4

保健室に着いたが先生は不在だった。
俺は勝手に飯坂をベットに横たわらせる。
苦しくないように学ランのチャックを下におろした。

「んぅ…」

飯坂の眉間に皺が寄った。
同時に目蓋が震えて開かれていく。

「おい!平気か?」

目を開けた飯坂は虚ろだった。
俺は身を乗り出して彼を見つめる。

「ごと…せんぱっ…痛」

一瞬彼の顔が歪んだ。
咄嗟に腹部を押さえる。

「大丈夫か?」
「っぅ…なんでせんぱ…」
「たっ…たまたま通りかかったらお前が同級生にシメられてて…」
「え?」
「とっ…とにかくしばらく安静にしてろ!すぐに先生来るから」

俺はそういって彼に乗せた布団をポンポンと叩いた。
まさか飯坂が気になって後をつけたなんて事は死んでも言えるはずがない。
そんな自分が無性に照れくさくて情けなくて罪悪感で一杯になった。

「悪い…な」
「え?」
「もう少し早く助けられたら良かったんだけど」
「せせせ、せんぱ…」

バツが悪くて横を向いた。
現実はシビアで中々漫画のように格好良く助けに入る事なんて出来ない。

「でも安心しろ。あいつらにはキッチリ言っておいたから」
「え?」
「明日にはお前に謝ってくるはずだから、な?」

じゃないと今度はぶん殴ってやる。
俺はまた怒りで震えだす拳を飯坂に見えないところで押さえつけた。
不安がらせないようにニッと笑ってやる。

「あ、ありがとうございます!」
「おう」
「やっぱり先輩は宇宙一カッコイイです」
「ば、ばーか。いつから俺が宇宙一になったんだよ」

ついこの間まで世界一だったのに、いつから俺の格好良さが宇宙にまで轟くようになったのか。
そう問い詰めたかったのだが飯坂の顔を見て口を閉ざす。

「せんぱいは…カッコイイん、です」

彼は笑っているのに今にも泣きそうな顔をしていた。
そのアンバランスな表情は痛いぐらい俺に伝わってきて胸がぎゅっと苦しくなる。
俺の手は無意識に彼に触れようと伸びていた。
だからその手を強引にポケットにしまう。

「ばーか。ヘラヘラ笑ってんじゃねーよ」
「せんぱ…」
「泣きたい時に笑うな」

彼は大きな瞳で俺を見上げた。
沢山の水分を含んだ瞳は潤んで今にも溢れそうだった。

「……もう、大丈夫だから」

「ひっぅ…せ…せんぱい…ごと、せんぱい」

彼が俺を呼ぶたびにポロリと涙が零れる。
大きな雫がその小さな頬を伝っていく。
俺はそれを瞬きもせずに見つめていた。

「ふぇっ…ひっく、ひっぅ…ぅぅ」

まるで少女のように淡い泣き声が保健室に響く。
初めて見た彼の泣き顔はとても綺麗だった。
まるでココロの欠片を零すような雫は透明で純粋。
少しでも触れれば全てが壊れそうなほど脆くて繊細だ。
俺は躊躇ったままポケットで燻る拳に焦燥感でいっぱいになる。
……触れたい。
でもどんな加減で触れたらいいのか分からない。

「ごめなさっ…ひっぅ、ひっく」
「…っぅ…」

溢れ出るこの感情は優しさなのか、思いやりなのか。
判断に惑う部分で俺を縛りつけようとする。
目の前で泣く少年はいつも以上に小さくて可愛く見えた。
だから錯覚してしまう。
彼が恋しい…なんて。

「せんぱっ…せんぱい、ふぇ…」
「!!」

そんな俺の心情に気付かない飯坂は俺の制服を掴んだ。
胸元にうずくまろうとする。

「あっ…おい!」
「ごめなさ……少しっ。ひっぅ、少しだけ……こうして」
「お前っ!」

胸元に伝わる彼の体温、鼓動がじんわり染みて切なくなる。
飯坂が傷つけられて泣かされてあんなに腹が立っていたのに、気付けば違う事で頭がいっぱいになっていた。
俺の右足にしがみ付いてきた飯坂。
自転車で後ろから俺に触れた飯坂。
それを知っているのに、心はどこか違う場所で新たな発見に戸惑っている。
なぜならそれは開けてはならない感情の箱だからだ。
だから俺はそれを必死に押さえ込もうとしている。

「…っぅ…」
「あっ…!」

だが結局、そんな蓋は意味が無い。
俺はただの高校生だ。
悟りを拓いた仙人でもなければ、煩悩に打ち勝つ僧侶でもない。

「ごごごご、ご…と、せんぱ…!!!!」

気付けば俺は彼の体を抱き締めていた。
先程までポケットの中で居心地悪そうに握られていた掌で彼に触れる。
その行動に意味なんてなかった。
触れたい欲求に答えなんて見つかるはずが無い。

「痛っぅ」
「あっ、悪い!」

するとあまりに力強く彼を抱き締めてしまったせいで腹部を圧迫してしまった。
飯坂は一瞬痛みに顔を歪ませる。
気付いた俺は慌てて手を離した。

「やっ…!」

今度は飯坂が俺の腕を引っ張った。
そうして離れていこうとする俺を引きとめようとする。

「触れて…て」
「っ」
「おねが…」

すると飯坂によって導かれたのは先程痛めつけられた腹部だった。
彼はそこを俺に触れさせる。

「せんぱ…」

触れた瞬間彼はピクンと反応を示した。
しかし離れようとする俺を許さず彼が首を振る。

「はぁ、せんぱいの手…きもちい」
「だ、大丈夫なのか?」
「ん…せんぱ…に撫でられると、痛みが和らぐみたい…なんです」

まさか、そんなわけないだろ。
と、言おうとしたがやめた。
飯坂の冷たい指が俺を放すまいと僅かに力を込めながら制服の裾を握っている。
だから俺はゆるゆるとその部分を撫でてやった。

「はぅ…」

すると飯坂の表情はやっと綻ぶように笑った。
それが嬉しかったから今度は自主的に動いてみる。
そっと傷つけないように優しく触れる。

「せんぱ…」

飯坂は甘ったるい声で俺の名を呼んだ。
その声色に思わずドキンと反応してしまう。
いつもと変わらぬ声なのにどこか違って聞こえるのは俺だけなのだろうか。
どうして彼はそんな声で俺を呼ぶのか。
このままじゃよく分からない雰囲気に呑まれてしまいそうな気がして彼の顔をそっと見つめた。

「んんぅ、ふぅ…せんぱい、せんぱい」

さっきまで辛そうに泣いていたのに今はそれだけじゃない顔をしている。
切なくて寂しげなのに恥ずかしそうに戸惑っているのだ。

ゴクリ

その不安定な表情に思わず息を呑む。

「…っぅ…」

無意識のうちに湧き上がってきた欲は自分の理解を得ぬまま体を支配しようとしていた。
途端に飯坂の腹部を撫でるだけでは物足りなくなって思わず彼のシャツの中に手を差し込んでしまう。

「はぁぅ…!」

飯坂は少し驚いた顔で俺を見た。
その行為に対して引かれるかと思ったのだが、彼からの拒絶はない。
むしろそんな俺の行動に自ら布団をどかしシャツを捲り上げた。

「…痛く、ないか?」
「んぅ…平気っ、です。先輩の手、温かくてきもちい…」

うっとりと呟かれて不覚にもきゅんとしてしまった。
指先から伝わる飯坂の肌。
滑らかで吸い付くような感触はたまらなく男心を擽る。

「くぅっ…せんぱ、せんぱ…い」
「はぁ…っぅ…」
「んっ…ふぅ、ふぅ」

いつの間にか俺まで息を荒げていた。
飯坂と見つめ合いながら肌に触れる。
だがそれもまたすぐに物足りなくなった。
どんどん貪欲になっていく俺は触れる範囲を広げていく。
強弱をつけながら下っ腹やへそを擦っていく。
それはマッサージというより愛撫に近かった。

「ふにゃ…せんぱっ」
「っぅ…な、なんつー声出してんだよ」
「だって、ふぅ、ん」

飯坂の声が俺の下半身を刺激していた。
泣きそうな顔でそんな風に甘い声を出されたら嫌でも反応を示してしまう。

いつからこんな雰囲気になったのか。
俺にも良く分からない。
だがもっとこの声を聞きたい。
もっと触っていたいと思うとやめられなかった。
後からやってきた欲望が俺の純粋な心に一滴ずつ淫欲を垂らしていく。

「あっ…ぅせんぱ」

飯坂は男とは思えないほど綺麗な体をしていた。
同性だと分かっていてその肢体の虜になっていく。
外はもう真っ暗だというのに室内には荒い吐息でいっぱいだった。

「はぁ、はぁ…せんぱ…」
「ど…した?」
「んく、おれっ…おれ」

飯坂が涙をいっぱい溜めた顔で見上げた。
俺は吐息のかかるほど至近距離で飯坂を見つめる。
ゆるゆると体に触れる指はそのままに。

「ごと…せんぱいがっ……好き」
「え……?」

その瞬間思わず体が硬直した。
何を言われたのか理解できないまま飯坂を覗き見る。
そんな俺の反応に先程までこちらを見ていた彼は俯いて震えていた。

「すき…、すきっ…なんです…」

飯坂は消えそうな声で呟く。
その分かりやすい言葉が今は暗号のように難解だった。
ただでさえこんな雰囲気の中で動揺しているのに、更に俺の心を乱していく。
……好き、だと?
自分の体の奥まで落ちてきた言葉は噛み締めることも出来ずに降り積もった。
それがどういう意味なのか分かっているハズなのに、どう反応していいのか分からない。

「梧桐先輩が好きです」

見かねた飯坂が俺の手を取って自分の股間に押し付けた。
彼はきっとどういう意味で好きだと言ったのか混乱していると思ったのだ。

「んく…っ」
「お、前……」

触れたそこは僅かに熱を持ち始めていた。
膨らんだ股間に思わず目を見開く。
飯坂は俯いたまま唇を噛み締めていた。
こちらを見ようともせず体を震わせている。
俺の腕を掴んだ手も可哀想なぐらい震えていた。

「い――……」
ガラガラ――!!

すると前触れも無く突然保健室のドアが開いた。
それと同時にコツコツとこちらに向かってくる足音が聞こえる。

「なんだー?誰かまだ残ってるのかー?」
「!!」

それは明らかに保険医の声だった。
俺は気付いて強引に飯坂の手を振りほどいてしまう。

「!」

その後はもう飯坂の方を見れなかった。
傍に置いた自分のカバンを引っ手繰るように掴んでカーテンを開ける。

「なんだ?梧桐。居たのか」

すると先生が驚いた顔をしながらデスクに座っていた。

「先生。悪いけど飯坂の具合が悪いみたいだから保護者の人に迎えに来てもらって」
「は?」
「俺っ…ちょっと用事があるから」
「あっ!おい!?梧桐!!」

それだけ言うと先生の返事も聞かずに保健室を飛び出した。
未だ心臓がドクドクと脈打って息が乱れてしまう。

“「梧桐先輩が…好きです」”

目を瞑ればさっきの飯坂が頭を過ぎった。
触れた体の熱、飯坂の声、震えた掌。
全てが鮮明に思い出されて正常で居られなくなる。
“「い――…」”
あの時俺は何を言おうとしたのか。
呼んだ事の無い名前を言ってどんな言葉を発しようとしたのか?
今となっては自分でも分からない。
誰も居ない保健室。
美しい体に心が震えるほど欲を持て余していた自分。
思わず飯坂に触れていた右手を見つめる。
直に触れた肌は滑らかで優しい感触がした。
今も思い出すだけで胸がざわめきだす。
それは年頃ゆえの肉体に対する本能なのか、それとも飯坂と同じ恋なのか。

「っ……」

同じ、という部分で何か引っかかった。
こんなぐちゃぐちゃで綺麗とは思えない感情がアイツと同じではいけない気がしたからだ。
飯坂は綺麗。
彼の感情ほど無色透明なものを見たことがない。
だからちゃんと見つけてあげられなくて戸惑う事しか出来ない。

それなら俺の気持ちはどこに繋がっているのだろうか?

「雪だ……」

昇降口から見上げた空は真っ暗で白い雪だけが降り続いていた。
呼吸をするたびに視界に靄がかかる。
通りで寒いと思った。
そのくせ体の芯は先程の熱を覚えて火照っている。
俺は空を仰ぎ見た。
無数の雪たちが音も無く静かに舞い落ちる。
触れようと手を伸ばすがそれは感触も無く指先で消えた。
後から雪の冷たさを実感して手が悴む。
チラッ――。
俺は保健室のある方に振り返った。
とっくに誰も居なくなった校舎は静かでこのまま雪に呑まれて溶けてしまいそうに思う。
だから俺は飯坂の存在を忘れたフリをして雪の中駐輪場へと向かった。

――それから怒涛の学期末テストが始まった。
飯坂とはあれ以来会っていない。
帰りも駐輪場にやってくる事はなかった。
それはそうだ。
飯坂は俺に告白をした。
男が男に告白するという意味をアイツだって知っている。
現状この世界のほとんどは民主主義で出来ている。
所詮、民主主義など言い換えれば数の暴力だ。
大多数であることが正しいというねじれた正義の上で成り立っているといっても過言ではない。
ただでさえ少しずれた所にいる彼がそれに逆らおうとしているのだ。
どんな綺麗ごとを並べても男女の恋愛の比ではないことは確か。

「…はぁ…」

それでも告白した勇気を認めてやりたい。
あれだけ繊細な彼の一世一代の告白はちゃんと俺にも届いている。
でもなぜか会いにいけなかった。
彼の本気をわかっているからこそ、中途半端なまま会ってはならない気がしたのだ。
振り払った腕の感触は未だに尾を引いている。
きっと凄く傷つけてしまった。
誰だってあんな風に振りほどかれたら傷つく。
好きな人なら尚更。

大切なテストだというのに飯坂の顔がチラついて集中出来なかった。
彼は最後、どんな顔をしていたのだろう。
それだけが思い出せなくて歯痒く感じた。

キーンコーンカーンコーン
「それまで!」

チャイムと共に教師の声が耳に入った。
それと同時に持っていたシャーペンを机に置く。

「はぁ」

俺は後ろからやってきたテスト用紙に自分のを足して前の席に渡した。
思いっきり背中を伸ばす。
長かったテスト週間の終わりは実にあっけなく物足りなかった。

「梧桐。なぁ、梧桐!」
「ん?」

すると後ろの席の斉木に声を掛けられた。
俺は賑やかになる教室で彼の方に振り返る。

「テストも終わった事だし久しぶりにどっか行かね?」

斉木はもう帰る支度を済ませていた。
まだHRや掃除だって残っているのに彼の机の上にはカバンのみ。

「おー、わかった」
「よっしゃあ」

斉木は過剰に喜んでいた。
その反応がイマイチよく分からなくて首を傾げる。
それが彼にも伝わったのか俺の方に身を乗り出すと嬉しそうに笑った。

「お前ここ最近、全然相手にしてくれなかったじゃん」
「そーだっけ」

そういって自らの記憶を辿る。
だが記憶の節々に飯坂の存在があったからそこで中断する事にした。
今思い出しても仕方がないからだ。

「悪かったな」

とりあえず謝ってみる事にした。
すると口を尖らせた斉木が「ほんとだよ」と呟いている。
俺はその反応に苦笑した。
怒っているというより相手にされず拗ねているような口ぶりだったからだ。

「あ、先生が来た」

斉木の一言に俺はイスに座りなおす。
クラスメイト達も先生の登場に静けさを取り戻した。

その後HRと掃除は思ったより早く終わった。
俺と斉木は帰ろうと教室を出る。

「あ、ちょっと中等部の方に寄っていい?」
「は?」
「弟んとこ行かなきゃならねーんだわ」

斉木が昇降口で靴を履き替えながら中等部の方を指差した。

「はぁ?ちょ、おい!待てよ!」

俺の返事を待たずにスタスタと行ってしまう。
仕方がなく彼に付いていく事にした。
それは特別に飯坂を意識しているのだと思いたくなかったのかもしれない。
だが内心は複雑な思いでいっぱいだった。

「ちょっと待ってて」

一年二組の教室の前で斉木は止まった。
何の遠慮もなくずかずかと入っていく。
「斉木~。兄ちゃん来たぞー」
そこに居た生徒は高等部の生徒が来たにも関わらずさほど驚いた様子がなかった。
それだけで斉木が頻繁にここへやってきている事が分かる。

チラッ

俺は教室を覗いてみた。
内心、鼓動を速めている。
だがそこには飯坂の姿がなかった。
このクラスではないらしい。
そういえば俺は彼がどのクラスなのか知らなかった。
元々高等部と中等部の関わりは少ない。
俺が部活でもやっていれば交流する機会があったのかもしれないが生憎帰宅部だから仕方がない。

「………」

じゃあ飯坂は?
最初から彼は俺のいる屋上にやってきて俺の名前を知っていた。
それだけの事実である種の答えが見えてくる。

「ちょっと!飯坂!!」

すると突然隣の教室から怒号が聞こえてきた。
只でさえ飯坂の名前に敏感なのにその怒号に我に返ってしまう。

「タラタラしないでちゃんとやってよ!」
「すす、すみません」
「もう!」

明らかにうんざりといった感情はその言葉を通じて俺にも理解できた。
だから思わず隣の教室を覗いてしまう。

「あ……!」

隣の教室では未だに掃除中だった。
机が全て前の方に寄せられている。
その後ろでは先程の声の主と思われる女子が箒を持って怒っていた。

「はぁ、ほんとイライラする」
「ちょ、ちょっと沙紀ちゃん」
「だって飯坂がトロいんだもん!」

明らかに不機嫌な彼女は友人に宥められていた。
傍でちりとりを持った飯坂が申し訳なさそうに掃除している。
(えっ?)
俺は顔を上げた飯坂に目を見開いた。

「アンタそのダッサイ眼鏡どうにかしたら?」
「……………」
「せっかくモテモテ坊やになったんだから必要ないじゃない」
「さ、沙紀ちゃんってば~」
「人間誰だって一つぐらい何か持ってるよね~。良かったじゃん。アンタには顔があって」
「や、やめなよ~」
「でもさ、それしかないんだからせめて見せてあげたら?じゃないと今の飯坂はただの不必要なクラスメイトだよ?」

辛辣な彼女の意見にクラスはざわめいた。
その中心で飯坂は黙っている。
彼の格好は改造前に戻っていた。
分厚いビン底眼鏡にボサボサの髪の毛。
お陰で今どんな顔をしているのか分からない。

「何か言ったらどうなのよっ!!」

中学生ぐらいの時は女子の方が強かったりする。
それは女性の方が俺たちより成長が早いからだ。
どこにでもいる気の強い女子生徒。
それを前提に置いて考えていたから口を挟みそうになったのを我慢する。
部外者がヘタに介入してもこじれるだけなのだ。

「弱虫!のろま!」

これは女子生徒の八つ当たりに過ぎない。
たまたま不機嫌だったから攻撃的になっているのだ。
その証拠に周囲に居る彼女の友人はなだめようと必死。
それがまだ許される社会だからである。
大人になるにつれ、いずれ彼女もその態度を改めなければならないと知る日がやってくる。
もしそのままの態度でいればいずれ周りの人間が彼女から去っていくからだ。
そうやって人は成長していく。

「カッコイイ飯坂じゃないと価値なんてないよ」

だが最後に漏らした彼女の一言に納得がいかなかった。
あれだけ冷静にこの状況を分析していたのに、一瞬にしてその解析は途絶える。

バンッ――!!

気付いたら教室のドアを思いっきり叩いていた。
その音にクラス中の視線が集まる。
そこには以前飯坂を囲んでいた三人組が居て、ギョッとしながら俺を見ていた。

「今、なんっつった?」
「は…?」

突然入ってきた上級生に皆驚きを露にしている。
中でも飯坂はこれ以上にないほど目を見開いて俺を見ていた。

「どうして自分の価値を他人に決められなきゃならない」
「ごごご、梧桐せんぱ……」

俺だって飯坂を傷つけた。
自分に言う資格がない事は俺自身が一番分かっていた。
でも頭で考えるより先に口が動いてしまう。
後から零れてくる言葉に自分の方が驚いていた。

「そんなにお前は偉いのか?他人の価値を決められるほど優れた人間なのか?」

昔から面倒な事に関わるのは嫌だった。
こうして自分を見失うからペースを崩されるのも嫌だった。
でも、それ以上に飯坂を悪く言われるのは嫌。

「俺は、お前みたいな性格不細工より飯坂の方がずっと良い!」
「ご、ごとうせんぱい!!?」

すると勢いに任せて言ってしまった言葉に自分で戸惑った。
同時にクラスはしんと静まり返る。
皆目が点になって俺を見ていた。
「誰だコイツ?」状態なのだろう。
唯一先ほどの気の強そうな女子生徒が顔を真っ赤にして下を向いていた。
唇を噛み締めて黙って俺の話を聞いている。
彼女は生まれて初めて他の人間から指摘を受けたのだ。
みんなの前で砕かれた自尊心に悔しさと恥じらいを滲ませる。
それを見ると少しだけ冷静に戻れた。
同時に我に返ってしまう。

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