Aschenputtel-アッシェンプッテル-

昔々、あるところにシンデレラという娘がおりました。
シンデレラは継母とその連れ子である姉達に虐められていました。

――ある日、城で舞踏会が開かれることになりました。
しかしシンデレラは舞踏会に行くためのドレスも靴も持っておりません。
すると舞踏会に行きたがるシンデレラの前に不思議な力を持つ魔女が現れました。
彼女はシンデレラにドレスや靴を与えて舞踏会へと送り出してくれたのです。
魔女との約束はただひとつ。

「12時には魔法が解けてしまうよ?だから12時までに帰っておいで」

シンデレラは初めての舞踏会に心躍らされました。
そして彼女は王子と出会うのです。
王子はシンデレラをたいそう気に入りました。
しかし、シンデレラの魔法は12時で解けてしまうのです。
彼女は王子との夢のような時間にすっかり忘れていました。
時計を見れば約束の12時まであとわずかです。
シンデレラは慌ててお城を飛び出しました。
すると彼女は階段で魔女からもらった靴を落としてしまうのです。
しかし構っている暇はありません。
シンデレラは片方の靴だけを残して城を後にしました。

後日、シンデレラを気に入った王子は彼女が残していった靴を頼りにシンデレラを探しにいきました。
しかし誰も靴が入りません。
その後、王子はとうとうシンデレラの家に辿り着きました。
姉二人にも靴を履かせてみますが、もちろん合いません。
最後にシンデレラが履く事にしました。
それを姉達は嘲笑いながら見ています。
するとどうしたことでしょう。
その靴はシンデレラにぴったりとあったのです。
なぜならその靴は魔女がシンデレラの為に魔法の力で創り出した特別な靴だからです。
こうしてシンデレラは王子に見出され、妃として城に迎えられる事になりました。
その後、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ。

めでたし、めでたし。

 

 

***

 

「ふぅ…」

僕は最後まで読みきると、その本をパタンと閉じた。
もう何度見たのか分からない小さな本はボロボロで今にも解けてしまいそうだった。
まだ幼い頃、母さんに何度も聞かせられた素敵なお伽話に胸を馳せる。
母さんは言っていた。

「シンデレラは正直者でとても優しい娘だったのよ。だから魔女は彼女に力を貸したの」

正直で誠実な人間には限りない幸福を。
それがこの話のセオリーだ。

だから魔女は彼女に魔法をかけてドレスを与えたのだ。
そして王子はシンデレラに恋をしたのだと思う。

「だからあなたも正直に誠実で心優しくありなさい。そうすればいつの日かきっと幸せになれるわ」

そういって頭を撫でてくれた彼女の手が懐かしい。
今はもう、顔すら思い出せない母親の言葉に目を細める。
見上げれば美しい青空が見えた。
厩舎の独特な臭さがこの話と不釣合いで苦笑する。
自分が掃除の途中だった事を思い出した。
慌てて馬達の世話に戻る。

チュピピピ―…。

すると窓から一羽の白い小鳥が入って来た。
その鳥は躊躇う事無く僕の肩にとまる。

「やぁ、おはようロゼ」

僕の言葉に反応するように小鳥は美しい声で鳴いた。
いつから懐かれてしまったのか、僕の元にやってきてはその歌声を存分に聞かせてくれるようになった。
だから僕は内緒で小鳥にロゼと名付けた。

「ロゼの声はいつも素敵だね」
ピピピピピ―…!
「僕もキミみたいに美しい声で歌ったり空を飛んだりしてみたいな」
チュピっ…ピピ!

小鳥は嘴で軽くツンツンと突っついてきた。
それがくすぐったかったから僕はブラシを持ちながら笑ってしまう。

「ハハっ。慰めてくれるの?ロゼは優しいな」

こんな風に僕と接してくれるのはロゼだけだった。
だからこの小鳥と過ごす時間が一番楽しくて幸せだった。

「エマルドー、エマルドどこにいるのっ!!」

すると外から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
少女の甲高い煩い声にロゼは驚いてしまう。

「あっ…!」

小鳥はそのまま飛んでいってしまった。
僕は空高く飛んでいくロゼを見送る。

「エマルドー!!」

未だ僕を呼ぶ声は少し怒気が含まれていた。
僕は仕方がなくブラシを置くと厩舎を出て行く。
外は気持ちのいい青空に空気が澄んでいた。
見上げれば立派な建物が聳え立っている。
ここは町外れにある貿易商人のお屋敷だった。
代々続く資産家で広大な屋敷には僕のような使用人が大勢いる。

「やっと見つけた!エマルド」

屋敷の入り口に一人の少女が立っていた。
美しい巻き毛を靡かせて彼女はこちらに向かってくる。
水色のワンピースが周囲の花に映えて綺麗だった。

「どこに行ってたの?呼んだらすぐに来なさいよ」
「申し訳ございませんモニカ様。厩舎を掃除中で…」

そういって頭を下げると彼女の眉毛がぐぐっと上がる。
明らかに不機嫌といった顔だった。

「そんなの関係ないわっ」
「あ…」
「いいから早く来なさい。のろまっ!」

彼女は僕を置いてさっさと玄関に入っていった。
僕も慌てて彼女を追う。

屋敷の中はどこも美しい調度品に囲まれて豪華な内装だった。
ボロボロのワイシャツとズボンの僕はあまりに場違いで身を縮める。
せめてもの礼儀で被っていた帽子を取ると小脇に抱えた。

「早くしてよ」
「あっ…はい」

ずいぶん先を小走りする彼女に僕は駆け寄った。
そのまま真っ赤な絨毯のひかれた階段を登り、長い廊下を歩く。
他の使用人達は掃除に追われて忙しそうにしていた。

コンコン…

彼女はある部屋の前で止まった。
遠慮がちにノックをする。

「…どうぞ」

すると中から促す声が聞こえた。
僕とモニカは中に入る。

「お姉様連れてきたわよ」

部屋の中にはこれまた美しい金髪の女性が居た。
名はフランシスカ。
整った気高い姿に相応しい名前だ。
彼女は侍女に髪の毛を結ってもらっていた。
部屋中に広がる花の匂いは、いい香りを通り越して臭い。
だがそんな事を言えるはずもなく、咽そうな自分をぐっと我慢していた。

「喜びなさい。エマルド」
「え?」
「あなたは今日、私達と舞踏会に行くのよ」
「え…え…!?なっ…」

するとフランシスカの口から思わぬ言葉が出てきた。
ついどもってしまう。
その態度が気に入らなかったのかモニカは僕の足を思いっきり踏みつけた。

「痛っ…!」
「お姉様の前で失礼じゃありませんこと?素直に喜んだらどうなのよ。アンタなんかが城にいけるんだから」
「申し訳……」
「まぁ、いいじゃない。モニカ、足癖悪いわよ」

すると見かねたフランシスカが間に入って来た。
モニカはこっちを睨んだままフンっと荒く息を吐く。

「あの…」
「何?」
「でも、僕なんかが舞踏会に出てもよろしいのでしょうか?」

それは思ってもみない予想外の展開だ。
ちょうどこのお屋敷の正反対の丘に大きなお城がある。
まるで町全体を見渡すように建てられた豪華絢爛なお城は誰もが憧れる場所だ。
そこでは定期的に舞踏会が開かれているという。
僕は薄暗い屋根裏部屋からいつもお城を見ていた。
輝かんばかりの真っ白な城はいつ見ても美しい。
昼間は青空に映え、夜は月と星たちが彼らの栄光を称えるように照らしていた。
きっとそこには想像できないような暮らしをしている人達が居て。
素敵なドレスやタキシードを身に纏った紳士淑女が踊っているのだ。
まさにお伽話。
まさに夢の国。
憧れの意識が強すぎて自分がそこに立つなど想像できなかった。
僕は死ぬまで城を眺める程度で終わるのだろう。
そう納得していたから嬉しいというより違和感が先に来てしまったのだ。

「……ええ、もちろんよ」

するとフランシスカはイスに腰掛けながら肘を突くとこちらを向いた。
僅かに口角を上げる。
彼女の指には色とりどりの宝石が散りばめられていた。
それが角度によって輝きを増す。

「あ、ありがとうございます!」

僕は深々と頭を下げた。
身分の低い自分が城の中に入られるだけで重大な出来事だ。
使用人としてでもいい。
踊れなくてもいい。
その場に居られるだけでも夢のようなのだ。
僕は二人に何度も頭を下げて感謝の言葉を述べた。

「―――ただし、条件があるわ」

そんな僕の耳に冷たい矢のような言葉が突き刺さった。
それにビクリと震えて顔を上げるが表情は先ほどと変わらず甘い笑みを浮かべている。

「え?」

それが罠だとは気がつかなかった。
目の前にぶら下げられたご馳走に目がくらんで何も見えなかったのだ。
所詮踊らされた子羊。
夢を見るほうが間違いだったのだ。

 

***

 

 

――僕がこの屋敷に来たのは五歳の時だった。
元々貧しいガラス細工の家に生まれた僕は、それでも両親の愛に育まれ幸せだった。
しかし父親を流行り病で亡くし、元々体の弱かった母さんも暫くして死んだ。
親戚をたらい回しにされた結果、この屋敷に奉公に出された。
売り飛ばされたと言った方が正しいだろう。
それから僕はこの屋敷に住み込みで働き始めた。

家から持ってきたのは一冊の小さな本。
母さんが僕の為に作ってくれたお手製の童話集だ。
彼女は亡くなる寸前まで僕に話を聞かせ続けた。
中でも母さんはシンデレラを深く愛し、心の豊かさを説いた。
今の僕と家族を繋ぐのはこの本だけ。
全てを失った僕にはこの話だけが心の拠り所だった。

カパカパカパ……。

蹄の音がやけに耳に響いていた。
馬車の中でぼんやりと暗くなっていく空を見上げている。
前に座るモニカとフランシスカを見れば面白そうに笑った。

「とってもお似合いよ。エマルド」
「ふふ。本当ね。きっと街一番の美少女よ」

その目は言葉とは裏腹に小ばかにしたものだった。
僕はもう一度外に視線を移すと軽くため息をつく。

「あらこの子ったら。せっかくドレスを与えてあげたのに、その辛気臭いため息どうにかしてよ」
「ホントよ。これから王子様に会いに行くっていうのに、こっちの気分まで下がっちゃうわ」

言いたい放題な彼女達はお構いなしに話し続けた。
僕は舞踏会への気持ちが冷めていた。
フランシスカの出した条件があまりに酷だったからだ。
彼女は僕にドレスを着せると女として舞踏会に参加する事を強制した。
勝手に髪の毛を触られて化粧をされてアクセサリーをつけられた。
ここまでなら、まだ問題はない。
むしろ感謝するべきなのかもしれない。
しかし問題は靴だった。
僕と二人は年齢にして五歳ほど違う。
当然着る服や靴が合うわけない。
ドレスは良いにしても、靴がゆる過ぎて歩く事が困難だった。
それを始めから知っていたフランシスカは町の靴屋に特注で靴を作らせていた。
それを「あげる」と言って渡してきた彼女は耳元でポツリと呟く。

「靴代はあなたの借金として立て替えておいたから」

その言葉に目を見開いた。
彼女は僕の反応を面白そうに見下してニヤリと笑う。
僕は、そんな事頼んでいない!――と、勢いで言ってしまいそうになる自分の口を手で覆った。
今の僕は無力だからだ。
どんな意地悪もどんな理不尽も甘んじて受け入れなければならない。
もし二人の機嫌を損ねて主人に知られたら一大事だ。
どこぞの国に奴隷として売り飛ばされるかもしれない。
それならまだ使用人としてこき使われたほうがマシだ。

「ふふ」

フランシスカの耳障りな笑い声に聞こえないフリをする。
今度はどんな仕打ちをしてくるのか知れない。
嫌な予感に胸がざわついた。
しかしもう馬車は走り出している。
僕には止める事など不可能。
だから震える指を彼女達に見えないように隠して握った。

その後、無事に城へ辿り着いた僕は従者に手を引かれて馬車を降りた。

「うわ…」

城を見上げて感嘆の声を上げる。
実際に城を間近に見れば気持ちは揺れた。
細部にまで整われた庭に麗しい彫刻の噴水。
城の入り口まで敷き詰められたレンガは街のとは違いしっかりと磨かれていた。
今、僕は歩くのも躊躇ってしまいそうな一本の道の前に降り立ったのだ。
この興奮はきっと誰にも分からない。
前を歩く二人は当然の様な顔をしていたが、僕にはその一歩が新鮮で、踏み出すたびに心地良い緊張で胸が高鳴った。
足元すれすれのドレスも歩きなれていないヒールも今は関係ない。
あれほど夢に見たお城の中を歩いている。
もしかしたらシンデレラはこんな気持ちだったのだろうか。
煌びやかなドレスを身に纏い初めて見る壮麗な景色に目を奪われたのだろうか。
改めて彼女に思いを馳せれば感慨深かった。
まるで気持ちがシンクロするようにシンデレラの気持ちが分かる。
それは憧れと戸惑い。

「ちょっと、あまりくっつかないでよ。それから周囲をジロジロ見ないで。田舎者じゃあるまいし」
「も、申し訳ございません」
「あらモニカ、仕方がないじゃない。初めてなんだもの。一生縁のない所に来たんだからこれぐらいは大目に見てあげなさい」
「ふふ。そうね、お姉様」

そういってまた彼女達は馬鹿にする。
だけど景色に目を奪われていた僕は半分も聞いていなかった。
今はどうでも良かったのだ。

城の中は、また一段と豪華な内装になっていた。
外壁と同じ真っ白な壁に柱が立ち並び壮観だった。
自分の住んでいる屋敷だって大きいが桁が違う。
富の限りを尽したようなシャンデリアが、頭上を覆い、艶やかに紳士淑女を照らし続ける。
小物ひとつにしても細部にまで拘りぬいた証が良く見えた。
壁に掛けられた絵画には王族が並んでいる。
まるで城だけ違う世界のように思えた。
一歩外に出た町の景色とはあまりに異質である。
だから違和感が抜けなかった。
これが夢だという自覚を持っていたらすんなり受け入れられたのに、現実だという事実が納得できない。
舞踏会に来ている人達も見たことが無いほどに鮮麗されていた。
動きのひとつをとっても隙が無く、姿勢からも彼らの自信が伺えた。
聞き耳を立てればどこぞの公爵だの国の皇太子だの次元の違う単語が飛び交っている。

最初は夢のような秀麗な景色を堪能していたが、徐々に疲れは増した。
ここに来ればモニカもフランシスカも普通の人である。
つまり二人のような人間で溢れ返っていたのだ。
金持ちの道楽といえばオペラ鑑賞やカジノ、ゴシップ。
特に噂話は耐えられなかった。
どこの誰が田舎に左遷になっただとか、誰が夫を寝取っただとか。
よくもまぁ、飽きずにペラペラと噂を話し続けることが出来るものだ。

「はぁ」

肝心のダンスは踊れないし、声を掛けられることもなかった。
改めて気付く。
女性達の長く美しい髪や、丁寧に結い上げられた髪型も淑女の嗜みだったのだ。
短い僕は只でさえ小さいのに余計に幼く見える。
これじゃ到底一人前のレディには見えない。

「ねぇ、見て?あの娘の髪の毛」
「まぁホント、少年みたい!ずいぶん個性的な髪型をしてらっしゃるわ。どこの家の娘なのかしら」
「作法もなってないし、どこかの成り金じゃないかしら。名家ではないでしょうね」

そういってヒソヒソと自分の事を話す声が聞こえた。
ワザとらしく聞こえるように囁くところがモニカ達にそっくりである。
まるで場違いな自分が恥ずかしくて輪の中に入れなかった。
こんな僕でも自分の立場は良く分かっている。
だからひとり会場を抜け出してお城の雰囲気だけを楽しむ事にした。
賑わいから外れたテラスは中庭に降りられるように緩やかな階段が出来ていた。
中の熱気にのぼせていた体を夜風に当たって冷ます。
会場から聞こえるオーケストラの音は耳をくすぐったくさせた。
静かで心落ち着ける場所を見つけて安堵する。
やはりああいった人達が苦手なようだ。

外から見ていた城の夢。
夢は夢のままでいい。
憧れは憧れのままでいいのだ。
手に届かない人間には所詮耐えることなんて出来ない。
それならいっそ、外側から思いを馳せて眺めているほうが楽しいのだと気付いた。

「痛っ…」

すると足の痛さに顔を歪ませた。
ドレスを捲ってみれば靴擦れを起こしている。
今まで夢中だったため気がつかなかった。
特注とはいえ、初めて素足でこんな形の靴を履いたのだ。
靴擦れを起こしても仕方がない。
履きなれないヒールに立っているのも億劫だった。
僕は階段の隅に腰掛ける。

ピチュチュチュ…!

どこからともなく小鳥の声が聞こえた。
聞き覚えのある声に辺りを見回せば、ロゼが傍にある木に止まっている。

「ロゼ!どうしてここへ?」

驚きながら、満面の笑みで小鳥に手を差し伸べた。
心許す友に出会えたのだ。
慣れない場所で心細かったからこそ、ロゼの存在が愛しく感じる。

ピピピっ…ピピっ
「おいで。ロゼ」
ピチュ―…!

ロゼは僕の指にとまった。
真っ白な羽をバタつかせ、嬉しそうに踊る。

「僕がここに居る事がよく分かったね」
ピチュっ

こんな場所で会えるとは思わなかった。
嬉しくて何度も話しかける。
ドレスを着てお化粧もしているのにロゼは僕だと分かっているのだ。
ロゼは返事をするようにいい声で鳴く。
静かなテラスには僕とロゼの声が反響して変な感じだ。
これなら城内にいても厩舎にいても変わらない。

「ねぇ、見てロゼ。僕たちはお城に居るんだよ。綺麗だね」
ピピっ
「もし母さんが居たら何ていうかな。きっと喜ぶだろうな」

精巧なイングリッシュ・ガーデン。
沢山の花たちに囲まれて綺麗な噴水が見えて。
さらに遠くを見渡せば町が一望出来た。
明かりのひとつひとつが暖かくて優しい。
いつもはあのひとつになっている筈なのに、今はそれを違う場所から眺めている。
それが不思議でくすぐったかった。
こんな景色を見られただけでもここに来た価値は十分ある。
モニカとフランシスカに感謝したいと思った。
明日からまた頑張って働けばいい。
僕はもう見る事のないだろう景色を目に焼き付けようとした。

ピピピっ…ピチュっ!
「あっ…ロゼ!」

すると指に止まっていたロゼが突然飛んでいってしまった。
小鳥は美しい声を響かせながら羽ばたいて遠くへ飛んでいく。
ロゼを追いかけようと立ち上がった。

ざわっ―…!

次の瞬間、一際強い風が吹いた。
途端に庭の木がざわめき出す。
同時に長いドレスは風に遊ばれて足元のバランスを崩してしまった。

「あっ……!」

慣れないヒールに体勢を立て直すことは出来ない。
僕は目の前の階段を転げ落ちる覚悟を決めた。
痛みを予感してグッと奥歯を噛み締める。

―――ぐいっ!!!

だが転げるより先に誰かが僕の腕を掴んだ。
反動で後ろへと倒れこむ。
後頭部に柔らかい布の感触がした。

「――えっ……!?」

驚いて見上げると一人の青年が立っていた。
彼は同じように驚いた顔で見ている。

「あ……」

今度は同時に声を上げた。
引っ張ってくれた手は未だ僕の腕を掴んでいる。
彼がそうして掴んでくれなければ、今頃きっと階段を転げ落ちて酷い事になっていただろう。
だが今はそんな事関係なかった。

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