な口付けで、声を奪われてしまったからだ。
消えた言葉の先を辿る。
(助けはこない)
絶望が諦めに変わる。
地下の座敷牢に無常な風が吹いた。
それも全て悦楽の中に溶けた――。

翌日の夕方、ようやく私は目が覚めた。
体中が軋むように痛い。
体や着物は綺麗になっていたが気持ちは重い。
見れば隅に朝餉と昼餉が置いてある。
泣きつかれたせいか、途中で目覚めることは無かった。
腫れているのか、瞬きするのも辛い。

「お、起きたか。具合はどうだ?」

そこに吾郎がやってきた。
心配して何度も見に来ていたのだろう。
私は無表情のまま起き上がった。

「お腹が痛みます。頭も痛い」
「そうか。さすがに限界かねぇ」

助けを求めるように彼を見る。
よほど酷い顔をしていたのか、吾郎は口を噤んだ。

「ずいぶん酷い顔色だ。医者に見てもらった方がいいかもしれん」

彼はしばらく腕を組んで悩んでいたが、さすがに拙いと気付いたのか、そう判断した。

「ちょっと待っていて下され。今医者に……」
「あの……その前に白湯を頂けませんか?一杯だけで構いませんから」
「少しは待てやせんか?あいにく今はみんな出払っているんだ。他の使いを出したらあっししか残らない」

困惑した表情で私の顔を覗き込む。
しかし頑なに首を振って嫌だといった。
普段は大人しい私に、よほど逼迫しているのかと吾郎は思い悩む。

「――うぅむ、分かった。仕方がない。ではあっしと共に上まで来てくれるか」
「はい……」

私の姿を哀れに思ったのか、彼は頷いてくれた。
持っていた鍵で牢を開ける。
腕を掴むと中から出してくれた。
彼に導かれて、一歩一歩と階段を上がる。
蝋燭の灯りに慣れていた私の目は、外の明るさに耐えられなかった。
目を細めて、しばし瞬きを繰り返す。

「大丈夫か」
「はい。すみません」

吾郎は気遣うように窺ってくれた。
開いた障子の隙間から射し込む西日に涙が零れる。
目を瞑っても陽の光は感じることが出来た。
その開放感が気持ちだけでなく体を楽にしてくれる。

「すまんなぁ。あともう少しの辛抱だから」

その様子を見ていた吾郎は苦笑いをした。
私を台所まで連れて行くと、ここで待っていろと言いつける。
彼はまだ屋敷内にいる女中に使いを頼みに行った。
(ごめんなさい)
心の中で気遣ってくれた吾郎に詫びる。
だけどこの期を逃せば、一生座敷牢の中だ。
もうあそこに戻るのは御免である。
私は覚束ない足取りのなか、裏口から外に出た。
土地勘もないまま、よろよろと歩き出す。
とにかく、杉山大橋を目指さなくてはならなかった。
幸い、約束の時間までまだある。
本来なら行く気がなかったのに、もう駄目だった。
董右衛門を信じることが適わなくなっていたのだ。
逃れたい・家族に会いたいの一心で正吉のもとに向かう。
そうすれば全てが楽になれると思ったのだ。

***

約束の場所に着いた時には、完全に陽は落ち、真っ暗だった。
町人に聞きながらようやく廃寺が見えてきて安堵する。
だがそこには、意外な人がいた。

「あ、茜さん……?」

彼女は悲しそうな顔で私を迎える。
だがどうしてここにいるのか分からず首を傾げた。

「やはり来てしまったのですね」
「え、どういう……」
「話はあとです。とりあえずここから逃げましょう」
「何言って」

茜は私の袖を引っ張り、この場所から去ろうとする。
辺りを注意深く窺う彼女に嫌だと言えず戸惑った。
何を言っているのか理解できない。
だが、理解するより早く、事態は急変した。

「そうはいかねえな」
「……っぅ……やはり……」

どこから現れたのか、わらわらと柄の悪そうな浪人が集まってくる。
茜は私を庇うように前に出た。
胸元から小刀を取り出す。

「あ、あ、あ、茜さんっ!?」
「詳しい話はあとで!」

浪人たちは刀を抜いて近寄ってきた。
みな卑しい笑みを浮かべて間合いを取る。

「残念でした」
「くっ――」

だが、前にばかり気を取られていた茜は、後ろにまで注意を払えなかった。
耳元で囁かれてゾクリとするが、時すでに遅し。
首を叩かれて意識が遠くなる。
茜は私の様子にしまったと目を見開いたが、同時に浪人たちが襲い掛かって来てなす術をなくした。

***

「……ま……うさまっ……小太郎様っ!」
「んぅ」

ようやく目覚めると、目の前に茜がいた。
必死に呼びかける声に反応する。
私が気付くと、彼女はようやく安堵の息を漏らした。

「あ……私は……」

朦朧とする頭を振り、見回せば、崩壊寸前の寺だった。
煤汚れた像がいくつも並んでいる。
となれば、ここは約束の廃寺か。

「あっ茜さん……大丈夫ですか!」

我に返ると、茜の方に振り返った。
動きづらいと思えば、二人とも後ろ手を縛られている。
その縄は柱に括り付けられていて、逃げることは不可能だった。

「小太郎様、申し訳ございませぬ。やはり私はまだ未熟で……」

彼女は悔しそうに唇を噛む。

「正吉の企みに気付いていたのに、旦那様に伝えられませんでした」
「どういうことですか」
「全てお話致します。元々、私の生まれはとある忍びの集落でございました。ところが襲名騒動に巻き込まれ、どうにか命からがら江戸まで逃げてきたのでございます」
「茜さんが忍び?」
「左様でございます。旦那様に拾われ、女中として働きながら隠密活動を行っておりました。旦那様の仕事は時として危険を伴うゆえ、忍びを要したのでございます」
「…………」
「小太郎様のお世話をさせて頂いておりましたが、裏の仕事が忙しくなり、あのような別れ方になってしまいました。また、あれは小太郎様を地下に隠すための芝居でもあったのです。本来ならば、あのままの生活を続けて頂きたかったのですが、いつ何時狙われるか分からぬ危険のため、あのような座敷牢に……」
「そんなっ、危険って何ですか?なぜあのような場所に入らなくては……」

身を乗り出して問う。
知らなかったことばかりで混乱していたからだ。

「そりゃ、危険とは俺のことだ」
「……っぅ、外道め!」

するとその時、後ろの扉が開いた。
入ってきたのはひょうひょうと笑う正吉である。
茜はその姿を確認すると食って掛かろうとした。
私を守ろうと前に出るが紐で縛られどうにもならない。

「董右衛門のやろう。金魚の他にくのいちを飼っていたなんて、いい趣味じゃないか。しかもあの茜さんなんてな」
「お前に名を呼ばれる筋合いはない。今すぐここから出しなさい!」
「おおっと、威勢の良い女だね。嫌いじゃないよ。……でもね、忍びならあの隙だらけの屋敷をどうにかした方がいいと思うぞ。あれでは入り放題だ」
「…………っ」
「とはいえ、四方に客がいるやつだ。忙しくてそんなに人員は割けないか」

呑気に笑う姿は、余計に行動が読みづらい。
正吉は二人の前までやってきた。
舌舐めずりして、交互に見ている。

「どうしてあなたが!?董右衛門様の幼馴染ではないのですか!」

その卑しい眼差しに胸糞が悪くなるが、黙っていられなかった。
気丈にも彼を睨みつける。

「商売っちゅうのはこういうもんだよ。金を貸す方、借りる方――ふとしたことで相容れぬ関係になるのは当然だ」
「ならば、何の目的があってこんなことをしたのです!」
「餌だよ、餌」
「は?」

聞き返せば「これだからお子ちゃまは……」と、鼻で笑われた。
すかさず茜は「卑怯者に笑われる筋合いはない」と吐き捨てる。

「おおかた、小太郎様を餌に、旦那様を呼び出して闇討ちにでもなさるのでしょう」
「そ、そんな」
「旦那様さえ死ねば、借りた金も利子も返す必要はなくなる」

彼女は忌々しげに正吉を睨んだ。
それが気に入ったのか、彼は茜の頬を撫で顎を掴む。

「活きの良い女だ」

欲情した顔に、抵抗するも縛れている身だ。
ぎりぎりと縄だけが食い込み、苦しそうに息を漏らす。

「や、止めてください!茜さんには手を出さないで!」

私は間に割って入った。
目の前で女子がいいように扱われて、大人しくしていられるほど子供ではない。

「ほほう」
「良いのです!私なら大丈夫です。これくらいどうってことはございません」

しかし正吉は矛先を私に変えた。
茜から手を離すと、じっくり顔を見てにやりと笑う。

「ならお前に相手してもらおう」
「何を!?外道っ、小太郎様に手を出したら八つ切りに――!」

反論する茜をよそに、柱と共に縛り付けていた縄をほどいた。
後ろ手は縛ったまま、私に覆いかぶさる。

「元々お前を襲うつもりだったんだ。せっかくの上玉、味見しないわけにはいかないねぇ」
「……っぅ……」
「董右衛門はなんて思うかな。他の男に汚されたとなりゃ、顔に泥を塗られたようなものだ」

豹変した正吉は、卑しい言葉で責め立てた。
ゆっくりとした手つきで肢体を這う。
無理やり股を開かせると白い足が現れた。
それに生唾を飲み、唇を歪ませる。
茜は泣きじゃくりながら何度も私の名を呼んだ。

「お前がやつを信じなかったのが悪い。自分から俺のもとに来たんだ。それくらいの覚悟はあるよな?」

何も言えない。
言い返せるわけがない。
全て彼の言ったとおりで、私は自らの足で董右衛門の屋敷を抜け出して来たのだ。
なぜ言い返せようか。

「ははっ。覚悟は出来ているってか。さすが上玉は違うね」

肌を滑る、男の指。
まさぐる手は目を瞑ってしまえばどれも同じなのに、どうして嫌悪感が拭えないのだろうか。
(違う。董右衛門様のじゃないからだ)
怖い。嫌だ。
暗闇の世界で触れる手が、途方もなく気持ち悪い。
花街では男も女も春を売っているんだ。
一晩だけ、客に愛を囁き、身を受け入れる。
行為の手順は知っているのに、あの時の恐れとはまったく違う感情に気付いた。

「……っ……うぅっ……」

目を開ければ、正吉と合う。
欲情でギラギラとした卑しい眼差し。
私の知っている瞳には、それがなかった。

「とう……え、もん様……」

目じりに涙が溢れる。
私を抱く時の董右衛門には正吉にない心があった。
どうして最後まで気付けなかったのだろう。
(私は愛されていたのか)
睦言を囁きあった仲ではないし、確認したこともない。
だけど彼の眼差しは温かく、どこか胸を焦がした。
眼差しだけではない。
唇、舌、指――あらゆる部分を使って、私を愛し熱く抱いてくれた。
どんなに言葉は冷たくても、行為は激しくても、想う心があったから恐怖は薄れた。
言葉にしなくても伝わる気持ちがある。
それが肌を重ねるということならば、私はなんて愚かだったのだろう。
無知は罪だ。

「痛っぅ……」
「ははっ。尻の穴が腫れて真っ赤だぜ」

指が内部を掻き乱す。
己の欲を晴らすためだけに。

「ぐはああああぁぁぁ――!」

その時、急に浪人の断末魔が響いた。
間もなくしてぼろい扉は壊されると男がなだれ込んでくる。
正吉はそれに笑みを深くして、扉のほうを見た。

「ようやく来たか」

暗い闇の中からひとりの男が姿を現す。
手には刀を持っていた。

「旦那様!」

いち早く気付いた茜が涙ながらに彼の名を呼ぶ。

「小太郎……」
「あっ」

涙で霞んだ視界に、董右衛門が映る。
私は目を見開いた。
まさか本当に現れるとは思わなかったからだ。
(言いつけを破って逃げ出したのは私なのに)
詰まる想いが喉の奥に溜まって声が出ない。
彼は私の状態に気付くと、苦々しく正吉を睨んだ。

「…………殺す」

見たことがないほど険しい顔に、本気で怒っているのだと覚る。
だが、正吉は余裕の表情だった。
彼は私の体を離すと、董右衛門へと近づいていく。

「いいね。その顔」
「…………」
「優男のお前が勝てると思っているのか」

董右衛門の後ろを浪人が囲んだ。
彼は目配りをしながらゆっくりと後ろに消える。
私と茜は歯がゆく思いながら身を捩った。
正吉は追いかけるように廃寺から出て行く。

「どうにかして縄を……」

あの人数をひとりで相手にするのは危険だ。
茜も同じ気持ちで、どうにか縄からすり抜けようとしている。

――すとん。
すると、真後ろで僅かな音が聞こえた。
二人して振り返れば、吾郎の姿がある。

「お前さんも難儀な人生だね」

呑気にそれだけ言うと、あっさり縄を解いてくれた。
同じように茜の縄も解く。

「どうして……」
「小太郎様。彼も忍びなのです。江戸での私の師でもあります」
「いやはや、まさかこのあっしが出し抜かれるとは思わなかったよ。よくこんな体で抜け出してきたねぇ」

吾郎は私のことを責めなかった。
それどころか知らなかった事実を教えてくれた。
私の家族は、私欲のために追い出したのではなく、董右衛門の伝手に腕の立つ蘭方医がいて、父親の治療のために、長崎に越したというのだ。
全ての費用は彼が援助してくれたのだという。
長崎では母親に仕事を斡旋し、住む場所を確保して、悠々自適に治療しているとのことだった。

「ご家族から文が届いたが、お前さんは牢に入っているだろう。どの機会に渡していいのか旦那様も困ってな。下手に渡したら余計に辛くなるだろうに考えあぐねていたんよ」
「そんな……」
「ま、あのかたも駆け引きは得意なんだが、どうも感情を表すことが苦手でな。普段穏便な分やっかいというか。結局拗れてしまうんだな」
「…………」
「それだけお前さんの存在は旦那様を掻き乱すのだろう。冷静でいられないのも想いの形のなのかもしれん」

彼はそう言って頭を撫でた。
戸惑う私をよそに二人は刀を手にして、董右衛門のもとへ向かう。
外では複数相手に斬りあいが続いていた。
月夜に刀のぶつかる音が響く。
私は吾郎に言われた通り、少し離れた桜の木の陰に身を隠した。
これ以上足手まといになってはならない。
血を見るのは初めてで、小さく丸まると震える。

「みーつけた」

すると、正吉と浪人のひとりが私を見つけてしまった。
振り返ると刀を構えた男がしたり顔で立っている。
私は声も出せずに固まった。
その間に刀が振り上げられる。
だが私に触れる前に、弾き飛ばされた。
耳の奥にキン――と、甲高い金属音が木霊する。
恐る恐る見上げれば、男の刀と交わるように董右衛門の刀が刺し出されていた。

「チッ――」

一旦、退こうとする男に流れるような所作で次の一手を打つ。
追うように一歩前に出たと思ったら、右から左へと刀を振り切った。
男は受け流すことで精一杯なのか、中々攻撃体勢に移れない。
それほど董右衛門の刀に隙はなく素早い。

「優男のくせに生意気な」

しばらく打たれ続けたが、痺れをきたした浪人が打って出た。
体格の差を利用して力任せに振り落とすと、構え直して上から振り上げる。
それを見越していた彼は、低姿勢になると刃すれすれに避け、反動で下から上へと切り上げた。
鋭い刃が肌を切り裂く。
男はその一撃で絶命すると前のめりに倒れた。

 

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