5

「……あ…ぶ、部外者が口を挟んで悪かった」

その重たい空気にいたたまれなくなって、今の状況を思い出した。
途端に恥ずかしくなって彼らに背を向ける。
今度は俺の方が飯坂を見られなくなった。
つい突発的だったとはいえ、何様のつもりだと問い詰めたくなる。

「じゃ、じゃあ」
「あっ…!」

俺はその空気を収拾することさえせずに教室を飛び出した。
後から自分のしたことの馬鹿さ加減に気付いて顔から火が出そうになる。

「おー!梧桐。どこいってたんだよー」

すると廊下に出た所で斉木が暢気に手を振っていた。
彼は用事が済んだようで俺を探していた。

「お前どうした?顔が真っ赤だぞ」
「うるせー。何も聞くな!」

彼に駆け寄るとバツが悪くて横を向いた。
今、自分が酷く情けない顔をしていることをわかっている。

「梧桐先輩!」

すると後方から飯坂の声が聞こえてきた。
同時にパタパタと駆け寄って来る足音が廊下に響く。

「はぁはぁっ…あの!」
「…っぅ…」

今の顔を飯坂には見せたくなかった。
こんな格好悪い顔など見せられるわけがない。
だから思わず顔を背けた。
「梧桐先輩…」

すると飯坂が後ろから俺の制服を掴む。
ぎゅっと力強く。
それは絶対に離さないという無言の圧力だった。

「梧桐?…誰?そいつ」
「え…あ……」

目の前で一部始終を見ていた斉木が間の抜けた声で聞いてきた。
俺は説明に戸惑ってどうしていいのか分からなくなる。
ただでさえ先ほどの自分らしくない行動に動揺しているのに、これ以上混乱したくなかった。
それぐらい自分の中では余裕がなくいっぱいいっぱいになっていたのである。

「せんぱ…」

だが後ろに引っ付く飯坂は消えそうな声で俺を呼んだ。
僅かに服を掴んだ手が震えている。

「……っ」

それだけであの雪の日にフラッシュバックした。
彼の体温、声、吐息。
蘇った情景は俺の心の中を抉るようにして貪る。
浅ましいほどの感情はグラグラに揺れて沸騰しそうだった。
冷静でいられない自分、平常心でいられない自分。

「ああっ、もう!」
「わっ…!」

どうにでもなれ!と思った。
だから俺は飯坂の手を取る。

「悪い斉木!ちょっと用事があるから今日は無理!」
「は!?え、ちょ!」
「この埋め合わせは必ずするから!!」
「あ、おいっ!」

俺はそういうと飯坂の手を取って走り出した。
後ろで戸惑う彼に見向きもせず立ち去る。
面倒なことがまた増えてしまった。
自分自身を呪いながら飯坂の手を握る。
だが、気分は上々で後悔していない事を知っていた。

「はぁっ、はぁっ…せんぱ!」

どれぐらい走ったのだろうか。
俺は屋上に続く階段辺りまで来ていた。
この辺は人の気配がまったくない。

「ぎゃひ!」

走り続けてフラフラになった飯坂が階段を踏み外した。
お陰で周囲に奇声が響き渡る。

「はぁ…とりあえず…お前、その変な声どうにかしろ」

幸い俺が彼の手を掴んでいたお陰で転げ落ちはしなかった。
安堵してぐいっと引っ張り上げてやる。

「はぁはぁ…だっ…せんぱ」
「いいから息を整えろ」

体力がない事は百も承知だ。
だから屋上の扉手前で彼を座らせる。
今日の明け方まで雪が降っていたせいで外は極寒だった。
さすがの俺もそんな状態で屋上には出たくない。

「はぅ~…」

飯坂は深く息を吸って深呼吸していた。
肩が大きく上下に揺れている。

「…悪かったな」

俺はそんな彼の後姿を見ながら謝った。
飯坂は激しく首を振りながらこちらに振り返る。

「ごご、梧桐先輩は悪くないです!!」

久しぶりに見た飯坂の眼鏡姿は新鮮だった。
分厚い眼鏡の奥で大きな瞳がキラキラしている。
ついじっと見過ぎていた様で飯坂の顔は見るからに赤くなった。
まるで沸騰したお湯のようである。

「そそ、そ、それより…」
「ん?」
「ささささ、さっき…」

目を泳がせた飯坂は照れくさそうに俯いた。
その反応に思い当たる節がなくて眉を顰める。
飯坂の顔は締まりをなくし、だらしない笑みを浮かべた。

「さ、さっき…梧桐先輩、初めてオレの名を呼んでくれましたよね!」
「はぁ!?」
「おおお、オレ、嬉しくて嬉しくて…えへへ」

デレデレ照れた飯坂は恥ずかしさを隠すように後頭部を掻いた。
チラッとこちらを見ては目を逸らし、またこちらを見る。

「言ったっけ…?」

それは決して意地悪ではなく、マジボケだった。
さっきまでの自分は頭に血が上っていて何を言ったかハッキリとは覚えていない。

「せせせんぱい~!」

飯坂は泣く二秒前のような顔で俺を見た。
すがり付いて「覚えていないんですか!嘘ですよね!?」と言い寄る。
先ほどまでの照れた様子とは似ても似つかない顔をしていた。

「ふ…」

その顔に思わず肩の力が抜ける。
次に会った時、きっと気まずいと思った。
前のように自然ではいられないと覚悟していた。
ギクシャクした態度を想像したのに、彼は変わらずに無邪気で無防備だ。

「そんなに名前を呼んで欲しかったのか?」
「あああ、当たり前っ…じゃないですか」
「そっか」

彼は照れているのを隠すように口を尖らせた。
些細な仕草が可笑しくって飯坂の隣に座る。

「ふぅ…」

久しぶりに座る飯坂の隣。
背格好は違うのに居心地が良い。
俺はゆっくりと呼吸をしながら空気の感触に浸っていた。
あれこれと堅苦しく考えていた思考はどこかへ吹っ飛び、今はただこの空間で息をしていたい。
それはまるで湯船に浸かったような心地良さだった。

「……梧桐先輩」

飯坂は恐る恐る俺の袖を掴む。
遠慮がちな仕草に彼の顔を覗き込むと耳が真っ赤になっていた。

「おお、オレのこと、気持ち悪いって思ってるのは分かっているんですけど、さっき本当に嬉しかったんです」
「そうか?随分おせっかいというか余計な事をした気がするんだけど」
「そそそんなことないです!…オレっ…もう二度と先輩に会ってもらえないって思っていたから」

それが率直な感想だろうと思った。
俺だって彼に会うことに対して躊躇っていたわけだし。

「だから、あんな風に言ってもらえて嬉しいです」

それでも飯坂は素直だ。
どんな時も偽る事をせずに素直でいる。
それは意外と難しい事だと思う。
相手の意見を受け入れる素直さ、どんな時も嘘を付くことのない素直さ。
自我がある以上、無意識に己の中で境界線を引いてしまう。
例えば「相談がある」と言いながら実際は自分の中で全て決めていて、それを肯定して欲しいだけとか。
「大丈夫、出来る」と言われても「無理だ」と自分で勝手にセーブをかけて諦めてしまうとか。
そういうものを飯坂は己の素直さを糧にして乗り越えていくから凄いと思った。
実際に彼から上記の様な言葉を聞いた事がない。
俺が言った事は必ず成し遂げるという強さがある。
何の根拠もない素直さ。
でもそれが飯坂の素晴らしいところだ。
人間は器用になる事を覚え、卑怯になる事を知る。
小手先だけで世の中を渡っていく人間を上手いなと思う。
飯坂の様にありのままを突き通す人間は損ばかりしている。
だけどそんな不器用さが愛しかった。

「……なぁ」

俺は袖を掴んでいた彼の手を放すと自らその手に触れた。
その行為に驚いた飯坂が顔を上げる。

「どうして元に戻ったんだ?あれだけ変わったのに」
「あ…」
「それになんで変わろうとしたんだ?お前」

本当はその理由に気付き始めている自分が居た。
今までの彼を見ていればさすがに俺だって気付く。
だけどあえて彼の口から聞きたかった。

「そそそ、それは…」
「ん?」
「はぅ……」

飯坂は分かりやすいほど困った顔をしていた。
眉間に皺を寄せて唸っている。
それはどこから説明していいのか分からないといった感じだった。

「…ほ、ホントはずっと前から梧桐先輩が好きだったんです」
「うん」
「先輩凄く目立ってて格好良くて、誰に何を言われても動じない姿とか尊敬していたんです。オレ、地味ですぐに他人の意見に流されちゃうから」
「ちょ…ちょっと待て」
「え?」

妙に引っかかって俺は彼の話を止めた。
自分で言うのもなんだが俺だって地味な学校生活を送っている。

「俺、別に目立ってないぞ」

自分の学校生活を振り返りながら唸った。
飯坂のいうような俺はどこにもいない。

「めめめ、目立ってましたよ!!」
「え」
「先輩必ず、服装チェックの日、校門で先生に怒られているじゃないですか!」
「………………」
「それに高等部の職員室に行くといつも先生が「梧桐はまたサボりかー」って嘆いているし、生徒指導室から怒鳴り声が聞こえたり…」
「……………」
「あ、あと全校集会の時とかいつも――」
「もういい!」

俺は指折りで数えながら話す飯坂にストップをかけた。
それは人目を引くというよりただの悪目立ちではないか。

「とりあえず、お前一発殴らせろ」
「え、ええええええ!!?」

すると飯坂は「なんで!?」と理不尽極まりない顔で後ずさった。
俺は自分の震える拳を握りボキボキと指を鳴らす。

「かっ、カッコイイじゃないですか!」
「どこがだよ!馬鹿かお前!」
「横暴です~!暴力は反対です~!」
「黙れっ」

あれだけ褒めちぎられていたから、もっとマシな答えかと思った。
散々な理由に聞かなければ良かったと後悔する。

「はぁ…お前に期待した俺が悪かったんだ」

そうだ。
飯坂に変な期待をするほうが悪いのだ。

「わっ。せっかく恥ずかしい思いをして言ったのにバカにしてません?」
「ふぅん。それぐらいはお前でも気付くのか」
「うぅ~!オレ間違った事、言ってないですもん」

それはコイツの態度を見れば一目瞭然だ。
問題児扱いをされている俺をカッコイイと本気で思っていたのだ。
自分とはまったく違う世界にいるからこそ抱く憧れ。
でもどこか釈然としないのはなぜだろうか。
身から出た錆だと分かっていて頭を抱える。
それはやはりまともな理由を期待していたからだ。

「~っ…カッコイイんです!!」

すると飯坂は触れていた手を握り締めた。
そして俺の方に引っ付いてくる。
肩口に置かれた頭は少し重くていい香りがした。

「先輩は格好良いんです。誰が何を言おうとオレの憧れなんです」
「分かったよ。分かったってば」
「むぅ~…」

俺の答えに納得していないのか、彼は口を尖らせたままだった。
飯坂を宥めようと、そっと彼の腰を抱き寄せる。
その途端、飯坂は真っ赤な顔をして縮こまった。

「ぷっ。なんだお前」

自ら甘えるように引っ付いてくるのに俺が触れればとんでもない顔をする。
思えば始めからそうだった。
積極的なくせにすぐ照れて、恥ずかしい事を平気で言うくせに吃る。
どこか彼を形成しているものはアンバランスでギャップがあった。

「だだだだ、だって…せんぱ、の手が…」

そういう部分に惹かれている自分がいることは知っている。
じゃなきゃここまで俺が付き合うはずがない。
嫌だ嫌だと言いながら結局彼と一緒に居たのは紛れもない事実だ。

「………俺も変人なのかもしれない」

こうして自分の傍で慌てふためく飯坂を愛しく思ってしまう時点でイっちゃっているのかもしれない。
所詮、恋など脳がそれを認知するかどうかだ。
何せ人には愛と名が付く感情は沢山ある。
その中で恋しいという想いに気付くのは随分な確率だ。
同性ならなおさら。
でも人はそんな堅苦しい考えを放り投げて恋をする。
どんな評論家も学者も難しい理論を放棄して愛を謳うのだ。

「………なぁ」
「え?」
「俺…お前のこと好き、かも」
「!?」

飯坂は俺の言葉に身を仰け反らせるほど驚いた。
どんな言葉も出てこないのかあんぐりと口を開けたままこちらを見ている。

「ふにゃ~………」
「あっ!おい!!」

飯坂がこちらに倒れこんできた。
どうやらあまりの衝撃に目を回しそうになったらしい。

「ふに…ししし、しぇんぱ…」

顔を真っ赤にした彼の瞳はぐるぐる回っていた。
それを見てから少し早まったかと後悔する。

「あ…俺やっぱ……」
「男に二言はなしですよ!!!先輩!!」

飯坂はそれだけは譲れないと言わんばかりに叫んだ。
目を回してヘロヘロのくせにキッとこちらを睨む。
その必死さが間抜けで思わず苦笑を漏らした。
だから俺はぎゅっと抱き締めてやる。

「いいから人の話を最後まで聞けよ」
「だって、せんぱ…今、絶対に後悔した!」
「ま、まぁ否定はしないけど」
「ひひひ、否定して下さい!!」

今にも泣きそうな彼は俺の腕の中で喚いた。
だけど威厳はない。
何せビン底眼鏡がずれて随分、情けない顔をしているからだ。

「俺さ、お前の事好きだけど…未だによく分からないんだ」
「え…」
「この感情がお前に見合っているのかって」

飯坂の気持ちはちゃんと伝わっている。
でも俺の気持ちは彼と同じなのだろうか。
告白されてからずっと考えていたのだが、どうしても答えは見つからなかった。
物質的に見えれば簡単なのに、それを証明するものがないから困る。
俺しか知らないくせに俺自身も自信がない。
この感情が飯坂のように綺麗なのかどうか。

「俺はお前の思っているような男じゃないかもしれない」
「せんぱ…」
「望むような恋人でいられるか自信がない」

飯坂はただ俺が好きでそれでいいのかもしれない。
こうして触れる事が嬉しくて甘えてくるのは分かっている。
でもそれじゃ俺は物足りなくなる。
雪の日、俺は自分の強欲さに気付いた。
男同士なら肉体的に無茶をするのは構わないと思う。
でも出来れば心は無茶をさせたくない。
好きだと言っただけで目を回すような彼に自分の望みは間違っているような気がした。
それなら彼らしい優しい恋愛を叶えてあげられる人間を待った方がいい。
じゃないと俺の欲で汚してしまう。

「俺は……浅ましいよ」

触れていられるだけで満足なんて年齢はとうに過ぎた。
四つも年下の少年を卑猥な目で見ている自分に嫌悪する。

「仲良しこよしなんて無理」
「ん、せんぱ…」
「きっとお前をめちゃくちゃに抱きたくなる」

飽きることなく何度でも欲してしまうだろう。

「……責任、取れないから」

あの日、あの雪の日に触れた彼の性器を思い出す。
あの時つかまれた腕は可哀想なぐらい震えていたんだ。
直に触れるからこそ分かる彼の想い。
それを自分勝手な欲望で傷つけても責任なんてとれない。
否、安易に責任をとってやるなんて言いたくなかった。
大切だからこそ、なおさら。

「…梧桐先輩…」

するとずっと口を閉ざしていた飯坂が俺の胸元に頬ずりした。
見下ろせば「えへへ」と暢気に笑っている。

「先輩ってものすごーくオレが好きだったんですね」
「く…ぅ」

俺はその言葉にこめかみが痛くなった。
飯坂から言われると無性に苛立つのはなぜか。

「うるせーボケ!」
「ひひゃいてすっては~」

彼の頬を抓ってやった。
リスの様に頬が伸びて泣きそうな顔をする。

「ふん」

離した後も彼はずっと頬を擦っていた。
俺に聞こえないほど小声でブーブー言っている。

「もー先輩は相変わらず激しいんだから~」
「誤解を招くような事言うな」

真剣な話をしたはずなのにこの空気はなんだ。
飯坂にかかるとどんな雰囲気も和やかになるから不思議。
そして俺は結局振り回されているのだ。

「オレは先輩なら何をされても構わないです」

すると飯坂は突然突拍子もないことを言い出した。
俺はギョッとして思わず顔を覗き見てしまう。

「お前意味分かって」
「し、失礼です!そこまで子供じゃないですってば~!」

それはそうでも飯坂の口から大胆な言葉が出てくるとは思わなかった。
思わず顔を顰めてしまう。

「…あの、さっきの続き、なんですけど…」

すると飯坂は言い辛そうに顔を背けた。
俺は何の事だと首を傾げる。
そんな俺に小さな声で「自分が変わろうとした理由です」と付け足した。

「そ、そのっ…な、何度も打ち明けようと思っていたんですけど…」
「え…」
「オレが変わりたかったのはクラスの人気者になる為でも、女子にモテる為でもないんです!」

勢い良く宣言されたがそれこそ意味不明だった。
俺に改造を頼んできた理由は分かっている。
俺を好いているから。
だがなぜ変わろうとするのか分からなかった。
初めはクラスで孤立していたから人気者になりたいとか、女子から良く思われたいとか、そういう理由かと思っていた。

「じゃあ、なんで…?」

あれほどの決意を持って変わろうとするのは難しい事だ。
飯坂のように保守的な人間ならなおさら。

「せせ、先輩に似合う男になりたかったんです」
「…!」
「先輩がプロデュースしてくれたら、先輩好みに近づくのかなぁって」
「おまっ…」
「ついでにお知り合いにもなれるし、一石二鳥かなって思いました!えへへ」

何が「えへへ」だよ。
俺は突っ込む気力もなくてガクッと項垂れる。

「もしかして、元に戻ったっていうのは…」
「はい。もう先輩に会えないって思ったから」
「はぁ………」

コイツの無茶加減を侮っていたようだ。
だって普通、好きな人の為とはいえたった一人の為にそこまで無茶が出来るのか?
特に飯坂はこの件のせいで同級生にシメられたりしたのだ。
嫌な思いをしてまで他人の為に変わりたいなんて理解できなかった。

「お前、自分がなさ過ぎ…」

呆れてため息をついた。
すると飯坂は膨れっ面になって珍しく反抗的な目で見る。

「だってだってだって!」
「なんだよ」
「梧桐先輩が好きなんだから仕方がないじゃないですかー!」
「はぁ?俺のせいかよ」
「だって…」

きゅうとしがみ付いた飯坂はムッとしたまま目に涙を浮かべている。

「うぅ…先輩がホントに大好きで、好きで…すきで、死ぬほど好きなんですもん…」
「あのな~」

自分でもよくここまで好かれたと思った。
だけど素直に俺への想いを口にする飯坂は可愛いからずるい。
いつの間にかこちらの毒気を抜かれてしまう。

「分かったよ。だから死ぬな」
「ふぇ~死ぬなんて言ってないじゃないですか~」
「だって死ぬほど好きなんだろ?」
「はぅ…好きです…」

そこは否定しないんだ……、なんて頭の中で突っ込んでから苦笑した。
その代わり優しく頭を撫でてやる。

「へへ~」

するとさっきまでの不機嫌はどこ吹く風だった。
目一杯に笑った飯坂は嬉しそうに頬ずりする。
幼さを残した仕草に俺まで顔が綻んで笑ってしまった。

「変なヤツ」

もしかしたら俺は思っている以上にコイツのことが好きなのかもしれない。
いや、かもしれないという曖昧な表現じゃダメだ。
きっとずっと、俺は飯坂に惚れている。

「……歩…」

俺は彼の耳元でそっと名前を呼んだ。
耳たぶを甘く噛む。

「ひゃあ!」

飯坂は俺の腕の中でビクビクと震えた。
どうやら感度は抜群のようである。

「せせせせせ、せ、せせ」
「せ?」

「せんぱっ…今!はぅ…な、まえ!名前っ!」

飯坂は、ずれた眼鏡を直すのも忘れて俺に詰め寄った。
先ほど甘噛みした耳たぶは虫に刺されたように真っ赤だった。
今度は彼のおでこや頬にキスをする。

「ぎゃひ!うひょ!」

そのたびに飯坂は奇声を発した。
なにやら彼は混乱をしているらしい。

「だからその奇声何とかしろよ。お前のせいで雰囲気も何も無くなるだろ」
「だだだ、だってせんぱ…これ!うひっ」

せっかくの良い雰囲気もぶち壊しである。
最初は我慢していた俺だが、さすがに仏ほどの心の広さは持ち合わせていない。

「いい加減にしろ!」

ゴンっ――!

思わず一発殴ってやった。
それでも彼は顔を真っ赤にしたまま変わらない。
反応がないというのもつまらなかった。
俺は彼の頬に手を差し伸べてぐぃっと上を向かせる。

「せせせ、せんぱ…」

そして彼の眼鏡を外した。
動揺した飯坂は先ほどから目を泳がせてこちらを見ようともしない。
  

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