3

「あっはっはっはっは!!!」

その後、保健室に辿り着くと保険医に馬鹿笑いされた。
飯坂は奥のベッドで頭や首筋を冷やしながら寝ている。

「ただの高血圧!」
「はぁ?」
「よく分かんないけど湯当たりみたいなもんだから心配しなくていいわよ」
「は、はぁ」

今までの経緯を話すと先生はゲラゲラ笑った。
豪快に笑われて俺まで恥ずかしくなる。

「面白い子ね」

未だに笑い足りないのか先生はそう言っては笑い続けた。
俺はぶすっとしたままお辞儀をすると奥のベッドへ向かう。
飯坂の寝ているベッドの傍にイスを置いて座った。

「…意味わかんねぇ」

だいぶ顔色の戻ってきた飯坂の寝顔を見ながら肘を付く。
突然高血圧で倒れるなんてあの状態じゃありえないだろ。
少しでも心配した自分の心にバツが悪くて口を尖らせる。
だが飯坂はそれほどに血圧を上げてでも言いたかった事があるのだ。
さっきの真剣な彼の顔は良く覚えている。
でも今の俺じゃまったく検討がつかなかった。
何を言いたかったのだろう?
…なんて考えたところでこんな変なヤツの思考は読めない。

「はぁ…」

結局彼に振り回されて勝手にヤキモキしているのだ。
それが無性に腹立たしい。
だって俺ばかりこんなざわついた気持ちでいるみたいだ。
目の前の寝顔が暢気に見えてぶん殴りたくなる。

「ん…ぅ……」

すると飯坂の目蓋が僅かに震えた。
それと同時にゆっくりと瞳が開かれていく。

「あ…れ…オレ…」

飯坂は目を細めながら辺りを見回した。
どうやら自分が倒れた事に気付いていないみたいだ。

「よ」

俺はぶすっとしたまま声を掛ける。
すると彼は一瞬驚いた顔でこちらをみるとガバッと起き上がった。

「…っぅ…」
「バカ!突然起き上がったらまた目を回すぞ」

俺は額を押さえる飯坂の背中に手を回すと支えるように抱きとめた。
無謀というか無茶なヤツだ。

「せせせ、せんぱ…」

未だに状況が飲み込めない飯坂は動揺を露にしていた。
目を泳がせた彼はこちらを見ようともしない。

「お前さっき倒れたんだよ」
「あ……」
「ここは保健室。ただのぼせただけだから安心しろ」
「ははは、はい…」

なんとか返事をするものの飯坂は未だにこの状況を把握していなかった。

「具合はどうだ?」
「あ…」

だからなるべく優しげに声を掛けてやる。
すると飯坂は一旦間を置いた後にチラッとこちらを見た。

「もも、もうっ…大丈夫、です」
「そうか」

あまり大丈夫そうには見えないが口には出さなかった。
何せ未だに耳が赤い。

「でももう少し休んでから帰れよ。途中でまた倒れるよりましだろ?」
「えっ…あ、でも……」
「?」

俺は彼の体から手を離すと立ち上がった。
そして飯坂の荷物を隣のベッドに置く。

「でもっ…せんぱ、もう帰っちゃうんですよね」

その声はあからさまに「帰って欲しくない」と言っているようだ。
さすがの俺もそれぐらいはすぐに分かる。

「ぷっ」

だから思わず吹き出してしまった。
分かりやすい彼の態度が妙に可愛らしい。
一人っ子だった俺は他の兄弟がいるという感覚が分からなかった。
もし弟が居たとしたらこんな感じなのだろうか?
年の差がある分、余計に愛くるしく感じる。

「いーよ、待ってる。ちゃんと家まで送ってやるから」
「え……?」
「今日だけ特別、な?」

そういって彼の頭をわしゃわしゃと撫でた。
ぼさぼさになった髪の毛がおかしくてクスクスと笑う。

「せせせ、せんぱいっ!」

飯坂は口を尖らせると慌てて髪の毛を直した。
そのくせ目元が緩んでいるのだから素直だなと感心する。
分かりやすい態度が病みつきになるなんて馬鹿げているのかもしれない。
だが、そういった面白い反応が返ってくるからつい苛めたくなるのだ。
俺は自分の幼稚さに思わず苦笑してしまう。

「変なヤツ」

そしてもう一度彼の頭を撫でてやった。

翌日から飯坂は俺の帰りを待つようになった。
徒歩通学のクセにちゃっかりと駐輪場の前で待っている。
しかもしっかりと自転車まで覚えられていたのだ。

さすがの俺もされるがままというのは悔しくて、飯坂より早く帰ろうと必死だったりする。
すると彼は「先輩意地悪です~!」と泣きべそをかきながら言うのだ。

しかし彼も必死なようで授業が終わると走って駆けつけてくる。
元々中等部の方が距離的に近いという事もあって有利だ。
だが俺だって負けず嫌い。

勝ち誇った顔で待つ飯坂に腹が立って近道を見つけたりして工夫している。
そんなこんなでいつの間にか帰りは競争するのが当たり前になっていた。
それもまた楽しいなんて事は…断じてない、と思う。

「へへっ!梧桐先輩!!遅いですよ~」

今日はホームルームがいつもより長かった。
駐輪場に向かうと満面の笑みを浮かべた飯坂が手を振って待っている。

「チッ」

俺はその横を通り過ぎると自分の自転車を取り出した。
いつの間にか飯坂が勝った日は俺が彼の家まで送る事になっている。
飯坂が倒れた日、二人の関係が終わるかと思っていたのだが生憎そうはいかなかった。
それが不思議に思う日もあるが、彼が隣にいる事に対して違和感がなくなりつつあるのであえて口には出さなかった。

「今日も寒いですね」
「そうだな」

俺は飯坂を後ろに乗せて自転車を扱ぐ。
二月の気温は平年より低くて、冷たい北風に体を震わせた。
それに自転車に乗っているせいで余計に風を受ける。
手袋をしているとはいえサドルを握る手が冷たくて痛かった。

「でも先輩の体が温かいから幸せです」
「なんだそれ?つーかお前は俺を盾にしているんだから寒くないだろ」

前に座っている俺だけが一身に風を受けているのだ。
飯坂が寒いわけがないと口をへの字に曲げる。

「へへっ。バレました?」
「ばーか」

彼はぎゅっと俺の腰にしがみ付いた。
体を密着させる。
その重みを感じながらやれやれと苦笑した。
悪態をついているが、後ろの重みが心地良い。
何より密着した体が温かい。
それを口に出せば飯坂が調子に乗るから絶対に言わなかった。
俺の背中に頬ずりする彼は上機嫌で鼻歌を歌っている。

「はぁ…」

吐いた息は白く染まり儚く消えた。
学校から離れるに連れて道を歩く生徒は少なくなる。
枯れた並木道の坂をゆっくりと下りていった。
沢山のイチョウを茂らせた木々も今じゃ丸裸で見ているこちらが寒くなりそうだ。
秋に見ごろを迎える木々たちを思い出して思わず笑ってしまう。
ひらひらと舞う落ち葉の中を走り抜けるのは気持ちよかった。
黄土色に染まった葉が美しく街の景色に溶け込むのである。
坂であるがゆえに夕焼け空がそのパーツに上手く組み込まれて名画の様な艶麗な風景に変わるのだ。

「紅葉の時期になったら…」
「え…?」

「いや…なんでもない」

飯坂と走る坂は枯れ木の侘しい景色しか知らない。
もし二人が紅葉の時期までこうして一緒に帰っていたら、その時飯坂はなんて言うのだろう。
ふとそんな事が気になって口に出してしまいそうになった。
しかしそれは質問するべきじゃないと口を閉じる。
一ヶ月先、三ヶ月先、半年先。
俺たちがどうなっているかなんて分からないからだ。

「なんですか?先輩?」
「だからなんでもないって」

首を傾げる飯坂に俺は首を振る。
だが俺の顔を覗き込もうとする飯坂は納得していない。

「あ、あのさ」

だからあえて話題を変えることにした。

「前かごの袋に入っているのってチョコだろ?」
「え!?あ…」

今日は2月14日だ。
わざわざ確認しなくてもクラスに行けば女子達が盛り上っている。
男だって意識をする奴が沢山居た。
その日独特の空気はチョコの様に甘い。
俺もいくつかチョコを貰ったが、どうせ義理なのだ。
ホワイトデーのお返しが面倒くさくてパスをする。
そうすると女子の好感度が下がるわけだが俺にはどうでも良かった。

「凄いな。これ全部か」

珍しく大きな紙袋を持っていると思えば中のチョコが見えていた。
自転車の振動で時々ちらりと顔を出す。
可愛い紙袋から察するところ、クラスの女の子がカバンに入りきらなかった分を詰めてくれたのだろう。

「ああああ、あの…」

どうやらイメチェンして彼の株が急上昇したらしかった。
度々、一緒に帰っていると女の子に声を掛けられている。

「ははっ…初めてチョコを頂いて…その」
「照れるな照れるな。良かったじゃねぇか」

飯坂がモテるというのは誇らしかった。
総プロデュースは俺なのだ。
その功績を称えられているようで嬉しい。

「……っぅ…」

だが飯坂はそれ以降口を開かなかった。
顔が見えないから何を思っているのか分からない。
ただ俺の制服を掴む手が強くなった事だけは分かった。

「――じゃあな」

俺は家の前で彼を降ろした。
先ほどから無言で下を向いている。
だがさほど気にせず荷物を渡してやった。
すると飯坂が慌ててカバンからひとつのチョコを差し出す。

「ごごごご、ごっ、ご…とうせんぱ」
「ん?」
「ここっこれ…」

随分どもった声でチョコを渡された。
俺は差し出されたチョコを見てポカンとする。

「別に、気を遣わなくても」

てっきりチョコを持っていない俺に同情して飯坂が貰ったチョコを差し出したのか思った。
一瞬眉を顰める。
だが、飯坂の方を見てギョッとした。

「…………」

彼は物凄く顔を真っ赤にしていたのだ。
倒れた日より顔を赤く染めて目を泳がせている。
そんな彼を見て思わずチョコと交互に見てしまった。まさか。

「お前が俺に……?」

飯坂は何も言わず深く頷く。

「ぷっ」

それを見てつい吹き出してしまった。
綺麗にラッピングされたチョコはどこかで買ったのだろう。
この時期どこもバレンタイン一色。
問題はそこだ。
女子に混じってこれを買ったのかと思うとおかしい。
しかも飯坂がゆでだこの様に顔を赤く染めて選んでいる姿は死ぬほど面白かった。
レジに並んだ姿が手に取るように想像できて益々笑いが止まらない。

「悪いっ…ははっ!別に馬鹿にしてるんじゃないぞ」

彼は笑う俺を困った顔でみていた。
このチョコにどんな意味が込められているのかは知らない。
飯坂の事だからお礼か何かだろうとは思う。
律儀な彼のやりそうな事だ。

「せせせんぱ、そんなに笑わなくても」
「ぷはっ、ホントごめん!」

俺は縮こまる飯坂の頭をポンポンと叩いた。

「さんきゅ」
「梧桐せんぱ…」
「じゃあ代わりに来月は何かやるよ」

素直に受け取るとカバンの中に仕舞い込んだ。
そして自転車の向きを変える。

「じゃあな」
「あ…せんぱ……!」

俺はひらひらと手を振ると颯爽とペダルを扱いだ。
飯坂が何か言いたげだったのにそれすら気付かなかった。
それだけ舞い上がっていたなんて、その時の俺が気付くはずもない。
だから俺は上機嫌のまま帰路を急いだんだ。

翌日の放課後。
今日も少しだけホームルームが長引いてしまった。
何せもうすぐ学期末テスト。
俺は騒がしい教室内をそそくさと出て行く。
そしていつもの様に近道をする為に急いだ。

「はぁ、はぁ…」

靴を履き終えた俺は部室練を通り抜け体育倉庫の脇を走っていた。
この道が一番駐輪場に近い。
俺は昨日の飯坂を思い出して笑みを浮かべていた。
結局今年貰ったチョコは飯坂のだけ。
唯一受け取ったチョコが男の物だというのも笑える。

「………ん?」

すると体育館に向かう渡り廊下が見えたところで、今まさに思い返していた張本人である飯坂を発見した。
俺は首を傾げるとそのまま立ち止まる。
彼は同級生らしき男達と渡り廊下を歩いていた。

「へぇ…」

飯坂が他の友人と歩いている所を見たのは初めてだった。
珍しいものを見た気がして思わず頷いてしまう。
…となると、今日は彼らと帰るのか?
こっちは負けまいと近道までして走ってきたのに。

「あんの馬鹿」

途端に俺だけが飯坂を意識している気がして胸の奥がざわめいた。
もっとも一緒に帰るなんて約束はしていないし、競争をし出したのも俺が始まりだ。
飯坂に責任がないことぐらい頭では分かっているのに、他の奴らと帰ると思うと苛々する。
俺は苛立ちの原因が見当たらなくて頭をガシガシと掻いた。
その間に彼は俺に気付かず体育館の方に行ってしまう。

「チッ」

思わず出てしまった舌打ちは八つ当たりというより自己嫌悪に近かった。
眉間に皺を寄せて唸った後に踵を返す。
(俺はただ飯坂がどんな奴と仲が良いのか知りたいだけだ)
そんな風に自分を言いくるめて飯坂たちが向かった方へと歩き出す。
その後姿は自分でも滑稽に思えた。

コツコツ……。

その後俺は彼らが向かったと思われる体育館の周辺を歩いていた。
追いかけようと思った時にはすでに姿がなかった。
てっきり体育館辺りに居ると思っていたのだがうっかりしていたようだ。
もうすぐテストなのは中等部も同じでとっくに部活はテスト休みになっている。
そのせいか普段は賑やかな体育館もしんと静まり返っていて逆に居心地が悪かった。
いつも人で溢れかえっている場所に誰も居ないというのは思ったより気味が悪い。

「ふぅ…」

段々と情けなくなってきてため息をついた。
自分で何をしているのか分からない。
何の用事もないくせに彼を探し回っているなんて何か変だ。
元々、面倒な事には関わり合いたくないと思っていたのに自ら進んで彼に関わろうとしている。
自分のペースを崩されるのは嫌だ。
そう思っているのは変わらないハズなのにどこか矛盾している。
行動と感情が伴っていないのはやっぱり変だ。
今でさえ強制されたわけでもないのにこの足は飯坂を探して歩き続けている。

「……帰ろう」

俺は独り言のように呟いて引き返すことにした。
口に出さないといつまでも彼を探し続けるような気がしたからだ。
自分が何をしようとしていたのか理解できない。
だから俺はそんな自分を払拭しようと駆け出した。

「……っだよ!」

するとそんな俺の耳に僅かな怒鳴り声が聞こえた。
一瞬顔を上げて辺りを見回してみるが誰も居ない。

――――ドクン。

その怒鳴り声に瞬間脳内にノイズが走った。
考えるより先に嫌な予感が胸を騒がせて思わず息を呑む。
すると先程まで帰ろうとしていた足がまた勝手に歩き出した。
俺は周囲を気にしながら足の赴くままに走り出す。
そして体育館脇にある花壇のところまで来た時だ。

「けほっっ…」

誰かが咽るような声が聞こえて俺は慌てて覗き見る。

「飯…坂…!?」

すると花壇の奥では一人の少年が腹を抱えて蹲っていた。
その傍には先程見た同級生が三人で囲んでいる。

「お前ら…」

見ればその状況がどういうものだかすぐに分かった。
目の前にいる少年たちが飯坂を傷つけたのだ。
すると瞬間湯沸かし器の様に怒りが噴き出て、無意識のうちに拳を握り締めてしまう。

「げっ!」
「おいっ。あの制服高等部だぞ!?」
「え!!」

その怒りに気付いた三人組はこちらを見て顔を真っ青にした。
何せそこは行き止まり。
幸か不幸か今は誰も来ない密室のような場所だ。

ボキッ、ボキッ。

俺は指を鳴らしながら一歩、一歩と彼らに近づいた。
そばで蹲る飯坂を見て怒りに歯軋りをする。
ただでさえ校則違反しまくりな俺の格好にビビッているのか彼らは後ずさった。
たとえ三対一とはいえ、背格好が全然違う。
どんなに悪ぶっていても所詮中坊は中坊なのだ。

「おいお前」
「ひぃっ!」
「今コイツに何をした!?」

俺は真ん中に立つガキの胸ぐらを掴むと締め上げた。
無言の圧力に怯えているのが手に取るように分かる。
それを見ていた二人もあまりの恐怖に泣きそうになっていた。

「べべ、別に俺らは」
「俺らは?」
「ひ…!」

言い逃れようとする彼らに眉を顰める。
片方の握り締めた拳はいつでもスタンバイOKだった。
それが脅しに見えたのか少年達は歯を鳴らすほどに震えている。

ガンっ――!!
「うわっ!!!」

俺はそばに置いてあったポールを力の限り蹴った。
それは大きな音を立てて転げていく。

「……ふん」

こんなに腹立たしいのに手をあげる気にはならなかった。
俺はポールを蹴ったと同時に胸ぐらを掴んでいた手を放す。

「はひ…」

掴まれていたガキは情けない声を出しながらその場に座り込んだ。
まるで腰を抜かしたとでもいいそうな顔で俺を見ている。

「なんでこんな事したんだ?」

後ずさる三人を睨みながらその場に仁王立ちした。
彼らは逃れられない事を分かってるのか俯いてしまう。

「…だって」

暫くしてその中の一人が口を開いた。
彼は思いつめたように下を見ている。

「飯坂のヤツ、今まで地味で空気みたいだったのに突然変わりやがって」
「じょ、女子達も目の色変えてちやほやしちゃってさ、なんかムカつく」

ポツリポツリと呟くように言い始めた彼らに、黙って聞いていた。
そんなところだろうと分かっていたからだ。
昨日の沢山チョコに囲まれた飯坂を思い出す。
今までクラスで地味だった同級生が突然モテ始めれば当然面白くない奴だっているだろう。
所詮人の脳は自己中心的に出来ていて、自分のスペックから越えた所にあるものを認めることは出来ないのだ。
そうなると人は二者選択を迫られる。
羨望か嫉妬か。
その二つはあまりに脆い紙一重で、人は皆その間を彷徨う事になる。
だから結果として羨んでいるくせに蔑んで貶めようとする者が現れるのだ。

それは遺伝子に隠された本能なのかもしれない。
特別と異端は言葉遊びほどの違いでしかないのと同じ。
それに敏感な人間の本能はすぐに敵だと決め付ける事が出来る。
その途端人は簡単に手を下す事が出来るから不思議だ。
可愛い赤ん坊も醜い害虫もその瞬間の主観でしかない。
つまり昨日まで空気だったクラスメイトも今の彼らにとっては害虫なのだ。
特に飯坂はコミュニケーション不足で人と接する事に慣れていない。
きっと周囲と溶け込む術を知らず、騒がれるまま何もいう事が出来なかったはずだ。
それを八方美人と思う人も居れば優柔不断だと不快に思う人も居るに違いない。

「…理由は分かった。今回は見逃してやる」

納得は出来ないが理解は出来る。
俺は殴られるのを覚悟している彼らに深く頷いた。
それを見ていた三人は僅かにホッとする。
だから俺はもう一度脅しのつもりで握り締めた拳を見せた。

「だけど勘違いするなよ」
「!」
「どんな理由であれ、次にコイツに手を出したらただじゃ済まないからな」

思いっきり上から睨み付けると彼らは何度も頷いた。
後の二人が座り込んだ少年を強引に立たせる。

「おい!!」

そのまま逃げようとする三人組を俺は逃がさなかった。
怒気を含ませて呼ぶとここから立ち去ろうとしていた三人組が息を合わせて立ち止まる。

「明日必ずコイツに謝れよ」
「はははっはひ!!」
「次に何かしたら、あのポールの様に蹴っ飛ばしてやるからな」
「ははっははは、はひ!!!」

少しへこんだポールを指差すと目を見開いて返事をした。
これ以上にないくらい顔色の悪い三人は逃げるように去っていく。

「……ったく」

彼らの間抜けな後姿を見てため息をついた。
未だに怒りに震えていた拳をしまうにしまえず途方に暮れる。
どうして殴らなかったのか。
それが自分の信条だから?……いや、それは違う。

「おい、平気か?おい!!」

飯坂の目の前でそういう事をやりたくなかった。
きっと彼なら自分が被害者であっても俺を止める。
「だだだっだめですよー!」
そういって泣きそうになる彼の顔が思い浮かんだ。
だから咄嗟に殴ろうとしていた拳を止める。
俺はただ、飯坂にそんな顔をして欲しくなかったんだ。

「おいってば!」

飯坂に駆け寄るが彼は気を失っていた。
抱き上げると目尻に溜まっていた涙が零れ落ちる。
手で押さえていた場所は真っ赤に腫れ上がっていた。

「ばかたれ」

もう少し早く駆けつけていたなら、彼に痛い思いをさせずに済んだのに。
肝心な時に無力な自分が憎らしかった。
今度は自分を殴りたい衝動に駆られるがぐっと抑える。
早く飯坂を安静な場所に連れて行きたかったからだ。

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