15

***

夕方、目覚めたらすぐ隣に大佐がいて、照れくさそうにはにかんだ。
一枚の布団に身を寄せ合って寝ていた。
寝顔を見られていたことに、

「起こして下さいよ」

僕は恥じらいを紛らわすように頬を膨らませる。
すると甘ったるく微笑んだ大佐が、何も言わず額に口付けてくれた。
(あ、あまっ……甘いです、大佐……)
身も心もひとつになったせいか、大佐の態度が普段と違う気がした。
出会った当初の堅い人には見えない。
それどころか、僕が起き上がろうとしたら背中に手を回してくれた。
体を気遣い、抱き寄せられる。

「あんなにしたのに、まだ抱き足りないようだ」
「た、大佐…でも、もうきっとみんな起きてます。バレちゃいますよ」
「分かっている。だが、キスだけしたい」
「んっ、ん……ぅっ」

僕の返事なんて訊かずに大佐は唇を落とした。
柔らかな感触は何度もしたのに飽きる気配がない。
それどころかまた押し倒されそうな雰囲気になって慌てた。
僕が止めに入ると、大佐は苦笑する。

「すまない。年甲斐もなくがっついてしまったようだ」

その照れくさそうな顔が愛しくて、大佐の胸元にうずくまると頬ずりした。
自分にはない逞しい胸板に抱かれて「ほぅ」と息を漏らす。

「またみんなが寝静まったらしてください。僕も大佐に触れられると嬉しいから……」
「ミシェル」

頬に赤みが差していた。
僕の言葉に大佐は息を呑み込むと、同じように顔を赤らめる。
くすぐったかった。
これが恋人同士の空気なのだろうか。
ぎゅるるるる。
すると僕の腹が鳴った。
タイミングの良さに慌てて腹を抑える。
その様子に大佐が吹き出した。
おかしそうに笑う姿が愛しくて、つられるように僕も笑うと、二人は微笑み合った。

「どれ、母さんにご飯の用意をさせよう」
「あ、僕も行きます」
「ゆっくりでいい。…その、無理をさせたくないから」

大佐は照れたように目を伏せた。
まるで初めてを散らした女を気遣うようだ。
ベッドの中ではあれだけ激しく僕を抱いたのに、今の彼はウブなくらい照れて可愛いとさえ思ってしまう。
その気持ちが嬉しくて、僕は頷くと「あとから行きます」と答えた。
大佐はそれに安堵すると、先に部屋を出た。
そのあとに僕が着替えて部屋を出る。
下半身が重く疼いた。
でもそれが大佐と繋がった証で、嫌な感覚ではなかった。
居間のある三階へ下りると廊下から良い匂いがしてきた。
それに釣られたように顔を出す。
するとテーブルには豪華な料理が所狭しと置かれていた。

「おはよう。どうしたんだ。誰か客でも来るのか?」

先に下りていた大佐がドリスさんに問いかけていた。
すると彼女は隣にいたフィデリオに目配せをする。
父親は空気を読むようにゴホンと咳をした。

「そもそも始めっからおかしいと思っていたのよ」
「は?」
「あんたが誰かをうちに連れてくるなんて初めてだったじゃないか」
「な、なんのことだ?」
「クラリオンは父さんに似て奥手だから心配していたんだけど、これで安堵したわ」

ドリスさんはフライパンを握りながら意味ありげに微笑んだ。
大佐は眉間に皺を寄せる。
するとその肩をフィデリオが抱いた。

「兄貴、うちはボロいんだから、あんまり激しくすると家中に響くぞ」
「は?」
「ついでに、兄貴の体力にミシェルを付き合わせたら可哀想だからな」
「お前っ――」

ようやく意味に気付いた大佐は真っ赤にした。
居間の入り口で訊いていた僕も喫驚して固まる。
(まさか今朝の聞こえて――)
絶句していると、その服の裾を誰かに掴まれた。
見ると眠そうなアロイスとエルザがあくびをしている。

「おはよ」
「お、おはよう!」

動揺していたせいか咄嗟に大きな声を出してしまった。
しまったと思った時にはすでに遅く、居間にいた全員が僕を見ている。
大佐はこめかみに手を当てて、頭が痛そうに嘆いていたが、覚悟を決めると、

「そういうことだ。すまない。次からは気をつける」
「た、大佐」
「ミシェルは俺の恋人だ」

僕の腰を抱き寄せて宣言した。
僕は突然のことに大佐を見上げながら口をぱくぱくさせる。
ドリスさんとフィデリオは「おおっ」と喜ばしい顔をした。
おじさんは相変わらずの無言で、時折咳払いする。
アロイスとエルザは何も分からず、きょとんとするばかりだった。

***

早春の祭から数日経った。
爽やかな空気に包まれて、細きれ雲が南へ流れていく。
生い茂った森は新緑の匂いで満ちていた。
あれだけ騒がしかった町は、長閑な営みを取り戻し、元の職人の町へと落ち着いていった。
破壊された個所の修復は終わっていないが、町を挙げて人々が修理にあたると、結束はもっと強くなった。
以前より朗らかな雰囲気になったと大佐も喜んでいた。
賑わう市場に子どもたちの声が響く町角、通りの隅には野良猫が健やかな寝息をたてている。
張りつめた空気から解放された住民たちは、訪れた春を体いっぱいに感じて満喫していた。
そのころ僕は、変わらず大佐の家でお世話になっていた。
始めは貴族として扱われ、互いにぎこちない態度だったが、意を決して彼らに思いの丈をぶつけると、あるがままを受け入れてくれた。
あっさりしすぎて拍子抜けしてしまうくらいだった。
大佐も休暇期間は過ぎ、カメリアへ戻らなければならなかったが、まだアバンタイにいた。
なぜなら――。

「どうも、こんばんは」

それはカメリアへ戻る日の前日に遡る。
荷造りしていたところにクラウス様が現れると、家族全員が喫驚した。
町の靴屋に王子様がひょっこりやってきたのだ。
ドリスさんにいたっては、一大事だと慌てふためき、混乱してワケが分からなくなっていた。
そんな家族を落ち着かせて、クラウス様と大佐と僕は屋根裏の狭い部屋で話すことになった。
さすがに王族をそんな場所にと大佐は酷く嫌がったが、クラウス様はここで話したいと言って訊かなかった。
そのクラウス様は僕に働き口を見つけてくれた。
祭での演奏に感動した彼は、「行くあてがないのなら――」と、前置きした上で、城で音楽を教えてくれないかと提案してくれたのだ。
僕にはもったいない話だったが、せっかくの好意にありがたく了承した。
正直これからのことは何も決まっていなかった。
サイフォーンの実家へ戻るか、アルドメリアの王都へ戻るか迷っていたのである。
演奏家として身を立てていくことは決めていても、いざどこから手をつけていいのか分からないでいた。
大佐はカメリアへ行くし、これ以上甘えるわけにはいかない。

「クラリオンにはもうしばらくここにいてもらいます」

だが、ここへきてその大佐もカメリアへ戻るのが延期になってしまった。
突然のことに僕と大佐は顔を見合わせる。
先にカメリアへは伝令を出したらしく、向こうにも了承を得たという話だった。
あまりにも急な命令である。
大佐は訝しそうに眉を顰めた。
今になってなぜそんなことを言い出すのかと、不審がるように問いかけた。
するとクラウス様は表情を硬くさせる。

「それこそが城で話せない内容なのですが――」

彼は注意深く辺りを見回すと声を落とした。
真剣な顔に僕らも身を乗り出して一言一句聞き逃さないようにする。

「実は、陛下がご静養先で熱を出したそうなのです」

それはクラウス様の兄であるユニウス陛下の話だった。

「陛下が熱を?それが何か問題でもあるのでしょうか」
「兄上は子どものころから体が弱くて、たびたび熱を出したり、貧血で倒れられていたそうです」

クラウス様は膝に置いていた手を組み直すと、僕と大佐を交互に見ながら話を続けた。

「王になる――というのは、大変なのですよ。知性だけでも人気だけでも周囲は認めません。まして体が弱いというのは大きな欠点になるのです。本来国王陛下の仕事とは、政治に外交、世継ぎ問題と、体がいくつあっても足りない激務ですからね」
「体の弱い人間に国は任せられないということですか」
「それが基本です。体が弱ければ子孫にも悪い影響があるかもしれない。根本的なことですが何より大事なのです。その上で能力が必要となるのです。故に陛下は体調に関しては神経質なくらい気を遣う人でした。権力闘争というのは、僅かな弱みすら見せたら負けの世界ですからね。十八で王宮へ来て以来は、一度も体を悪くしていないそうです」

クラウス様はそこまで言うと、一旦間を置いて、仕切り直すように声のトーンをあげると、

「他国で魔女狩りが横行していた時、なぜこの国では行われなかったかご存知ですか?」

僕はその問いにじっと考え込むが、観念するように首を振った。
見当がつかなかった。
母国であるサイフォーンでも魔女狩りはあったと言われている。
僕自身は田舎にいたから何も知らなかったが、のちに知った時ショックだった。

「陛下は魔術だろうが何だろうが、体を良くするためなら何だって取り入れたんです。良い薬草が手に入ったら試し、効く魔術があると知れば話を聞きました。そのためなら金も手間も厭わなかったのです」
「クラウス様」
「その陛下が熱で倒れるなんて通常ありえないことなのですよ。隙のない彼の性格を顧みればなおさら」
「つまりご静養先で陛下の身に何か起きていると」

クラリオン大佐は険しかった顔を益々険しくさせた。
クラウス様はその問いに重く頷く。
それは事の重大さを表していて、不気味な静寂が拍車をかけるように緊張感をもたらせた。
息をするのも躊躇うような雰囲気に口の中が渇く。
(陛下の身に)
僕も大佐も国が破綻の道へ進もうとしていることは知っていた。
そもそもユニウス陛下は、周囲の人間に相談を持ちかけたり、意見を聞いたりすることがない人だった。
王政というのは、絶対的な権力のもと独裁となる。
国の明暗は国王によって左右されるのだ。
乱世になるか、治世になるかは王次第。
かの東の大国は、王が変わるたびに虐殺の限りを尽くされて、前王族は一族郎党死に絶えるという。
アルドメリアという大国が上手く回っていたのは、前国王が穏やかな人で、現陛下であるユニウス様が賢かったからだ。
それが今や経済に歪みが生じ、平民たちは貧しさに喘ぎ、格差ばかりが広がっている。
陛下自身は優雅な生活を満喫し、面倒な政治や外交の一切を、擦り寄る官僚や貴族に丸投げしている。
クラウス様いわく、まるでユニウス陛下という毛皮を被った別人がこの国を支配しているようだ。
僕は陛下がどれほど頭の切れる男なのかは知らない。
だが、切羽詰まったクラウス様の表情を見るに、事態は一層深刻なのだと覚った。

「ご静養には?」
「陛下はいつも数人の兵士と侍女しか連れていきません。今回は吟遊詩人の少年も連れているそうですが……」
「や、ヤマトも行っているんですか!」

僕はその衝撃に思わず立ち上がっていた。
最後に会ったのは寄宿舎である。
ヤマトはユニウス陛下を毛嫌いしていたから、静養先にまで同行するとは思っていなかった。
といって権力に媚びるような器用さは持ち合わせていない。
彼にそういったしたたかさがあれば、もっと上手く立ち回って生きていける。
ヤマトの汚されることのない気高さはよく分かっていた。
そういうところに憧れていた。
僕の反応に驚いたクラウス様と大佐が唖然として見上げている。
その視線に気付いた僕は、気まずそうに目を泳がせながら座り直した。

「ミシェル君のご友人ですか?」
「あ……いえ……それは……」

問われて言葉に詰まる。
僕にとってヤマトは尊敬の対象であり、友達になりたいと思っていた存在だった。
だが彼は目的のために僕に近付いたのだ。
(きっと友達とは思ってくれてないよね)
そもそも出会って数日での別れとなってしまった。
これからだという時に、僕はヤマトの手を離してしまった。
無情にも突き放してしまったのだ。
どのツラを下げて友達と呼べるだろうか。
今さらのことに俯くと、しょんぼり肩を竦ませて唇を噛み締める。

「ヤマト殿なら俺も少々ですが存じています。彼に何か問題でも……?」

大佐は僕を気遣ってか、話を進めてくれた。
クラウス様もその空気を察して、それ以上深追いはしてこない。

「問題はないです。ただ城での評価があまりよくありません」

クラウス様は目を伏せると、固い面持ちでそう答えた。
その表情が物語るに、実際はもっと酷い言われようなのだろう。
僕は黙っていられなくて拳を握りしめると、

「ヤマトは悪い子じゃありません! 陛下をたぶらかすとか、国を乗っ取るとか、そういうことは考えていないと思います!」
「ミシェ……」
「ぼ…私も、ヤマトのことは全然知りませんが……でも、ヤマトは、ヤマトはっ……!」

ひとりぼっちだった僕に手を差し伸べてくれた。
笑いかけてくれたし、話も聞いてくれた。
何よりも演奏を褒めてくれた。
つかみどころのないヤマト。
余計な気を回さず、飄々とした姿は僕に眩しく映った。
(本当は手を差し伸べられたかったのはヤマトだったんじゃないか)
部屋で話した時の取り乱した彼がいまだに目に焼き付いている。
はらわたもちぎれんばかりに悲痛な叫び。
言葉の節々にあった苦悩。
ヤマトが隠し持つ傷をそこで初めて知った。
その傷口は赤く膿んでいるようだった。
どれほどの痛みを抱えているのか、想像するだけで切なくなる。

「……ヤマトは…いい子なんですっ……」

他人を欺いて、胸の奥に心を閉ざして、何もなかった顔で笑うヤマト。
確かにエオゼン様を唆したのかもしれない。
僕が宮廷入り出来るように陛下に進言してくれたのかもしれない。
駒のように僕を使って彼が何をしたかったのか判然とはしていない。
それでも僕はヤマトを嫌いになれなかった。
どうしても悪い人だと思えなかった。

「ミシェル、落ち着け。クラウス様は何もヤマト殿のせいで陛下が体調を崩されたとは言っていない」

僕の激越な口調に、隣に座っていた大佐が肩を抱き寄せると、落ち着かせるように擦ってくれた。
向かいで見ていたクラウス様も表情を和らげる。

「ミシェル君がそう言うのなら、きっとヤマトという少年は良い子なのでしょう」
「クラウス様……」
「安心してください。私はこれが悪い兆候だとは思っていないのです」
「え?」
「物事は良くなる時も悪くなる時も必ず荒れるもの。現在分かっているのは、陛下に何かしらの変化があったということ。それを予兆に思っただけのことです」
「………………」
「もし私の杞憂で済むのなら、すぐにでもクラリオンをカメリアへ送りましょう。しかし、何かあったとしたら私も動かねばなりません。その時にはあなたの力が必要なのです」
「まさかクラウス様……」

大佐は絶句するようにクラウス様を見ると、彼は慌てたように、

「争いを引き起こしたりはしません。王位に興味はないと再三言っているでしょう」
「も、申し訳ありません」
「といって、このままでいれば、また祭の前日のように大勢の人間が押し寄せることになります。これ以上、国が停滞することは許されません」

温和なことで有名なクラウス様は酷く厳しい表情をされていた。
真面目な彼は責任を感じているのだろう。
兄の体たらくを見過ごせるはずがない。
そこにはある種の覚悟を抱いているようにさえ見えた。

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