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「ひ、卑怯……です……」

僕の言葉も全部無視。
彼を助けるために現れたのに気を遣われている。
自分の幸せと言っておきながら本当は僕のことしか考えていない。
(……じゃあもしかして今日のことも全て僕のことを考えてしてくれたのだろうか?)
自分の幸せを叶えてもらうためだと思っていたのに。

「変な……人間」

僕は小さく呟いた。
その声は闇に溶ける。
そばにある温もりが本当に暖かいから変な気分だ。
……まるで僕まで人間になってしまったような錯覚を起こす。
そんな自分の感情に苦笑いをしながら僕も目を閉じた。

――次に目が覚めたのはピピピピと鳴る目覚ましの音だった。

「……ん、朝か」

眠い目を擦って音のほうに手を伸ばす。
なんとか目覚まし時計が止まると自分の寝床が異様に広いことに気付いた。

「おじさん? …………あ」

辺りを見回せば畳みの上で大の字に寝そべる彼の姿がある。
これじゃ布団も毛布も意味が無い。

「……はぁ……」

僕はため息を吐くと彼の体を揺さ振った。
どうやら彼は朝が弱いらしい。

「……ん、ぁ……」

微かに意識を取り戻すがおじさんの中では些細なことだった。
まったく起きる様子はない。

「起きてっおじさん! おじさん!」

今度は耳元で怒鳴ってみた。

「………るさい……」

だが言葉は発しても意識がないようである。
すぐに深い眠りに落ちると変わらず寝息をたて始めた。

「……まったく……」

呆れてものが言えない。
だがこのまま放置出来るほど薄情な座敷わらしではなかった。
僕は彼の体に覆い被さる。
そして冷たい指先で頬に触れると耳元に口を寄せた。

「……起きないと殺しちゃうよ?」
「ヒィっ――!?」

さすがにこれには目を見開いた。
おじさんの目は瞳孔が完全に開き恐ろしげに僕を見ている。

「ぎゃぁあぁああ――!!」

そして僕が口を挟む間もなく彼は叫び声をあげた。
だから彼の驚きようにゲラゲラ笑い目元を拭う。

「あははっおじさん、僕だよ」

昨日の今日ならこんな反応をしたっておかしくない。
それでも想像以上の反応が面白かった。

「……ま、しろ……?」
「ん、おはようございます」

未だに寝呆けが抜けないおじさんは手を這わす。
ゆっくりと僕の頬に触れると安心したせいかホッとため息をついた。

「お前が言うと洒落にならないよ」
「えっ? 僕の使命は一応おじさんを幸せにすることなんだけど」

僕がそう言うと「あーはいはい」と、言って流してしまった。
それがちょっと面白くない。
そんな僕を見ながらおじさんは起き上がった。

「すげー。オレがこんな早く起きれるなんて」
「僕のおかげですよ」
「えぇ~? 毎朝あんな起こされ方をされたら確実にオレの寿命は縮まっちまうっ」

おじさんは本気で嫌そうに顔を歪ませる。
僕は体を退かすとクスクスと笑った。

「やべっ行く用意しないと」

そうして起き上がると急いで台所に向かう。
鏡を立て掛けると顔を洗い歯を磨き髭を剃り始めた。
僕はそれをじっと見つめる。

「ちょっ……ちょっと豪快過ぎるんじゃないですか?」

顔と歯はちゃんとしてるのに髪の毛と髭は大雑把過ぎる。
いや大雑把というより適当なのだろう。
せっかく髭を剃ったのに剃り残しがあるし、髪の毛だって櫛をささっと通しただけだった。
おじさんは見た目三十代なんだしまだまだお洒落に気を遣う年ごろだと思う。

「んー、そうか?」

だけどおじさんは無頓着だった。
まったく気にする様子はない。
それにワイシャツだってアイロンしてない皺だらけのままだった。

「…………はぁ……」

でもひとつ忘れてはならないのは僕がただの座敷わらしだっていうことである。
僕は彼の妻ではない。
ましてや何の関わりだってないのだ。
口を出す理由なんてない。
僕は喉の奥から出そうになった“余計な事”を押し込めると黙っておじさんの用意を見ていた。

カチン

するとトーストが焼けたみたいだ。
音と共に香ばしい薫りが室内に充満する。

「……ほれ」

見上げれば笑顔でトーストを差し出すおじさんがいた。

「ありがとうございます」

僕はそれを受け取る。
いつの間にセットしていたのかまったく気付かなかった。
おとなしくトーストをかじる。
すると歯ごたえの良い触感と共に優しい味が口の中いっぱいに広がった。
もちろん食べたのは初めてである。

「悪いな。オレの家にはバターもジャムもないけど」
「いえ。お構いなく」

二人して立ったまま黙々とパンを食べる。
なんだかそれがおかしかった。
お互い目を合わせるとクスクス笑う。
そしてまた一口パンをかじった。

「あの」
「ん?」
「今日は僕も会社の方にお供しても良いですか?」

まずは幸せにする相手のことをしっかり知っておかなければならなかった。
生憎、座敷わらしは千里眼を持っていない。
だから自分の目で彼の様子を観察しなければならないのだ。

「いいけどちゃんと良い子にしてるんだぞ?」
「なっ、おじさんは意外と失礼ですね! 僕の方が年上なんですよ!!」

僕は子犬みたいにキャンキャン吠えるがおじさんはまったく相手にしてくれなかった。
子供の姿をしているが、もう何千年と生きているのである。

それでもおじさんは「そうなんだ」なんて言って呑気にあくびしていた。

「もういいです!」

これ以上相手にしていたら僕の方が疲れてしまう。
だからあっかんべーをするとプイと横を向いた。

「あのなー、年上だったらそれ位で怒るなよ」
「ですがっ」
「ホラ、会社に行く時間だぞ」

するとそう言って鞄の中を整理して立ち上がった。
慌てて僕も後に続く。
彼は上着を羽織りながら靴を履いていた。
(あーあ。やっぱり布団もそのまま)
僕も出かけようとドアの前に立つが、後ろの汚い部屋の様子が恐くて振り返られなかった

「……ん、どうかした?」
「いえ。……なんでもありません」

僕は素知らぬ顔をしてスッとドアを擦り抜ける。
その様子を見ていたおじさんはぎょっとした。

「すげーな。真白」
「だから僕は座敷わらしなんですー!」

いちいち人間と比べられたらたまらない。
僕は身振り手振りを使って懸命に話すがちゃんと伝わってるかは定かじゃなかった。

「それからおじさん」
「ん?」
「町中であんまり僕に話し掛けないほうがいいよ」

僕はそう言って先に歩きだした。
じゃないと近所の目が気になる。

「僕の姿は他の人には見えないんだから」

周りからみておじさんは独り言を呟いているようなものだ。
ハッキリ言って不審者にしか見えない。

「おお。そうか」

おじさんは僕につられて歩きだした。
二人は並ぶ。

「わっ」

すると急に手を繋がれた。
僕は目を見開いておじさんを見上げる。

「ちょっとおじさ、話を聞いて――」

僕は手を放そうとした。
言っている傍から彼は聞いてくれない。

「無言なんて寂しいじゃん」

おじさんはそう言うと強く握り締め放そうとしなかった。
だから僕は文句を言おうと見上げる。
しかしもう取り合ってくれなかった。
彼は僕の存在など無いかのように真っ直ぐ前を見ている。
だけど手だけは繋がれたままだった。
(どこまで甘ちゃんなんだよ)
口に出さず心の中で呟く。
だけどおじさんがあまりに満足そうだから何も言わなかった。
わかってるんだか、わかっていないのか。
どこまでもマイペースな彼の姿に不安は募る一方だった。
だけどおじさんの周りを流れる空気は居心地良い。
それはやっぱり彼の魂が気高く綺麗だからだ。
(とにかく僕が今するべきことは彼をよく知ること)
僕はもう一度おじさんを見上げると少しだけ彼の掌を握り返した。

それから会社に向かったが結果は僕の予想通りだった。
仕事はとりあえず頑張っているようだが彼の弱点。
……それは異性というもの。
女子社員達はおじさんのことをよく思っていなかった。
それは当たり前というべきだだろう。
女子というのは不衛生なものを嫌う。
見た目清潔に見えないおじさんを嫌うことは当然のようなものだった。
極め付けがおじさんの話し方である。

「おじさんおじさん!」

僕は仕事中のおじさんを手招きして呼び寄せる。
すると彼は首を傾げて近寄ってきた。

「あの……」

僕は辺りを見回しながら誰もいないことを確認する。

「もしかしておじさんは女の人が苦手なの?」
「い゙っ」

するとおじさんは目を見開いて顔を赤く染めた。
(……やっぱり)
同性の上司部下や同僚には僕同様に気さくでいいヤツに映っている。
別に嫌われている様子はなかった。
だが女性の前になると上手く話せないのか目も合わせずどもってしまう。
それが余計に彼女達の反感を買っていた。

「……なんで……?」
「……な、なんでって――っていうか」

おじさんは顔をポリポリ掻く。
言いづらいといった彼の心境がありありと伝わった。

「オレっ……中学高校と男子校だったし大学でも女の子と遊ばなかったから……」
「………は……?」
「だから……その、上手く接することが出来ねぇんだよっ」

すると猛烈に顔を赤らめたおじさんはキッと僕を睨んだ。
まるで笑われることを覚悟しているような眼差しに僕は頬笑む。
それは決して馬鹿にしているという意味ではなかった。

「……変じゃないです」

素直にこの人が可愛いと思ったんだ。
僕自身こんな気持ち初めてでうまく説明が出来ない。

「真白?」

僕はゆっくりおじさんの手を取り握り締めた。
その手のひらは僕よりずっと大きくて逞しい。

「僕がそれを治してあげるから……」

この人の良さに多くの女性が気付きますように。
そして彼の中にある戸惑いや恥じらいが消えますように。
僕の祈りは神へと届く。

「……っ……や、やめろよっ!」

だが途中で彼が僕を突き放した。
思わず目を見開く。
目の前には不貞腐れて横を向いたおじさんがいた。

「え? ……な、んで……」
「……いい……」
「どうしてっ!?……おじさんの女性問題が解決するんですよっ」

まさか突き放されるとは思わなかった。
もっと幸せになりたいと願う人間は沢山見てきたが、願いを拒絶する人間はみたことがない。

「……いいんだよ……」

おじさんは軽く笑って僕の手をとった。
そして今度はおじさんが僕の手を握り締める。

「――お前はこうして両手を握り締めて願えば叶えることが出来るのか?」
「えっ、ぁ……はい……」

質問の意図が掴めず首を傾げた。
そんなおじさんは僕を見下ろす。

「……そうか……」

だけどおじさんはそれ以上何も言わなかった。
僕の手を離し頭を撫でると自分の仕事場に戻っていく。
(……な、なんなんだろう)
僕はその後ろ姿にはてなマークを浮かべた。
あれじゃまるで願いを叶えること自体を自制させているみたいだ。
でもそれでは僕がここにいる意味がない。
そして忘れてならないのは彼の魂が僕を呼んだということだ。

「……はぁ」

僕はよくわからない彼の心理を探るように見つめ続けた。

***

「真白、今日お前ずっとオレを睨んでただろ」
「べっ別に睨んでたわけじゃ」

仕事帰り僕らはまた並んで歩いていた。
すると突然おじさんの携帯が鳴る。

プルルルル――。

おじさんはポケットから携帯を取り出すと電話に出た。

「おーどうしたんだよ」

何やらおじさんは楽しそうに笑っている。
その様子を見ながら相手は誰なんだろうなんて余計なことを考えていた。

「真白、悪いんだけどさ」
「え……?」

いつの間にか電話を切っていたおじさんは僕を見ている。

「これから友達と飲みに行くから先に帰ってろよ」

そう言って鍵を差し出した。
申し訳なさそうに笑う彼がちょっと淋しくて鍵を受け取らない。

「……大丈夫」
「真白?」
「僕は鍵がなくても部屋に入れるから」
「あっ、おい!」

それが些細な疎外感だってわかっていても上手く笑うことが出来なかった。
そのままおじさんを置いて駆け出すと闇の中へと消えていく。
自分自身がよく分からなかったんだ。
疎外感なんて感じてもしょうがない。
初めから僕とおじさんの間にはなんの絆だって生じないのだ。
きっと初めて自分を人間として扱ってくれたからこんな気持ちになるのだと思う。
いや、そう納得する他なかった。
僕にとっては未知なる感情だったから……。

「……はぁ……」

だが問題はこの体。
頭では納得しているのに体は家に帰りたくないと言っている。
むしろおじさんの魂を求めて彼のいるべき場所へと向かおうとしていた。

「うぅ、気になる」

そうだ。
簡単に言えばおじさんの交友関係が知りたいのだ。
なんで? ――なんて今は問い詰めたくない。
それこそ未知なる無限の螺旋へと落ちていきそうだからだ。

「……行っちゃお……」

どうせおじさんに見つからなければいい話である。
僕は自分の好奇心には勝てず宙に浮くとおじさんの魂へ向かって飛び出した。

――それから僕が着いたのはどこかの居酒屋だった。
日本家屋のような作りのそこはちゃんと天井が高い。
僕は骨組みの木材伝いに歩いて回る。
上から見下ろせば店内の様子が丸分かりだった。

「いた!」

見回せばおじさんが数人の男たちと楽しそうにお酒を飲んでいた。
女性が居ないことに内心安心してしまう。
僕はおじさん達の席の真上にくるとその材木の上に座った。
話してる内容は店内の騒がしさとBGMのせいでここから聞こえない。
だけどおじさんが楽しそうに笑っていたからどうでも良かった。
彼の笑い顔は好き。
男性にしては珍しく顔をクシャクシャにして笑う。
嬉しい時は素直に喜び、楽しい時は素直に笑う。
子供なら当たり前なことなのに大人になるにつれ少しずつ忘れてしまう感情。
あの人はそれを未だに持っているから魂は美しいままなのだろうか。
僕はおじさんを見つめながらじっと考え込んでいた。

「……あっ……!」

すると足をブラブラさせていたせいでわらじが脱げてしまった。
僕のわらじはおじさんのテーブルに落ちる

「うわぁっ――!?」

案の定おじさんだけが素っ頓狂な声を上げた。
それを周りはゲラゲラ笑う。
僕は気付かれたらまずいと思って慌てて逃げようとした。

「……!?」

だがおじさんの方が行動は早い。
不審に思い見上げた彼は頭上で僕を見つけた。
目が合った僕は逃げるようにして店を飛び出す。

「……っ……待てよ――!」

するとおじさんは店を出た僕を追い掛けてきた。
いつまでも必死に走り追い掛けてくる。
僕は観念すると仕方がなく彼の前に降り立った。

「はぁ、はぁ……真白っ…」

おじさんは息荒く着物の裾を握ると名を呼ぶ。

「ごめんなさ……ごめっ、ごめんなさ……ぃ……」

来るなと言われたのに来てしまった。
しかも内緒でおじさんの様子を見つめていた。
それは相手にとって気分の良いものではない。
怒られると思って僕は目を瞑った。

「……ぁっ……」

だが突然後ろから抱き締められてしまった。
その感触に驚き呼吸が止まる。
おじさんから香るのは微かなタバコの匂いだった。

「もうそんなに謝んな」

そっと耳元で囁かれる。
その声はどこまでも優しく慈悲深いものだった。
今にも泣きそうな震える体をしっかりと抱き締められる。

「お、じさ……」

それだけで僕の中に安堵感が広がっていった。
またしてもよく分からない感情に支配されて僕の心は戸惑い揺れる。

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