5

受付でチケットを渡すと、手首にバーコード付きのゴムベルトを取り付けられた。
その向こうには駅の改札のような扉があって、バーコードをかざすと開く仕組みになっている。
以後、建物内の支払いはバーコードをかざすと自動的に加算され、帰る時に纏めて清算するシステムだそうだ。
貴重品を持ち歩く面倒はなく、先に預けてしまえばなくなる心配もない。
だが、現金のやり取りをしないから、子どもの場合買っている感覚なく使いすぎてしまいそうだ。
道理で十五歳未満は保護者同伴でないと入れないわけである。
そのせいか俺のように付き添いの大人が結構いて、市民プールなら浮くであろう大人と子どもの二人組でも大して目立たなかった。
とはいえ兄弟に間違われるのが関の山で、到底恋人には見えないだろう。
これで相手が少女だったら通報の対象になりかねず、案外同性で良かったのかもしれない。
(ま、成瀬君はそこいらの女の子より可愛いんだけどねー)
着替え終えた二人は更衣室から出てきたが、成瀬は恥ずかしがって水泳用巻きタオルを被っていた。
ゴム輪になっていて、頭から被ると上半身すっぽり隠れて冷えた体を温めるには最適の形をしている。
遠目から見るとてるてる坊主に見えて愛らしい。
俺も小学生のころには使っていた代物で、未だに使われているのかと妙な感慨に耽った。

「いつまで着てるつもり?早く脱がないとお兄さんが強引に脱がせちゃうぞ」

波のプールの傍に空いている机とイスを見つけてタオルを置いた。
成瀬のために持ってきた浮き輪は、更衣室前にあった空気入れで膨らませてきた。
泳ぐ準備は万端で、軽くストレッチめいたことをする。
成瀬は促されるままいそいそと巻きタオルを脱いだ。
それを抱えて照れたようにはにかみ、

「あ、改めてこんな格好見せると……恥ずかしいですね」

と、内股を擦り合わせた。
その恥じらいが移ったように俺まで顔が熱くなると、額に手を置いて息を吐く。
(裸なんてもう何度も見せ合ったのに)
何気ない言葉が、振る舞いが、欲情をかきたてる。

「そんなこと言われたら意識しちゃうでしょ」
「あ、わわっ……そ、そうですよね」
「あーあ。今日は一日中成瀬君の体から目が離せなくなっちゃった」
「秋津さ……っ」

本当だよ。
男なんだからサーフパンツで当然で、そこに特別な意識なんてなかったのに、見る目が変わってしまう。
俺は隠すように持っていた成瀬のタオルを奪い取った。
目の前に晒されたのは、相変わらず吸い付きたくなるような白い肌で、ピンクの乳首、成長途中の触り心地良さそうな体が悩ましい。
男になる前の中性的な肉体は、どこもかしこもそそられて、一度目にすると冗談じゃなく視線を外せなくなる。
胸の大きな女性を発見した時、どうしたって見ざるを得ない男と同じ気持ちだ。
抗えないのはきっと遺伝子に組み込まれた本能ゆえの性である。

「やーらし。こんな人前でぷっくりとした乳首を晒しちゃうなんて」
「ひゃぅっ」

指先でツンツンすると、成瀬は素っ頓狂な声をあげた。
感度は良好――と、言いたいところだが、公共施設で嬌声をあげられても困る。
俺は苦笑いしながらくしゃくしゃと頭を撫でてやった。

「あんまり俺を煽らないでね」

せっかくのデートなのにそれどころではなくなってしまう。
成瀬はよく分かっていないくせに激しく頷いて隣に並んだ。
準備はばっちりだと言いたげに背筋を伸ばしてプールを見やる。
(やっぱり分かってないな)
意識してギクシャクした手足、うろたえる瞳、きつく結ばれた唇。
それが煽っているというのに、今自分がどんな顔をしているのか、どんな態度に出ているか知らないんだ。
その無防備さにどれだけ翻弄されているか。
貴重な休日だというのに先が思いやられる。
俺は頼りなさ気な成瀬の背中を叩くと、気を静めるように波のプールへ入っていった。

それから一通りプールを巡り、二人乗りの浮き輪で滑るウォータースライダーにも乗った。
一見こういったスリルに弱そうな成瀬だったが、実は絶叫系が大好きらしく、続けて三回も滑った。
俺も結構好きで遊園地へ行くとジェットコースターばかり乗っているタイプだったから嬉しい発見だった。
昼は中にあるレストランで食事をして、午後はまったりと流れるプールで過ごした。
成瀬は持ってきた浮き輪に乗っかり、その後ろに掴まった俺は体重を預けながら心地良い流れに身を任せる。
ぐるりと建物内を囲むように作られた流れるプールは、途中ジャングルのように生い茂った草木に囲まれたり、本物そっくりのワニや象のオブジェ、スピーカーから野鳥の声が聞こえてくるなど趣向を凝らしており、アマゾンに迷い込んだみたいだ。
流されるだけのプールなのに飽きない。
所どころに雰囲気ある出店が建っていて、甘いチュロスの匂いやカキ氷を削る音に誘われて上がっていった客が休憩できるスペースも設けられている。
これなら途中で泳ぎ疲れても安心だ。
ぐぅ……。
案の定チュロス屋の前を過ぎたところで成瀬の腹が鳴った。
とはいえ流れに逆らえず、上がれる場所も過ぎてしまったため、戻ることは出来ない。

「次に見えた出店のところで休憩しよっか」
「は、はい」

腹の音には言及せずに提案すると、彼は気まずそうに腹を押さえて返事をした。
ちょうど良い水温のプールは、いつまで浸かっていても負担にならないため、つい時間を忘れてしまう。
時計を見れば三時近くで、小腹が減る時間だ。

「あれ、成瀬?」

すると、後方からじゃぶじゃぶと派手な水音を立てながら成瀬を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると平泳ぎしながら近づいてくる少女がいる。
どこかで見た顔だと凝視すれば、初デートの時迎えに行った学校で成瀬と話していた子だった。

「げっ、雅」

彼女の姿を見つけた成瀬はげんなりと嫌そうに顔を歪めた。
雅という名の少女は、後ろにいる仲間に手招きして俺たちのもとへやってくる。

「なにやってんの?」
「何って見れば分かるだろ。遊びに来てるの!」
「あ、そっか」

すぐ傍までくると、成瀬の浮き輪に掴まった。
高いところで結んだポニーテールにオレンジの水着はいかにも健康的で快活そうだった。
俺に気付くとこちらを見て行儀良くお辞儀する。

「二度目ましてですよね、お兄さん」

面識ない年上の男相手でも物怖じせず話しかけてくる様子に、これじゃ成瀬が手を焼くわけだと得心した。
人見知りをしないのか興味津々に俺を見上げる。

「成瀬のご兄弟の方ですか」
「いや、違うよ。近所に住んでいるんだ」
「ふーん」

適当に誤魔化したが、雅は納得いっているのか微妙な返事をした。
(近所のお兄さんと二人っきりでプールというのも変か)
答えを間違えたと思いつつ、変な嘘をついて面倒になるよりかはマシだと気を落ち着かせる。

「だよねー、成瀬のお兄ちゃんがこんなイケメンなわけないしー」
「失礼な。大体、おれ兄弟なんていないもん」
「うっわ、一人っ子?確かにそれっぽい」
「何がだよ!」

成瀬と雅はまた言い合いに発展しそうだった。
可愛らしい子どもの喧嘩で口を出さずに見守っていると、今度は雅を呼ぶ声がしてくる。

「やっと追いついた。もー!」
「雅ってば速いよ」

やってきたのは、これまたこの間雅と一緒にいた女子生徒たちだった。
見るところ雅が親分で、彼女たちが子分の二人といったところか。

「こら、雅ちゃん。急に先へ行っちゃったら迷子になるでしょ」

さらにもうひとり加わった。

「お姉ちゃん!」

見れば彼女たちの保護者だろう高校生か大学生くらいの少女が遅れてやってきた。
雅の言葉から察するに姉なのだろう。
妹に比べると穏やかそうな人柄をしていた。
いきなり四人もの女性が合流して騒がしくなる。
――と、ようやく次の出店が見えてきた。
成瀬は浮き輪から降りる。

「おれたち店寄っていくから」

よほど雅たちと離れたかったのか、珍しくツンとした言い方だった。

「じゃあ私たちも何か食べようよ」
「そうだね」
「はぁっ――?」

だが彼女たちは気にした様子もなく構おうとする。
他の二人もついていくことに快く了承した。
どうやら俺たちは雅の集団に入れられたようだ。
対するに成瀬は口を尖らせて文句を言おうとする。

「なんでっ」

ついてくるなと言わんばかりの態度だった。
だからといって雅は負けず「別にいいじゃん」と、言ってきかない。
(なんで――なんて気付かないのかな)
嫌がる成瀬の横顔に、声にならない声を投げかける。
俺は二人のやりとりを見ながら少しだけ胸を焦がした。
雅は成瀬に惹かれている。
赤の他人である俺ですら初めて会った時から知れたことなのに、彼だけが気付いていない。
不器用な愛情表現でしか示せない雅と、それを疎ましく思う成瀬は、未熟な恋の甘酸っぱさとほろ苦さを表していた。
周りの友人は俺と同じように微笑ましく見守り、余計な口出しをしない。
周知の事実なのだ。
この瞬間にも育まれている清純な想いに眩暈がする。
(なぜだろう)
つい先ほどまで友人たちと同じように温かく見守れたのに、突然不意打ちのように左胸が痛んだ。
針で刺されたみたいに心細い痛みがじんじん広がって疼く。
成瀬と雅の言い合っている姿をこれ以上見ていたくなかった。
優しくしてやれと諭した余裕は空の彼方へ消えたみたいだ。
今感情のままに口を開いたらとんでもないことを言ってしまいそうで、抗うように正反対の言葉を口にする。

「成瀬君、女の子にそんな口を利いちゃだめでしょ?」
「だってっ、秋津さん」
「雅ちゃんたちも一緒においでよ。お兄さんが奢ってあげる」

雑貨を売る時と同じ顔で微笑んでやると、雅は大喜びでついてきた。
プールから上がると、早速彼女は成瀬の腕を掴んで店へと引っ張っていく。
他の二人は慌ててそれに倣った。
俺と雅の姉は後ろからゆっくりとついていく。

「すみません。あの子たちの分は私が支払いますから」

彼女は雅と違い人見知りするのか、目が合うと即座に逸らされてしまった。
僅かに赤面した頬に俯かせている。
俺と兄貴が似ていないように、彼女たち姉妹も似ていないのか。
恥ずかしがり屋の姉と人懐っこい妹。
兄弟や姉妹は案外そうやってお互いのバランスをとっているのかもしれない。
それがおかしくてクスクスと笑った。

「何言っているの。俺が誘ったんだからそんなこと気にしなくていいんだよ」
「で、でもっ……」
「安心してよ。年下の女の子に払わせるほど甲斐性ない男じゃないから」

雅の姉とはいえ俺からしたらまだまだ子どもで、彼女に支払わせるほどケチな男ではない。
むしろ金銭には寛容で、学生時代から彼女と割り勘をしたこともなかった。
大人の男はスマートに金を出す。
そんな憧れが心のどこかにあって、社会人になった今もそれを貫いてきた。

「好きなものを頼んでいいからね」
「あ、ありがとうございます」

そう言って促すと、俺たちも店へ入った。
アイスクリームやドーナツ、ドリンクが置いてあって、それぞれ注文するとパラソルが並んだテーブル席へ座る。
俺は最後にコーヒーを頼んで清算を済ませると、彼女たちのもとへ向かった。

「ご馳走様です」
「いーえ」

雅が礼を言うとあとの二人も同じように礼を言う。
なんだかんだ憎めない彼女の性格に、俺は自分の小ささを感じた。
(こんな子に嫉妬してどうするってんだ)
疼きの消えない左胸に呆れる。
大人気ないにもほどがある。
そんな自分を知られたくなくて、取り繕うように口角を上げると成瀬の隣に腰掛けた。
彼は店で注文している時からどこか元気なさげだった。
雅たちと一緒の嫌悪感からではなさそうで、妙に沈み無理やり笑おうとしている。
いち早く気付いた俺は、さり気なく距離を詰めた。
これだけ大勢いても気になってしまうのは成瀬のことで、でもこの状況にどう声をかけるべきか思案する。

「あの、ここいいですか?」

その時、雅の姉が遠慮がちに俺の隣を指してきた。
俺は「もちろん」と頷き、どうぞと手招きする。
彼女は僅かに表情を緩ませるとアイスクリームを片手にそこへ座った。

「改めまして、私、雅の姉で冬木渚といいます。ご挨拶が遅れてすみませんでした」
「へぇ、渚ちゃんか。俺、秋津っていうんだ。秋と冬だね」
「わぁ。偶然ですね!」

四季が入っている苗字の人に会うとなぜか嬉しくなる。
大した繋がりなんてないのに、不思議な連帯感があった。
いや、仲間意識というやつかもしれない。

「じゃ、じゃあ秋津さん」
「うん」
「もし違っていたらすみません。秋津さんって、フルールって名前の雑貨店やっていません?」
「え、知ってるの?」

渚は、フルールの近くの高校に通っているらしく、俺のことを知っていた。
何度か学校帰りに友達と寄ったこともあるという。
こんなところにお客さんがいるとは思わず、喜びと驚きで表情を崩した。
小さな店でも知られているということは、何よりもありがたい話である。
学校でも評判が良いと聞いて益々上機嫌になった。
そうして話が弾んでいると、雅が会話に入ってくる。

「私も知ってる!お姉ちゃん言ってたよね!学校の近くにカッコイイ人がいる店があるって」
「み、雅ちゃんやめてよ!」
「良かったね、お兄さん。イケメンで有名らしいよ」
「いや、あはは」

無邪気すぎる態度にどう返事していいか考えあぐねて笑うしかない。
(うーむ。まだまだ俺もいけるのか)
二十代とはいえ後半の男は、もう学生なんて相手にされないと思っていた。
高校生から見た俺なんて、もうオジサンの域に来ているのではないか。
いとこが同世代で、女子高生にオバサン呼ばわりをされたと兄貴に愚痴っていたのを聞いていたからだ。
年下の女の子たちにカッコイイと言われるには悪くない。
いや、むしろかなり気分が良い。

「すみません、妹が失礼なことを言って……」
「ううん。失礼どころか嬉しいよ。もう若い子には相手にされないと思っていたからさ」
「そ、そんなことないですよ!私の友達も秋津さんのことを格好良いと言っていました」

頬を染めた渚は否定するように激しく首を振った。
そんな風に言われたら調子に乗りたくなる。
(これなら成瀬君と並んで歩いていても劣らないかな)
成瀬のような可愛い子を連れていると自分の容姿にも気遣う。
変なおっさんが隣にいると思われていたら彼が可哀想だからだ。
若さには限界があり、あとは少しずつ老けていく身である。
これから成熟を迎える成瀬とはそこが決定的に違い、最も気にしている時間のズレだった。
過ぎ去った時間を取り戻すことや早めることは出来ないから、年の差は埋まることなく永遠に続く。
それでなくとも俺たちは離れすぎているのだ。
少しでもよく見せたい、見られたいと思うのは恋人なら自ずと抱く感情である。

「ね、成瀬君」

今の話聞いた?
――そう言おうとしたのに、声が出なかった。
彼の方へ振り返ると、成瀬は先ほどより落ち込んだ顔をしていたからだ。
アイスクリームは溶けて僅かに形を崩している。
垂れた白いクリームがコーンを伝い、手にまで零れている。
どうしたの?と、聞いたところで、同級生がいる前で素直に口にするわけない。
俺は丸いテーブルに肘を付いて窺うように見つめた。

「美味しそうだね。ちょっとちょうだい」
「えっ?」

戸惑う成瀬に構うことなく近づくと、持っていたアイスクリームをペロッと舐めた。

「ん、甘い」

そうして笑いかけてやると、彼は目を見開き赤らめる。
テーブルには白と青のパラソルが立てられていて、背中に照明を受けている成瀬は頬を染めても目立たない。
囲うように座った六人は消耗した体力を回復させるように、それぞれが気ままなお喋りをしていた。
とはいえ同じテーブルでこんなことをされて恥ずかしかったのだろう。
成瀬はモジモジしている。

「手にも垂れちゃってるよ。早く舐めなくちゃ」
「ん、んぅ」

俺が勧めると急いで舐めた。
白いアイスクリームの上を這う赤い舌は扇情的でどこか卑猥だ。

「しょうがないな」

次から次へと垂れていくアイスに、彼の手を掴む。

「じゃあ俺たちはここで。今後ともフルールをよろしくね」

軽く手を振ってテーブルから離れると、有無を言わさず成瀬を連れ出した。
雅たちは引き止めるタイミングを失い「あっ」と、物寂しげな声を漏らして見送る。
(ごめんね)
俺は心の中で彼女に詫びながら、どこか清々した気持ちを隠せなかった。
一番気がかりなのは成瀬の落ち込みようなのに、二人きりになれてホッとしている。
我ながら独占欲の強さに辟易とした。
俺は出店の裏へ回った。
そこはゴミ箱やスピーカーが置かれていて、多少うるさくしても周りには聞こえなさそうだった。

「どうしたの?」
「………………」
「やっぱり雅ちゃんと一緒は嫌だった?」

俺は成瀬と向き合うと屈んで目線を合わせた。
優しく問いかけたつもりだが、俯いたままの彼は何も言おうとしない。
閉じられた口は開こうともしない。
その間にもアイスクリームは溶けていく。

「黙っていたら分らないよ」

呆れたように言うと、ぴくりと体が震えた。
俺が気分を損ねたように思ったのかもしれない。
いつもだったら慌てたように「ご、ごめんなさい」と、わけを話し始めるのに、今日は押し黙ったまま動きもしなかった。
仕方がないのでアイスを指ですくうと成瀬の乳首に塗りつける。

「ん、やぁ……っ」

彼は冷たさとぬめりに身を捩った。
その反応に気を良くして、もう片方の乳首にも塗る。
体温のせいですぐクリームが溶けると、瑞々しい肌の上を垂れてしまいそうになる。
俺は床に膝をつくと、垂れたクリームを舌で舐めとって愛撫した。

 

次のページ