6

いつか必ず父親たちをあっと言わせる。
見過ごせない存在になってやる。
ユニウスは体が弱く、武術では弟シリウスにいつも負けていた。
その代わり誰よりも聡明で、国一の学校を主席で入学、卒業した。
言葉通り血の滲む努力の甲斐あって、実績が認められ、彼は十八の時王宮に招かれた。
ようやく王子として認められ、王宮で暮らすことを許されたのである。
その後のユニウスは憑かれたように用意周到となった。
表向きは頭脳明晰、眉目秀麗と非の打ち所がない王子として振る舞い、城内の株をあげていった。
裏では金を使って臣下や貴族を篭絡し、自分の味方につけていた。
二十歳を越えると、王族内は揉めるようになった。
なぜなら娼婦の息子は優秀で、正室の息子はやりたい放題の暴れん坊と化していたからだ。
当時のシリウスは自由人だった。
そうだろう。
彼は生まれた時から人々に愛され見守られて生きていたのだ。
それまで辛い思いをしたことがない彼は、他人の気持ちに鈍く、世界は自分中心で回っていると本気で思っていた。
金を使い、女を買い、喧嘩に明け暮れて粗暴な印象がついて回った。
それもユニウスにとっては追い風となっていただろう。
だが、二年を過ぎても二人の争いは拮抗したままだった。
シリウスは諦めなかったし、ユニウスも手を引かなかった。
シリウスは問題児として有名だったが、彼は裏表のない性格で男気あり、好いている者も少なくなかった。
貴族からは野蛮だと嫌われていたが、騎士団や兵士たちからは絶大な人気を誇り、その評価は侮れなかった。
そんな時、二人の争いに辟易としていた父親は、三男のクラウスに跡を継がせると言い出した。
お蔭で城内はユニウス派、シリウス派、クラウス派と派閥に別れて三つ巴となった。
(そこまでして父上は俺に継がせたくないんだな)
本来なら第一子であるユニウスが必然的に王位継承するべきである。
娼婦の女だろうが父親はその時熱を上げ、彼女に夢中だったのだから。
しかし死んだと同時に冷めたのか、彼の愛情がユニウスに戻ることはなかった。
再びユニウスの心に闇が忍び寄る。
(決して許さない)
父親も、母親も、兄弟も――この国も。
いっそ全部壊れてしまえばいい。
ユニウスは完全に悪魔に魂を売り渡すことを決めた。
幸いクラウスは早々に手を引き、田舎の城へ閉じこもった。
残りはシリウスだけ。
力では敵わないが、頭なら負けない。
シリウスは気が荒いが、所詮王宮でぬるま湯に浸かって育った子。
隙だらけで弱点を見つけるのは容易だった。
彼についてありとあらゆることを調べ上げ、シリウスの女を甘い言葉で口説き、金を見せ、未来の皇后だと囁けば簡単に落ちた。
欲深き女はユニウスの望むがまま行動に出た。
ある早朝、寝ているシリウスを隠し持っていたナイフで襲ったのだ。
シリウスは、愛し信頼していた女の手で瀕死の重症を負い、廃人と化した。
死ぬべき男だったが、死より辛い苦しみを背負ったと聞いた時は一晩中嗤いが止まらなかった。
シリウスを手にかけた女は、さっさとこの世から退場してもらった。
これでユニウスの計画を知る者はいなくなる。
愛情の縺れから起きた事件として片付けられ、望みどおり王位はユニウスに継がれることとなった。
(……これは始まりに過ぎない)
それでもユニウスの憎しみは消えなかった。
復讐の炎は今なお彼の瞳の奥で冷たく燃えている。

「だから正室の子は儲けなかった。全て側室の子をひとつの城にまとめて育てている。追い詰められていく王妃の顔を見るのが毎日の楽しみだった」

全ては前国王の正室へのあてつけだった。
彼女はユニウスが国王となり、夫が亡くなると同時に王宮からいなくなった。
遠くの城で静かな時を過ごしている。
きっと仕返しされると思っていたのだろう。
そう自覚があるほど、彼女はユニウスを傷つけていたのだ。
その後、ユニウスの妻は死んだ。
自殺だった。
自分だけ上手くいかない夫婦生活に絶望して命を絶ったのだ。
それほど世継ぎの問題は大きかった。
彼女は死ぬまでの間、散々貴族や臣下たちから責められ続けた。
可哀想な女だ。
自殺と発表するのは憚れ、結局病死として処理された。
彼女の死はひとつの大きな合図だった。
ユニウスは再び動き出した。
それまで誠実な知性溢れる王として君臨していた姿を脱ぎさったのだ。
国民の前では良い王を演じながら、堕落した生活をし、血税を使いまくり、能力ある側近は全て消した。
あとはゆっくりと下降線を描き、この国は地獄へ落ちていく。
遠くない未来、怒り狂った国民が声を上げ、王宮に押しかけてくるだろう。
もしユニウスの子供が賢ければ、革命が起きる前にその子の手によって殺されるかもしれない。
(それも良きかな)
ユニウスの目的は全てを壊すこと。
その中には当然自分も含まれているのだ。
自分だけが救われることなど微塵も考えていない。
なぜなら己も憎き者のひとりに過ぎないからだ。

「そなたは旧約聖書を読んだことがあるかい?」

ユニウスはヤマトの体を抱き寄せたままそう呟いた。

「船の中で少し……」
「ならばアダムとエバの子であるカインとアベルの話は知っているかい?」

その問いに頷くと、ユニウスは嬉しそうに笑い、

「弟アベルを殺したカインは、神ヤハウェにアベルの所在を聞かれた時、こう答えた。「自分は知らない。自分は弟の番人ではない」……それは人類が最初に嘘を吐いた瞬間だったんだよ」
「…………」
「余は人を欺き続けた。この手は血で汚れすぎた。……結局、カインは神から追放され、アベルは最初の殉教者となった。つまり神に受け入れられたんだ」
「ですが、カインが文明の始まりです。彼によって文明は作られ広げられ人々は増えていったのでしょう?」
「ははっ、そなたは誰の味方なのだ。余は弟殺しの男だぞ」
「それは……っ」

するとユニウスは、ヤマトの小さな手を握り、感慨深そうに目を閉じる。

「そういえば……十年後、突如シリウスが現れた時は驚いたな」

それまでずっとシリウスは自分を許さないだろうと思っていた。
彼の気性ならば、命を狙ってくるに違いない。
もしかしたら今もこうして黒城から自分の暗殺計画を練り、クーデターでも起こすつもりではないのか。
それも一興と考えていたのに、ある日突然現れたシリウスはユニウスに土下座をした。
前々から周辺諸国で横行していた魔女狩りについての話だった。

「彼はな、たったひとりの愛する者のために、この世で最も憎い男に頭を下げたのだ」

二度と刃向かわない、楯突かない、王位なんていらないから助けて欲しい。
彼は大勢の前でそう断言した。
シリウスの過ごした空白の十年間、どんな風に生きていたのか仔細には知らない。
だが昔の面影はなかった。
それだけで尋常ならぬ経験をしたことを覚った。
多くの者たちが見守る中で、繰り返し頭を下げるシリウス。
それはユニウスが望んでいた姿だった。
いつかあのシリウスをもひれ伏し、願いを乞い、服従を誓う存在になるのだと。
(余がお前の運命を握る。余がお前の全てを掌握する)
脳裏に浮かんだのは、昔、この城で行われた晩餐会で人々の期待を一身に集める弟たちの姿だった。
いつもユニウスはその影で大人しくしている。
自分が出て行くことを誰も望んでいないから、暗闇から明るい方を見つめていたのだ。
それが今や逆の立場だ。
光を得たユニウスが、シリウスの願いを聞き入れる立場になっている。
この優越感、幸福感。
今の彼なら足にキスをしろと言っても喜んでするだろう。
永遠に逆らえず弱者となる。

「お願いだ。……いえ、お願いです。陛下」

玉座から見下ろすのはたまらない快感だ。
見上げるシリウスの顔は、必死そのもので笑える。
…………はずであったのに。
(この劣等感はなぜ消えないのだろう)
床に頭を擦り付けている男の後頭部を見ながら、ぽっかり穴が開いたような気分にさせられた。
長年の恨みから遊んでやれば良かったのに、ユニウスはすぐ他国へ令状を発した。
恥も外聞も捨てて必死に嘆願する姿は、ユニウスの心を少しだけ動かした。
そうして魔女裁判の条約を定めたのである。
シリウスは無事に愛する者の命を救い、魔の森の深くにある城へ帰っていった。
彼は言った通り、他に何も求めてこなかった。
欲望の塊だった男は恬淡とし、世間から遠ざかると隠遁するのだった。

「端から見れば余が勝者でシリウスは敗者に違いない。だが、その時知ったのだ。本当は逆なのだと。余はいつまで経っても闇を彷徨い、シリウスは希望の光を手にしていた。結局、弟殺しは弟殺し。幸せになれるわけはないんだ」

あの日から、日に日に空虚な気持ちが増えていく。
自問する時間が増えている。
脳裏に映るシリウスの変わった姿が頭から離れない。
(余は……余の人生はこれで良かったのか)
これで良いに決まっている。
望んだのはユニウスだ。
全てが壊れてなくなるまで、彼はこの世の春を謳歌し続ける。
それがたとえまやかしの春だとしても、知らぬ振りをして宴を続ける。

「カインは確かに文明を開いた。なれどそれは戦いに明け暮れる日々の始まりだった。人々はここから争いを始めたのだ。未だに争いはなくならないだろう?カインの人生に平穏な時間はもう戻ってこないのだよ」

全てを話し終えた彼は疲れたようにヤマトの肩に頭を置いた。
悲しい話なのに、その横顔は初めて見るほど円やかな表情をしていた。
ヤマトはくすりと笑う。

「自暴自棄だからって異国の見知らぬ吟遊詩人を囲うことはないでしょう」

人生の皮肉ならぬ、運命の皮肉。
兄に殺されかけた少年と弟を殺しかけた王が、こうして横に並び互いの傷を舐めあっている。
だが不思議だ。
エオゼンのように憎き兄を重ねてユニウスも消してしまえばいいのに、彼に対してそんな気にならない。
否、そんな気は失せた。
それは言葉にしなくても激しい後悔を抱いていると分かってしまったからか。
それとも散々傷ついてきた男を哀れんでいるからか。
ヤマトに捌く権利はない。
むしろ似ていると思った。
振り向いて欲しくてひたすら勉学に励んだ日々。
期待されていないことを早々に覚った落胆の日々。
(そうか。陛下はこの国を憎んでいた。だから国を破綻へと導いていた)
自ら望んでそう仕向けていたのだ。
本当はギャンブルも派手な遊びも豪華な食卓も興味はない。
この城にいる時のユニウスこそが本当の姿――素なのだ。

「そなたの願いは何でも叶えよう」
「僕の願いを聞いて贖罪のつもりなのですか」
「さすがに分かってしまうか」

苦笑したユニウスは、ヤマトの美しい黒髪を撫でて微笑んだ。
城に来た当初からことあるごとに「綺麗だ」と言われてきたが、そのたびに突っぱねた。
男が髪を褒められたところで嬉しくなかったからだ。
だけどその時は彼の手を撥ね退けられなくて、黙って見つめる。
まだ若い王なのに達観しているような眼差しは、物悲しい気持ちにさせた。
きっとユニウスもヤマトを見て同じことを思っていたのだろう。
相反する立場なのに、二人の心は同じだった。

「今日は引っ叩かないのかい?」
「いけませんか?」
「いや、そなたの髪は艶やかでとても好きだ。まるで絹のようにしっとりと手に吸い付く」
「…………」
「似合っているよ」

そっと髪にキスをした彼は、窺うようにヤマトを見つめ、

「本当にそなたの願いを叶えたいんだ」
「……されど」
「余に出来ないことはない。国一の城を作ることも出来るし、そなた専用の劇場だって建てられる。食べたい物があるならどこからでも取り寄せよう」
「陛下…………」
「そなたが望むなら、ヤマトの故郷に戦争を仕掛けてもいい」
「え――――」
「憎き兄が帝となっているやもしれんのだろう。余の力を持ってすれば、彼の力を奪うのも容易い」

ヤマトは咄嗟にユニウスへ振り返った。
本心を確かめたかったからだ。
いつものからかいだと思っていたら、瞳はどこまでも真剣で茶化せない。
(兄上を殺す)
それはずっと抱いていた願いでもあった。
憎しみを秘めていたから見知らぬ国でも生きてこれた。
帝になりたかったわけではない。
ただ全てを奪った兄に一矢報いたかった。
弟に決して癒えることのない傷を与えたことを知って欲しかった。
だが突然その願いが現実味を帯びると困惑する。

「それは……っなれど……」

ヤマトが頷けば本当にユニウスは動くかもしれない。
そうして本意を遂げることが出来るかもしれない。
喜ばしいことなのに。
(……この人の手を再び血に染めて良いのだろうか)
なぜ迷う。
なぜ即断出来ない。

「すぐに返事は聞かぬ。ゆっくり考えてくれ」
「…………」
「他に望みはなんだ。欲しいものはないのか?」

優しく語り掛ける言葉が胸の奥を突く。
ヤマトは首を振った。
対してユニウスは「そう答えると思った」と小さな体を抱きしめた。
その心地良い腕を抜け出すと、ヤマトは、

「スープが出来上がったのを忘れておりました。すぐに温め直して持ってきます」

そそくさと彼の部屋を出た。
しかし温めたスープは待女に持って行かせ、ヤマトは再び部屋に戻らなかった。
その代わり城を見て回った。
ランプを片手に幼いころのユニウスを探しに出かけた。
これが王族の住む城なのかと呆れるほど物はなく、どこも印象は同じだった。
ここで過ごした十数年間、どれほど鬱憤を溜め、憎しみを増幅させ、索漠たる人生をすごしてきたのだろう。
城に来て寂しくも落ち着くと思ったのは、同じような屋敷で寂しさを募らせてきたからだ。
だけどヤマトには妹や乳母もいたし、幼いころは兄とも仲が良かった。
まだ恵まれた境遇にいたのだ。
それに比べてここはどうだ。
塔にのぼり丘の上から眺めると、周辺一帯が一望できる。
雪は雨によって溶け、大地が剥き出しとなり、黒い海のようだ。
遥か遠くに霞んで見える明かり以外は何もない。
寂れて人も寄り付かない悲しい城。
人気がなく荒廃とした雰囲気は、早春の寒さをより感じさせる。
悴んだ手を擦り合わせて息を吹きかけた。
綿のように広がった白い息は風に流されてすぐ消える。
(冷たい……)
その冷たさがユニウスの冷えた瞳と重なって意味なく胸は痛んだ。

翌朝、ヤマトはユニウスの部屋を訪れた。

「おはようございます」
「やぁ、おはよう」

朝一番にやってきたのがヤマトで、彼は驚いたように目を開けた。
それが嬉しそうにも見えてしまったのは、きっと寝不足で瞼が重かったからに違いない。
ヤマトは一晩中考え続けた。
そうして答えは出た。

「陛下、僕の願いを聞いてくださいませんか」

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