2

夏の夕暮れ。
家の戸締りをした二人は並んで買い物へと自転車を走らせる。
先程より低くなった太陽は空の色を変えながらゆっくりと沈んでいった。
それに合わせて染まる雲は橙に変化して無性に寂しくなる。
昼間の青空が恋しくなるせいか夏の夕暮れは一段と切なかった。
僕はそんな空を見上げながら砂利道の下り坂を走り抜ける。
もう夕飯の時間が近いからか、道を走っているだけでどこからともなくいい匂いがした。
この時間には子供達の姿は無くどこまでも静かな村が顔を出す。
たとえローカル線だとはいえ駅の方は賑やかだった。
もちろん商店街も駅の近くにある。
その代わり山の麓は田畑が広がり家もポツポツしかなかった。
振り返れば生い茂った大きな山が村を見守っている。

「三太。よそ見すると危ないわよ」
「はい」

するとそんな息子に母さんは注意をしてきた。
だから僕は素直に返事をして向きなおす。
そしてまだ遠い商店街への道のりを急いだ。

それから商店街に着くと母さんと僕は八百屋と精肉店に寄った。
約束通り買った荷物を持つと次から次へと店をはしごして行く。
そして最後に花屋に寄った。
商店街の端の方にひっそりと佇む熊本造花店。
店は開いていたが静かそのもので少し不安になる。
だけど母さんはまったく気にした様子もなく店の中へと足を踏み入れた。

「ごめんくださーい」

小さな店内には所狭しと花が置かれている。
母さんは店の奥に向けて声をかけるとすぐに足音が聞こえた。

「はい、いらっしゃい!」

すると小さな店に似合わない大きな男が出てきた。
それはあの熊さんだ。
それを分かっていて僕は咄嗟に母親の後ろへ隠れてしまう。

「どうもこんにちは」
「ああ早瀬さん!いつもどうも、今日はどんな花をお探しです?」
「いえ、今日は……」
「?」
「ちょ、ちょっと。三太?」

すると母さんは後ろに隠れる僕を困った顔で見つめた。
言いだしっぺの僕がそこから動こうとしなかったからだ。
だから彼女はそこから僕を引っ張り出そうとする。

「あれ?三太君?」

熊さんはそんな二人のやりとりを見ながらこちらに覗き込んできた。
母親の後ろからチラッと顔を出せば熊さんと目が合う。
その途端、彼は驚いた顔で目をパチパチさせた。

「あっ三太君って早瀬さんとこの息子さんだったんですか」
「そうなのよ~。でもごめんなさいね、この子ったら人見知りが激しくて」
「うー」
「ほら後ろに隠れてないでお兄さんにちゃんとご挨拶しなさい」
「うーー」

それでも出てこない息子に彼女は痺れをきたした。
だが熊さんだけはそのやり取りを微笑ましそうに見ている。

「そんな風に困らせるんじゃお兄さんに告げ口しちゃうわよ」

すると母さんは心なしか意地悪そうにニヤッと笑った。

「実はね、今日買いに来たのは学校用のお花じゃないのよ」
「え?」
「この子が急に欲しい花があるから買いに行きたいって」
「あっ……」
「珍しく家のお手伝いまでしてくれたのよ。急に色気づいちゃって、もう」
「か、か、母さんっ」

勝手にペラペラと話し始める母親を見てさすがに黙っているわけにはいかない。
だから僕はか細い声を絞り出してなんとか止めようとする。
しかし母さんはそれすら面白そうに見ていた。
僕はもう恥ずかしくて尚更熊さんの前に出て行けなくなる。

「へえ、そーか」

すると見かねた熊さんがこちらにやってきた。
僕の前まで来ると伺うようにしゃがんでくれる。
そうして目線を合わせようとしてくれた。

「何?誰かのプレゼントか?」

話すのが苦手な僕を分かっていて急かさずにゆっくりと話しかけてくる。
だから僕は母さんの服を掴みながら小さく横に首を振った。

「違うのか?」
「ん」
「そっか」

すると今度は頷いた僕に彼は考え込むような素振りを見せた。
そしてすぐに別の質問を投げかけてくる。

「じゃあ三太君はどんな花が好き?」

彼はそういって店内の花に目配りした。
所狭しと飾られている花たちは見慣れないものも多く鮮やかに店の中を彩る。
僕はそれらを見回した。
花屋に行って熊さんに会うことが最終目的だった僕は何が欲しいというところまで考えていなかった。
しかも花の知識が皆無だった為、花を選ぶだけでも一苦労だった。

「あ……」

そんな僕はひとつのバケツに気を取られる。

「――あれが、欲しい」

名前も分からない花を指差した。
その花は小さな白い花が沢山ついていてふわふわしている。
それを見て二人はキョトンとした。

「かすみ草?」

熊さんは問いかけるとその花が山盛りに入ったバケツをこちらに持ってくる。
僕はそれが正しい花の名前なのかも知らずに頷いた。

「他にはいいの?」

母さんは不思議そうな顔で息子を見続けている。
その訳も知らずに僕は満足げに頷いた。
すると彼女は苦笑して「じゃあそれ下さい」とお願いする。

「分かりました。では少々お待ち下さい」

熊さんはバケツから何本かかすみ草を取り出すとレジ台の方へ行ってしまった。
花を包んでいる。
母さんはその間にお金を用意していた。

「ホントにかすみ草だけでいいの?」
「?」
「あの花はね、他の花と一緒に花束にする方が多いのよ。引き立て役って言ったら変かもしれないけど、かすみ草だけで花束を作ることはまず無いわね」

彼女は手早く花を包んでいく熊さんを見ながら珍しそうに見ている。
それを見てあの花を選んだ事に少しだけ後悔をした。
もしかしたら熊さんも変だと思ったのかもしれない。
そう思われただけで恥ずかしくてこの場から消えたくなる。

「――お待たせしました」

そんな心情など知らずに熊さんが花束を抱えて戻ってきた。
その儚い真っ白な花には豪華すぎるラッピングに母さんは何度も頭を下げる。
水色のふわふわな半紙に鮮やかな青いリボン。
それに包まれたかすみ草は頼りなさ気に見えたが僕には満足だった。
やはりこの花が好きだと思ったからだ。

「はい、どうぞ」
「わぁ」

無意識のうちに口元が緩んでいた。
見ていた熊さんは優しく微笑むと僕に手渡してくれる。
受け取った瞬間、その軽さに驚いた。
たくさん枝分かれをして花をつけたかすみ草はふんわりと広がり手に余る。
まるで綿のような花がいくつも咲いていてつい見入ってしまう。
だから恥ずかしがらずに素直に言えた。
「熊さん、ありがとう」って。
すると熊さんは顔をくしゃくしゃにして笑ってくれた。

――翌日の日曜日。
僕は秀樹達と川で遊ぶ約束をしていた。
昼ごはんを食べ終えると足早に家を出る。
玄関には昨日買って貰ったかすみ草が花瓶に生けてあった。
それを見ると少し照れ臭くて少し嬉しくなる。

「いってきます」

律儀にもかすみ草にお辞儀をして玄関のドアを開けた。
外は家の中よりずっと暑い。
もあっとした空気は呼吸をするのも苦しくて喉元が詰まったような錯覚を覚える。
この炎天下の中で突っ立っていれば干乾びてシワシワになってしまうのも時間の問題かもしれない。
だが僕は気分上々で足取り軽く走り出した。
煩いセミの声にも寛容で熱くなった地面にも気付かない。
真っ青な空の下でニヤける口元を隠すのに精一杯だったのだ。

川は今日も涼しげな音で満ちていた。
橋までやってきたが、まだ誰も居ない。
周囲を見回すが誰も来ている様子がなかった。
だが一番乗りになることは珍しい事ではない。
どうせ秀樹の事だ。
暑い暑いと言いながらダラダラ昼飯を食べているのだろう。
それが簡単に想像ついたから僕は先に水辺へと降りる事にした。

「三太君っ」

すると岩伝いに降りようとしていた僕の背中に爽やかな声が聞こえた。
驚いて振り返れば熊さんがこちらにやってくる。
だから思わず固まってしまった。

「こんにちは」
「…こ…んにちは」

熊さんは汗をかきながらもそれを感じさせないように涼しげに笑っている。
タンクトップから覗いた肌はもうすっかり黒く焼けていた。

「昨日も会ったし、もしかしたらと思って来てみた。そしたらやっぱり居た!」

何やら彼は嬉しそうだった。
戸惑うこちらには気付きもせずペラペラと話し続けている。

「あ、昨日の花はどう?飾ってる?」
「…………」

話題は昨日の花屋での話になった。
僕は熊さんの問いかけに頷く。

「そーかそーか」

熊さんは僕が頷くと必ず「そっか」と、頷いた。
だが昨日の話はあまりしたくなかった。
個人的にはかすみ草を選んで大正解だったが、母親曰くかすみ草だけを選ぶのは変な事なのだ。
昨日も家に帰ってきた父さんに「かすみ草だけ?」と、珍しがられた。
それを蒸し返すような話は避けたかった。

「な、どうしてかすみ草が好きなんだ?」

すると今まさに話題として避けたかった話を直球で聞かれてしまった。
熊さんも岩を降りて僕の傍までやってくる。
軽々と僕を追い越すと水辺まで降り立った。

「何か思い出があるとか?」

彼は岩場の途中で立ち尽くす僕へと振り返った。
心地良い川のせせらぎを聞きながら僕は困ってしまう。
別にかすみ草が好きという事に深い意味はない。
ただあの花たちの中で一番惹かれた。
綺麗だと思った。
ただそれだけなのだ。

「…………」

僕はだんまりを続けた。
何を口に出していいのか分からなかったからだ。
恥ずかしさと躊躇いに苛まれる。
しかし熊さんの態度は変わらなかった。
こちらに振り返り嬉しそうに僕の返事を待っている。
こういう時、馴染み深い家族や秀樹達は答えを要求しなかった。
そこまで必要といえる内容ではないし「ま、いっか」で済むからだ。
国の一大事を決める意見でもないのに、待っている必要はない。
そういった部分に助けられたし、居心地が良かった。
なんとなくのニュアンスで伝わる関係。
それが出来るのは膨大な時間を共有してきたからだ。
「…………」

だが熊さんとは知り合って間もないし深い関係でもない。
話すのが苦手で人見知り。
彼にはその程度の情報しか与えられていない。
また熊さんは人が良いのか寛容だ。
だからこうして僕の答えをいつまでも待ち続ける事が出来るのかもしれない。
その優しさが今の僕には酷だった。
じっとりとした暑さに汗が頬を流れる。
喉の奥につっかえたままの言葉はせり上がっては押し込められ消えていく。
僕は居心地悪そうに目を泳がせる。
昨日のように「無理をしなくていい」の一言を待っていた。
また早く秀樹達が来る事を祈っていた。

「――三太君」

そんな僕に彼はもう一度声を掛けてきた。
逃げたい一心だった僕はその声に呼び戻され我に返る。
見下ろせば熊さんが僕に手招きをしていた。

「?」

だから慎重に岩場を降りようとする。
とりあえず自分の意見が流された事にホッとしていた。
熊さんはゆっくり降りてこようとする僕に手を貸してくれる。
それに躊躇っていると彼は強引に手を掴んでニッと笑った。

「気をつけてな」

熊さんの手は体と同じように大きかった。
その手の感触は昨日一度味わっているのに新鮮で変な感じである。
人見知りも相まってこういった触れ合いが苦手だった。
家族ともあまりスキンシップをしたりしない。
もっと小さな頃にはおんぶや抱っこをされていただろうが手を握った記憶なんてなかった。
だから無性に気恥ずかしくなって動揺する。
しかし熊さんはまったく気にした様子がなかった。
それを分かっていたから僕は無言で足早に岩を降りていく。
降りれば自然と手が離れると思っていたからだ。

水辺に着くと一層涼しく感じた。
すぐ傍に流れる清流は山から流れてくるため透明で美しい。
この辺はまだ深くなかった。
一番深い真ん中でも自分の腰ぐらいである。
また雨が降った翌日でない限り川の流れも穏やかな為、格好の遊び場になっていた。

「あの距離じゃ話しづらいと思って」
「え?」
「かすみ草の話」
「あ……」

とっくに終わったと思っていた話だがそうではなかった。
むしろ隣に立っている分距離が近い。
それが余計に気まずくて恥ずかしかった。

「…………」

僕は困ってモジモジする。
素直に答えられる勇気もそんな事どうだっていいじゃんと言える度胸もない。
結局どっちつかずで相手に困らせて終わるのが常だ。
しかし熊さんはじっと僕を見つめたまま話を終わらせない。
気まずいまま幾ばくかの時間が流れる。
水辺で涼しいはずなのに僕の頬は赤く染まりリンゴのようだった。
風に揺れる葉の音と川のせせらぎとセミの鳴き声。
その中に置かれた二人は身動きもせず、ひとつの答えに集中している。
簡単な会話の流れに付いていけない僕は今にも泣き出しそうになっていた。
気付いた熊さんは苦笑する。

「ごめんね?言いたくなかった?」
「…………」
「でもさ、俺もう無理しなくていいよって言うのをやめようと思って」

すると熊さんはそっと優しく頭を撫でた。
彼は泣きそうな僕を見て困った顔をしている。

「別に意地悪したいとかじゃないぞ。――ただもっと三太君の事が知りたいと思ってさ」
「……っ……」
「なぁなぁに済ませるのは簡単だろ?でもそれじゃ三太君の気持ちまでうやむやになってしまうし。ちょっと無理強いしてしまうかもしれないけど、何も言わないまま終わってしまうより遥かに意味があると思う」
「…………」
「どんな言葉でも良いしどんな意見でも良い。昨日みたいに秀樹君越しも嫌だ。ちゃんと三太君の口から聞きたいと思っている。じゃないと仲良くなれないだろ?俺なら何時間でも待てるからさ」

熊さんは僕に理解させようとゆっくりと間を置いて話した。
目線を合わせて怖がらせないように言葉を選んでいるのも分かった。
そこまで子供扱いをされる年齢でもないのだが、今の自分を考えると適切な扱いだったと思う。
ただ新鮮だった。
上記に書いた通り村の人達は僕の性格を知っているから「仕方がない」で済んでいたし、それが許される世界であった。
それに例え僕の性格を知らなくてもこんなにグダグダしていたらそれで終わると思う。
実際にそうやってこういった機会を回避してきた。
だからこんなにも“自分の意見”を求められる事はなかった。

「三田君の言葉が聞きたい」

おせっかいと言うべきか嬉しいと喜ぶべきなのか。
気持ちにゆとりがないせいかどちらとも取れずに動揺した。
言うなれば驚き。
考えもしないところから横槍が飛んできたような感覚だ。

「…っく、ひっ…」

僕はなぜだか分からないけどその場で泣いていた。
それは先ほどまでの泣きそうだった自分の感情からはかけ離れたところにある感情の粒で。
強要されることに対しての嫌悪の涙ではないし、自分の答えに詰まる恐れでもない。

「わ…かんないっ…」

泣きながら必死に言葉を搾り出した。
それでも熊さんは僕の目を見てじっと言葉を待っていた。

「なんて…言って、いいのか」

気持ちのままに伝える事の難しさ。
どうしてこんなに簡単な事が出来ないのか自分でも分からなかった。
何がどうしてこんな風になってしまったのか。

「ぼくはっ…ただ…」
「うん」
「かすみ草を見てっ…綺麗だなって…」
「うん」
「べつに深い…意味なんてっ…ひっぅ…」
「うん」

それだけの事を大泣きしながら答えている虚しさ。
もう幼い年齢ではないというのに、情けなくて馬鹿みたいだ。
ただどうしても自分の気持ちを言葉にするのは苦手だった。
その向こうにある相手の反応に敏感になっているのかもしれない。
人見知りも相まって自分が発した言葉に臆病になる。
変に思われないだろうか?
間違った事を言っていないだろうか?
他人から見れば些細な事だと頭では分かっているのに、足枷になっていた。
平凡すぎる自分を分かっているからだと思う。
何をやっても中の下ぐらい。
誇りに思えるほどの長所が見当たらない。
結局は自分に自信がないから堂々としていられないのだ。

「ごめ…なさっ…」

そんな自分が大嫌いだった。
だが熊さんは僕の言葉を途中で止めようとはせず、ただ頷いて耳を傾けてくれていた。
涼しげな川の音に僕の嗚咽だけが響き渡る。
僕は相手の反応に怯えながら必死に涙を止めようと唇を噛み締めていた。

「……すごいな」

すると静けさの残る川岸でポツリと熊さんが呟いた。
その言葉が意外で思わず彼を見上げてしまう。

「かすみ草が好きって何か思い出があるのかと思っていたよ。好きだからって滅多にあの花だけを買っていく人は居ないだろうし。大体他の花との付け合せで買うだろうしね」
「あ…」

昨日の母親と同じ事を言われて肩身が狭くなる。
彼に変だと言われると思い僕は体を強張らせた。

「すごいな~」

だが彼は凄いとしか言わなかった。
こちらを見て優しく微笑む。
僕は何がすごいのか分からなかった。
褒められているのか馬鹿にされているのか判断に惑う。
キョトンとしたまま涙が止まった。
瞬きもせずに熊さんを見ていると彼は僕の目尻に触れて残った涙を拭う。

「へ…ん…?」

思わず自分から聞いてしまった。
泣いてまで一生懸命に伝えたのに返って来た言葉が理解不能じゃ勿体無い。

「違う違う!」

すると熊さんは誤解をされている事に気付いて慌てた様に首を振った。

「変じゃないっ」

その姿はまるで弁明するように必死だった。
熊さんはガシガシと後頭部を掻きながら、慌てふためき次の言葉を探している。
それを見てどこか鏡の自分を見ているような気がした。
彼もまた上手くハマるような言葉を探して困惑している。

「い、いいなと思って」
「え?」
「だってあそこには他にも沢山花があったじゃん。それこそ大きなひまわりだったり派手なバラだったり。その中でかすみ草を選ぶのが凄いなって」
「あ…」
「凄いっていうのは変っていう意味じゃなくてな、す、素敵だなーって」

熊さんの顔を覗き込めば顔を真っ赤にしている。
暑さ以上の汗をかき動揺している様子が見て取れる。
「素敵」なんていう言葉はその背格好に似合わなかった。
それを分かっていての反応なのかもしれない。
彼は見たこともないほど焦りどもっていた。

「普段は脇役がちなかすみ草の良さに気付けるってすげえよ。それだけちゃんと花たちを見ているってことだろ」
「熊さ…」
「だからさ、もっと自信を持って好きだって言えばいいじゃないか」
「…………」
「俺はそんな三太君を尊敬するよ」
「……っ……」
「だって俺なんか花屋なのにガサツっつーか大雑把っていうかさ。未だにダメな所が沢山あるし」

すると熊さんはわしゃわしゃと僕の頭を撫でた。
激しくて強引な素振りは彼の照れ隠しも含まれているのかもしれない。

「だから三太君のお蔭で新しい発見が出来た!」
「え」
「あー、やっぱり多少強引にでも話せて良かった」
「…………」

彼はぐぐっと手を上に突き出して体を伸ばした。
嬉しそうに笑う隣で思わず僕まで笑ってしまう。

「…っ……」

それは純粋に嬉しかったからだ。
こんな風に褒めてもらえるなんて思わなかった。
何より誰かに認められるなんて生まれて初めてのことだ。
しかもあの熊さんに「尊敬する」とまで言われるなんて予想外だ。

「あ…りがと、熊さん」

かすみ草が好きだという自分に少しだけ自信が持てた。
いや、それだけではなく自分自身に自信が持てたのだ。
それが些細な言葉でも僕にとっては大きなきっかけだった。
僕が素直にお礼を言うと彼はいつも以上に優しく微笑んで深く頷いた。

「……また、聴かせてね?」
「え?」
「三太君の話」

熊さんは耳元で内緒話をするように小さく呟いた。
だから僕は何度も頷いて彼の誠意に応えようとした。

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