サンタクロースの恋人

ここにサンタクロースの起源を知っている人間がどれほどいるのだろうか。
様々な説がいわれているが遡る事四世紀、東ローマ帝国小アジア(現トルコ)の司教、キリスト教の教父聖ニコラオスの伝説が起源と言われている。
彼は貧しい家の娘達の為に煙突の上から金貨を投げだ。
すると丁度暖炉には靴下が下げられており、金貨はその中に入ってしまったというのだ。
それが後に靴下の中にプレゼントを入れるといった風習に変わったのである。
またサンタクロースの名も聖ニコラウスから語源が変化して現在の名前に定着したという話なのだ。
あくまで伝説といえども納得する話である。
ではもしここに
「オレ、サンタなんだけど……」
と言う少年が現れたとしたら、どうするべきか。
「そうか。凄いね」と微笑んでやることがスマートな大人の対応であろう。
またはさり気無くオブラートに包んで脳外科か心療内科を紹介してあげるべきなのかもしれない。

しかし、事態はそんなに単純なものではない。
なぜならそう呟いたのは誰でもない俺の恋人なのだからだ。

「だから24日の夜は……」
「無理と言いたいのか」
「うん」
「……はぁ…」

思わず少年の前でため息を吐くと頭を掻く。
とりあえず落ち着けと自らに言い聞かせるが上手くいかない。
なぜなら二人で迎える最初のクリスマスといえば大切な行事だと思っていたからだ。
ロマンチックとは程遠い性格だが、せっかく恋人が出来たのならば学生時代に戻って甘い夜を夢見たい。
その相手がたとえ世間的にはアウトな少年であろうとも、だ。

「勝手にしろ」
「あっ、雪一さんっ…」

俺は話すのも馬鹿馬鹿しく富雪(ふゆき)の元から立ち去った。
師走の空気は身を切り裂くように冷たく息を白く染める。
久しぶりに会えたというのに、会話らしい会話をせずに終わってしまった。
振り返ればきっと項垂れて悲しそうに俺を見つめる彼がいるのだろう。
それを分かっていて振り返れないのはきっとこの寒さのせいだ。
富雪は年齢からいってもクリスマスは友人か家族と過ごすのが当たり前であろう。
だから最初にそう言ってくれたら俺も仕方がないと思えたはずだ。
しかし絶対的に分かってしまう嘘をついては欲しくない。
彼はきっと誤解をしている。
一緒に過ごせない事に腹を立てているのではない。
俺が苛立ったのは「サンタ」という幻想を使って嘘をつかれたことであった。

「はぁ…」

あくまでも個人的にだが成人を迎えてもサンタを信じている人間を“おめでたいヤツ”だと思っている。
もちろん富雪の年齢なら未だにサンタを信じていても不思議ではない。

大学時代、サークルで一緒だったひとつ下の後輩もサンタを信じていた。
彼女は「サンタに手紙を出すと25日の朝に欲しいと書いたプレゼントが枕元に置かれている」と言っていた。
聞いてみればブランド品やら電化製品やら夢のないものばかりである。
どうやら実家が結構な資産家で箱入り娘のようであった。
だから彼女は毎年欲しいものを手紙に書きサンタからプレゼントを貰っていたのだ。
実際にその子がサンタを信じていたのか分からない。
本当は両親がプレゼントを“買っている”と分かっていてねだっていたのか。
それとも本気で自分の欲しいものを買ってくれるサンタは存在すると信じていたのか。
どっちにしろ周囲には痛々しく映ったに違いない。
俺を含めたサークルのメンバーは生暖かい瞳で彼女を見守った。

また小学生の頃から俺はサンタが居ないことを知っていた。
あれは小学四年生のクリスマスイヴ。
四年生にもなるとある程度知恵や体力が備わってくる。
毎年サンタに会おうと頑張るところ気付けば眠ってしまっていたが、その日は違っていた。
また子供らしい悪知恵が働き眠ったフリをしてサンタをこの手で捕まえてしまおうと目論んだ。
更にはベット前にさり気無く置いた座布団の下にブーブークッションを仕込むという手の入れようである。
こうすれば万が一眠ってしまったとしても音で気付くと踏んだのだ。
自分でいうのも何だが、なんとも可愛くない子供である。
その後結論からいえば、何も知らない父親が俺の枕元にプレゼントを置きブーブークッションを踏んだ。
静かなイヴの夜に響き渡るのはブーーっという無神経な鳴き声である。
まるでコントのような話だが、これは決してネタではない。
ブーッという音に目を開ければそこには固まった父親の姿があった。
どうみても枕元にプレゼントを置いた気配と同人物である。
やってしまった、と言わんばかりの顔面蒼白な父親の顔を見て俺は瞬時に全てを悟った。
サンタはいないのだと。
そして子供心に父親の気持ちを踏みにじったと悔やんだ。
翌年から「ありがとうサンタさん」から「ありがとうお父さん」に変わったのは言うまでも無い話である。

「やっぱり大人げなかったか」

俺はそこまで考えて一旦足を止めた。
富雪の家からはもう随分と離れている。
何とか「サンタは居ない」と言わずに済んだが、少しだけ罪悪感を覚える。
自分よりずっと幼い恋人の嘘に腹を立てているのも器が小さく見えたからだ。
彼には彼なりに隠さなくちゃいけない事があったのかもしれないし、精一杯の嘘があれだったのかもしれない。
そう考えれば可愛くも思える。
だがどうしても富雪の目は嘘を言っているように見えなかった。
だからこそ余計に癇に障ったわけであるが、一体どうしたらいいのだろう。
俺はその場で少し立ち止まると再度歩き出した。
一旦家に帰り、気持ちを落ち着かせて夜にまた電話してみようと考えたのだ。

その日の夜、俺は自宅から富雪に電話をかけた。
24日が無理でも他の日にクリスマスの代わりをしないかと誘うためだ。
やっぱりどうしても一緒にいたい。
そう考えた末の結論である。
――しかしその電話は繋がらなかった。
悔しくなって何度か掛けてみたが一向に繋がらず、やっと繋がったのはもう深夜と呼べる時間になってからであった。

「ごっごめん。何度も電話してくれたみたいで…」
「いや別に」

お互いにどこかギクシャクした態度である。
それがなんとも歯痒くて強引に前髪を掻き分けた。
そして気分を切り替えるように窓の外を見つめる。
家から見える景色は都会の煌々とした明かりで散りばめられていた。
クリスマスらしいイルミネーションで彩られた儚い光が瞬く。
電話の向こうでは未だにオロオロしている少年の姿が見える気がした。

「…今日は悪かった」
「え?」
「ちょっと大人げなかったと思ってさ」
「あ……」

やはり自分が年上なのだからしっかりせねばならない。
だからとりあえず下手に出てみる事にした。
すると電話口の雰囲気が変わる。
以前、富雪はちょっとした気遣いが嬉しいと言っていたんだ。
彼は一人っ子なため兄弟でじゃれ合った経験などなく、思いっきり誰かに甘えたり遊んでもらえる事もない。
だからこそ富雪は知り合った当初からとても良く懐いてくれたんだ。

「反省してるよ。ごめん」
「雪一さ…」

すると俺の言葉に富雪は少しだけ緊張を解いた。
それはちょっとした息遣いでこちらにも伝わってくる。

「ううんっ。オレの方こそいきなりあんな事言っちゃってごめん。突然言われたって混乱するし信じられないよな」
「?」
「雪一さんが怒るのも無理ないと思う」
「は…?」

だが、あくまで彼は自分の言った事を肯定するだけであった。
富雪の中では謝った時点で俺が全てを受け入れたのだと解釈したのだろう。
安堵と共に洩らした気持ちはマシンガントークのように速い。
サンタの仕事に付いて様々な話が飛び出してきた。
その為こちらの気持ちは置いてきぼりでどんどん勝手に話が進んでいく。
俺は最初の段階で躓いたまま混乱の渦は大きくなっていった。
そしてその渦はやがて不審の一途を辿る事になる。
(何を言ってんだ、こいつ)
恋人に対してコイツ呼ばわりはあんまりだと思うが素直にそう思ってしまったので仕方がない。
その通り富雪が何を言っているのか理解出来なかった。
それこそどこか危ないカルト宗教にでも入っているのかと疑ってしまうほどに変な事を口にしていたのだ。

「ちょ…あのさっ…」
「あ、でね。明日からも準備に色々忙しくて電話に出れないと思うんだ」
「いや、だからさ。人の話を…」
「25日まではちょっと大変で。本当にごめんね」
「…………」

最初から決定事項ならこちらが何を言っても意味が無い。
富雪の話が本当ならば、彼はサンタクロース協会の東京支部に所属し、プレゼントの準備やら今年版の地図の作成に名簿作りなどもありプレゼントを配り終わる25日の明け方まで忙しいというのだから。
再度言うが、富雪の言っている事が本当ならばの話である。

「ちょっと聞いていいか」
「うん?なに?」

あまりにも無邪気に次から次へと言うものだから頭が痛くなってきた。
俺は額に手を置きながら脳内の整理を始める。
だがもちろん上手くいかないのは当たり前であった。

「そのクリスマス協会っていうのはNPOやNGOといった団体なのか?それとも宗教か?まさか地域の子供会とかなのか?」
「へ…?」
「大体プレゼントの金はどうする?深夜に配るなら移動手段は車か?っつーかプレゼントを配るなら家の鍵は?それって個人情報だだ漏れでやばくないのか?」
「あ、あの…っ」
「っていうか政府機関が関与しているんだよな?そんな規模のでかいプロジェクト認知してないとやばいだろ。あ、まさか独立法人とか?…いや、それとも国際レベルでそういった活動を推進している機関があるのか?何よりプレゼントが配られる事を住民は知っているのか?」
「ちょ、ちょっと雪一さん。意味わかんな…」

「それはこっちのセリフだっ!」

冷静になろうとしても頭がついていかず口が勝手に乱暴な言葉を繋いでしまう。
最後に言い放った言葉は明らかに30近い男とは思えないほど冷静さに欠けていた。
だがどうしても分からない。
ツッコミどころが多すぎてどこから聞いていいか分からないとはこの事を言うのかと今初めて実感した。
しかし今は納得している場合ではなく俺の混乱は果てしなく続く。

「…………」

富雪はそれ以上何も言い返してこなかった。
困っているのか泣いているのかさすがにそこまでは分からない。
しかし今の俺は頭に血が上り主観的にしか物事を見ていられなかった。
いっそ信じてしまえば楽になれると分かっていて己がそれを拒否する。
だって実際に考えてみるとありえないことだらけなのだ。
俺だってサンタに会いたかった時期もある。
でも居たのはサンタクロースというの名の使者ではなく息子思いの父親だけであった。
“本物”のサンタからプレゼントを貰った記憶はないし、そんな話は出たことがない。
また本当にサンタがいるのならば恵まれない子供達にもプレゼントは渡るべきだし、それは確実にニュースとなって世界に伝わるはずだ。
一瞬、サンタクロース協会なるものの奥にどでかい企業があって報道規制が敷かれているのかもとも思ったのだが、あまりにも非現実過ぎてそんな考えは破棄をした。

「――こ、恋人を…信じてくれないのか?」
「……っ……」

すると俺は富雪のか細い声に我に返った。
だが声を詰まらせて何も言えなくなる。
(俺だって信じたい。信じたいさ)
もしこれが十歳以上若かったらまだ信じられる余力を残していたのかもしれない。
だが日々企業戦士として戦い続ける身としてそんな希望は残っていなかった。
そのようなまやかしは現実社会で邪魔になる。

「…悪い」
「……雪一さ…?」
「ちょっと距離を置かせて」
「あ…」
「俺たち当分会わない方がいいと思う」
「…っ…」

向こうで息を呑んだような気配がした。
だが富雪はしばらくしてから一言「…そうだね」と呟くと電話を切ってしまう。
耳元に残ったのは涙声の余韻と無機質な電子音だけであった。
俺は遣り切れない思いを断ち切るように耳から携帯を離してベッドへと放り投げる。
そして先ほどまで見ていた窓辺の景色に決別するように無言でカーテンを閉めた。

――翌日から携帯の着信履歴に富雪の名前は消えた。
元々、年の瀬という事もあり仕事は追い込みに入っていた。
仕事以外にもいくつかの忘年会やら飲み会やらで忙しい日々を送っていたのだ。
ふと気付けば年末年始の特別番組の宣伝が所狭しとされていて、今年も終わってしまうのだなと実感する。
子供の頃は楽しみに見ていた紅白も、もう何年見ていないのだろうか。
出演歌手の記事を見てふとそんな過去を思い出しながら懐かしさに浸る。

子供にとって12月というのは特別だ。
ご馳走たくさんのクリスマスに大晦日は夜更かしを許され、正月にはお年玉を貰える。
実家の近所にある神社では大晦日の参拝に行くとお汁粉が貰えた。
寒い中長い行列の中で自分の番を待ち、信仰深くないクセに神様にお参りをする。
大人になって味覚が変わってしまいお汁粉を食べなくなったが、あの時寒い中で食べたお汁粉は何よりも美味しく感じた。
それはきっと普段なら許されない深夜での外出、また冬休みに入りあまり会えなくなった友人に会えた嬉しさも味を助長しているのだと思う。
何はともあれ、クリスマスから始まる三大行事は子供にとっては特別というほかなかった。
大人になるにつれその感情は徐々に薄れて違うものへと変化する。
クリスマスは独りぼっちだと寂しくなるし、大晦日や元旦の参拝も面倒になる。
お年玉も気付けば貰う立場から親戚の子供にあげる立場になってしまった。
それが大人になるという事だとしたら何とも虚しい。

「――――桂木」
「!」

すると雑踏の中でふいに自分の名前を呼ばれた。
イルミネーションで輝く歩道の真ん中で俺は立ち止まる。
振り返れば見覚えのある男が立っていた。

「やっぱり桂木か。久しぶりっ」

その男は自分と同じように会社帰りに見えた。
だがひとつ違うのは隣に女性を連れているところか。

「谷山か?」
「そうそう。覚えていてくれた?」
「当たり前だろ」
「でもすれ違った時、気付かなかったじゃん」
「そ、それは……」

見覚えがあると思えば彼は大学で同じゼミに居た同級生である。
ぼんやりと考え事をしながら歩いていたせいか通り過ぎる人の顔を見ていなかった。
俺はいらぬ誤解を与えてしまいそうになって思わず慌てる。
だが谷山はさほど気にした様子もなく純粋に再会を喜んでくれていた。

「こないだのOB会の集まりにこなかったっしょ」
「ああ、あの時はちょっと忙しくて」
「今も帰りか?」
「ん、そうだ」
「こんな時間まで大変だな」
「まあな」

ふと腕時計に目をやれば十時を過ぎていた。
せっかくのクリスマスイヴだが残業は許してくれない。
前日が祝日なだけあって、今日はいつもより忙しかったのだ。
もちろん今の俺としては忙しいくらいで十分だった為、特別辛くはない。
むしろ定時上がりなんてしてしまったら寂しさのあまり飲み屋で酔いつぶれるまで飲んでしまいそうだ。
一人だった頃は24日と25日に予定がなくともさほど気にしなかったのに。
やはり今年は別なのである。

「あ、か、桂木って…もしかして雪一先輩?」

すると今までずっと黙って俺と谷山の話を聞いていた女性が声を上げた。
今まで軽く同窓会気分で盛り上がっていた所に素っ頓狂な声が響く。
だから二人は女性の方へと目線をずらした。

「…ああ、そうか。香子はビリヤードサークルだったんだっけ」

いち早く何かを察知した谷山は合点がいったように手を叩いた。
だが俺は未だにそれが誰だか覚えてなく首を傾げる。

「桂木。お前もビリヤードサークルに入っていなかったっけ?」
「え、あ…そうだけど…」
「なら覚えてない?ひとつ下の後輩で湯沢香子」
「うーん…」

名前を言われるがいまいちピンとこない。
そんな様子に香子は「ひどいですよー」と口を尖らせた。

「いや~奇遇だな。こんなところにも接点があったなんて。世の中は意外と狭いよな」

ただひとり谷山だけが納得して頷いている。
側でぷぅっと頬を膨らませたままの香子と未だに思い出せず頭を悩ます雪一の姿はどこか可笑しかった。

「谷山、もうちょいヒントくれ」

俺は結局知ってる素振りも出来ずに困り果てて谷山に耳打ちする。
それに対して彼も困ったのかぶつぶつと何か呟いていた。
やがて閃いたのか今度は俺に対して耳打ちをする。

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