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その後気力は失せて働かぬまま貯金は底をつき、ああして浮浪者としてその日暮らしをするようになったそうだ。
働くことすら馬鹿馬鹿しいと冷めた目で言う横顔を見ながら、どんな修羅場に立ち会ったのだろうと想像する。
が、彼は深く語ろうとしなかったし、凛太郎も問わなかった。
両親は、気難しい息子の異常な執着っぷりから汐塚を即採用し、今日に至っている。
彼は真面目に働き、その職務を全うしていた。

「坊ちゃん以外の人間の下で働くなら、私はここにいる必要がありません」

今こうして向かい合う汐塚は、当時に比べると品の良さが増し、腹立つくらいの丁寧な言葉で囁きかける。
彼は窓辺に立つと、外の涼やかな風を感じて深呼吸した。
そうして窓を閉めると振り返り、

「もっとハッキリ言うとしたら、あなた以外に仕えるくらいなら河原で日がな一日ぼうっとしていた方がマシです」
「なっ、だってさっき……ひもじいって」
「ええ。ひもじいのは嫌ですよ?」
「あ……っ……」

汐塚は変わらぬ微笑を口許に湛えながら、一歩一歩凛太郎へ近づいた。
その有無を言わさぬ迫力に、凛太郎は本能で危険を察知したのか、恐れるように後ろへ下がる。
そうして汐塚が近づき、凛太郎が下がるという一連の動作を繰り返しながら部屋の隅へと追いやられた。

「肉体的なひもじさを言っているのではないです。言うなれば精神的なひもじさ――ですかね」
「精神的な……」
「坊ちゃんを抱いたせいでそのひもじさが満たされてしまった。もうあのころのようなひもじい思いはごめんです」
「し、汐塚……?」
「私はあなたに責任を求めているんですよ。こんな風にしたのは坊ちゃんで、あなたが私を拾わなければこんな気持ちにならなかった」
「…………」
「だからどんなにあなたが嫌がったところで逃がしはしません。一生私の主人でいなければ許さないんですよ」

凛太郎のすぐ後ろには机があった。
その感触にハッとして振り返るも、追い詰める鋭い視線から逸らせず、向きなおす。

「さぁ、坊ちゃんにも素直になっていただきましょうかね」
「……っ……」
「本当はどこへ行こうとしていたんです?」

汐塚は楽しそうだった。
まるで凛太郎の反応を面白がるように目を輝かせて、己の首輪に手をかける。
元は大型犬用の首輪でゴツく、端整な顔立ちの彼が身につけるには異質な飾りだった。
凛太郎はそこまで迫られてうろたえた。
汐塚から求めてくれることは望んでいたのに、まさかこんなに積極的になってくるとは思わなかったからだ。

「今日のお前変だぞ」

唇を尖らせて窺うように呟く。
恐る恐るといった感じで、困ったように目を泳がせ気味だ。
それでも汐塚に返事はなく、凛太郎の答えを待っている。
にっこりと嘘くさい笑みを見せながら、他の言葉は無用と言いたげな顔だ。
静かな部屋には柱時計の音がカチカチと時を刻む。
無神経と思わせるほど大きな音に聞こえた。
締め切った部屋は暑さも相まって息苦しい。
肌の上をじんわりと汗が滲み出て、顔を火照らせた。
汐塚が仁王立ちして立ちはだかっているため逃げ場がない。
他の使用人ならば、不機嫌に喚き散らせて「さっさとどけ」と突っぱねられるが、汐塚には言えなかった。
もはや囚われの身。
一度目が合うと、底知れぬ深い瞳に鎖で繋がれて逃れられない。
彼の瞳は真っ黒だ。
墨を繰り返し塗ったような黒は、漆黒と言ってもいいほど濃く、意志が強い。
見つめるだけで人を射抜く力を持っているのだ。
もはや言い逃れは出来ない。

「……お前の部屋へ行こうとしていたんだよ」
「お前?」
「っぅ……汐塚のところへ行くつもりだった」
「どうして?」
「どうしてって……」

分かっているくせに!――と、毒づきたくなった。
胸が苦しい。
誰かに誘導されるなんて腹立つだけなのに、しかもこんなむかつくやつ大嫌いなのに。
体は抗えない。

「仰らないなら好きに解釈させていただきますよ」

汐塚は見下すように上から不敵に笑い顎をしゃくった。

「坊ちゃんは私が好きで好きでどうしようもなく、社長に嫉妬した挙句うっかり突き放しちゃったけど、本当は私が欲しくてたまらなかった」
「…………」
「だから戻るよう懇願しに行こうとした」

全て彼の言うとおりで反論の余地がなかった。
凛太郎は悔しさを滲ませながら険しい顔で汐塚を睨みあげる。
だが全く効果はなく、

「あ、抱かれに行こうとした――の方がオイシイかもしれない」
「ふざけんな!」

飄然としていて相変わらず掴みどころのないやつだ。
思い通りになって欲しい人ほど思い通りにならない人生の皮肉をこの年で味わう。

「違う?」
「……くっ」
「違うなら私はもうこんな時間ですからお暇しましょうかね」

汐塚はワイシャツのボタンを上まで付けると、何事もない顔で体を反転させた。
そうして部屋から出て行こうとする。
(絶対にその手には乗らないんだからな)
凛太郎はここで彼の術中にはまるもんかと堅く決める。
しかし背を向けた彼が一度も振り返ることなくドアまで行ってしまうと、決意は水のように流れた。
汐塚がドアに手をかけたところで、大慌てに追いかけると、

「待って!」

凛太郎は後ろから彼にしがみついて引き止める。
その行為に汐塚はドアノブを握ったまま立ち止まった。

「し、汐塚の言うとおりだ。お前が全然構ってくれないから寂しくてあんなこと言っちゃったんだ。本当は引き止めて欲しかった。「許して」という言葉を待っていたんだ」

汐塚の反応はない。
だけどもう止まれなくて、次々に気持ちを吐露する。

「でも平然と出て行っちゃって、もう僕のもとへは戻ってこないと思ったら凄く怖くなった。だから汐塚の部屋に……っ」
「部屋に?」
「……っ、あ、謝りに行こうと思った。あれは嘘だって言いに行こうかと……」

結局汐塚相手だと弱い立場になるのだ。
どうやったって勝てない。
それが惚れた弱みなのかどうか分からないが、多分一生このままなんだと思う。

「いらないなんて嘘だよ。ずっと僕の傍にいてよ。絶対にいなくならないでよ!」

きっと河原で会った時から気持ちは変わっていない。
汐塚はどんどん周囲にとって必要な人間になってしまったけど、凛太郎にとっては彼が浮浪者だろうが、優秀な執事だろうが関係なかった。
ただ彼と一緒にいたかったのだ。

「……まったく」

すると汐塚が笑ったような気がした。
振り返った彼は目尻に穏やかな皺を寄せ、珍しく素直に喜色を表すと、凛太郎の頭をガシガシと撫でる。

「お前を素直にさせるのは骨が折れるな」

本当に面倒なやつだ――と、はにかんだ汐塚がそっと凛太郎の体を抱きしめる。
太い腕が腰に回ると、ぎゅっと力をいれてきた。
凛太郎は汐塚の肩口に顔を埋めながら、勝手に頬が緩むのを止められない。
それくらい心地良い抱擁だった。

「俺の名前は、お前でも汐塚でもねーぞ」

触れたところから互いの体温を共有する。
少し体を離すと額をくっつけた。
悪戯っぽく凛太郎を見つめる汐塚の瞳は綺麗で胸が高鳴る。

「まさか忘れたんじゃないだろうな」
「わ、忘れるわけない!…………あっ」

ムキになって言い返すが、余計に恥ずかしいことを言ったとあとで気付いた。
それは表情が物語っていて一気に赤面する。
彼は決まり悪そうに視線を泳がせると、か細い声で、

「ナギ……」

と、呟いた。
すると汐塚の瞳は優しさを増す。
そんな風に見つめられたら嬉しくなって、凛太郎は笑いたいのをこらえるように口許に力を入れた。
引きつった顔は間抜けで、汐塚の方がぷっと吹き出す。

「ははっ、俺愛されてるわー」

けらけらと笑う汐塚の姿は久しぶりで、怒りたいのに怒れない。
事実だから否定も出来ない。
汐塚がこうやって砕けた口調で話してくれるのは二人っきりの時だけで、普段の紳士ぶりから考えられないほど品がなくなる。
彼はオールバックにしていた髪を手で乱した。
荒々しく掻きあげると、いつもよりちょっとワイルドで格好良くなる。

「で、お前はなんて呼んで欲しいの?坊ちゃん?それとも名前で呼ぶか?」
「それはっ」
「ん?」
「な、な、名前で……」

一度素直になるとなし崩しのように甘えたくなる。
いや、きっと素直になれたご褒美に、汐塚が甘えてもいいという雰囲気を作ってくれるから気持ちのままに振舞えるのだ。
凛太郎の顔は暗闇でも分かるほど真っ赤にしていた。
汐塚は愛しむように彼の髪に口付けすると、頬に手を寄せる。
緊張と照れくささから潤んだ凛太郎の瞳を真正面から見つめると、吐息のかかる距離で、

「凛太郎」

低く掠れた声で囁いた。
その心地良い響きに心臓は爆発しそうになると、きゅっと目を瞑る。
同時に彼のシャツを掴んでいた手に力を込める。
唇にも息があたっていた。
それくらい間近で見つめられて、視線に溶けてしまいそうだ。
顔が強張るも、離れたくなくて大人しくしていると、それが相手にも伝わったのか、汐塚は触れるだけの優しいキスをしてくれた。
唇に柔らかな感触がして、胸が早鐘を打つ。
軽い興奮に目の縁をぽっと赤らめた。

「ベッド行こっか」
「……っ……」

なんて恥ずかしい誘い文句だ。
凛太郎は言葉に詰まったまま頷く。
すると汐塚は軽々と彼の体を抱き上げた。
途端に視界が高くなると、彼との距離が近くなる。
汐塚に抱っこされるのは好きだった。
普段は子ども扱いを嫌うくせに、こうして抱き上げられていると大切にされているみたいで胸が熱くなる。
汐塚は凛太郎をベッドに下ろすと、躊躇いなくパジャマの上から触った。
始めはくすぐったくて、でも触り方がいやらしいから次第に凛太郎の口から甘い声が漏れる。

「ぼ、僕がやる」

このままされるがままだといつもと一緒で、凛太郎は汐塚の手を制した。
主導権を握ろうと彼の膝の上に跨る。
すると汐塚は僅かな驚きを見せたが、すぐに目を細めて「お好きにどうぞ」と、唇を歪めた。
悔しくて凛太郎はジャケットを脱がし、ワイシャツのボタンを外す。
すぐに現れた首輪を見ると、せきたてるような感情の昂りに支配されて、

「ナギは僕のだ」

何度も首輪にキスを落とした。
むくむくと首をもたげる焦燥感に、気持ちが先走る。
いっそのこと鎖で繋いでおけたら、永遠に自分のものでいてくれるのに。
子どもじみた独占欲を持て余しながら、凛太郎は擦り寄った。
血のように赤い首輪が狂おしいほど愛しくて、下っ腹が疼く。

「僕がナギを拾ったんだ!だから一生僕んのだ!だから他の人の言うことは訊いちゃだめだっ」
「凛太郎がそう言うなら、望むがままに」
「ぜ、絶対だぞ。優しくするのも笑いかけるのも許さないぞ。今日みたいに僕を放ったらかしにしたら今度こそ解雇してやる!」
「もちろん」
「そんな簡単に返事するなっ。……っこ、この一二ヶ月どれくらい寂しかったか……」

凛太郎はすねて口を尖らせたまま睨むが、汐塚は緩やかな笑顔であやすように頭を撫でる。
その顔を見てしまうと全部許してしまうから情けない。

「……ナギの馬鹿……」

凛太郎はボタンを外しながら器用に唇を這わし、首筋や鎖骨を愛撫した。
均等の取れた体にしつこくキスをしながらシャツを脱がせる。
いたるところに吸い付くと、汐塚の体に赤い痕が残った。
凛太郎の所有物である証だ。
その痕を指で辿りながら新しい印を幾度にも付けていく。
汐塚は気持ちいいのか時折ビクンと体を震わせながら、それでも凛太郎の愛撫する様子を観察している。

「んぅ、ちゅっ……ナギの体、っ熱……!」

彼は両親と自宅へ帰ってきてそのまま凛太郎の部屋へやってきたようだ。
まだ汗臭い肌にくらくらしながら、凛太郎は体を離さない。
嬉しかったのだ。
もう零時を過ぎ、疲れた体で早く休みたいだろうに、わざわざ部屋へ寄ってくれた。
第一に使用人の部屋は玄関入って左の離れに並んでいる。
凛太郎や両親の部屋とは真逆の位置にあった。
しかも汐塚は一番奥の部屋で最も遠い。
彼がこの邸宅で暮らし始めたころ、ちょうどそこしか開いておらず、本当はもっと近い部屋にさせたかったのだが、渋々そこへ決めたのだ。

「はぁ、っすき……好きっ……ナギっ」

もうめろめろだ。
どちらが優位に立っているとかどうでも良くて、汐塚の引き締まった肉体を愛撫しまくる。
想いが溢れてしまって自分でも止められなかった。
蒸れた匂いがいっそう凛太郎の理性を惑わせ、思考が停止する。
好きな人の匂いが特別なのか、汐塚の匂いが好きだからこんなに興奮するのか判然としないまま夢中になる。
まるで凛太郎が犬のようだ。
ぺちゃくちゃと舌で舐め、唇で吸い、時に肉を甘く噛む。
匂いを嗅いでいるだけで幼いちんこは勃起して痛いくらいだった。
まだ触っていないのに、パンツからはみ出てズボンを押し上げている。

「今日はまだ風呂に入ってないから臭いだろ」
「んぅ、んっ、そんなことない……ふぁっ、ナギの匂いすきっ……頭がくらくらするっ、もっと嗅ぎたい!嗅がせろっ」

ゆるゆると胸元から舌で舐めながら、臍へなぞるように下がり、下っ腹を舐める。
下へいくほど匂いが濃くなって眩暈がした。
汐塚も興奮しているのかズボンにテントが張っている。
たまらなくて凛太郎はそのズボンに顔を押し付けると鼻を鳴らしながら擦り寄った。
頬に硬い感触がして意味なく震える。
愛しさが膨らんで、すりすりと頬ずりすると、性器はさらに硬さを増した気がした。

「っ、ナギ……っ、ナギ……」
「オモチャにすんなよ」

汐塚は自分の股間に顔を埋めた凛太郎の髪をくしゃくしゃに掻きながら呆れたように笑う。
だけど止めることはせず、好きにさせていた。
指に凛太郎の柔らかい猫っ毛が絡みつく。
色素の薄い彼の髪は、真っ黒で剛毛な汐塚とは違った手触りだった。

「はぁ……はぁ……匂いだけでイっちゃいそうだよ……」

散々人の股間に擦りついた凛太郎は、とろんとした瞳で見上げ、恍惚とした表情をしている。
よほど触れ合えなかった間寂しかったのか、彼の暴走は止まらなかった。
お預けをくらった犬だ。
それが解かれた途端、飛び掛らんばかりに吸い付いて体中に痕を残し、蕩けた顔をしている。

「ね、ナギのちんこ舐めていい?ちんこ舐めたいっ、舐めたい!」

凛太郎は汐塚が了承する前にベルトに手をかけた。
もたつく指先に苛立ちながら、急いで外すと、ズボンのボタンやチャックを下ろしていく。
膨らんだパンツに目を輝かせて、性器を取り出すと躊躇いなく先端にキスをした。

「もう汁で濡れてる!」
「そりゃあれだけズボンの上から顔を擦り付けられれば、誰だってこうなる」
「本当かっ?気持ち良かったのか!」

凛太郎は生き生きとした表情で、前のめりに無垢な瞳を向ける。
自分が汐塚を気持ち良くさせていると思うだけで嬉しいのか、俄然やる気に満ちていた。

「気持ちいいよ。凛太郎にされるだけで、イってしまいそうだ」

汐塚は艶然と微笑み柔らかな頬を包むと、屈んで凛太郎の額にキスをした。
それだけで凛太郎の顔は火照りを抑えられなくなり、生娘のように両手で顔を隠す。
人の性器をもてあそんだと思えないほどウブな態度に、汐塚は笑いを噛み殺していると、凛太郎自身もそれに気付いたのか、

「と、当然だ。なんてったってこの僕がしてやっているんだからな!気持ち良くないわけがない」

なぜか上から目線で偉そうに鼻を高くした。
得意げに口角を上げるが、滲み出る喜びを隠せないのか、顔中のいたる筋肉が引きつっている。
汐塚は素直に破顔させればいいのにと思いながら、でも、その天邪鬼っぷりも嫌いじゃないとしたり顔で見下ろした。

「じゃあ口を開けて?俺のちんぽを突っ込んでやる」
「や……っ、僕がやるんだ。お前は動くな」
「なんで?」

すると凛太郎は頬に赤味を残したまま決まり悪げに目を逸らすと、

「ナギの大きいから顎が疲れる」
「…………」
「前だってちょっと待ってって言ったのに、強引に頭掴んで二回も連続で無理やり飲ませただろ。すごく苦しかったのに!」
「へぇ、イラマチオはお気に召さないのか」
「あんな物みたいに扱われて嬉しいわけない」
「そう?そのわりに咥内に射精されて凛太郎も漏らしてなかったっけ?」
「なっ……っぅ……!」
「本当は無理やり口を犯されて気持ち良かったんじゃないの?」
「…………っ」
「ま、俺はどうでもいいけど」

汐塚は挑発するように凛太郎の唇を指で触れながら甘く笑う。
綺麗な花には棘がある。
凛太郎は美しい顔を眺めながら、棘の気配にぞくりと背筋を震わせた。
それは恐怖からの怯えではなく、毒のような疼きを体がもてあましたからだ。
魅了される。
誘い込まれる。
いつだって振り回す側にいた凛太郎は、汐塚にだけは振り回されて自分を見失う。
それが恋をするということ。
しかしこの恋はあまりに理不尽で、汐塚という男は不条理極まりなかった。
むしろ凛太郎だから相手に出来ていたのかもしれない。

「わっ……あっ、ちょっと!」

すると汐塚に見惚れていた凛太郎は、腕を掴まれて押し倒された。
抵抗する間もなく荒々しく服を脱がされる。
まるでレイプのように一方的な乱暴さで凛太郎の服を剥いた。
晒されたちんこは、未熟ながらしっかり勃起しており天を仰いでいる。
汐塚は何を思ったのか、急にしゃぶりついてきた。

 

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