9

***

町は僕の睨んだ通り、破壊して回っていた男たちの姿が消えていた。
彼らはきっと新たなアルコールを摂取しに行ったのだ。
だが、それでもいたるところが壊されていて無惨な状態だった。
僕はなるべく目立たないようにと細い裏路地伝いに歩いた。
初めてこの町へ来た時、迷子になりそうだと思った道を知った顔ですいすい進む。
アロイスやエルザたちと毎日のように遊んだおかげだ。
住民たちは、酔っぱらいが暴れ回ることを恐れ、家の奥で静かにしている。
故に外は耳鳴りがするほどの静寂で、この町にはひとっこひとりいなくなったみたいだ。
いつもはいる野良猫たちも身を隠したのか鳴き声すら聞こえない。
人気の途絶えた路地は不安を煽る。
僕の足音だけが響いた。
(この分じゃ市場のほうはもっと酷いことになっているだろう)
明日は待ちに待った祭だというのに。
僕はやりきれない気分になった。
大佐が楽しみにしていた祭がこんな形でぶち壊しになったことが辛かった。
そうして城の大通りまで出るが、こちらはいまだに騒ぎが治まらないでいた。
近隣の村や町から集まった人々がデモのように集結し、城の前に座り込むと、矢継ぎ早に何かを叫んでいる。
馬に乗った兵士や、楯を持った兵士が彼らを取り囲んで一触即発の雰囲気が漂っていた。
クラウス様がいるなら、兵士たちが一斉攻撃をしかけることはないだろう。
人々を宥め落ち着かせてこの場を収めようとしているのだ。
怒りという感情は莫大なエネルギーを使う。
故に一瞬であればとんでもないことが出来るが、時間が経つに従いほとぼりが冷めると、平常心を取り戻すようになる。
次第に自分たちの行いについて客観視出来るようになる。
ここで暴動を起こしたところで何も変わらない。
だってクラウス様は今までだって何度も陛下に進言してきた。
いわば平民の味方だったのだ。
それを思い出せば彼らも大人しくなる。
そうなればこっちのもんだ。
僕は大佐がいないかと兵士たちの顔を確認して路地へ戻った。
そこからぐるりと右に旋回して、曲がりくねった道を右に左に曲がり、城の西に出る。
二メートルの高い塀が張り巡らされて、近くに人はいないようだ。
普段なら見回り兵がいるはずだが、ここも人手不足の影響が出ているらしく誰もいない。
僕は器用に塀を登った。
いつもなら人の目があるこの場所で、こんな派手なことは出来ないが、今日に限っては住民が店を閉め、家に閉じこもっていることが幸いだった。
(こんなところで幼いころの遊びが役立つなんて)
人生は分からないものだ。
もし僕が優雅なだけの育ちだったとしたら塀なんて登れない。
兄さんたちと野を駆け、木に登り、やんちゃの限りを尽くしたから、こうして重い剣を持っていても軽々と登れるのだ。
自然豊かな場所で育ててくれた両親に今ごろ感謝をしたりして、ふと思い出し笑いが口元を掠めた。
僕は塀を登りきる。
すると、傍には大木が立っていた。
その木を伝い、危ない目に遭うこともなく城の敷地へ潜入する。
あとは兵士を見つけて大佐のもとへ向かうだけだ。
僕はキョロキョロと草影から辺りを窺うと、誰もいないことを確認してから飛び出した。

「きゃあああああああ」

すると背後から空気を切り裂くような凄まじい悲鳴が聞こえた。
僕はしまったと振り返る。
するとタイミング悪く、今、まさに城内から出てきた侍女が、持っていた籠を落とし、恐怖に慄く瞳で僕を見ていた。
その悲鳴は城中に響き渡る。
僕がひと呼吸する前に、次々に剣を持った兵士が現れると、侍女を守るように前へ出てきた。

「ここは庶民が入ってはならない場所である」
「……これはっ、あの……お届けものがありまして……」
「第一、城門は溢れんばかりの人で中には入れないようになっている。お前、どこから入った!」
「……それは、その……塀をよじ…のぼって……」
「しかもなんだ貴様。その抱えている物は! 武器を持っての不法侵入となれば重罪は免れんぞ!」

最悪な形で見つかったと頭を抱えたくなった。
僕はいつもこうだ。
大事なところで失敗する。
兵士たちはぴりぴりしていた。
町の状況を見れば当然だ。
城には貴族もいる。
彼らが傷ひとつでも負おうものなら、兵士には重い罰が与えられる。
一大事としてクラウス様にも責任がふりかかる。
故に兵士たちは剣を構えながら僕に詰め寄ってきた。

「捕まえろ!」

隊長とおぼしき男の言葉に僕はあっさり捕まった。
スパイごっこで遊んだことはあれど、本物のスパイにはなれなかったようだ。
(……始めから覚悟のこと)
僕はこの剣を受け取った時からある種の覚悟をしていた。
決意を瞳に宿らせる。
だから捕まっても動揺することはなかった。

「離してください」

両手を後ろに縛られながら、僕は隊長と思わしき男の顔を見据えた。

「確かに城へ無断で侵入したことは謝ります。しかし、私の名において免除していただけないでしょうか?」
「ああ?お前ごときの子どもに何の力があるというのだ」
「私は平民ではありません。サイフォーン国の宰相であるマヌエル侯爵の息子、ミシェル・アルバトロスと申します。お願いします。この縄を解いてください」

その言葉に一瞬周囲はざわついた。
宰相とは実質国のナンバー2を意味する。
しかもサイフォーンという大国のだ。
兵士たちの間でどよめきが走る。
僕はその隙を見逃さなかった。

「当然クラウス様ともよく知った仲です。私の名を伝えていただければすぐわかるでしょう」

本当は家柄なんて使いたくなかった。
そうせざるを得ない己の非力さを呪う。
だが、隊長は嘲笑った。
こんなところに侯爵の息子がいるわけがないと思ったのだ。
第一、今の僕は貴族にすら見えない。
疑われても仕方がなかった。
その態度にほかの兵士たちも強気になると、益々険しい顔になる。

「もう一度言います。今すぐ私を離してください」
「はっ、ならば証拠はあるのか?侯爵様」

そのうちのひとりが馬鹿にしたように鼻で笑うから、僕は自分の胸元を見ると、

「証拠なら首にかかっています。納得いかないのならその目で見てください。きっとあなたがたが吃驚し腰を抜かすような代物が出てきます」
「っ、何をっ、犯罪者のくせに生意気な!」

兵士は僕を睨みつけると強引に胸元を引き裂いた。
破られたボタンがぱらぱらと周囲に散らばる。
その胸にはひとつのペンダントがかけられていた。

「ひっ――――!」

金色のチェーンが太陽の光に反射される。
現れたのは丸い金のペンダントで、そこにはくっきりと家紋が彫られていた。
アルバトロス家では赤ん坊が生まれるとその子へ家紋入りのペンダントを贈る風習がある。
男女ともそれを成人するまでは肌身離さず持っている決まりがあったのだ。
何もかも失くしても唯一これだけが僕と家族を繋ぐものだった。
言いつけを守り、外さずにいて良かったと今さら思った。
隊長ともなればこの家紋を知らない者などいない。
彼は短い悲鳴を上げると、僕の言った通り腰を抜かさんばかりに驚いて後ずさった。
目に驚愕を表すと、それ以上強気なことは言えなくなる。

「最後にもう一度言います。今すぐ縄を解いてください。そしてクラウス様のもとへ案内してください」

僕は畳みかけるように言った。
すると隊長は急いで兵士に縄を解くよう命じる。
周りの兵士たちも隊長の動揺具合に戸惑い、大慌てに縄を解くと道をあけてくれた。
そして僕をクラウス様のもとまで連れて行ってくれた。

***

白亜の城は重厚な造りに対して、あまり装飾品がなく質素なイメージだった。
長い廊下の先に立派な扉が見える。
その重い扉が開かれると、そこは来客を持て成す広間のようで、クラウス様やエマルド様がいた。
大勢の貴族たちが細長いテーブルに腰かけ食事をしている。
会食の最中だったようだ。
突然開いた扉に、彼らの視線は僕に集中する。
貴族は割り込まれることや水を差されることを毛嫌いするが、どうやら僕の登場はお気に召さなかったようだ。
何を話していたのか定かではないが、あまり良い話をしていたとは思えない。
いきなり入ってきた僕らに、無礼だなんだとこれ見よがしに聞こえるよう呟く紳士もいた。
せっかく王子との会食中だったというのに、兵士と庶民に中断されてと腹を立てる。
夫人たちは僕の風態に上品で冷ややかな微笑みを見せると、馬鹿にするような視線を寄越した。
だが、興味は長続きするはずもなく、すぐに彼らは内輪話で盛り上がるようになる。
もう僕など眼中になく、空気以下の存在とされてしまった。
庶民と思っているが故のあしらうような態度に辟易とする。
そういう人ほど僕の正体を知ると媚び諂い擦り寄り始めるから面倒だ。
しかし、そうも言っていられなかった。
その中にクラリオン大佐の姿を発見したのだ。
彼は貴族たちの後ろに控えていた。
大佐は僕の登場に、滅多に見せないだろう喫驚を色濃く浮かべると、目を疑うような表情をしている。
への字にした唇は、なぜここにいると言いたげだった。
だがそれもすぐに平時の顔に戻る。
そのお堅い軍人らしさに頬が緩んだ。
大佐はどんな時も大佐なのだ。
すると、誘導するよう歩いていた隊長が一歩前に出て、

「クラウス様、サイフォーン国の宰相であられるマヌエル侯爵のご子息、ミシェル様をお連れ致しました」

クラウス様へ跪き、良く通る声で僕の紹介をしてくれた。
その途端広間の空気が一変する。
軽口を叩いていた貴族たちが口を閉ざす。
それどころか、マヌエル侯爵の名に、興味をなくしていた彼らが一斉に振り返った。
サイフォーンの宰相の息子が登場ともなれば、人々の目の色が変わる。
貴族といえども上位から下位まで様々で、アルバトロス家はその上位に位置する。
僕の家系は多くの政治家を輩出し、王家へ嫁いだ女性もいた。
広大な領地を治め、国では王族の次に権力を持っている。
誰もが父さんの前に平伏した。
大抵の反応は同じだから子どものころから慣れっこで、故に華やかな場所より兄さんたちと泥だらけになって遊んでいるほうが好きだった。
誰もが僕の顔を凝視する。
その視線は顔だけじゃない。
靴や服、身につけているものまで全部を舐めるように見定める。
兵士に上着のボタンを引き千切られていた僕は、胸元がはだけていた。
それを見ていたご夫人たちは眉間に皺を寄せながらひそひそと耳打ちしている。
物珍しそうな顔はまるで珍獣を見ているかのようだ。
ホール全体がうるさくなる。
途端に彼らの話題は僕で溢れる。
大佐の表情は窺い知れない。
彼は下を向いてしまったのだ。
僕は騒がしい声を一蹴させるように、

「このたびは緊急時だというのに謁見の機会をいただきありがとうございます。クラウス様、お久しぶりです。このたびはこのような格好で失礼致します」

見窄らしい格好に反して慇懃な物腰で挨拶をする。
クラウス様とは昨年のクリスマス舞踏会でお会いしていた。
音楽院に入ってから最初の宮廷行事だったため挨拶に行ったのだ。

「ミシェル君……!つい先ほど兵から報告を受けて驚きましたよ。あなたがこの町にいたなんて。確か音楽院でヴァイオリンを学んでいるはずではありませんでしたか?」
「申し訳ありません。それには色々事情がありまして……」

クラウス様は立ち上がると、すぐ傍まで来てくれた。
僕は彼と握手すると、後ろに控えていた兵士へ振り返る。
跪いていた兵士は持っていた大佐の剣を捧げるように差し出した。

「これをクラリオン大佐に」

そう言って剣を手に取る。

「まさか、この剣を渡すためにここへ」
「非常識なのは十分存じております。お咎めがあるのなら、私は喜んで引き受けます」
「いえ、そういう話ではなく……城の外はだいぶ治安が悪化していると聞いています。ミシェル君がどのような事情でクラリオンとお知り合いなのは存じませんが、あの中をやってきたというのですか」

僕は目を瞬かせるクラウス様の問いに頷いた。
すると傍にいたエマルド様が、

「昨日、大佐の家の前でお会いしましたよね?」

僕に優しく笑いかけてくれた。

「きっと大佐が心配でしたのでしょう。お怪我はありませんか?」
「私は平気です。それより町が破壊されています。人々は震え上がり家の奥に隠れています。どうにかなりませんか?」

すると、クラウス様は息を詰めたように難しい顔をした。
後ろにいた貴族たちは、

「クラウス様。やはりこのままでは一揆が起こるかもしれませんよ。いや、一揆で済むなら制圧すればいい。もし王都にああした者たちが集い、王宮を攻めて来たら国は終わりですぞ」
「悲しいが、陛下は気が狂ってしまわれたのだ。あのような放蕩の限りを尽くされては、我々まで憎しみの目で見られる」
「弟君のシリウス様は呪われた城にこもっていらっしゃるし、いやはやどうしたものか……」
「ここはどうしてもクラウス様に出てきていただくしかないのではないか」

口々に好き勝手言っているところ、クラウス様は何も言わず聞いている。
何かを思案するように藍色の瞳を細めている。
しばらくして彼が口を開いた。

「陛下は今ご静養に出られているはずです。戻ってきたら、もう一度彼と話をします」
「クラウス様は甘すぎですぞ。むしろ不在の今だからこそ、チャンスではありませんか!」

恰幅良く、白いヒゲを伸ばした紳士は興奮するように立ち上がった。
それを周りにいさめられる。
すると、クラウス様はそれまでの落ち着いた雰囲気から少し厳しい表情に変えると、

「私は王位に即きたいわけではありません。ただ、民のことを考えた時、国のありかたについて思うところがあるのです。陛下は私などより賢い御方です。その彼が何を考えているのか知りたいのです」

クラウス様の声は落ち着き払い、淡々としていたが、誰も口を挟めないほど強いものだった。
お陰で広間はしんと静まり返る。
誰も言葉を発せずに押し黙った。
先ほど立ち上がった紳士も、バツが悪そうに目を逸らしていそいそと座る。
アルドメリアの国民でもない僕は口を挟むのも憚られて、空気を読むように大人しくしていた。
貴族たちは誰が次に声をかけるか目配せで決めている。
それを破ったのはクラウス様の隣にいたエマルド様だった。

「今はアバンタイの町について考えることが先です。昼には応援が到着するんですよね?もうそろそろですが、いかがいたしましょうか?」
「そうですね、もう着くころだと思いますが……。――クラリオン」

クラウス様は大佐を呼んだ。
彼は「はっ」と返事をして、僕たちのもとまでやってくる。

「ミシェル君はあなたに用があるみたいです。どこの部屋を使っても構いませんから二人で話してきなさい」
「ですが……」
「大勢の人が城門まで押し寄せていると訊きます。このまま彼らの主張を無視するのも申し訳ない。私はバルコニーに出ますから、あとのことはよろしくお願いします」

するとクラウス様とエマルド様は侍女や兵士にも言付けをして颯爽と去って行った。
残された貴族たちは顔を見合わせ渋い顔をしている。
僕は居心地悪くて、大佐に剣を渡すと、貴族たちに挨拶をして広間から出て行った。
広い城の中では、大通りの騒ぎさえ耳に入らない。
僕は一刻も早く家へ帰りたかった。
みんな心配しているだろうし、町がどんな状況なのか知りたかった。

「ミシェル殿――!」

すると後ろから大佐に声をかけられた。
彼はあの剣を持っている。

「すみません」

僕は大佐が口を開く前に謝った。
彼の脇には違う剣が差してあった。
つまり僕が持ってきた剣は必要なかったのだ。
そんなもので手間を取らせてしまったことが申し訳なくて下を向く。

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