3

「ん、あぁっ……!」

ああ、また尻の穴に桃園の舌が入ってきてしまった。
探るように内壁を舐めあげ、奥を突っつき直腸を涎まみれにする。
あの桃園に肛門を舐めさせているなんて夢にも思わなかった。
彼の舌は縦横無尽に動き、下半身が溶けてしまいそうな錯覚を起こすほど好き勝手に暴れている。
弓枝の体を味わっているのだ。
ぴちゃぴちゃと卑猥な水音が、弓枝の耳を犯した。
陰湿にも思えるくらい執拗な愛撫に、朦朧としながら額から汗を流す。
次第に力が入らなくなって、突き出していた尻を下げた。
すると桃園はその尻を鷲掴みにして、再び舌を這わす。
脳みそまでベロベロに舐められているようで、口からは勝手に悩ましげな声が漏れた。

「はぁっ、あぁっ……ふぅ、んっんぅ」

止まらない、止められない。

「も、もうっ、イ――――!」

尻だけでイってしまう。
弓枝の体は限界に達した。
もう無理だ。
性器を満足に触られないまま果ててしまう。
理性もプライドもぐちゃぐちゃのドロドロに溶けて混ざる。
そうして声を張り上げた時――。

「下校時刻になりました」

急に校内放送がかかった。
人気のない図書室にはうるさいくらいの音量で、弓枝だけでなく桃園も驚いて手を止める。

「まだ校内に残っている生徒は速やかに下校し――――」

機械的な口調に思わず我に返る。
まるで潮が引くかのようにさぁっと頭が冷えていった。
冷静になって見下ろせば、ずいぶんはしたない格好をしている。
弓枝は一瞬で顔を赤面した。
(オレは図書室で何をしてたんだ)
穴があれば入りたい心境に絶句していると、尻から顔をあげた桃園も同じ顔をしている。
校内放送が終わり、元の静けさに戻ると余計に気まずくて二人は無言になった。
辺りには散乱した服と本が散らばっている。
桃園は尻を舐めまくっていたせいか唇が濡れていた。
それが淫猥で即座に目を離す。
でなければ先に体が反応すると思ったからだ。

「あはは。やば。もうこんな時間だったんだ」

桃園は腕時計を見ながら失敗したと顔をくしゃくしゃにする。
ここからじゃ図書室にかけられた時計は見えなかった。
知らぬ間にそんなにも時が経っていたことに困惑する。

「こ、ここはいいから、もう行け!」

弓枝は脱ぎ散らかしていた服をかき集めて自らのふしだらな体を隠した。
珍しく強い口調だったが、気遣う余裕すらない。
そのぎこちなさは明らかに意識してのものだった。

「え、でも掃除しないと」
「お前荷物持ってないじゃん。どうせ部室に置いてきたんだろ!」
「あ……」

桃園はうっかりといった素振りで手を叩くと慌ててズボンに手を伸ばした。
彼は着替え終えると弓枝に追い出されるがまま急かされるように図書室をあとにする。
弓枝はようやくひとりになって心地悪さから解放された。

「くそ…………」

乱暴に前髪を掻き毟る。
あのまま二人でここの片づけをしていたら、恥ずかしさに死んでいたかもしれない。
だから桃園をせっつかせた。
一瞬でも間を挟んだら、全てがなし崩しになってしまいそうで怖かった。
乱れた己の姿が脳裏に浮かんで耐え切れなくなる。
思い出すだけで羞恥心に襲われて、いてもたってもいられなくなる。
弓枝は己の体を抱きしめて火照りを静めた。
落ち着こうと繰り返し深呼吸する。
だがそう簡単に平常心へ戻れるわけがない。
弓枝は瞼の裏に貼り付いて離れない影像を蹴散らすように本を片付け、帰る支度をするのだった。

下校時刻を迎えた校内は、凍てついたように静かで気味が悪いほどだ。
擦れ違う生徒もなく、物音は閑寂の中に溶けている。
己の足音だけが耳の奥で鈍く反響していた。
西日が射し込む教室には、整頓された机と、誰かが忘れていったであろうノートがロッカーの上に置いてある。
遠くの空に消えた賑わいが蘇ってくるようだ。
週末のせいか学校の雰囲気はいつもより湧きだっている。
外から聞こえた学生の声は甲高くどこか楽しげだった。
以前の弓枝なら明日からの休日に気分は浮き立っているが、今はもう月曜日が待ち遠しい。
桃園と冬木がいるからだ。
(とはいえ、桃園とはどんな顔して会えばいいんだろう)
自分の尻の穴を舐めた男と冷静に接する方法なんて知らない。
下駄箱へ向かう途中、トイレの洗面台で顔を洗った。
本当は熱くなった性器を抜きたかったが、もうそんな時間はない。
手淫に耽っている最中に見回りの先生でも入ってきたら厄介だ。
だから下腹部の不快感にも耐えて顔をさっぱりさせたかった。
年季の入った鏡は所々曇っている。
映し出された己の顔は、上気していて頬の赤味が目立っていた。
ほんのり漂う色気に、自分が自分じゃない気がして再び顔を洗う。
今日はキスだけじゃなく、それ以上のこともしてしまった。
もしあの校内放送がかからなければ、自ら尻を犯せと誘っていただろう。
なんて下品なんだと頭を抱えたくなった。
あんな乱れた姿を桃園はどう思っているんだろう。
次に会った時、どんな顔をすればいいんだろう。
以前、手の甲にキスをされた時、同じように思い悩んだ。
だけどその比じゃないくらいに恥ずかしい出来事に記憶を打ち消したくなった。
(忘れろ。忘れろ。忘れろ)
こんな顔で帰ったら両親に何を言われるかたまったもんじゃない。
弓枝は呪文のように唱え続けてトイレをあとにした。

下駄箱は人気もなく静謐としていた。
校内放送後、図書室の床を拭き、本を棚へ戻し、逢引していた痕跡を神経質なくらい消して元通りにすると、結構な時間が経っていた。
それから帰る支度をして図書室を出たため、大半の生徒はもう学校を出ていた。
残っている革靴はごく僅かである。
下駄箱で革靴に履き替えると、黄昏色で眩しい昇降口へと向かった。
桃園の靴はもうなかった。
きっと冬木たち演劇部と一緒に帰ったのだろう。
ひとりきりの場所に取り残されたような寂しさと共に心のどこかで安堵していた。
今桃園といたら息が出来なくなる。
昇降口を出ると一陣の風が吹いた。
汗の滲む湿った空気に心地良い秋風が肌の上を滑った。
グラウンドにも人はいない。
時折遠くで誰かの声が聞こえたが、霞む程度で耳を騒がせはしなかった。
昇降口から続くように伸びた道は正門へと続いている。

「やっと来た」

弓枝はその声にドキリと背筋を伸ばし、勢い良く振り返った。
昇降口の横にいた桃園が手を上げる。
同時に弓枝の心臓も鼓動を速めた。
どうやら弓枝を待っていたようで、携帯を鞄にしまうと彼のもとへ駆け寄ってくる。
まるで定位置のように隣に並ぶと何事もなかったように歩き出した。
弓枝はドキドキしてまともに顔も見られなかったのに、桃園はぺらぺらと暢気に喋り続ける。
他愛もない話だった。
まさか先ほどの行為を蒸し返す気にもなれず、弓枝は不慣れな相槌を打ちながら見慣れた通学路を歩く。
桃園には悪いがほとんど会話の内容が頭に入らなかった。
意識の矛先は最も身近で最も遠くへ放たれている。
時折隣り合った手や腕が触れそうになるたびに、弓枝は体を強張らせてさり気なく距離を開けた。
そうして商店街の近くまでやってきた。
ここで二人は別れるため、内心ホッと息を吐きながらあと僅かな気まずさに耐えようとする。
するとその手前の公園へ来たところで桃園が立ち止まった。
急に止まったせいで隣に人がいなくなり、弓枝は訝しむように振り返る。

「桃園?」

彼は心地悪そうに苦笑いしていた。

「俺、ここまでちゃんと上手く話せてた?」
「え?」
「いやさ、情けなくも動揺しちゃってあなたの様子を見ていられなかったからさ」

照れ隠しのように髪を掻くと、困り果てたように眉を八の字にする。

「またギクシャクしたら嫌だなって」
「…………」
「平静を装いたいのに、今、自分がどんな顔してるか分かんなくて自信がないわ」

彼は自虐めいた顔を歪ませると躊躇なく頬を引っ張った。
その痛みに強張っていた皮膚が緩む。
弓枝を覗き込む彼は、本当に自信なさ気だった。
(ああ、そうか。桃園も一緒だったんだ)
平然と話を振ってきたから凄いなと思っていた。
でも桃園も弓枝と同じようにどう振舞っていいのか迷っていたんだ。

「オレも普通でいられなかったんだからおあいこじゃね? っていうか、普通すぎて尊敬してた」
「げっ、マジで? あーっと、なら余計なこと言わなきゃ良かった」

失敗した――と、珍しく悔しそうな素振りで頭を掻いた。

「まさか俺が時間配分を間違えるなんて初歩的なミスしちゃって絶対に呆れられてると思ってた。だってすっげー格好悪くない? 時間切れで終わるなんて」
「呆れるなんて……ないよ。オレの方こそ恥ずかしいことばかりで、顔を合わせられなかった」

時間なんて考えていなかったのは一緒だ。
むしろ気を配ることに長けている彼が時間配分を間違えるほど夢中になっていた事実は意想外で、内心ときめいてしまった。
忘れてしまうほど弓枝の体にのめりこんでいたのだ。
一心不乱に尻へ舌を這わす桃園の姿を思い出し急に照れくさくなる。
弓枝だって場所のことすらどうでも良くなってしまい、最後には時間も場所も頭の隅へ片付けられてしまった。
あそこで抱かれてもいいと思っていた。
桃園は公園の柵に腰をかけると、幾分気を許したように肩を竦めて空を見上げた。
黄昏に包まれ、柔らかな空気の夕暮れはどこか哀愁漂う。
もう商店街まで目と鼻の先のせいか、買い物を終えた主婦が忙しげに通り過ぎた。
弾まない会話。
弓枝の言葉を最後に二人は口を閉ざした。
お互いどことなく気まずさを抱えて、相手の動向を探るよう一歩引いた態度でいる。
別れ道手前の歯がゆさに悶々としている。
さっさと別れてひとりに戻れば心臓は一定のリズムに戻るだろう。
身の置き所に困ることもなくなる。
ひりひりと熱を上げる胃だって落ち着く。
だけどここで離れたら次に会えるのは三日後だ。
待っていても勝手に時は過ぎるのに、それすらじれったくて離れられない。
一緒にいたい。
桃園の傍にいたい。
こんな気持ち初めてだ。

「明日の夜さ……」

先に声をかけてきたのは桃園だった。
いつもそうだ。
どんな時も彼が状況を打破してくれる。

「親がいないんだけど、うちへ来ない?」
「え?」
「あ、やましい気持ちはないんよ。明日は午前午後と部活がみっちり詰まっていてさ、空いているのが夕方からしかないからさ」

そこまで言うと彼は顔をくしゃっとさせて、

「――なんて、弁解するほうが怪しいね。全部言い訳に聞こえる。ごめん、嘘」
「自分でバラしてどうすんだよ」
「いんやー、頑張って誠実なフリをしてみたんだけど、下心満載なのは隠し切れないから、この際開き直ってみました」
「だったら最初からハッキリ言え」

弓枝は呆れたようにため息を吐くと桃園の隣に並んだ。
鞄を持っていた手に力を込める。
自ら歩み寄りたいと思った。
桃園の優しさだけに甘えているのは違うと思ったからだ。

「オレは多分自分で思っているより鈍いからちゃんと言ってもらったほうが楽だ」

相手の真意を忖度しようと必死でありながら、きっと桃園や冬木ほどの鋭さは持ち合わせていない。
言葉の裏にある意味を理解したいと思いながら、全部を拾い上げられないと思った。
ことに色恋沙汰には無縁で、駆け引きなんて無理だ。
桃園が相手ならなおさら。

「自分でバラしてどうすんの」

すると桃園の眼差しが優しくなった。
弓枝の言葉を反芻しながら、ふんわりと目尻を和らげる。
彼は凄い。
ふっと笑っただけで急に周囲が華やかになった。
雰囲気までも一変させてしまうのだ。

「だって事実なんだよ。オレ、お前たちと出会って自分が未熟な人間なんだって改めて知った」
「あらあら、反省モード?」
「茶化すな馬鹿」
「ごめんって」

何をやっても中途半端であることは自覚していたが、彼らのスペックの高さを間近で見てそう思ったのだ。
どう足掻いても二人のようにはなれない。

「ん、やっぱり弓枝は男前だ」

すると桃園は弓枝の肩に身を預けてきた。
ぐぐっと寄りかかられて、弓枝は、

「重い」

と文句を言うが、全く気にした素振りもなく桃園は、

「いーじゃん、いーじゃん」

楽しそうにじゃれてくる。
通りかかる人たちは、ただ高校生がふざけているだけだと気にも留めず前を過ぎる。
まさかただならぬ関係だと知るはずもない。
とはいえ弓枝は人前で触れ合っていることが恥ずかしくて、二度目の文句を言おうとした。
すると、それを予期していたように桃園は体から離れる。
絶妙なタイミングに口先まで出かかった言葉を呑みこんだ。

「お前、凄い」

素直にそう言うと桃園は嬉しそうに目を細める。

「じゃあ弓枝の望むがままハッキリ言わせてもらおうかな」

柵に寄りかかっていた腰を上げると弓枝と向き合った。
さわさわと頬を撫でる風に桃園の髪が靡く。
毛先にも意志があるかのように風下へ流れるさまは嫌でも目を奪われた。
残照で黒ずんだ牡丹色の雲が桃園の美しさを際立てる。

「明日の夜我が家で今日の続きをしませんか?」
「っ」
「エッチしたいんだけど」
「今度はえらい露骨だな」
「まぁ……目的はちゃんと定めていたほうが良いと思ったので」
「あっそ」

こんな時でも桃園が言うと下品に聞こえないから羨ましい話だ。
人は印象の九割を顔で決めるというが、それ以外にもイケメンの使い道があることを知る。
もし弓枝が同じ台詞を言ったらドン引きだろう。
桃園だから許されるのだ。

「――分かった」
「え…………」
「明日お前んち行く」

弓枝は素直に頷くと柵に腰掛けていた尻を叩いて立ち上がった。
今日の続きということは、あの時よりもっと恥ずかしいことをやる。
男に抱かれるのだ。
実際に想像するととんでもないことなのに、なぜが拒否の言葉は出てこない。
多少の躊躇いはあれど嫌じゃないから大人しく了承する。

「じゃあオレ、こっちだから」

しかし、その場の照れくささは穴があったら入りたくなるほどで、弓枝は平然を装いながら別れ道を指差して足早に去ろうとした。
桃園はそれを止めない。
止められない。
弓枝のあっさりした返事が衝撃的だったのか、桃園は目が点になり金縛りのように硬直していたからだ。
慮外な展開に口を半開きにさせたまま弓枝の後ろ姿を見送る。
――が、すぐに我に返ったのか、人ごみに混じろうとしていた弓枝に、

「ちょっ、弓枝っ! ま、ま、また連絡するから!」

と、叫んだ。
珍しく余裕のない声で、急に照れくさくなった弓枝は振り返ると頷くだけで声は出さない。
すぐに体を向き直して商店街の奥へと逃げるように立ち去った。
一刻もその場からいなくなりたかったのだ。
自分でもどうかしている。
こんなに素直に応じる気持ちがあったなんて信じられなかった。
速まる鼓動を抑えようと胸元のシャツを鷲掴みにして呼吸を整える。
(これが恋の力……?)
そう思ってから全身が燃えるような羞恥心に襲われた。
恋の力なんて今時恋愛小説ですら出てこない台詞に、ジタバタと地面をのた打ち回りたくなる。
途方もない恥ずかしさに足が竦むなんて初めてだ。
すると、しばらくしてアーケード街に桃園の、

「よっしゃああああああああああ!」

という有頂天になって体の底から狂喜するような声が響いてくる。
(聞こえてるよ、馬鹿)
その大声に道行く人は不審そうに声の出所を探ろうとしたが、弓枝は気恥ずかしさに他人のフリをした。
まさか自分とのことだと思われたくなかった。
それくらいあの桃園が無邪気にはしゃいでいた。
見なくても分かるガッツポーズした姿に自然と顔が綻ぶ。
その頬はほんのり紅を添えていた。

「……恥ずかしいやつ」

誰にも聞こえないよう小声で呟くも、口許は愉快そうに上がっていた。
まるで雲の上を歩いているようなふわふわとした気持ちだった。
くすぐったくてこそばゆい。
顔から火が出そうなくらい昂っているのに、心は満たされていて唇を噛み締めていないとすぐにでもひとり笑いをしてしまいそうだった。
顔中の筋肉が引きつる。
行き交う人々の中で不審に思われないよう必死になって耐える。
実際には誰も見ていないだろうに、自意識過剰にも視線が集中して、奥底の気持ちまで見透かされているようだ。
(桃園もきっと同じ気持ちなんだ)
普段から理性的で涼やかな男の雄叫びがいまだに耳の奥で残響している。
自分のことで力いっぱいに喜んでくれる人がいる。
桃園にとって自分はそういう存在なのだと実感して胸がいっぱいになる。
今なら軽く空をも飛べそうな気がした。

 

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