7

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数日後、ユニウスは熱を下げると王宮へ戻った。
多くの貴族や官職たちは出迎えて陛下の帰館を喜んだ。
また優雅でだらけた日々の始まりである。
それほどユニウスの放蕩ぶりは有名だった。
しかし静養から戻った彼の態度は一変した。
贅沢を止め、質素倹約を打ち出すと、王宮でのあり方を大々的に変え始めた。
食事はサラダ、パン、スープにメイン、デザート。
今まで食べきれないほど何皿も出されて、残った料理は全て捨てていた。
内容も、取り寄せた高級牛や幻の魚など豪華な食材を使っていたが、平民と同じで構わないと料理長に申し付けた。
皿を持つ係、グラスを持つ係、飲み物を注ぐ係など、仔細に分けていたのを一括して職務の見直し、不必要であれば廃止を命じた。
横行していた賄賂を禁じ、見つかれば罰則、財政議会の制度見直しも検討した。
彼は開かれた議会として、民衆の意見を取り入れることを決めたのである。
また収入に応じて租税の増減と、貴族や上流市民にも税金を納める義務を命じた。
領主には内国関税の撤廃を命じて、国内で品物が循環するよう促した。
これによって地方の農家や職人は、手数料を払わずに町や王都へ野菜や果物、酒や油を流すことが出来る。
同時に市場の買い付け業者、流通業者も課税されずに、国中の良質な品物を取り寄せることが出来るのだ。
さらに、過疎化が進む地方には、アルドメリア産の名物を作ることで、人を呼び、雇用を増やし、困窮していた農家から材料を得ることで二次産業、三次産業へと発展していく仕組みを作った。
輸入中心だった貿易も輸出の割合を増やして、世界中に自国の良質な品物を売りさばく作戦に出たのだ。
アルドメリアの国土だから出来たことである。
その他に、クラウスや地方の領主を呼び、現状の報告と改善の方法を話し合う会議は定期的に行われた。
それまで遠ざけていた賢臣を、ユニウスは頭を下げて城に呼び戻し、有識者と共に逼迫した財政事情について案を求めた。
予算の多くを占めていた音楽院は、宮廷専属の他に実力に応じて四つのオーケストラを作ると世界へ派遣することを決めた。
元々アルドメリアの音楽院は有名で、公演依頼は山のように来ていたから、すぐに予約は殺到した。
少ない専属の枠を争って、必要な人材を外へ流してしまうなら、公演用に別の音楽団を作ればよい。
音楽院の宣伝にもなるし、アルドメリアの評価にも繋がる、生徒たちの意識改革も進むだろう。
それまで閉じられた狭い世界にいたから汚職や虐めで汚れ、悪い精神状態だったのだ。
演奏家には専属と同じように能力に応じた金額を支払い、定期的に試験を行うことで新入生にもチャンスは生まれるし、双方が切磋琢磨し技術を磨くだろう。
卒業生にも入団権利を得させることでオーケストラとしての幅を持たせた。
卒業したらさよならでは、せっかく王宮が運営しているのにもったいない。
遠征で稼いだ金は、演奏家の給料の他に遠征費、運営費に回せば節約にもなるだろう。
ユニウス自らは節約し、その分の金を外で回るよう使えば、税収は上がる。
とはいえ、口先だけで言うなら簡単だが、実行に移すのは限りなく難しい。
希望通りに進むわけもない。
特に今までだらけた生活を堪能していた貴族や臣下、一部の商人は横暴だといきり立った。
今まで税金を納める義務から逃れていたのだから当然だろう。
内国関税を得ていた地方の領主も渋い顔をして首を縦に振らなかった。
そういう時のために、隣国に移住していたアイゼン公を呼び戻した。
彼は腑抜けたユニウスに見限り、国を去っていったひとりである。
何度も使者を送り手紙を渡すことで直接会う機会を手に入れ、謝り通して王宮へ戻ってもらった。
アイゼン公は名門貴族で、娘は他国の王妃となられている。
家柄も古く貴族たちに睨みを利かせられる高潔な人物だ。
彼のように離れて行った側近や、臣下も、ユニウスの壮大な改革に驚き、時間をかけて説得することで再び戻ってくれることを約束した。

「まさかそなたの願いが良い国を作り直すことなんて、夢にも思わなかったぞ」

静養から戻ってきたユニウスの隣には、いつもヤマトがいた。
執務室でも並び、彼の良き相談相手になっている。

「国作りには多少の知識はございますし、元々興味はあります」
「しかしなぁ」
「私はこの国で生きることを決めております。ならば、少しでも良い国になった方が住み心地も良いでしょう」

微笑むと報告書に手を伸ばし目を通す。
それぞれの案の骨組みを作ったのはヤマトとユニウスの二人だ。
音楽院とオーケストラの件にいたっては、ほぼヤマトの意見だった。
彼はミシェルの居場所を突き止めると、アルドメリア音楽団として世界を回って欲しいと手紙を出した。
返事がもらえた時は珍しく無邪気になって喜んだ。
手紙にヤマトの名前は記さなかったから二人の距離は遠いままだったが、少しでもミシェルのために償いが出来たことに安堵した。
そうして数ヶ月はあっという間に過ぎた。
肌寒かった城内には陽気が射しこみ、気付けば暑さに扇を仰ぐようになっていた。
季節の移り変わりと同じように、少しずつ城が、王都が、国が変わり始める。
中心にいたヤマトはその変化をまざまざと見つめ、空を仰ぎ、遥か彼方へ続く水平線を眺めるのが日課になっていた。
忙しさの合間に港を見下ろし母国を想ったのである。
これだけの改革を推し進めるとなると、時間はいくらあっても足らず、連日仕事は深夜まで立て込んだ。
下降線を描いていた王宮の財政状況は止まり、少しだけ上向きへと変わっていった。
煙臭かった執務室は膨大な書類で溢れて、時に足の踏み場もない状態になった。
懈怠な雰囲気で満ちていた城内も、規律が厳しく守られて、今や廊下を歩くのも緊張するくらいである。
遊び惚けていた貴族たちは姿を消して、ユニウスも鹿狩りや仮面舞踏会にいかなくなった。

「ヤマトさん」
「これはクラウス様。お久しぶりでございます」

今日はユニウスの子供たちが城へやってくる日で、朝から準備に追われていた。
それまで子供たちは遠くの城で育て、ユニウスに会う機会は全くなかったが、現在は王宮のすぐ傍にある屋敷で生活している。
ユニウスは定期的に親子で会う機会を儲け、全員が大切な家族であるという認識を持たせた。
きっと兄弟間での争いを避けるためだろう。
ユニウスは後宮も廃止して、側室は全員実家へと返した。
女たちは泣いて喜び後宮から去っていった。
やはり小さな部屋に押し込まれて、来もしない陛下を待つのは苦痛だったのだ。
さすがに「よろしいのですか?」と聞いたが、彼は「もう必要ない」と首を振るだけだった。
その分の予算も浮いたし、無意味な城の建設や調度品集めもなくなり、財政難を囁く声はだいぶ少なくなった。
万事順調。
何せヤマトもユニウスも頭を使うのは得意分野だからだ。
博学がそれを助けてくれる。
微力ながらでも彼の役に立てていると思うと、幼きころ勉学に励んだことは無駄ではなかったのだと嬉しくなった。
世を捨てて吟遊詩人になれど、政に未練はあったのだろう。
何もせず唄っていたころより、忙しい現在の方が楽しいのだから面白い。
人は生きていると実感する時、大抵、自分にしか出来ないことを見つけている。
自分にしか分からない価値を見つけている。
それを総じて生きがいと呼ぶのだろう。

「私が命を狙われている?」

以前は滅多にやってこなかったクラウスも、現在は度々城に顔を出していた。
彼は国民から絶大な人気を誇る王子で、平民の暮らしぶりや町の様子など誰よりも詳しかった。
噂によるとよく城を抜け出し、お忍びで町を見て回っているらしい。
クラウスを悪く言う民はいなかった。
彼は身分を厭わず誰にでも平等に接するからだ。

「ええ。現在の陛下を良く思わない人間は、城内だけでも大勢おります。その中であなたは目立ちすぎでしょう」

ヤマトを連れ出したクラウスは、周囲を気にするよう空いた部屋に入ると、

「詳しいことは存じませんが、あなたと陛下がご静養から戻られたあと、陛下の意識が変わり改革を始めたとお聞きしております」
「………………」
「ヤマトさんの特殊な立場は以前にも良く思われておりませんでしたが、今は顕著に悪くなっております。一部の心ない者はあなたが陛下を惑わし、国を陥れようとしている、貴族を迫害しようとしているとの噂を流しております」
「確かに。私もそうなることは重々承知の上でした。むしろ今まで甘い蜜を吸っていたのだから、そうならない方がおかしいように思います。改革案はずいぶん大胆で強引でしたからね。何よりも私は怪しげな異国人。警戒するのは当然です」
「なれどあなたはそのような人ではないでしょう?」

クラウスは柔らかく微笑んだ。
さすが兄弟で、クラウスとユニウスは似ている。
しかし彼はこんな風に笑ってくれない。
だからクラウスに微笑まれると無性に居心地悪くなった。

「さぁ。クラウス様は私を買いかぶりすぎなのかもしれませんよ」

クラウスの真っ直ぐな眼差しから逃げるように目を逸らす。

「もしかしたらその方が仰っているような人間かもしれませぬ。所詮、素性も不明な吟遊詩人。疑わない方がおかしいのでございます」

だが彼は首を振ると、

「例え素性が不明でも、人間性までは隠しきれないものです」
「というのは?」
「心の澄んだ人間は、どんなに悪を被ろうとも眩しいものです。逆に心に悪を抱えた者は、どんなに澄んだ眼差しを見せようとも穢れているのですよ」
「……………」
「それは身分では推し測れないものでしょう?私は心の優しい民も、奸悪な貴族も存じていますから、説得力があると思います」

クラウスの悠揚たる物腰は、独特の空気を醸し出して吸い寄せられる。
身分を恥じるな、自信を持て――と、励まされているようで嬉しかった。
今の彼はユニウスの影そのもの。
ユニウスに浴びせられるだろう険悪な眼差しを、ヤマトは一挙に引き受けている。
本来ならそんな制度に改めた陛下が憎まれるところ、全ての怒りをヤマトに向けさせている。
それは好都合だった。
ヤマトを悪役に仕立てれば、妨害を受けるのはヤマトだけで、ユニウスや側近たちは動きやすい。
改革を良く思わない者たちの、やり場のない怒りの吐き出し口となっているのだ。

「とにかく気をつけてください。私もなるべくお守りできるよう尽力します」
「そんな……。私にはもったいないお言葉でございます」

ヤマトは謙遜に手を振ったが、クラウスの表情は変わらなかった。

「いえ、本来なら国をあげても守るべきです。もしあなたがいなくなったら国は、陛下は、どうなるか分かりません」
「大げさですよ。本来陛下には私など必要ありません」

すると、クラウスは含み笑いをして、

「……そう思っているのは、あなただけかもしれない」

と呟き、広々とした廊下へ戻っていった。
唖然として残されていたヤマトだったが、準備の途中だったと慌てて戻る。
本当は分かっていた。
自分がどれほど危険な立場にいるのか。
いつからか自分を狙う影が纏わりつくようになっていた。
しかし、それはユニウスに願いを伝えた時点で覚悟している。
国を変えるというのは大きな代償を伴う。
それが身の危険だとしても、これ以上の停滞は許されないのだ。
国は変わる。
ユニウスも変わる。
そのためならこの身などいくら捧げても惜しくなかった。
(しかしクラウス様も妙なことを仰る)
今のユニウスにヤマトは必要ない。
なぜなら彼自身利発な人間で、今はヤマトよりずっと優れた側近や有識者が周りにいるのだ。
賢臣は、日夜陛下と共に頭を悩ませ、国を良い方向へ導いている。
最初こそヤマトの助言が必要だったが、今はもう彼の手を離れた。
隣に並び、話を聞き、頷き、終わる。
中には、ヤマトが参加できない話し合いもあった。
ユニウスは申し訳なさそうに「執務室で待っていてね」と詫びてドアを閉める。
城で行われる晩餐会らしいのだが、彼は唯一何も話してくれなかった。
閉ざされたドアの向こうで、俯き、唇を噛み締める。
所詮、異国人。
ヤマトはその薄く強固な壁を感じ始めていた。

その後、陛下の子供たちとのお茶会は上手くいった。
全員母親は違えど陛下の子。
男ばかりの四兄弟で、みんなどことなくユニウスに似ていた。
小さな王子たちは好奇心旺盛で、無邪気に明るく、野原を走り回る。
一番上は九歳で、下はまだ三歳。
城の誰よりも年が近いせいか、ヤマトは好かれ、まだ数回しか会ってないのに兄のように慕われた。
顔の幼さも相まって親近感があるのだろう。
なぜか少し複雑だった。
(もしかしたら陛下も僕を子供のようにしか思っていないのかもしれない)
城に来た当初から何でも許されていたのは、子供と重ねていたからか。
埋まらない年齢差にもどかしさを感じたのは初めてで戸惑う。
せめてこの国の人のように、肉体の成長が早く体つきも良ければまだ違ったかもしれない。
東洋人特有の小柄さが悔しかった。

「みんな寝たか」

夜、ユニウスは子供部屋に顔を出した。
ヤマトは頼まれて全員を寝かしつけていた。
役に立ったのは昔妹の世話をした経験で、子守唄を唄ったら、案外すぐ眠りについてくれた。
昼間あれだけ遊んだのだから疲れていたのかもしれない。
久しぶりに父親に会えて大はしゃぎだった彼らの姿が目に浮かんで思わず口許が緩んだ。

「それ、耳心地良いな。何の歌だい?」
「僕の国の子守唄です。久しぶりに唄ったのに、案外覚えているものですね」

ヤマトは眠りについた子供たちの布団を肩までかけ直すと、音をたてないよう静かに部屋を出た。
ユニウスは今までまた会議に出ていたのだろう。
顔が少し疲れていた。

「根を詰めすぎではありませんか?そんなに大変なのですか?」
「いや、もう時間がないんでね。まだ色々やることがあるんだ」
「そうですか……」

静かな廊下に二人分の足音が響く。
話の継穂がなくなると口を閉ざす。
互いに饒舌な方ではなく、今まで何を話していたのか考えてみるが思い浮かばなかった。
忘れてはならないのは、彼が国王陛下であるという事実である。
その辺の友人と話すのとわけが違う。

「あの、では……これで」

ヤマトは見計らって頭を下げ、自室に戻ろうとした。
だが、腕をとられて顔をあげる。

「余もそなたの子守唄が聴きたい」
「え?」
「良かったら部屋に来ないか?」
「……っ……」

まさか誘われるとは思わず口を噤むと小さく頷いた。
二人でゆっくり過ごすなんて久しぶりだからだ。
するとユニウスはその態度にクスッと笑う。

「何ですか?」
「いや、いつも振られていたからね。まさか了承してくれるとは思わなかった」
「そ、それはっ……ただ、陛下が最近熱心に仕事をされていると思ったから……」

確かにヤマトはユニウスに唄って欲しいと頼まれたのを断っていた。
彼の前では唄いたくないと断言していた。
それを思い出すと恥ずかしそうに顔を背け、

「やはり自室に戻ります。おやすみなさい」

掴まれていた手を振りほどこうとしたが離れない。
睨みつけようとしたら、良からぬことを考えているユニウスと目が合った。
嫌な予感はいつだって的中する。
ヤマトは女装させられた馬車の中で、己の甘さを後悔していた。

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