Change in my World

「先輩っ!!!おおおお、オレをカッコイイ男にして下さい!!」

それは三学期のある日。
屋上でいつもの様に授業をサボっていると見知らぬ後輩に声を掛けられた。
制服を見れば中等部か。
高等部の屋上なんかに現れた彼は俺を見つけるなり土下座をしてきた。
そして冒頭の如くそう言って頭を下げる。

「はぁ!?」

どこから突っ込んでいいのか分からなくて肩がずり落ちた。
中高一貫校とはいえ、校舎は別だ。
普段滅多に中等部と関わりなんてないのに何を言い出すのか。
そしてなぜ俺なのか。

「すすすす、すみません!!!すみません!!」

目の前の男は制服をきっちりと着こなしていた。
分厚い眼鏡に掛かるほど伸びた髪の毛。
この場合、放置してボサボサになった、を付け足したほうが分かりやすいかもしれない。

「はぁ、何なの?お前」

突然現れたかと思えばこんな調子だ。
大胆なのか小心者なのか迷うところである。

「あ、えっオレ…飯坂歩(いいざか あゆむ)と」
「名前なんか聞いてねーよ」

変なところでマイペースな彼に思わず突っ込んだ。
そして片手で額を押さえると「はぁ」とため息を吐く。

「…なぁ、突然過ぎじゃね?」
「えっと…」
「第一になんで俺なわけ?」

それにどうして俺がここに居る事が分かったのか。

聞きたい事は沢山あるが面倒くさかった。
こんな毛並みの違うタイプと話すのは稀だ。
自分のクラスにもこういうヤツはいる。
だが大抵、孤立していて話す機会などない。
いや、話したいと思う事すらなかった。
どうせ話題も合わないだろうし、暗いし空気を読まない。

「うぅ…」

ほら、こんな風に。

「ま、いいや」

俺は唸っている彼を尻目に起き上がった。

「パス」
「え!?」
「面倒くさいから嫌だ」

それだけ言って彼に背を向けた。
屋上から出て行こうとする。
話を聞く事さえ面倒くさかったのだ。
なぜ俺がこんなガキんちょの世話をしてやらねばならないのか。
メンドーな事には関わらないのが一番だとわかっていたのだ。

「ま、ままま待ってくださーーい!!!」
「おわっ!?」

すると出て行こうと歩き出した俺の右足に突然巻きつかれてしまった。
次の一歩を踏み出そうとした所で転びそうになる。

「お前っ!いきなり何す…!!」

見下ろせば必死に俺の足にしがみ付く彼が居た。
そいつは何度も首を振って掴んでいる。

「お願いします!!お願いします!!!」
「嫌だよ。放せって!」
「ダメです!頷いてくれるまで放しません!!」

ああ、ホント…こういうヤツはなんで無駄に必死なんだ?
苛立ちが募って強引に足を踏み出そうとする。
それでも彼は離れなかった。
まるで抱っこちゃんの様にしがみ付いて放そうとしない。

「いい加減に…」

年下だから甘くしてやってるのに向こうは遠慮が無かった。
もし同い年ならぶん殴っているところだ。

「自分ひとりでかっこよくなれよ!俺に頼るな!!」
「ダメですっ!梧桐(ごとう)先輩じゃなきゃ!!」

「なっ…」

なんで俺なんだよ!
意味が分からない。
第一に自分の名前を知っているなんて驚いた。
だから立ち止まるともう一度ため息を吐く。

「はぁ…」

見下ろせば小動物のように震えたガキが居た。
勘弁してくれ。
今日は厄日なのか?
怒る事すら面倒くさくてヤツの頭をペチンと叩く。

「いてっ」
「…ったく、とりあえず話を聞いてやるから体を離せ」

とうとう根負けをしてしまった。
だって暑苦しい。
男に抱き付かれて喜ぶ趣味はないのだ。
こんな風に見るからにガリ勉のオタク臭いヤツなら尚更。

「はははは、はい!!!」

すると彼は顔を真っ赤にしながら嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
やはり理解不能。

「やっぱ…」
「ダメです!ダメですー!!!男に二言はなしですよー!!!」
「………はぁ…」

俺は一抹の不安を抱えながら彼の話に耳を傾けた。

その後、俺は結局コイツの改造計画に付き合うことになった。

「梧桐先輩がこの学校で一番カッコイイです」

なんて持ち上げられたら同性だとしてもその気になってしまう。
そしてあっさり承諾してしまったのだ。
だからって決して俺が流されたわけじゃない!
断じて乗せられたわけでも押し切られたわけでもない!!
そういって体面を張ってみたりする。

「おいお前!学校では近付くなよ」
「梧桐先輩!お前じゃないです、歩です!!」
「ふざけんなっ、なんで俺がお前の名前を呼ばなきゃならねぇんだよ!」
「じゃあ飯坂で我慢します」
「お前舐めてんのか!!」
「ななな、舐めたら汚いですよ!!」
「なんでそこで赤くなるんだよ!」

……今はものすごく、後悔していたりする。
同じ人間、皆兄弟…なんて平和主義者の呟きがクソに聞こえた。
こんなにも未知なる生物を俺は見た事がない。
だから疲れる。
もの凄い疲れる。
本当はコイツのペースに乗せられてる事に気付いていた。
だからこそ面白くない。
俺は自分のペースを崩されるのが嫌いだ。
だから出たくない授業はサボるし、朝起きて行く気がしなければ休んだりする。
人間関係だって、友達と騒ぎたい時は混ざるが面倒くさい時は一人で過ごした。
それを協調性がないなんて言われるが関係ない。
こうして自分を乱されるのが嫌だったんだ。

「いいか!土曜日の12時に原宿で待ち合わせだ」
「はい!」
「もし1分でも遅れたら俺は帰るからな」
「はい!!」

コイツ、飯坂は満面の笑みで返事をした。
そういう顔をされるとむしゃくしゃした気持ちをどこにぶつけていいかわからなくて余計にイライラする。

「はぁ、お前年下だけど殴らせろ」

己の主義からいって、自分より幼い者や弱い者を殴るのは気が引けた。
だがコイツは例外だと自分に言い聞かせる。

「わわっ。そういうプレイが好きなんですか!」
「ぐぐぐ…」
「ならオレも全力で頑張ります!梧桐先輩の期待に応えられるように」
「そんなもん応えんなっっ!!」

俺は握り締めた拳の力すら入らずポケットに仕舞い込んだ。
頭が痛くてこめかみを押さえる。
だが飯坂はどこまでも真面目だった。
だからこそタチが悪い。

「改造が終わったら赤の他人に戻ってやる」

そうだ。
彼をウザいと思うならさっさと本人を格好良くしてしまえばいいのだ。
そうすればこの縁も切れる。
どうせ中等部と高等部なのだ。
顔を合わせる事だってあるまい。
俺はうんざりしながら次の土曜日を待つ事にした。

――――土曜日。
昼間だという事も相まって駅前は凄い人でごった返していた。
俺は携帯で時間を確認しながら改札を通り抜ける。
すぐに飯坂の姿を発見した。

「お前っ」
「あっおはようございます!」
「おはようじゃねーよ。なんだよ、それ」
「え?」

なぜか彼は制服のままだった。
今日は学校が休みのはずだ。
てっきり私服で待ち合わせだと思っていたのに、そこだけ浮いている。

「あ…お、お、オレっ…こういう所にどんな服を着ていけばいいのかわからなくて」
「だからって制服かよ」

俺はだいぶラフな格好をしていた。
並んでみると変。
まるで悪い大人と喝上げのカモにされた子供だ。
身長差と飯坂の格好が拍車を掛ける。

「つーかお前いくつなワケ?」

成長期を見越して買った大きめの制服が痛々しい。

「あ…13…です」
「はぁ!?」

ってことは中一なのか。
俺と四歳も離れている。
学生のうちの四年は大きい。
通りでガキ臭いと思った。

「その年でませてんな」

格好良くなりたいなんて良く言ったものだ。
さすがの俺もおかしくて苦笑する。
すると飯坂は顔を真っ赤にして俯いた。
馬鹿にされてると思ったのだろうか?
始めから馬鹿にしていたわけであるから何の問題も無い。

「しょうがねーな」

俺はヤツの脇腹を肘で軽く突っつくと歩き出した。
飯坂は慌ててついて来る。

「あぅっ…梧桐先輩のプレイは激しいですっ」
「おいテメー紛らわしい言い方すんな!」
「だからテメーでもお前でもないです!!歩ですってば!」
「知るか!」

どうせ期間限定の繋がりだ。
俺は後ろからぎゃーぎゃー言ってる飯坂を無視して歩き続ける。
そして街へと繰り出した。

人間の改造計画なんて高が知れてる。
オンナなら化粧なんかでも充分に変わるが男は素材をどう生かすかにかかっているのだ。
ポイントは髪の毛、眼鏡、洋服といったところか。

俺は飯坂を連れて自分のいきつけの美容室へ連れて行った。
どうせコイツの事だから家でママに切ってもらっているか良くて床屋でカットしてもらっているのだろう。

「おい。着いたぞ」
「ほお……」

美容室の前まで来ると飯坂は感嘆の声を上げた。
その姿はまるで田舎者。
ビン底眼鏡の奥で目をパチパチさせている。

「何してんだ。早くしろ」
「はははは、はい!」

俺はそんな彼を置いてさっさと入っていった。
事前に予約済みだったので、さほど待つ事も無く通される。

「わ…なんだかとっても羞恥プレイですね」
「今度は何だ?」
「だって丸見えじゃないですか」

どうやら美容室がガラス張りの事を言っているようだ。
確かに一階の道路側は前面ガラス張りになっている。

「ばーか。さっさと来い」

このガキは余計な事を良く知っているのだ。
しかし使い道をほとんど間違えている。
ガリ勉野郎だと思っていたのだが、中身はまるっきり馬鹿だったのだ。
お陰で俺が突っ込まざるを得ない。
最近はそれすらメンドーで無視していた。

「…やぁ、梧桐君」
「あ、どうも」

すると顔なじみのデザイナーがやってきた。
スタイリッシュな服に無造作ヘアーが際立つ。
いつも俺のカットを頼んでいる美容師だ。
髪をやってもらう様になってからは結構長い。
そんな信頼の元、今日も同じ人を指名したのだ。

「その子が予約の時に言ってた子?」
「そうです。今日はお願いします」

あとで面倒な事になるのが嫌で事前に話をつけていた。
それに驚いたのか飯坂は黙って俺達の話を聞いている。

「どうも担当をさせて頂きます。笹島です」
「あ…ども…」
「じゃあ早速そこに座って。あ、最初だけ梧桐君が居た方がいいかな?」

飯坂はオドオドしながら鏡の前に座った。
俺はその後ろに立っている。

「いえ、あとは……」

素人の自分がそこに居ても邪魔だと分かっていたから、待合のイスまで戻ろうと後ろに下がった。
すると飯坂がしっかりと俺の服の裾を掴んでいる。

「なんだよ」
「…………」
「あとは笹島さんに任せれば大丈夫だから」
「……………」

飯坂は鏡越しに泣きそうな顔で俺を見ていた。
不安でたまらないのだろう。
何も言わず首を振っている。

「はははっ!」

そのやりとりをみていた笹島さんが笑い出した。

「梧桐君かなり懐かれているんだね~」
「笑い事じゃないですよ」
「いいじゃん。最初だけここにいなよ」
「でも」
「一緒に彼に合う髪型を考えよう?」

てこでも動かない飯坂に笹島さんが気を利かせてくれた。
俺は周囲の視線に恥ずかしさを覚えつつ渋々頷く。
まるで子供のカットをさせに来ている父親みたいだ。
むしろ俺が飯坂なら逆にこんな状況恥ずかしくて耐えられない。
だが彼は俺が頷いたのを見てやっと顔を綻ばせた。
掴んでいた裾を放すと真っ直ぐに向き直す。

「はぁ……」

そんな彼を見てため息を吐いた。
すると隣でまた笹島さんが笑っている。
友好的に接しているつもりはないのになぜこんなに好かれてしまったのか。
やっぱり俺には飯坂の考えている事が理解できなかった。

―――それからある程度、髪型の話をすると俺は待合のソファに戻った。
最後まで飯坂は不安そうな顔をしたが俺は無視をした。
さすがに仕事の邪魔だったからだ。

「ふぅ……」

俺はマガジンラックに置かれた雑誌を手に取る。
そして彼のカットが終わるのをひたすら待った。

「おまたせー!」

それから暫くしてやっと笹島さんがこちらにやってきた。
後ろから下を向いた飯坂が着いて来る。
俺はそれに合わせて立ち上がった。

「おい」
「うぅ……」

飯坂は手で前髪を押さえていた。
そのせいで顔は元よりせっかくカットした髪の毛が見え辛い。

「ははっ。恥ずかしいのかな?」

笹島さんは奥のクローゼットから飯坂の荷物を持ってくると苦笑している。

「髪の毛の量がかなり多かったし全体的に重かったから結構梳いたよ。それから前髪も眉毛辺りまで短くしてみた」
「そうですか」
「今は少しワックス使って毛先を遊んでるから。」
「はい。ありがとうございます」

飯坂がいつまで経っても髪型を隠すから俺は笹島さんに説明だけを受けた。
そしてそのままお会計を済ませる。

「また来てね」

そう言ってお辞儀をする笹島さんに軽く会釈をする。
俺と飯坂は店を後にした。
時計を見ればもう2時近い。
飯坂は未だにならんで歩こうとせず後ろから着いて来た。

「はぁ」

それに苛立って俺は足を止める。

「うひっ」

すると奇声を上げて飯坂が背中にぶつかった。
どうやら俺が立ち止まったのも気付かなかったみたいだ。

「お前さ、何なの?」

せっかくの休日を代返して付き合ってやっているのだ。
しかも俺にしては珍しく取り繕ってやっているのに。
当の本人がこんな調子じゃたまったもんじゃない。

「おい」

強引に飯坂の前髪を覆っている手を引き剥がした。
掴んだ細い手首に折れてしまいそうな錯覚を覚える。

「!!」

その拍子に飯坂のしている眼鏡がずり落ちた。
その顔はとぼけたじいさんのようでマヌケ。

「あ――…」

だがそれを馬鹿にすることは出来なかった。
彼は顔を真っ赤にして目を泳がせている。
気付けば掴んでいる手が震えていた。

「あ、あ…おおおお、オレ…」

いつも以上に動揺を露にした彼が俯いてしまう。

「ばーか。顔上げろ」
「…っぅ…」
「誰の為に付き合ってやっているんだよ」
「すす、すみません」
「はぁ…」

謝られても困る。
だが自信なさ気な彼の様子が全てを物語っていたのだ。

「お前、カッコイイ男になりたいんだろ?」
「…はい…」
「変わりたいんだろ?」
「…はい…」
「ならまずは下を向くな。どんなに嫌でも前だけを見てろ」

俺は彼の頬に触れると無理やり顔を上げさせた。
すると俺の言葉に息を呑んだ飯坂は下を見ないように気張る。
泣きそうな目元とのギャップが痛々しかった。
だが彼にはこれぐらいの荒治療が必要。

「……似合っているよ」

本当は「ジャニ〇ズかよ」なんて言ってからかってやる予定だった。
しかし今の彼に言うのはさすがに気が引けて、つい真面目に答えてしまう。
すると予想外だったのか飯坂は驚いた顔で俺を見ていた。
俺は空いている手で彼の髪の毛に触れる。
サラサラの黒髪にすっきりとしたショートカット。
ワックスで毛束を作り風に靡く様に遊ばれていた。
以前は眼鏡にまで掛かっていた重たい前髪が程よく梳かれて眉毛辺りまで切り揃えられている。

「お前…そういう顔をしていたんだな」

お陰で彼の顔が良く見えた。
眼鏡の奥にあった瞳はパッチリとしていて少しタレ目であった。
だから余計に幼く見えるのか。

「ああああ、あ…ぅ…」

普段から表情豊かな顔が更に激しく動き回る。
ホントに小動物みたいだ。
飯坂は慌てて片方の手でずり落ちた眼鏡をくいっと上げる。

「ごごご、梧桐先輩は…ずるいです」
「はぁ?なんだそれ」

耳まで真っ赤にしているくせに飯坂は口を尖らせていた。
その顔が変で思わず笑ってしまう。

「ずるいってせっかく褒めてやってんのに」
「うぅ…ありがとうございます」
「おう。お礼に何かくれ」
「…わかりました。じゃあお歳暮の頃にハムでも…」
「送らなくていい!」

ハムの人になってどうすると内心突っ込んだ。
天然なのか生真面目なのか判断に苦しむ所である。

「……せんぱい」
「ん?」
「―――ありがとうございます」

すると彼は突然ニコっと笑った。
不意打ちをつかれて思わず目を見開く。

「お前な~」

毒気の抜けた俺は苦笑せざるを得なかった。
素直過ぎる飯坂の態度の方がずるい。
だってそんな顔を見てしまうと全てが馬鹿くさくなるからだ。
だから俺もこいつのペースにハマってしまうのかもしれない。
それに僅かな居心地の良さを感じた。
ガキの世話なんて面倒くさくてたまったもんじゃないのに。

「お礼を言うのは早いんだよ」
「え?」
「まだ髪を切っただけだろ?安心しろよ。今日一日でたっぷり変えてやるから」

まだ髪の毛をいじっただけだ。
これから眼科に行ってコンタクト買うだろ?
それから服も見立ててやらなければならない。

「はい!」

すると再び歩き出した俺に飯坂は満面の笑みを浮かべた。
髪の毛を隠す事もなく嬉しそうに俺の隣を歩き出す。
きっと飯坂にとっては髪型を変えるのにも勇気が必要だったのだ。
たとえ他の人にとって些細な変化でもこいつにとっては大変な事なのかもしれない。
そんな飯坂の見ている世界を知りたいと思ったんだ。

月曜日。
俺は眠い目を擦りながら通学路を自転車で走りぬける。
土曜日に劇的な変化を見せた飯坂に内心ワクワクしていた。
あの後、予定通り眼科に行きコンタクトに変えた。
あの馬鹿、目に入れたレンズが貼りついて取れなくなったらどうするんですか!!なんて言って指導してくれた店員さんを困らせたのだ。
お陰でだいぶ時間を使ってしまった。
それから古着屋巡りをして、表参道で食事をして帰ってきたわけだが…。
自分の予想よりだいぶ変わった飯坂を同じクラスの奴らはどんな反応を示すのか。
結構いい線までいっているからこそ楽しみだったりする。

「…………ん?」

すると通学路を走る俺の前に深緑の頭巾を頭に被った学生が歩いていた。
明らかに不審人物で周囲からはヒソヒソと小言を囁かれている。
それはそうだ。
沢山の生徒が歩いている中で一人だけ変な頭巾を被っている。
まさか。
嫌な予感にゴクリと息を呑んだ。
追い越し間際にそっと顔を覗き込む。

「ごごごご、梧桐先輩!!」
「げっ!!」

それは紛れもなく飯坂本人だった。
普段から怪しい怪しいと踏んでいたわけだが、ここまで不審人物だとは思わない。
だから思わず顔を顰めてしまった。
彼が俺を呼ぶと同時に嫌悪感たっぷりな声を放ってしまう。

「わぁ!置いてかないで下さい~!」

こんな通学路で目立つ事は避けたかった。
だから他人のフリをして走り去ろうとする。

「ごーとーうーせんぱーい!」
「くっ…」

だから名前を呼ぶな!!
俺は恥ずかしさのあまり振り返りもせず自転車を扱ぐ。
だが飯坂は負けじと全力で走りながら着いて来た。
見た目がひ弱のくせに追いつこうと必死なのである。

「ぎゃひっ!?」

すると朝の通学路に飯坂の奇声が響いた。
ドスンっと音を立てて彼の足音は消える。
だから思わず自転車を止めて振り返ってしまった。
すると飯坂は俺からだいぶ離れたところで倒れている。
どうやら派手に前から転んでしまったようだ。
何もない道で転ぶなよと突っ込みつつ彼の様子を伺う。
全く起きる気配のない彼を通り過ぎる生徒達は不審な目で見ていた。

「…ったく」

俺は深くため息を吐くと自転車を降りて彼に近寄った。
頭巾を被っているだけでも怪しいのに、大の字で道路に倒れているんだから手のつけようがない。

「おい。お前いつまで寝てるんだよ」
「うぅー…」
「つーかなんでそんなモン被ってんだ?」

傍に自転車を止めて跪くと強引に首根っこを掴んだ。

「梧桐先輩ひどいです~」
「ひどいのはお前の顔だよ』

飯坂はおでこにたんこぶを作っていた。
そして鼻血を垂らしている。
眼鏡が割れなかっただけラッキーなのかもしれない。

「わわわっ!見ないでくださっ」

俺に顔を見られまいと飯坂は慌てて顔を隠した。
それを無理やり放すとポケットティッシュを鼻に当ててやる。

「はぁ、とりあえず行くぞ」
「え?あ…せんぱ…」
「こんな所に居たら目立ってしょうがない」

飯坂のカバンを自転車の前かごに入れた。
そして自転車に跨る。

「ほら。早く乗れよ」
「え?えぇ!?」
「嫌なら先に行くぞ」
「ままま、待ってくださ……!!」

すると飯坂は慌てて俺の後ろに乗った。
重くなった後ろを確認すると足を放してペダルを扱ぎ始める。
飯坂は遠慮がちに俺の腰辺りを掴んだ。

「ありがとう…ございます」
「別に」
「このご恩は一生忘れません」
「おう。忘れるな」
「じゃあ先輩も忘れないで下さいね?」
「ぶはっ、なんでだよ」
「だって二人の愛のメモリーですから」
「やめろよ、気持ち悪い」

相変わらず意味の分からない事を言うから笑える。
本当に彼の言動も行動も良く分からない。
きっとクラスでも浮いてるのだろう。
それが簡単に想像できて思わず笑ってしまう。

「…ありがとうございます」

飯坂は小さな声で呟くが吹き抜ける風の音で良く聞こえなかった。
その言葉は露と消える。
代わりに背中に僅かな感触が残った。
飯坂が頭を俺の背中に預けてきたのだ。
やれやれ。
俺は心地良い背中の重みにため息を吐いてペダルを扱ぐと、学校への道のりを急いだ。

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