13

***

祭は翌日の朝まで続いた。
幸い、その後は盛り上がりを見せて、最後までどんちゃん騒ぎだった。
僕は町中の人に声をかけられて、昔からの馴染みみたいに仲間に入っていた。
楽しいお祭りだった。
大佐がわざわざ帰省する理由が分かった気がした。
そのうち澄み渡った夜空が白み始め、雲間から薄明が町を照らしていく。
東の空は橙で滲み、新たな一日の始まりを告げた。
目が眩むほどの鮮やかな朝日と共に火が消され、人々は抱き合い別れると家路に着く。
僕はクラウス様に説明して大佐の家へ帰ってきた。
どうしても彼の家に帰りたかったんだ。
するとクラウス様は何も言わずに喜んで送り出してくれた。
その気持ちが何よりも嬉しかった。

「本当にここでいいのかい?」

ドリスさんは寝室のある屋根裏を見て申し訳なさそうにした。
きっと僕が貴族であることに気遣っているのだ。

「僕はここで寝たいんです。…も、もちろんご迷惑なら、出て行きますけど」

まだ気まずさが抜けなくて、互いに遠慮した態度になってしまう。
すると後ろから来た大佐が僕の頭をガシガシと撫でた。

「母さん。ミシェル殿がそう言っているんだ。構わない」
「大佐……」
「まぁ、もとはといえば俺が言いだしたんだが、あまり彼に気遣いすぎないでくれ。逆に萎縮してしまう」
「そうかい……?」

ドリスさんは、僅かに表情を緩めると「じゃあおやすみ」と、挨拶をして階段を下りて行った。
僕はホッとして大佐にお礼を言う。
すると彼は目を伏せて「いや」とだけ返事をした。
大佐とは一緒に帰ってきたのだが、まだ顔を合わせて話が出来ていなかった。
彼はこちらを見ようとしなかった。
避けているわけじゃないし、何となくその気持ちも理解していたから、僕は気にも留めなかった。
二人きり、自ずと少なくなる言葉数に、朝の静けさが溶けていく。
きっとお隣さんもお向かいさんも布団に入って眠っているだろう。
あれだけ大騒ぎをしたのだからみんな疲れているのだ。
アバンタイは職人の町で、職人は陽が昇ると同時に動き出す。
だけど今日は逆なんだ。
朝日と共に町は眠りにつくんだ。

「じゃあ、君もゆっくり休むといい」

しばらくして大佐は、肩越しにこちらへ顔を向けると、そう言って屋根裏から出て行こうとした。
僕は顔をあげる。
まだ大切なことを伝えていない。
ちゃんと顔だって見ていない。

「ま、待ってください――!」

僕は咄嗟にクラリオン大佐の腕を掴んでいた。
出て行こうとした手前、目を見開いた彼がこちらを向いた。
そうして目が合った瞬間、自分の中に溜まっていたものが一気に噴き出した。

「好きっ…です…!」

思いが口から勝手に零れていく。

「い、今のは、憧れとか尊敬とか……そういう意味じゃなくて…、男の人として大佐が、好き…なんです!」

大佐には何度か好きだと伝えたことがあった。
でもそれは憧れの人という意味での言葉だった。
同じことを言っているのに、意味が違うだけでこんなに恥ずかしくなるのかと、頬が熱くなる。

「身分なんて関係ありません!だって僕、音楽家として生きていきたいんです。むしろ大佐のほうが偉い人で、僕なんか全然釣り合わなくなります。それでも大佐が好きなんです!」

僕は大佐の背中にしがみついた。
どうしても想いを伝えたかった。
このまま大佐と何もなかったフリなんて出来なかった。
だって僕は誰よりも大佐のことを慕っているんだ。

「嫌いならそう言ってください!気持ち悪いなら振り払ってください!…じゃないと僕、いつまでもこうして大佐に触れていたくなります……っ」

恋人になれるなんて思っていない。
両思いなれるなんて夢は見ていない。
だけど大佐の広い背中に抱きついていると、それだけで胸がいっぱいになって幸せな気持ちになってしまう。
(僕、こんなに大佐が好きだったんだ)
やばい。
もっと触れていたくなる。
この大きな背中に身を預けていたくなる。

「ミシェル――」

すると、そう思っていた矢先、いきなり名前を呼ばれた。
「あっ」と思った時には、背中から手が離れていて、張りつめた顔の大佐が僕を見ていた。

「く、クラリオン…たい…さ……?」

それも束の間、僕は大佐の大きな手で抱き寄せられると、その腕の中にいた。
始めは夢かと思った。
僕が大佐に抱きしめられているなんて夢でしかありえない光景だったからだ。

「俺も君が好きだ」
「えっ――?」
「ミシェルの未来を想像する時、俺は邪魔にしかならない。そんなこと分かっていても、俺は自我を押し通したい!」

珍しいばかりに感情的な大佐は、その想いを伝えるように僕を抱く手を強めた。
(好き?大佐が、僕を……?)
混乱する。
だって夢でも叶わないと思った言葉が大佐の口から発せられたのだ。

「やだ…、僕、幻聴が聞こえて……あはは、徹夜で疲れてるのかな?」

そんなことあるわけないと打ち消そうとする自分と、その言葉によって開かれた可能性が押し問答している。
だって大佐は凄い人なんだ。
国の英雄なんだ。
カメリアの出立式で歓声の中、馬に跨がり悠然と旅立つ彼は最高に格好良かった。
あの勇ましい横顔。
いかにもな硬い眼差し。
僕は兄さんと揉みくちゃにされながら何度もクラリオン大佐の名前を呼んだ。
だけど僕ら以外の人だって同じように叫んでいて、僕の声なんか届かないし、届いたところで分かるはずもなかった。
その人が今、目の前にいて、僕のことを――。

「ミシェルが好きだ。幻聴に聞こえるなら何度でも言う。君にこの想いが届くまでいつまでも伝え続ける」

耳元に響くのは頼もしい力のこもった声。
大佐は元々地声が低いのに、囁くような掠れ声になるともっと低くなる。
僕はその言葉に腰砕けにされてへろへろになってしまった。
足腰に力が入らず大佐にもたれる。
たった一言なのに、やっぱり僕は大佐には弱いんだ。

「ミシェル殿?大丈夫か?」
「ご、ごめんなさ……ぼ、僕、腰抜かしちゃって」

格好悪さに死にたくなる。
――が、ひとりだと立っていることも出来なくて大佐に縋った。
先に仕掛けたのは僕なのに、真っ正面から受け止められると体中が熱くなる。
夢見心地で今ならどんなに頬を引っ張っても痛みを感じなさそうだ。
といって本当に夢だったら困るから瞬き出来ない。

「僕、大佐にめろめろです……」

どう足掻いたって大佐には勝てないんだ。
悔しいけどそれが惚れた弱みなんだ。
情けなく軍服を掴むと、ぐいっと体が持ち上がった。
大佐に抱っこされてしまったのだ。
腰を抜かした挙げ句に抱き上げられている事実に羞恥心がこみ上げる。
好きな人の前ではいいとこ見せたいのに、僕はだめなところばかり見せているんだ。
(はぁ、かっこわる)

「あの…っ、大佐…ぼく別に抱っこしてもらわなくても平気ですっ、だから」

そう言っている途中で視界が反転した。
抱き上げられ見下ろしていた大佐を見上げていることに気付く。
その背後に見える天窓からは、朝日の零れるような光が射し込んでくる。
目には痛い刺激に細めると、大佐の綺麗な顔が迫っていた。
遅まきながら僕は大佐に押し倒されたと知った。

「俺が平気じゃない」
「クラリオン大佐……?」
「すまない。こうならないために部屋を別にしたのに……だめだ、許せ」
「許すって何を――んぅ…っ」

言い途中で言葉が遮られた。
僕の唇に大佐のが重なったからだ。
その柔らかな感触に、最初はキスだとすら思わず固まっていると、

「今、ここで君を俺のものにしてしまいたい」

強い瞳が僕を覗き込んでくる。
焼き尽くさんばかりの意志がこもった眼差しだ。

「めろめろにされているのは……俺のほうだ。俺は、自分より半分も生きていない子どもに夢中にさせられている……」

彼は照れくさいのか顔が強ばっている。
ぎこちない態度だが、僕の上から退く気はなくて目を逸らさない。

「初めて会った時から、君が放っておけなかった、目を離したらまたあの寂しい顔をしているんじゃないかと思うと気が気じゃなかった」
「大佐……」
「素直で無邪気なくせに、時折大人びた顔をするのもたまらなかった」

大佐は僕の頬に優しく口付けると、

「気付くとミシェル殿を目で追っていた。視界に君がいると、なぜかホッとした。ここへ来てから「また盗み見て」と笑われたが、君を探していたのだから当然だ」
「ぼ、僕……っ」
「情けないと笑ってくれて構わない。だが、俺はもう自分を誤摩化せない」
「大佐」
「心から愛しているんだ」

ああ、なんて情熱的な睦言なのだろう。
すらすらとは出てこないたどたどしさが大佐の人格を表しているようで、胸がきゅんきゅんして止まらなくなる。

「情けないなんてそんな!僕、嬉しくて…ずっと夢じゃないかなって」
「夢じゃない」
「ん、っぅ」
「ほら、夢じゃないだろう?」
「ふぁ…大佐……」

僕が夢だというと、またキスをしてくれた。
大佐の唇はやっぱり柔らかくて触れた瞬間に心拍数が跳ね上がりそうになる。
二人とも顔が赤かった。
朝からこんな恥ずかしいことを言ってしまえるのは、徹夜明けだからかもしれない。
だけど本当に夢を見ているようで、吸い寄せられると再び大佐と口付けた。
(夢じゃないんだ。大佐は僕のこと好きなんだ)
お互いの顔を覗き込みながら微笑んで、軽くちゅっとする。
すぐに唇を離して照れくさそうに笑って、また同じことを繰り返す。
そのうちに二人ともポーっとしてきちゃって、唇を甘噛みすると、味を占めたように次第に深い口づけに変わっていった。
僕ってば初めてだったのに、どんどんえっちな気分になっちゃって。
それは大佐のせい。
だって大佐の舌が僕の唇をなぞったかと思えば、僅かに開いた隙間から入ってきて、僕の咥内をくちゅくちゅにしてしまったんだ。
その生々しい動きとか、二人の荒い吐息とか、大佐の声とから、そういうのに全部煽られてたまらない気持ちになっちゃったんだ。
もうどれくらいキスしていたのか分からないくらい、ちゅっちゅしてて、ようやく離れたかと思えば大佐が僕の首筋に顔を埋めてきて、僕はそのむず痒い刺激に仰け反るといやらしい声を出してしまった。

「あ、あんっ…はぅ……っ」

そのころには完全に勃起していた。
自分だけだと恥ずかしくて隠そうとしていたら、それを察知した大佐が僕に下半身を押し付けてきた。

「…あ、っん、クラリオン大佐っ」
「言っただろう。ミシェルを俺のものにしたいって。あの時から体は君に欲情していた」
「ふぁ…っ、本当に僕でいいんですか……?」

僕が戸惑ったように問うと、彼は柔らかく目を細めて、

「むしろこうなったのは君のせいだ。責任をとってくれ」

なんて囁くから、もうあとは好きにしてくれと思った。
(だって大佐がこんなに甘い人なんて思わなかったから)
僕はうっとり見上げる。
卑怯だ。
凛々しい軍服姿は誰より勇ましくて格好良い。
濃紺の上着は大佐の落ち着いた灰色の髪によく似合う。
その姿で愛を囁かれたら誰だってイチコロだ。
本人はその魅力に気付いていないから腹立たしい。

「お、お言葉に甘えて大佐の全部貰っちゃいます。あとで返せっていっても返しませんからね」

僕は大佐の首に手を回すと擦り寄った。
すると大佐は僕の髪にキスをした。
ゆっくり体を離すと、彼は僕のシャツに手をかけて、ひとつずつボタンを外していく。
露になっていく肌に恥じらっていると、大佐はくすっと笑った。

「この間は平気だったのに、今は恥ずかしいのか?」
「だ、だってあの時は必死だったから。とにかく大佐に剣を渡さなくちゃって思っていたから気にならなかったんです」

思えば結構酷い格好をしていた。
よくあの姿で王子にお目通りが許されたものだ。
たぶん兵士たちも動揺していたのだろう。
僕がアルバトロス家の息子だと知った直後だったから。

「もうこんな姿は誰にも見せるなよ」
「んっぅ」

大佐は僕の鎖骨の下に吸い付いて痕を残した。

「君はあの時冗談混じりに笑ってみせたけど、俺は本気だった。あんな姿にさせたやつをこの手で殴りたかった」
「そんなっ、だってあれは僕が悪くて」
「それでも……そんな理性も効かないほど腹が立った。君の無防備さにもね」
「ご、ごめんなさい」

でもあの時はドキドキした。
だって大佐の手が僕の胸元を這うように触れたんだ。
あの触り方を思い出すだけでドキドキ止まらなくなった。

「なんだ?言いたいことがあるなら言え」
「ん、僕…あの時大佐に触られて……もっと触って欲しいって思っていたんです。僕、自分で気付かなかったけどえっちなのかもしれない」

今だって大佐に触れたい、触れられたい。

「ああもう、君はっ」

すると大佐は残りのボタンを外しながら僕の肌に吸い付いた。
同じような痕をいくつも残しながら、唇で愛撫する。
そのたびに僕はくぐもった声を上げた。

「俺だって同じだ。あの時、どうしても我慢出来なくて君に触れてしまった。柔い肌に指が吸い付くようで、あのまま抱いてしまいたいなんて不埒なことを考えていた。職務中で、君がアルバトロス家の人間だと知っていたのに」

大佐の愛撫が激しくなって、そのたびに体がびくんと震えた。
周りに聞こえないようにと手で押さえた口から甘い嬌声が漏れる。
興奮した。
視軸を下げれば、大佐が僕の肌に夢中で吸い付いている。
その綺麗な髪に触れたくて、手を伸ばすと指に絡めた。
すると大佐は、鋭い眼光を僕へ向けて、

「君は男を煽らせるのが上手なようだ」

と口元を歪ませ、残りのボタンを全て外してしまった。
上半身が裸になる。
大佐は乳首を舌で擦るように舐め、噛んだ。

「ああっ…!」

その刺激に蕩けそうになる。
男の真っ平らな胸なんか、全然可愛くないのに、大佐は執拗に虐めて愛してくれた。
僕は初めてのことばかりで、ただ布団に横たわり彼がしているのを見ていた。
時折大佐がこちらを見上げてくるとドキっとした。
いつもは僕が見上げているのに、全然違う角度で大佐を見ていられるのだ。
大佐の軍服姿が眩しい。
肩や詰め襟には勲章が光り輝いていた。
それは全て彼自身の力で手にしたものである。

「はぁ…ん、…僕はクラリオン大佐を尊敬しています。……あなたは自分の力だけで……道を切り開いてきた」

大佐は僕より若くして騎士団へ入った。
ドリスさんの話じゃ、靴屋の跡を継ぐという夢を諦めて家族のために入隊したのだ。
親の反対を押し切って音楽院へ入学した僕とは真逆である。
養成所での毎日は肉体的にも精神的にも辛かっただろう。
戦場へ出るなんて、僕ならきっと前日から怖くて震え上がってしまう。
しかし彼のことだから泣き言ひとつ言わずに耐えたのではないだろうか。
(その身にどれだけの思いを隠しているの?)
僕と大佐は仮面舞踏会で会わなければ一生言葉を交わすことのない相手である。
生きる世界が違うのだ。
それが今こうしてひとつのベッドにいるというのは不思議な気がした。

「奇遇だな。俺もミシェルを尊敬しているぞ」
「え、本当ですか?僕、大佐に尊敬される人間じゃないような気がするんですけど」

取り柄なんて音楽が好きなことくらいだ。
大佐のほうがもっとたくさん誇れるものを持っている。
だから意外だった。

「今はまだ秘密だ」
「わわ、余計に気になります」
「いつか教えてやる」
「なら今教えて下さいよー!」

大佐はおかしそうに笑ったが、決して口を割らなかった。
敵うわけがなかった。
僕がぶうたれていると、大佐はぎゅってしてくれる。
悔しいけど僕はそれだけで大人しくなってしまう。
なんて単純なんだと笑ってしまいたくなるけど、嬉しいから僕も背中に手を回して抱き返すのだ。
そうしてしばらく二人でじゃれあっていると、大佐が軍服を脱ぎ始めた。

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