2

その後校門を通り抜け駐輪場までやってきた。
ここまでは中等部と高等部は一緒である。
しかしここから先は校舎が別。
手前が中等部で奥が高等部の校舎になっている。

「着いたぞ」

俺は自転車を止めた。
すると飯坂は黙って頷いてゆっくりと降りる。

「つーかなんでそんな格好してるわけ?」

せっかく変身したのにまったく変わってなかった。
ビン底眼鏡に頭巾まで被っている。
それでは土曜日が全て無駄だった事になるのだ。
だってこのままじゃ意味がない。

「お前あれだけカッコイイ男になりたいって言ってたくせに」
「あ…ぅ…」
「変わりたくてあんなに必死になって俺に頼んできたんだろ」
「……………」
「……なんかムカつく」

自分のプランを否定された気がした。
コイツの為に美容院を予約して、似合う服を選んでアドバイスしたのに。
また今日という日を内心楽しみにしていた自分が馬鹿馬鹿しかった。
だから面倒な事に関わるのは嫌。
自分のペースを乱れるのは嫌。

「じゃあな」

俺は前かごから自分のカバンを取ると、そのまま校舎の方に歩き出した。
飯坂は一言も口を利かず俯いている。
きっとまた泣きそうになっているに違いない。
だがどう考えたって今のは俺が正論だ。

「!?」

すると突然右足が重くなった。
それはいつかのデジャヴである。

「お前な~……」

見下ろせば飯坂が俺の右足にしがみ付いていた。
こないだ同様必死に掴まり離れようとしない。

「何考えてんだ!いい加減にしろ!!」

第一になぜ足に掴まるのか。
他に掴まる部分なら沢山あるはずだ。
こんな姿を他の生徒に見られれば絶対に誤解される。

「おいっ!離れろ!離れろってば」
「うぅ………」

飯坂はずっと黙っていた。
ただ俺の足にしがみ付いて離れない。

「………はぁ」

だから俺が折れるしかなかった。
こんな姿を誰にも見られたくない。

「…悪い、言い過ぎた」

俺はそう言って飯坂の頭をぶっきらぼうに撫でた。
すると彼がちらっとこちらを見上げる。

「ごめ…なさ…」

飯坂は泣く五秒前のような顔をしていた。
搾り出すような声がなんだかいたたまれない。

「…ったく」
「おれっ…おれ…」
「はぁ、分かったよ。分かったからそんな顔すんな」

俺は彼に目線を合わせるとあやす様に背中を叩いた。
彼は胸元に頭を寄せて「うー」と唸っている。
飯坂には飯坂のペースがあって、それはどうしようもないのだ。
変人なせいで忘れてしまいそうだが繊細な心を持っている。

「ちょっと来いよ」
「え…?」

俺は泣きそうな飯坂の手を引っ張り上げた。
そして立たせると先に歩き出す。

「早くしろ。授業が始まるぞ?」
「ははは、はいっ…」

飯坂は戸惑いながら後に着いて来た。

――着いた先は中等部のトイレだった。
戸惑う彼を尻目に自分のカバンを開ける。
そしてヘアワックスを取り出した。

「あの……」
「とりあえずその変な頭巾を取れ」

俺は飯坂を鏡の前に立たせると彼を促した。
すると彼は渋々その頭巾を外す。

「へ、へへ、変でした!?」
「お前自覚なかったのかよ」
「うう…」

頭巾に手を掛けた彼の顔が真っ赤に染まる。
確かに自分で変だと自覚があれば通学にあんなもん被ってはこないだろう。
そのずれた感覚が飯坂らしくて思わず笑ってしまう。

「わぁ!オレ、梧桐先輩に笑われたらお嫁に行けないです!」
「安心しろ。お前はどんなに頑張っても嫁には行けないから」
「そんな!?どうしてわかるんですか!」
「うるさい。いいからさっさと頭巾を取れ!」

この馬鹿の相手は疲れるのだ。
どこまでも本気な彼に突っ込みを入れるのは面倒くさいを通り越してHPを削られる。
すると飯坂は「横暴ですー」なんてブツブツ呟きながら頭巾を取った。
少しボサボサな髪の毛が現れる。
それを彼は必死に手で直していた。

「今日は俺のワックス使えよ」

俺はそういって彼の前に置いた。
すると飯坂はパァッと華やかな笑みを浮かべる。

「いいいい、いいんですか!」
「おう。その代わり明日からは家でセットしてこいよ」
「はいっ!」
「もう頭を隠して登校するなよ」
「はいっ!!」

そう頷いて彼は嬉しそうに笑った。
ただワックスを貸しただけなのに予想以上の反応が返ってきて微笑んでしまう。

「……お前面白いな」
「へ?」

初対面の時の衝撃は未だに忘れない。
こんなヤツ見たことがないって驚いていたが、未だに新発見の連続だ。
その飽きない仕草が見ていて自然と和ませる。

「安心しろよ。お前カッコイイ」
「え!?あ…え…う……」
「この学校で俺の次に、な?」

そう言ってワックスを手に取ると飯坂の髪の毛を整えていった。
されるがままの飯坂は戸惑いながらチラチラと俺を見る。

「馬鹿。そこは突っ込めよ。じゃないと俺がただのナルシストみたいだろ」

だけど飯坂は何も言わなかった。
見下ろせば覗いた耳が真っ赤に染まっている。

「だだだだっだ、だって梧桐先輩はカッコイイですから」
「…っぅ…お前、よく恥ずかしげもなくそんなこと言えるな」

いや、彼は十分過ぎるほど照れている。
いつもゆでだこみたいな顔でそんなセリフを言えるから凄いのだ。

「ほっ、本当です!!」
「なっ…」
「本当に本当に梧桐先輩が一番カッコイイです。世界で一番カッコイイんです!」
「あのな~…」

いつから学校で一番から世界で一番だと格が上がったのか。
そこまで真顔で言われるとさすがに萎縮するというか、気が引ける。
俺だって自分が世界で一番カッコイイなどと思う事はない。
そんな図々しさは持ち合わせてはいないのだ。

「しっ信じて下さい!」

それにしたってなんでコイツは必死なのか。
顔が茹で上がってるクセにしっかりと俺の服を掴んでいる。
その目は真剣そのものでこちらが戸惑ってしまうほどだ。

「わかったよ。わかったってば」

よく分からないがこれ以上反論したら余計にコイツの血圧が上がりそうだった。
それでぶっ倒れては意味がない。
だから適当に頷いて彼の髪の毛を弄ってやる。

「はいっ!」

そんな俺の言葉に納得したのか飯坂は満足そうに笑った。
そして鏡の方に向き直る。
飯坂本人が褒められたわけではないのに嬉しそうだった。
それがやっぱり良く分からない。
複雑な年頃なのは俺も一緒だがそれにしては変わり者過ぎる。

「オレっ、先輩の手も好きです!」
「はいはい。ありがとうございまーす」
「へへっ!」

先程のやり取りを繰り返してはならないと肯定してみる。
すると彼はさらに嬉しそうに笑った。

「…っぅ……」

さすがに面と向かって褒め殺しをされて平然としていられる自分ではない。
むしろ今までそんなに褒められた事はなかった。
どちらかと言えば問題児扱いだったわけで。
だから嬉しそうに笑う飯坂を尻目に例えようのない気持ちに陥った。
それを素直に嬉しいなんて思えない俺自身も十分思春期真っ只中の複雑な感情の持ち主なのだろう。

「頑張れよ」
「はいっ!」
「もう頭巾も眼鏡もするなよ」
「はいっ!」

飯坂は自分のカバンからコンタクトを取り出すと何度も頷く。
やっぱり変わりたいという気持ちはあるらしく、ちゃんと持ってきているのだから凄い。
彼は震える手でレンズと格闘していた。
それを見つめて隠れて笑う。
飯坂本人には言いたくないがその姿が愛らしいなって思ったんだ。

――それからチャイムが鳴り俺と飯坂は別れた。
さすがにその格好で校舎を歩く事に対して飯坂は気が引けていたが無理やり押し出した。
彼は俺の性格を分かっているのか俺の前で「嫌だ」と言った事はない。
さっきだって通学に頭巾を被ってくるぐらい羞恥心でいっぱいだったのに俺が脱げといえば渋々とはいえ素直に従ったのだ。
内心はきっと色々複雑に違いない。
それを分かっていて俺は何も知らないフリをする。
甘やかせたってしょうがないからだ。
最後に俺を見た飯坂の顔は精一杯の気張りとその奥に隠された不安で押し潰されそうだった。

「ああ~、くそ」

その顔がいつまで経っても消えなくて頭をガシガシと掻く。
こんなのらしくないって分かってるんだ。
面倒な事は片っ端からパスしてきたのに心配してヤキモキ落ち着かない。
そんな自分に苛立って仕方がなかった。

「梧桐?どこ行くんだよ?もうすぐ先生来るぞ」
「悪い。パス」

今の俺は大人しく授業を受けるのも苦痛で立ち上がるとドアの方に向かう。
「しょーがねーな」
そして後ろで友人の呆れた声を聞きながら教室を出て行った。

「梧桐先輩!」

その日の帰り、俺は気だるくアクビをしながら歩いていた。
突然後ろから声を掛けられる。
振り返れば息を切らした飯坂がぜいぜい言いながら近寄ってきた。

「良かっ…はぁはぁ、間に合った…」

目の前まで来た彼は膝に手を置いて息を整えている。
そういえば今日の昼休みに彼は屋上に来なかった。
先週は毎日の様に屋上にやってきて俺と昼飯を食っていたのに。
だがそれを指摘するとまるで俺が待っていた様に思われそうで口を閉ざす。
そう思われるのはあまりに癪だ。

「はぁはぁっ、今日…お昼、一緒にご飯っ…食べられなかったから」

すると飯坂本人も気にしてはいたようだ。

「…別に」

一緒に食べる約束なんてしていないだろ。
と言いそうになって口を噤む。
なぜなら顔を上げた飯坂は寂しそうに笑っていたからだ。

「で、今日はどうだったんだよ」

その代わり別の話題を用意してやる。

「クラスの反応は?」

俺はそう聞きながら彼を促すように歩き出した。
すると飯坂もつられて歩き出す。

「…あ、…えっと……」

彼は戸惑っているのか口を濁らせた。
それを隣で見ながら答えを待っている。

「すすす、凄く…驚いていました」
「だろーな」

飯坂は嬉しさと恥ずかしさの板ばさみのような顔をしていた。
少しだけ口角が上がっている。
そして照れくさそうに頬を染めていた。

「なんか、驚きの連続な一日でして…」
「そっか」
「自分の席の周りに人が集まるなんて人生で初めてだったんですっ。オレ、どうしていいか分からなくて」

たどたどしい言葉が一番自身の心中を表していた。
それだけで安易に想像できる。
今までクラスの隅でポツンとしていた彼が、話の中心になってしまい戸惑っている様子が。
だからこそおかしかった。
クラスのヤツの反応も、コイツも。
それと同時にいい気味だと思った。
今まで相手にもしてこなかったであろうクラスメイトが、劇的な変化によって反応が変わる。
自分が変身したわけじゃないのにクラスの奴らを見返してやった気になっていた。
そんな俺自身もおかしくて苦笑せざるを得ない。
きっと飯坂本人はそんな邪な考えは持っていないだろう。
ただ純粋に自分の周りに人が寄ってきたことが嬉しくて、恥ずかしい。
それもまた手に取るように分かるからくすぐったい気持ちになるのだ。

「ぜっ、全部…ごご梧桐先輩のお陰でして…」
「………」

すると俺たちはもう駐輪場まで来ていた。

「どんなに感謝しても、しきれないっていうか…その、ですね…えっと」

立ち止まった飯坂は必死に何か言おうとしている。
どこまでも生真面目というか律儀なヤツだ。
彼の言いたい事が分かってその頭をポンポンと叩く。
そして言われる前に話を切り出した。

「じゃあ俺とお前の仲はこれでおしまいだな」
「え……?」
「最初からお前を変身させるまでって約束だっただろ?良かったじゃん。無事に成功して」
「あっ」

先週の俺はこの日が来るのが待ち遠しかった。
変なガキに言い寄られてたまったもんじゃなかったんだし。
それなのに今は、コイツより先に言い出したくて堪らないなんて。
裏を返せばそれを言われたくなかったということか?
自分の感情なハズなのに良く分からなくて自問を繰り返す。
だが到底答えは見つからなかった。

「これから先はお前次第だな」

どうせ出会う前の平和な世界に戻るだけだ。
もう振り回されなくて済むと思うと清々する。
それを寂しいなんて思ってやったりはしない。
どうせ飯坂本人は何とも思っていないのだ。
これからはクラスの奴らの相手だって増えるし、俺に構っている暇はないのだ。

「じゃあ」

俺はそういって彼の肩を軽く叩くとその横を通り過ぎた。
そして自分の自転車の方へと歩き出す。

ガッッ――……。

「…なっっ…!?」

突然足がガクンと揺れた。
その衝撃に思わず転びそうになって冷や汗を垂らす。

「お…前っ!?」

右足に感じた重みはもう十分理解していた。
なぜなら今朝ここでまったく同じ重みを味わっているからだ。

「なんだよっ!」

下を向けば案の定飯坂が俺の右足にしがみ付いていた。
俺は片手で額を押さえるとやれやれとため息を吐く。

「…今度はなんだ?」

せっかく自分から別れを切り出したのに飯坂は泣きそうな顔でじっとこちらを見ている。

「だから足にしがみ付くな!言いたい事があるならちゃんと言え!!」

なぜ右足なのか?
なんて聞くのはこの際どうでもいい。
俺はぺシンと頭を叩いた。
どうせ無理やり引き離そうとしても離れないことを分かっているからだ。

「おいっ。いい加減に」
「…っ…もももも、もう会ってくれないんですか?」
「はぁ?」

何を言い出すのかと思った。
さっきの流れだと彼の方が別れを切り出すのだと思った。
だからあえて自分から言い出してやったのに。

「だってお前もこれからは高等部に来る暇なくなるだろ?」
「ななっなんでですか!?」
「……はぁ…」

一から十まで説明するのは面倒くさい。

「お前は無事に変身して、クラスの人気者になったんだろ?」
「え、ええ!?人気者なんて…!?」
「いいから聞け。馬鹿」
「ひひひ、酷いです~」

しょんぼりする飯坂の反応に苛立って思わず両頬を抓った。

「ひひゃいてしゅよお」

だがその顔があまりに間抜けでムカつくからすぐに放す。
飯坂は自分の両頬を擦っていた。
足に巻きついていた手が離れてホッとする。

「いいか。これからが勝負なんだよ」
「はは、はい」
「ちゃんとクラスに馴染むには朝から晩まで同級生と仲良くしろ。昼飯もクラスで食べるんだ」
「えええ!?そんなに!」
「じゃないとまたクラスで孤立するぞ?」
「あ…」

すると飯坂はまた何か言いたげな顔をした。
先程と同じ顔である。
その視線に気付くと俺は促すように彼を見つめた。

「おおお、オレは別に…」「ん?」
「クラスのっ…人気者になりたいんじゃなくて…」
「え?」

一瞬、戸惑った。
目線を合わせてやろうとしゃがんだら彼が俺の制服を掴んだのだ。
その手はいつもの様に震えている。

「ああああ、あの…」

否、いつも以上に震えた声を出していた。
俺は不審に思って彼の様子を伺おうと顔を覗き見る。

「ああああああああ、あのっ…ですね」

目が合った飯坂はこれ以上にないくらい顔を赤くしていた。
それこそこのまま倒れてしまうのではないかと思うくらい危ない色だ。

「おい、平気か?」

恥じらいを通り越して病的な赤さに思わず額に触れる。
掌で感じる彼の温度は熱があるのではないかと思うほど高かった。
だから眉を顰める。

「ふにゃぁ…」
「ちょっっ!?おいっ!馬鹿!!」

すると飯坂はのぼせたように目を回しこちらに倒れてきた。
それを慌てて抱きとめる。

「おい!おいってば!!」

俺は腕の中で目を回した彼を何度も揺さぶった。
しかし飯坂の反応はほとんどない。

「……なんだ、コイツ」

俺はのぼせあがった飯坂にはぁっとため息を吐いた。
未だに顔が真っ赤で僅かに唸っている。
こんな俺だってさすがにこのままほっとけるほど薄情な人間ではない。
だから彼を抱き上げると校舎の方に向かった。
せっかく帰ろうとしたのにこれじゃ逆戻りである。

「ごとせんぱ…」
「はぁ…」

飯坂は寝言の様に俺の名を呼んでいた。
自分が何かしたのかを考えるが思いつくことはない。
目の前で突然倒れるなんて生まれて初めての経験である。

「馬鹿野郎」

俺は生徒達の視線を一身に浴びて居心地が悪かった。
代わりに八つ当たりの様に一言呟く。
そして保健室へと足を急いだ。

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