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いつの間にか雨があがっていた
夜間吹き続けた強い風に雲は流されて、何事もなかったかのように東の空に眩い朝日が顔を出す。
おぼろげな薄明がビルの合間を照らし、眠りについていた街を、青く澄んだ星々をゆっくりと消し去っていく。
夜明けだ。
黎明の新しい光が、冷ややかな夜と交わり、空の色を白々と染める。
三日月の部屋もカーテン越しに光の領域が広がっていくと、静かに闇が後退していく。
雨に洗われた空はいつもより澄んでいて、色鮮やかに街の景色を変えていった。
そのうち賑やかないつもの朝が始まる。
新聞配達員のバイク音が聞こえてきたと思えば、近所のおばちゃんが家の前を箒で掃く音が響く、どこかで「おはようございます」と挨拶をしている声が耳に届く。

「すぅ……すぅ……」

しかし、まだこの部屋は眠りに閉ざされていた。
健やかな寝息と共に、布団が上下している。
少し早く目が覚めてしまった三日月は、となりで気持ち良さそうに眠る幸希を愛おし気に見つめた。
寝返りしている間に出てしまった幸希の肩を、隠すように布団を引き上げてやる。
すると途端に頬を緩める幸希はどんな夢を見ているのだろうか。
部屋のあちこちに脱ぎ散らかった服を見るに、抱き合ったのは現実のようだ。
(いささか無理をさせてしまったかもしれない)
幸希はもちろん、三日月も初体験で、加減が分からなかった。
特に最後のほうは二人とも欲に濡れて、淫らに交わってしまった。
それを思い出すと生娘でもあるまいし、気恥ずかしい思いでいっぱいになる。
(こんなにも満たされた朝を迎えていいのだろうか)
自然と緩む口元は、どうあがいても締まらない。
これ以上ないほどの愛情で抱いたはずなのに、目覚めて一番に気づいたのはもっと恋しい気持ちが強くなっているということだ。
好きという想いに限界がないことを悟る。
だってもう幸希を抱きたくてたまらなくなっている。
昨日あれほどしたのに、またこの腕の中に閉じ込めてしまいたくなる。
ああ、愚かなことだ。
三日月の年齢でそんな青臭いことを思ってしまうのだから恋愛とは恐ろしいものだ。

「んぅ……ぅ……」

すると身を捩りながら幸希が微かに目を開けた。
白む明かりの中で、寝ぼけ眼のまま掠れた姿の三日月を見つける。
虚ろな様子は可愛いとしか表現できなくて、もはや何も口にできない。

「んっ………わっはっ!」

だがその瞬間、幸希の目がかっぴらいた。
あれほどトロンとした表情だったのに、突然の覚醒に瞼が痛くなるほど両眼を見開いた。

「ご、わ…っ…にゃあっ!」

幸希は発音もままならない驚きの中でガバッと起き上がるが、体に力が入らないのか間抜けな声をあげると、ベッドの上でへたり込む。
彼は腰を擦りながら泣きそうな顔で三日月を見上げた。

「ご、ごめんなさい!ね、寝坊しました!すぐに朝ごはんの用意を――!」

幸希は慌ててベッドを出ていこうとするが、体がついてこず焦ったように手足を振り上げる。
だがバタバタするだけで身動きが取れないようだ。
その様子はまるでまな板の上の鯉。

「その身体じゃ無理だろ」

三日月は彼の体を抱き寄せると、大人しく自分の隣に寝かせた。
頭を撫で、髪を梳いてやるも幸希に納得した様子はない。

「あのっ、でもっ」

隙あらばベッドを抜け出して掃除やら朝食作りでも始めそうな雰囲気だ。
目は泳ぎ、落ち着かない様子でオロオロしている。
今日は土曜日で仕事も学校も休みである。
用意を急ぐ必要もなければ、そもそも幸希にそんなことを頼んだ覚えはない。
だけどいつも彼は三日月が目覚める前に起きると、朝食の用意や簡単な掃除、洗濯をしてくれている。
もっと寝ていたいだろうに、てきぱきと家事を進めてくれている。
幸希はそれこそが自分の価値だと思っているのだ。
だからプロ顔負けの料理を容易に作り、ほかの家事だって子どもとは思えないほど要領よくやってしまう。
出来ることは素晴らしいが、それが出来ない己は存在価値がないと思ってしまっているのは悲しいことだった。

「ご、ごめんなさい!」

申し訳なさそうに頭を下げる幸希に、三日月はやれやれと苦笑いをしながらキスをする。

「改めて言うよ。何度だって言うよ」
「…ぇ……?」

昨夜あれだけ伝えたとしても、幸希にとってはたった一夜のことである。
物心ついた頃からの考えを消すのは容易ではない。
それは分かっているんだ。
だからそれでもいい。
少しずつでもいいから幸希に教えてあげたい。
だってこれから先も二人はずっと一緒にいられるのだ。
伝える時間はいくらでもある。

「何もしなくていいから、俺のそばにいて」

三日月は、愛情あふれる笑みを満面に湛えながら、快活な、磊落な調子で言い聞かせる。
(いつでも、何度だって)
幸希がそばにいてくれること以外は何もいらないし、見返りなんて求めない。
青臭い台詞だって、偽善臭い台詞だって、幸希のためなら躊躇わずに言える。
(だってこれは俺の望みなんだ)

「……っ……」

幸希は思い返すように驚喜に近い表情で三日月を見つめると、可憐な花が咲き誇るように眩しい笑顔で頷いた。

「はい!」

 
 

 

END