3

「一人で淋しかったのか?」

あやすように頭を撫でられて何度も頷いた。
そしておじさんのスーツを握り締める。

「怒って、ないんですか? ……僕」
「ん、怒ってないよ」

そう言っておじさんは穏やかに微笑む
あまりに柔らかく笑うからこっちまで朗らかになってしまうのだ。

「もうお前を一人にしないから安心しろ。……な?」

少し強く抱き締められた僕は触れた体の熱さに身を縮めた。
その胸にうずくまって何度も頷く。
子供扱いをされてもしょうがない。
この人の前では僕は小さな子供になってしまうのだから。
……なぜだろう?
それが歯痒くもありくすぐったくもあった。
胸の奥に燻る感情の波についていけない。
それが余計に焦れったくなって苦しかった。
僕はただの座敷わらしなんだ。
彼を幸せに導くために現われた妖怪なんだ。
暖かな腕に抱かれて僕は延々と考え続けていた。

「んじゃあ帰るか!」

すると不意におじさんの声が聞こえて僕は見上げた。

「えっ……でも飲み会は」
「いいよ。……店を出る時帰るって伝えておいたし、あとでメールしとく」

そう言うなりおじさんは僕の手を取った。
そして歩き始める。
僕は引っ張られるように歩きだした。

「……わわっ……!」
「あとで弁当屋に寄っていこうぜ!」

おじさんは鼻歌混じりで見るからにご機嫌そうである。
僕は内緒でおじさんをチラ見した。
そしてちょっとの勇気を振り絞って手を握り返す。

「あっあの!」
「ん?」
「あの僕でよろしければご飯作りましょうか?」

恐る恐る問い掛けてみた。
おじさんは目が点になっている。

「えっ? お前メシが作れんのか?」
「なっ――おじさんは僕を子供扱いし過ぎです!」

やっぱりおじさんに子供扱いされると悔しかった。
僕は口を膨らませる。
するとおじさんはゲラゲラ笑って僕の頭を撫でた。

「ごめんってば~」
「おじさんのばか」

それが余計に気に障る。

「あっほら。お菓子買ってやるからっ。……な?」
「もうばかばかばかー!」

どこまでいっても子供扱い。
僕はおじさんをポカポカ叩くと口を膨らませて怒った。
それでもおじさんはニコニコしながら笑っているだけだった。

それから僕とおじさんは近所のスーパーに寄って帰った。
食材を買うというのは新鮮で面白い。
いつも見るだけだったのに今日は欲しいものをおじさんが代わりに取ってくれる。
おじさんは周囲の目を気にすることなく自然に接してくれた。
そんな些細な仕草にきゅんと胸を締め付けられる。
心の中が暖かくなっておじさんが眩しく見えた。

その後、二人手を繋げば帰ってきたのはあの汚い部屋。
僕は昔から伝わる質素な日本料理を振る舞った。
おじさんはそれを美味しそうに食べてくれる。
本当に美味しそうに食べるから嬉しくてたまらなかった。
そしてお風呂に入りまた一緒の布団で眠りにつく。
昨日の夜より心の距離が縮まっていた。
それは自然に寄り添う二人が証明している。
(人間と共に過ごすことがこんなに楽しかったなんて……)
僕はおじさんの腕に抱かれて一人瞑想に耽っていた。
新たな発見は深く僕の中に根付く。
美しい魂。
美しすぎる魂。

「……っ……」

この魂がどれだけ汚れるか楽しみにしていた自分が恥ずかしい。
僕のほうがよほど汚い魂の持ち主だ。
そして同時に恐くなる。
この人が濁り汚れていくことが。
でも座敷わらしの力を使わなければ僕はここにいる意味がない。
簡単に言えば彼の傍にいる存在理由が欲しかったのだ。
……なんて情けない。
様々な感情が入り乱れ追い詰められる。
そんな自分を払拭させるようにおじさんに抱きつくと目を閉じた。

ピピピピピ。

今日もまた目覚まし時計が鳴る。
あれだけ暗かった空は薄明かりが射しておじさんの顔を照らした。

「うぅ~……今日も起きれた」
「僕のおかげで、を最初にちゃんと付けてくださいね?」
「ハイハイ、真白くんのおかげですよ~」

そう言ってまだ寝呆けたまま僕を抱き締める。

「わわっ、おじさん! 髭がくすぐったいです~」

伸びた髭が僕の頬をくすぐった。
それを分かっていておじさんは僕を抱く。
触れ合った鼻先に気持ちまで擽ったくて身を捩った。

「もー、おじさんってば」

布団の上でじゃれあっていたら仕事に遅れてしまう。
僕とおじさんは早速起き上がると二人して台所に立った。
僕は昨日おじさんが買ってくれた歯ブラシを持つ。
そして台の上に乗ると少しだけおじさんの背に追い付いた。

「今日は家でお待ちしています」
「んーそうか」

おじさんはあまり気にも留めず頷く。

「……オレも少し遅くなるから」
「はい」

どうして? ……とは聞かなかった。
やっぱりまだそこまで近付けない。
僕は戸惑いを口にすることもせず歯を磨くと顔を洗った。

「いってらっしゃい」
「おうっいってきます」

その後おじさんにカバンを持たせて見送る。
彼はは優しく笑うと家を出て行った。

「……ふぅ……」

一人取り残された部屋でため息をつく。
複雑な気持ちを押し殺して部屋を見回した。
見事な散らかり具合である。
そう。
僕が会社までお供をしなかったのは、いい加減部屋を片付けたかった。
余計なことなのかもしれない。
でもやっぱり見過ごせないと思った。
だってもったいない。
汚い部屋で生活しても、綺麗な部屋で生活しても、時間の流れは変わらない。
それならいっそ綺麗な部屋で過ごしてもらいたい。
だからこれは僕が霊気を使わないでする恩返しのひとつ。
おじさんは僕の力を嫌がっているように見えた。
頑固なのか未だに信じていないのかわからない。
でもそれなら自分の手で何か出来ないのかと考えた。
……こんな風に考えるなんて初めて。
いや、この僕が神に力を借りないで、自分の力だけで何かしようなんて発想自体思い浮かばなかった。
おじさんといると今まで見えていなかったものが見えてくる。
それはどれも生々しい感覚で知らなければよかったと思うことばかり。
でも知らなかった頃の自分よりずっと幸せなのだから笑ってしまう

「……さてやるか」

僕は着物の端を紐で括る。
そして腕を捲り上げた。

「――ふぅ、こんなものかな」

掃除洗濯が終わる頃にはお月様が顔を出していた。
部屋を綺麗に片付け、洗濯物を干す。
そしてそれを取り込みアイロンをかけた。
ずっと見ていたがどれも使うのは初めてである。
最初は怖くて堪らなかったが慣れたらこんな便利なものはなかった。
改めて文明の発展と人間の進化について考えさせられる。
使っている人間はどれも当たり前のような顔をして使用していたが、僕はどうなってるのか疑問で堪らなかった。
同じ人という形をしているのにこの違いは何だ?
それがなんだかとても皮肉で苦笑してしまう。

チラッ

時計を見上げればもう夜の八時を過ぎていた。
今朝おじさんは遅くなると言ったはずである。
それは昨日同様友達と飲んでくるということなのだろうか?
僕はご飯を作るべきなのか悩む。
冷蔵庫を開ければそれなりに何か作れそうなものが入っていた。
でもこれも余計なことにならないだろうか?
(おじさんの喜んだ顔が見たい。だけどおじさんを困らせたくない)
ふたつのジレンマに心が揺れオロオロする。

ガチャ――。

「あっ!?」

するとそんな僕を尻目にドアが開く音がした。

「ただいまー」

同時におじさんの暢気な声が部屋に木霊する。

「あ!?」

すると彼が部屋に入ってきた瞬間、二人の声が重なった。

「どうしたんだ!?」
「どうしたんですか!?」

さらに声はハモる。
驚かそうとした僕はおじさんの姿を見て逆に驚かされてしまった。

「お、おじさ……その格好……」
「んー、これ?」

朝の無精ひげが生え、髪の毛も伸ばしっぱなしだった姿が一変している。
スッキリとした顎。
丁度いいぐらいに切りそろえられ、ワックスか何かで形作られた髪の毛。

「……おいでおいで」

するとおじさんはワケを話す事も無く僕に手招きした。

「なんですか?」

だから首を傾げてトコトコ近づく。
すると屈んだおじさんは近づいた僕を思いっきり抱き締めた。

「わわっ、おじさ――!?」

いきなりのことでさすがに動揺を隠せない。
僕は顔を赤く染めてジタバタ暴れた。

「これならくすぐったくないだろ?」
「へ……」
「髭。……な?」

顔を離したおじさんはニッと笑った。
僕は一瞬何を言われたのか分からなくて目をパチパチさせる。

「……あ」

そしてそっと彼の肌に触れた。
たしかにツルツルになったそれは全然くすぐったくない。
今朝の会話を思い出してハッとする。
さらに目線を下げれば袋の中には男性のファッション雑誌やワックスなんかが入っていた。
これを眉間に皺を寄せながら買っていた姿を想像する。
それだけで僕の気持ちを満足させるには十分だった。

「へへっ!」

まさか自分の為にこんな変身をしたのか――なんて思うのは自意識過剰かもね。
でもそう思いたいから思ってみる。
すると胸の中がきゅうきゅうに騒ぎ出して止まらない。
僕はまだ靴さえ脱いでいないおじさんに抱きつくと何度も頬に擦り寄った。

「それで――どうかな?」

おじさんは僕の顔を見て自信なさげに伺う。
だから僕は満面の笑みを浮かべると「すっごく素敵ですよ!」と、言ってもう一度抱きついた。

「じゃあ次はオレが質問する番だよな?」

すると彼は体を離して僕を見下ろす。

「あっ」
「この部屋……」
「………あぁっ……」

そうだ!
僕は慌てて離れると言いづらそうにモジモジしてしまった。

「あのですね……あの」

うまく言葉が出ない。
喉の奥に言いたい気持ちが詰まって渋滞している。
するとおじさんの方が先に口を出した。

「すげーな。これもお前の力?」

そういって部屋に入る。
僕はムッとして眉に皺を寄せた。

「ぼっ……僕がおじさんの為に一日かかって掃除したんですっ!」

あくまでも霊力は使っていない。
僕自身が一生懸命おじさんを思って掃除したのだ。
しかし振り向いたおじさんはニヤニヤ笑っている。

「そんな怒らなくてもわかってるってば」
「なっ、貴方って人はっ」

おじさんは僕をからかうのが好きみたいだ。
そして反応を面白がっている。

「……ありがとな」
「……っ……」

するとおじさんは不意に笑顔を見せてくれた。
その顔にそれ以上非難の声は浴びせられない

「すっげー嬉しい」

部屋を見ながら笑う姿を僕は見つめるだけだった。
指一本動かせずおじさんの姿を追う。
彼は照れたように頬を掻き頬笑んだ。

ドキンっ。

その途端、まるで心臓に鋼の矢を撃ち抜かれたような衝撃が走る。
いきなり頭が真っ白になると僅かな眩暈を覚えた。

かぁぁ――……。

すると急に全身が沸騰したみたいに熱くなる。
血なんて通っていない筈なのに止まらない灼熱の炎。
呼吸さえ忘れそうなくらい胸が苦しくなって唇を噛み締めた。

「……真白? おーい、真白くーん」

僕の態度を不審に思ったおじさんは目の前で呼び掛ける。

「……ぁっ……」

屈んだおじさんと目が合った。
きょとんとしている彼は僕の顔を覗き込む。

「大丈夫か?」
「……ぅ……」

額に手を寄せられてさらに体が熱くなった。
途端におじさんが輝いて見えてしまう。
初めて会った時は、決して格好良いなんて思わなかったのに。
今の彼はまるでお伽話に出てくる王子そのままだ。

「なっ……なんでもないですからっ!」

僕は慌てておじさんを突き飛ばすと部屋を突き抜ける。
そのままアパートの屋根の上まで飛び上がった。

「……はぁ、はぁ……なんだ、これ……」

僕は自分の胸を鷲掴みする。
心臓は動いてないはずなのにそこはドクンドクンと収縮を繰り返していた。
信じられず天を仰ぐ。
大きな月と星々の光が僕を照らす。
それだけじゃなくこの世界を彩るのは大都会の明かりだった。
光は富の象徴とでもいうかのように輝き続ける。
――眠らない都市、眠れない都市。
屋根の上に立てばその明かりが遥か遠くのここまで見えた。
この景色に僕はそぐわない。
草履に白い着物を着た僕はまるで正反対なのだ。
そんな景色が自分の立場を思い出させてくれる。
僕は座敷わらしなのだ、と――。
今の僕は人間だと錯覚してしまっているんだ。
彼が人間のように接して可愛がってくれているから……。
だから体が熱くて胸が苦しい。
(こんなにもおじさんのことを……)

「……違……ぅっ……!」

僕は自分の気持ちを否定した。
拒絶しなければ答えが見つかってしまう。
答えが見つかればここにはいられない。
なぜなら僕はもうおじさんの幸せを願えなくなるからだ。
お金持ちになって、素敵な伴侶を見つけて、よく出来た子孫を残す。
マニュアルのような幸せな人生が彼を待っている。
僕はそれを望めない。
ずっとずっと傍にいたくなる。
でもずっと僕が傍に居ればおじさんは確実に不幸になるだろう。
幸せを呼ぶ妖怪が人間を不幸にするなんて聞いたことがない。
僕はきっと地獄に落ちる。

「ばかばか! ……僕のばかっ」

僕は自分の頭を何度も叩いた。
一瞬、おじさんと一緒に居られるのなら地獄に落ちてもいいと思ってしまった。
なんて座敷わらしだ!
思わず溢れそうな涙を強引に拭き取る。

「おーいっお前なにしてんだー?」

すると下から急に声が聞こえた。

「……あっ」

見下ろせばおじさんが苦笑いを浮かべてこちらを見ている。

「自分ちが恋しくなったのかー?」

いつものからかい口調で僕に笑いかけた。
その顔は優しくて温かい。

「そんなに大声出しちゃダメです! 周囲の人に見られたら……」

僕は慌てて辺りを見回した。
もし誰かにこんな所を見られたらおじさんが変人扱いをされてしまう。
そんなの嫌だった。

「いいよー! 別に」
「なっ」
「周りなんて関係ないだろー」

おじさんはそう言って手を広げる。
その手は僕を誘っていた。

きゅう。

また胸が軋んでそっと押さえる。

「おじさん……」

僕は静かに屋根の端に立った。
自分の中の歯車が廻りだす。
それが一度動きだせばもう止まらないことをわかっていた。

「来いよっ、真白っ!」

ふわっ――。

僕は飛び降りるように宙を舞う。
そしておじさんの胸の中へと飛び込んだ。
それを彼は優しく抱き留める。

「……寂しくなったのか?」

おじさんは優しく問い掛けた。
僕は首を横に振る。
訳も言えず黙ってしがみ付いた。
おじさんはいつもと違う態度の僕を問い詰めようとはしない。

「……あー、腹減ったな」

わざと茶化したように笑った。

「よしっ。今日は特別にオレがメシ作ってやるよ」
「……え?」

体を離したおじさんは僕の手をとる。
思わず僕は彼を見上げてしまった。

「だから元気だせ、な?」

笑いかけられて小さく頷く。
するとおじさんはさらに嬉しそうに笑った。
(やっぱり気を遣ってくれている)
おじさんはその優しさで包んでくれるんだ。

「……おじさん、好き……」

僕はおじさんに聞こえないぐらい小さな声で呟くとその手を握り返した。

それから家に帰るとおじさんは不器用ながら腕を奮ってくれた。
見た目にも美味しそうに見えない料理。

「うおっ不味い」

なんて言って苦笑いを浮かべていた。
たしかに美味しくない。
だけどこの料理には彼の優しさが詰まっている。
きっと満足に料理をしたことすらないのだろう。
それでも僕のために作ってくれた。

「あっ……と。無理すんな。不味いなら残していいから」
「ふふ、残すなんてもったいないですよ。それに食物を粗末にするとバチがあたるんですから」

僕はおじさんの分まで口に運ぶとしっかりと味わった。
彼は今までも僕に色々な料理を食べさせてくれたけど、今夜のご飯が一番美味しかった。
それは言うまでもなくおじさんの気持ちが入っているからである。
だけど僕の胸は反対に切なさと焦燥感でいっぱいだった。
もう何も考えたくない。
ただおじさんの笑顔が見たい。
(……神様ごめんなさい、どうやら僕は座敷わらしとしての働きが出来そうにありません)
僕はおじさんと笑顔を交わしながら静かに心の中で呟いた。

ピピピピピ。

それでも朝はやってくるものだ。
僕は唸り声をあげながら目を覚ます。

「……うぅ……」

起き上がればやっぱり隣はいなくなっていた。
おじさんの寝相の悪さは変わらない。
だいぶ離れた所で大の字になって寝ている。

「すぅ、すぅ」

彼はめざましの音にも気付かず気持ち良さそうに眠っていた。
僕はそっと毛布をかける。
まだおじさんが起きる時間より早かった。

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