5

彼の言う「大丈夫」の意味を知るのはそれからずっと後のことである。
あの一件以来僕と熊さんの関係は不思議なものになった。
今までは偶々会った場合のみ二人っきりの時間を共有してきたが、時が進むにつれ、いや行為が進むにつれて意図的に二人っきりになる事が多くなった。
人目を忍んで熊さんとキスをしたりお互いの身体に触れたりする。
小さな村ゆえにいつそれが周囲に知れるかというリスクを背負いながら僕らは何度も密会を重ねた。

「はぁっ、ぅん…っ…」

熊さんと始めたこの“遊び”に僕は魅了され夢中になった。
だた他人と唇を合わせて身体に触れて性器を扱くというだけの事なのに、終わったあとに感じる満たされた想いには中毒性があった。
以前熊さんは僕以外の人とはこんな事をしないと言った。
今はそれも納得できる。
僕だって秀樹とでさえこんな遊びをしない。
一番の仲良しで大好きな気持ちに変わりはないのに何かが違った。
熊さんにあって秀樹にないもの。
それを上手く言葉に出来たら分かりやすいのに、イマイチ理解に乏しいから参った。

「はぁ、はぁ…」
「きもちい?」
「…んく…」

母さんや父さんにまで内緒にしてでも熊さんと一緒にいたい。
時折無性に罪悪感に苛まれることがあったがどうしても止められなかった。

「僕…ね…」
「ん?」
「熊さんと居るとね…」
「うん」
「なんか、ほわほわする」

胸の奥までじんわりとお湯が染みこむ感じ。
最初はお互いの身体に触れるのも恥ずかしくて躊躇した。
今でも恥ずかしいけど熊さんに触られると気持ちよくて満たされるから身体を許してしまう。
静かな午後。
扇風機の音だけが支配する室内に時折風鈴の涼しげな音が響き渡る。
いつもの様に隠れて裏口からお邪魔した僕はその場で唇を奪われると押し倒された。
靴も履いたまま甘美な行為に耽り今に至っている。

「うん、俺もほわほわする」
「ほんと?」
「ホントですとも」

彼は僕の体を抱いたまま冷たい床に寝そべった。
見上げると額に優しくキスをされる。

「じゃあ一緒…だね」

熊さんも同じ気持ちかと思うと純粋に嬉しかった。
僕は彼に引っ付きながらえへへと笑う。
その気持ちを上手く言葉に出来ないからこそ同じ想いを共有できている事は励みになった。

「……三太君」
「わっ…ん」

すると熊さんの掌が僕の下半身へと降りていった。
彼はそっと僕のお尻に触れると湿った窄みに手を這わす。
先ほど射精なるものを終えた僕の下半身は濡れたままだった。
纏わりつくのは汗と精液。

「指、だけ」
「ひゃ…ぅっ…!」

熊さんの指には僕の精液が塗りたくられていた。
それを躊躇いもせず僕のお尻の穴へと這わすと内部を窺うように突き挿れる。

「やっ…なに?お尻にっ指が…」
「最初は気持ち悪いかもしれないけど大丈夫だから」
「ほ…んと?…くぅっ…」

穴を拡げるように無遠慮に挿入された指は熊さんらしくゴツゴツとしていて大きかった。
たった一本の指が挿入されただけなのに腸内の異物感が酷く下腹部の圧迫感は異常だった。

「熊さんっ…はぁ、んっ…」
「どうした?」
「あ、あぅ…やっぱりおなか変だよう…んく、僕…怖いっ」
「大丈夫、怖くない。怖くないんだよ?ゆっくり深呼吸をしてごらん」
「ん、すぅっ…はあぁ……」

熊さんの指は動くのをやめた。
だから僕は落ち着かせるように深く息を吸いゆっくりと吐いた。
熊さんはそれを促すように優しく背中を擦り僕を見下ろす。
そこには愛しむような心配するような眼差しがあった。
僕はそれに応えようと小さく頷く。

「はぅ、ぅっ…く…」

指の不自然な感触は徐々に馴染みつつあった。
まるで体内で溶け合うように違和感が消えていく。
だがそれも指を動かせばまた違った。

「あ、あっ…ふぁっ…」

内壁をスリスリと指の腹で擦られれば言いようの出来ないもどかしさが胸を貫く。
その度にお尻をきゅっと締め上げるが指が入っているせいで穴が閉まりきらない。
だから結果として余計に歯痒くなった。

「熊さんっ、熊さ…」

僕は魘されるように彼の名を呼び続けた。
すると彼は優しい掌で僕の頭を撫でてくれるのだ。
それが不安を取り除く唯一の術で僕は身を委ねる。

すり――
「はぁ…ぅ」
すり――
「んっ」
すりすり――
「ひぁっ、ぅ…」

すると熊さんは少しだけ乱暴にある部分を指で擦り上げた。
それに過剰な反応を示した僕は思わず喘いでしまう。

「ここ?」
「や、やぁっ…」

ある部分を指で擦られると今までと全く違う感触でいっぱいになった。
熊さんは反応の違う僕に嬉しそうである。
だが当の僕はそんな彼に構っている暇など無く、指の刺激に耐え続ける。

「あぁっ、なにこれ…ぇっ…」

自分の体でありながら自身の心と体が離れてしまったような気がした。
それぐらい体はひとりでに悦んでいたのだ。
擦られるたび自分のペニスを中から突っつかれているような錯覚を起こす。
それは直接性器を扱くとは違った快楽であった。
心を置いてきぼりにした体は海老のように跳ね躍らせる。

「やだっ…勝手に腰が動いちゃ」
「うん、可愛い」
「う…うそ。だって変だも…んっ」
「変じゃないよ。気持ちいいから動いちゃうんだよな?」
「ん、んぅっ…ふ…」
「いいよ。好きに動いてごらん」

すると熊さんは指をもう一本追加してお尻に悪戯をし始めた。
一本だけでも精一杯だったのに更に広げられた穴は苦しそうに引きつく。
だが一本目の時と違い圧迫感より快感が上回っていた。
二本の指で意図的に弄繰り回されて下半身は蕩けてしまう。
気付けば快楽に振り回されている自分がいた。

「ああっ…んぅ、ふ…」

熊さんに言われた通り好き勝手に腰を揺らしてみる。
無我夢中でぎこちなく動かされたそれは実に不恰好だったと思う。
(こんな気持ちいいの、知らない)
だが僕は新たに与えられる刺激に従順だったがゆえに自分の痴態には省みなかった。
恥じらいも躊躇いも捨てて快感の虜になっていた。
いつしか喘ぎっぱなしの口からは涎が垂れて熊さんの服を汚してしまっている。
彼の体の上で芋虫のようにモゾモゾと上下に動いてはお互いの性器を擦り合わせていた。

「はぁ、っく…どうして三太君はそんなに可愛いのかな」
「し…らなっ…」
「このまま俺だけのものに出来たらいいのに」
「…え…?」

一瞬ドキリとした。
見下ろした熊さんは眉間にシワを寄せて切なそうに笑っていたからだ。
強張った掌は頬から唇を優しく撫で回すとそのまま後頭部に回る。
そして自分の方へと引き寄せると甘い口付けを交わした。

「ぼ…ぼ、ぼぼく…」
(僕も熊さんのものになれたらいいのに)

ふと湧いた気持ちに口を開こうとしたが後に続かなかった。
やはり自分の気持ちを伝えるのは難しく言葉がつっかえてしまう。
ただあたふたと顔を赤くするのが精一杯でどうしようもない。
この状況をなんとかして打破したかったが突破口は見当たらなかった。

「三太く…んっ」
「んんっ、ふぁ」

すると熊さんは何も言えない僕を理解するように一度頷くと再び唇を重ね合わせた。
そして同時にお尻の穴に入り込んだ指は存在を主張するようにもう一本追加される。

「んくっ!」

さすがの僕も大人の、しかも熊さんのごつい指が三本も腸内に入ってくるとなると辛くなった。
だがその割にすんなりと呑み込まれていく指は踊るように騒ぎ出す。
縦横無尽に動き回るそれは乱暴でありながら執拗で興奮を煽った。

「凄いな、三本も挿っている」
「う、うう…」

それは熊さんの独り言に近かったが聞いているだけで無性に恥ずかしくなった。
まるで自分が強欲なまでに熊さんの指を食べているみたいに聞こえたからだ。
ペニスの熱さ以上にお尻が熱い。
本当はお尻の穴は熱で溶けて拡がり、そのせいで何本も指が入ってしまっているのではないかと錯覚するぐらいだ。

「何?もう出ちゃいそう?」
「ぅんっ、うん…ぼくっ」
「じゃあ気持ちいいトコもう一度擦ってあげる」
「あっあぁっ…くぅ、んっ!」

すると今度は三本もの指でひと際感じる部分を擦られてしまった。
しかも指の腹で擦りながら時折引っ掻くように爪を立てた。
だからその度に僕はよがり鳴いた。
熊さんの性器に自らのモノを押し当てながら、はしたない声を上げた。
扇風機と風鈴と僕の嬌声に甘い水音だけが空間を支配している。
夏の暑さに二人は汗を垂らし体液で汚れていた。
こんな静かで平和な農村の片隅でまさかこの様な痴態が行われているなど誰が知っているだろうか。
立て付けの悪い裏口の奥で僕は年の離れた男に跨ると不純な穴を指で犯されて喘いでいる。

「ひぅぅ、いつもと違っ…おしっこ出ちゃいそ…っ…」
「三太君っ…くぅ、いいよっ三太君が出すものなら何でも受け止めてあげるっ」
「…っぅん、やっ…なんかそれっ変態っぽ…いっ…」

僕らはまるで現実の中にぽっかり空いた非日常の世界にいるみたいだった。
熊さんの部屋の中は乱雑に物が置かれていかにも男臭い部屋である。
その生活感丸出しの生々しさと行為の生々しさがリンクして何かイケナイ気持ちになる。
背徳的な何か――。
頭の中ではそこまで深い思考が働かず、高みに上る事しか考えられなかった。
熊さんは下から這うように唇を押し当てて甘く吸い上げる。
首筋から鎖骨、胸元から脇の下まで。
ただでさえ気持ちの良い部分を刺激されて喘いでいるのに抜け目なく責めてくる彼はまさに獣であった。

「あぁっ、も…出てる…っ…はぁっ」

下半身が生温かいと思えば僕はもう射精していた。
それでも熊さんが腸内の奥を突くたびにポンプみたいにペニスから精液が飛び散る。
熊さんの性器も赤く腫れあがりビクビクと脈打っていた。
彼も限界はすぐそこのようで顔からいつもの余裕が消えていた。

「ふに…ゃっ!あぁっ、ぅうんっ」

その顔は真剣で少し怖いぐらいなのに胸がドキドキして止まらなくなる。
いつものヘラヘラ笑う彼が板に付いているせいかそのギャップに目を逸らせなくなった。
まるで見惚けるみたいに熊さんを見つめてキスをねだる。
そうすると彼はねっとりといやらしい口付けを与えてくれるのだ。

「熊ひゃっ…も、指動かさないで…っぇ…ぼく、これ以上されたらお尻がっ、ガバガバになっちゃうっ…」
「ん、ごめん」
「やっ、謝るなら…も~っ」

射精して敏感になった内壁は熊さんの指をぎゅぎゅっと締め付ける。
それでも熊さんの指は意地悪で奥を掻き乱しては僕の反応を見ていた。

「でも三太君のちんこもっ…気持ちよさそうだよ」
「はぅっ…それは…」
「あともう少し頑張ろうね」
「くまさ…っ」

笑顔で言われると弱くなる。
僕は素直にコクンと頷いた。
すると彼は額に優しくキスをしながら、激しく互いのペニスを擦り合わせる。

「くっ」
「んんっ……!」

しばらくして二人は共に果てた。
暑い暑い夏の午後だった。
お互い体液まみれで酷い有様である。
だけど不思議と気持ちは満たされて嫌だとは思わなかった。
僕は荒く呼吸をする熊さんの上に寝そべりながら胸の音を聞く。
イったばかりのせいか鼓動が速くて心地良い音が響いていた。

「……熊さん」

顔を上げると鼓動を聞いていた僕を、優しげな眼差しで見ている熊さんと目が合う。
その顔に胸がきゅんとしてそっと顔を上げた。
僕らは甘い睦言でも囁くように小さく淡い口付けを交わしたんだ。

それから数日後、熊さんの店が上手くいっていない事を知った。
もう夏の盛りを越え少しずつ次の季節へと移り変わろうとしていた。
学校から出された宿題にはほとんど手をつけておらず、今年もまた夏休み最後の三日間に地獄を見るだろうと予測は出来ていた。

「何でも熊さんが就職するとき緑のばっちゃんのところで揉め事があったらしいよ」
「…………」

川でいつものように秀樹と二人で遊んでいた時の事だった。
彼は母親とご近所さんの会話を聞いていたのだろう。
自分の知った事実をさも得意げに話してくれた。

「ばっちゃんの姪っ子とお見合いがどうのこうのって。ホントは東京の大学を出たらすぐにこっちに戻ってきておじさんのお店を手伝う予定だったらしい」

緑のばっちゃんというのは村でも有名な人だった。
亡くなったご主人が元村長でばっちゃんはお産婆さんであった。
僕も秀樹もお世話になったらしいがさすがにその時の事は覚えていない。
むしろ子供達の間では煩くて怖いばっちゃんとして恐れられていた。
ちなみに“緑のばっちゃん”というあだ名は彼女の自宅には沢山の木や花が植えられている為に付けられたあだ名である。
また彼女は村の自治会長を勤めた事もあり、顔が利くため新しく引っ越してきた場合ばっちゃんに挨拶しないとその後延々と小言を言われるそうだ。
よくも悪くも昔ながらの風習を引き摺ってきたような人である。
現村長ですら頭があがらないというからたまげたものだ。

秀樹の話では熊さんが大学在学中にばっちゃんの姪っ子さんとのお見合い話が何度かあったらしい。
しかし彼はそれを嫌がりその度に突っぱねたという。
熊さんの両親もばっちゃんを宥め何度もお断りの旨を伝えたがそれでも諦めなかったばっちゃんは強引に見合いの日取りや場所も決めてしまった。
だがもちろん熊さんはそこに現れなかった。
ばっちゃんは昔から何組もの仲人をしてきたせいか変に自尊心が高かった。
そうして熊さんは彼女の理不尽な怒りを買ったのである。
またそんな村に帰りたくなかったのか当初おじさんの花屋を継ぐ予定だったにも関わらず、彼は東京で勝手に就職先を決めてしまい、その後彼がこの村に帰ってくることは一度たりともなかった。

「おばちゃんの葬式すら出なかったらしいぜ」
「…………」

熊さんの母親はずいぶん前に亡くなっている。

「だけどおじさんが倒れて熊さんは帰って来たじゃん?」
「うん」
「そんで緑のばっちゃんは村の皆に言って回っているらしいぜ。“熊本造花店で花を買うな”って」
「そんな……」

通りでいつ訪れても客が来た形跡がないはずだ。
いつも空っぽのお店は沢山の花で溢れかえっているせいか余計に寂しい。
見慣れた光景が目蓋の奥に現れて胸が苦しくなった。

「みんなばっちゃんには敵わないからな~。お客っていったら三太のおばちゃんぐらいじゃね?」
「あ、うん」
「村に長くいれば居るほどばっちゃんを無視できないんだろうな」
「…………」
「大人の世界ってくだらねー」

秀樹は持っていた石を川の方へと投げた。
それは三回ほど水の上をバウンドして川の中に落ちる。
遠くから座って見ていた僕は、膝を抱えて言い知れぬ気持ちに浸っていた。

「おじさんの容態もヤバイみたいだし、熊さん大丈夫かな」
「…………」
「オレは熊さん大好きなんだけどな~」
「…………」

少しずつ落ちていく日に影が濃くなる。
秀樹の後姿は僅かな苛立ちを残し赤く染まり始めていた。
あれほど長かった日が少しずつ短くなっている。
暑さに気を取られていたが随分と季節は変わっていた。

(僕も熊さんが好き)
つい僕自身も心の中で呟いてみるが秀樹の言う大好きとは違う気がした。
いや、うやむやになる熊さんとの関係の中で見つけた気持ちは秀樹の好きとは違うことを知っていた。
だからといって熊さんと気持ちを確かめ合うような言葉を交わしたわけではないが、やはり秀樹達との好きとは漠然として何かが違った。

「おーうい」

すると橋の方からこちらを呼ぶ声が聞こえた。
二人がその声に振り返ると橋の上には熊さんが手を振っている。
手に持っていたビニール袋には二つのラムネが窮屈そうに並んでいた。

「あっ熊さんっ」

すると秀樹は嬉しそうに手を振り返した。
そうして彼に手招きをする。
熊さんはその行為にガハハと笑いながらこちらにやってきた。
そして僕ら二人にラムネを手渡す。

「わぁっさんきゅー」

すると秀樹は嬉しそうにラムネを受け取り一気に飲み出した。
彼は腰に手を置くと物凄い勢いでラムネのビンを空にしていく。
その隣で僕は遠慮がちにラムネを受け取った。
それをちびちびとゆっくり飲む。
熊さんはそんな二人の対比に笑いながら僕の隣に座った。

「そうだ!聞いて聞いてっあのさ――……」

早くもラムネを飲み干した秀樹は手に石を持ったまま熊さんに詰め寄る。
どうやら話したいことが沢山あったらしく彼はそのままの勢いで話し始めた。
彼の話は川で何を釣っただとか、どんな悪戯をしただとか幅広く熊さんが相槌を打つ間もなく続けられている。
僕は未だにラムネを飲みながら頷くばかりだった。
と、いってもこれが三人で居る時のお決まりな光景から誰も何も思わない。
秀樹は熊さんがいる事から気を遣って僕には会話を振ってこないし僕も秀樹の楽しい話を折ってまで自分の話をする必要がないと思っていたから黙って聞いていた。
それを分かっている熊さんも何も言わなかった。
奇妙ながらも続く三人のやりとりは初めて会った頃から何も変わっていなかった。

「あ、あとちょっと見てて」

いや、変わっていないと思っていたのは秀樹だけなのかもしれない。

「せーの!」

秀樹は川岸まで降りると持っていた石を川に向かって投げた。
それはちゃぷちゃぷと三回バウンドして水の中に落ちる。

「あーっもう!ホントは違うんだよ。オレ、四回バウンド出来る様になったんだよ!」

彼はそういって振り返ると弁明するように熊さんを見上げた。
すると彼は頷いて笑う。

「そーかそーか。そりゃ凄い」
「うわっ、全然信じてないっしょ!?よーーし」

熊さんの反応が気に入らなかったのか秀樹は俄然として闘志を燃やした。
そうして彼は石を拾っては川に投げつける。
静かな岸辺には秀樹の独り言と軽やかな石の跳ねる音しか聞こえなかった。
気付けば蝉の鳴き声も小さくなり消える前の灯火のようである。
ひぐらしの鳴く声が響いて聞こえるたび夏の終わりを実感して寂しくなった。
蝉たちが消えれば今度はここら辺一体が鈴虫の棲み処となりまた違った音色を聞かせてくれるようになるのだろう。
さっきより一段と低さを増した太陽は向こうの民家の影へ隠れようとしていた。
そばに並んだ雲も淡い朱色に染まり今日という日を終えようとしている。
未だに川で石を投げていた秀樹は次第に夢中になり夕日には気にも留めず一心に石を投げていた。
僕と熊さんは上からそれを見つめている。

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