それからおれとおっさんの奇妙な日常が始まった。
毎朝、おれはおっさんのちんこを弄ってやる。
彼はいつ射精してもいいようにゴムをハメていた。
その準備の良さが益々気に入って、わざと射精一歩手前で弄るのをやめてやる。
これは躾なんだ。
簡単にイかせるなんてつまらない。
だからおれはあえて意地悪した。
痛いくらい勃起したおっさんをイかすことなく放置して、しれっと下車の駅までいく。
彼は物欲しそうな顔でおれを一瞥すると、渋々電車を降りていく。
それでもおっさんからは触れようとしなかった。
されるがままにしている。
喘ぎ声を噛み殺した表情はおれに嗜虐心を与えた。
適当に遊んでやるつもりだったのに、いつの間にかどうやって責めてやるか考える時間が増えている。
ある時は彼のパンツに手を突っ込んで激しくしごいてやる。
おっさんは苦悶に満ちた顔で快楽に流されないように耐えた。

「はぁ……っぐっ…んん…!」
「そんな声を出していると後ろの女子高生に怪しまれちゃうよ」

もちろん射精はなし。
おれは直前で手を引っ込めると、無情にも他人のフリをする。
それでバイバイだ。
さらにある時は、ズボンの上からなぞるように指を這わした。
間接的な刺激に、おっさんは身震いしながらいやらし吐息を漏らした。

「…くぅ、っ…もっと…」

歯がゆさに瞳を潤ませながら掠れた声で呟く。
ズボンの上からでは物足りないのだ。
恥も外聞もなく哀願するさまは情けなくて興奮する。
だけどおれは最後までちんこに触れてやらなかった。
布越しに猛々しい肉棒に触れて弄ぶ。
爪で引っ掻くように、優しく撫でるように。
されている方はたまらない。
胸を掻きむしりたくなるような焦燥感は拷問のようだ。
声を荒らげることも出来ず、悶々とする中、ひたすら焦らされ続ける。
おっさんは下車後、きっと駅のトイレで鬱憤を晴らすように激しいオナニーをしたに違いない。
耐えに耐えて来たたぎりを便器にぶちまけただろう。
そして出し終えたあと、冷静になった頭で虚しさに泣き崩れただろう。
想像するだけで甘美な痛みが胸を刺し、満足感に浸った。
歪んだ性欲の吐き出し口にしていた。
(それでもアンタはおれを求めて同じ電車に乗るんだ)
同時に僅かな愛情が芽生えていた。
いや、愛情なんて生易しいものじゃない。
意地悪を続けていると、時折、急に真逆の思考に引っ掻き回されるんだ。
彼に“してあげたい”という欲求がムクムクと湧いてくる。
金という対価がなければ奉仕精神の欠片もないおれが、どこにでもいる冴えないおっさんを喜ばせたくなる。
それは不毛な関係からだ。
脅迫も契約もないのに、二人は毎朝同じ電車の同じ車両に乗っている。
おれは彼に何も求めず、また、彼もおれに何も求めてはこない。
なぜか焦らされているのはおれのような気がした。

 

 

その翌日もおっさんは従順におれを待っていた。
いつも通り人混みを掻き分けて彼の前にいく。
するとおっさんは前を隠していた鞄を退けた。
硬くなったちんこがテントを張っている。
毎日のことだが、よく周囲にバレないものだと褒めてやりたくなった。
(虐めんの飽きたし、昨日はやり過ぎたから今日は優しくしてやろう)
おっさんが一番好きなのは甘えられることだ。
激しくされるより、焦らされるより、恋人みたいに密着されることを好んだ。
結局コイツも他と変わらない俗物なんだ。
だけどそんなところも可愛いと思うおれは情に絆されているのだろうか。

「あ……っ…」

おれは彼のワイシャツに頭を預けた。
ムチムチの体で身を寄せると途端におっさんの頬が赤くなる。
同時にちんこが硬さを増す。
甘えるように上目遣いで微笑みかければ鼻息が荒くなった。
興奮を抑えるよう唾を呑み込んだのか喉が鳴る。
ちょろいやつだ。
おれは目を逸らすことなくおっさんの下半身に手を伸ばした。
ゆっくりとした手つきで、ズボンの上から撫でる。
電車に揺られながら優しく撫でてやると彼の瞳が潤んだ。
そっとチャックを下ろし小さな手を忍び込ませる。
リアルになる感触。
だけどまだ直接は触れてやらない。
パンツの上から指で裏スジをなぞってやる。
おれはその間も目を逸らすことなくおっさんを見つめていた。
乗車直前にリップクリームを塗った唇はぷるんとして艶やかである。
男の割に厚ぼったい唇は、客からも好評であり、おれ自身も武器だと思っていた。

「屈んでよ」

ちんこに触れているのと逆の手で彼のワイシャツを掴むとせがむ。
甘えるような口調におっさんは素直に従った。
混んだ電車の中、息が絡む距離で見つめ合う。
考えてみると、こんな狭い箱にすし詰め状態で人間が入っているなんて恐ろしいことだ。
それぞれ煩わしさを感じながら、赤の他人同士が肌を密着させて耐えている。
その他人がどんな人間かも分からないのに、こんな至近距離でいるのは、慣れているとはいえ無防備のような気もする。
だって――。

「……ん…」

おれとおっさんがキスをしても気付かない。
不安定な足元に揺られながら背伸びをして、おっさんの唇に自らのを重ねた。
なんてスリリングなキスだ。
ほんの一瞬、唇に触れた温もりに彼は目を丸くすると、慌てて周囲を窺うように気を配る。
だが、幸い周りの人は背を向けて自分の世界に没頭していた。

「……嫌、なの?」

おれはお決まりのぶりっ子演技を楽しみながら、悲しむように眉毛を八の字にする。
そうして体を離そうとしたらおっさんは必死の形相で首を振った。
大袈裟にも思える反応に、おれは肚の中で笑いながら、

「……良かった……」

目を伏せ、儚げに微笑んで胸を撫で下ろす。
大抵の男はこれでイチコロだ。
案の定、おっさんも、まるで恋に恋する乙女のように目をキラキラさせながらおれを見ていた。
執拗にも思えるほどの粘っこい視線で見つめている。
穴が開きそうな――とは、まさにこのことだ。
おれは照れているかのように視線を泳がせ、逡巡したあと、再び背伸びをして目を閉じると上を向く。
キスをねだる仕草だ。
おれの誘いに引っ掛かった彼は、体を震わせながら唇を合わせようとする。

「おあずけ」

が、その直前、おれとおっさんの唇の間に手を差し込んだ。
自らねだっておきながら寸前のところでシャットアウトする。
おっさんは困惑するような、悲しむような眼差しで薄い唇を噛んだ。
まさにおあずけを食らった犬だ。
そして彼は忠犬並みの我慢強さでじっとおれを見つめる。
多少強引にその手を引き離して口付けることだって可能なのに、刃向かうような真似はしない。
おれだってもう分かっているんだ。
彼にそんな度胸はない。
全部おれの意のままに動くんだ。
まるで傀儡のように従う。
だからもっと苛めたくなるんだ。

「そんなにキスしたかったの?」
「う、うん」
「でも見つかったらどうするの?」

おれは遮るように口許を覆っていた手を外した。
唇にはおっさんの鼻息があたる。
おれはわざと彼の唇に息を吹き掛ける。

「こんな電車内で男の子にキスしてるところを誰かに見られたら一貫の終わりだよ」
「……っ……」

おれの言葉におっさんは我に返ったのか、押し黙ったまま口付けようと屈んでいた体を引こうとする。

「……ん、いい子いい子」

おれは意地悪だから、そのタイミングで背伸びをすると、ちゅっとキスをしてやった。
途端に動揺を露に紅潮するおっさんは、吹き出してしまいそうなくらい可愛い。
これだからやめられないんだ。
反応がツボすぎる。
本当はゴロゴロ猫撫で声で甘えてやろうと思ったけどやめた。
ちんこをしごいていた手も引っ込める。
あとは何事もなかったようにおっさんの下車駅まで向かった。
彼がモジモジしながらおれの唇に釘付けなのは気付いていた。
それを分かっていて、煽るようにアクビをしたり、舌を出したりした。
焦らすだけ焦らして興奮を昂らせる。
そうしている間に電車は減速し、おっさんの降りる駅のホームへ入った。
隣のホームに並んでいる人や、騒がしい様子が目に飛び込んでくる。
ほかの乗客は降りる支度を始めた。
彼も諦めたように鞄をズボンの前に持ってくると、勃起を隠そうとする。
開く扉は反対側だから、体の向きを変えた。
おれに見せた背中は寂しそうである。
まるで後ろ髪引かれるような哀愁に、そっと抱きつくと、

「気を付けたほうがいいよ」
「え?」
「おれのリップクリームが下唇にだけ移ってる。そのままだとチュウしたことバレちゃうよ」

するとおっさんは慌てたように手の甲で唇を拭った。
赤みが消えていた頬が再び燃えそうな色に染まる。
本当は嘘だったのだが、ほかにどう声をかけていいのか迷ったのだ。
むしろリップクリームが下唇に移ったなんて他人が気付くはずがない。
そんなことさえ分からない無垢な男が可笑しくも……。

「いってらっしゃい」

付け加えるように送り出し、背中を叩くと、おっさんは振り返ってふんわり微笑む。
目尻を細め、あまりに柔らかく笑うから、却ってこっちが気まずくなって目を逸らしてしまった。
(露骨に嬉しそうな顔すんなよ)
おれは遊びでやってるんだ。
ストレス発散のためにしているだけなんだ。
だからあんな風に見つめられたら困る。
不覚にも胸がドキドキしてしまった。
おっさんが降りて、代わりにまた大勢の人が乗ってくる。
ぎゅうぎゅうで身動きもとれないくらい潰される。
まもなく扉が閉まる音がすると、ゆっくり電車が動き出した。
スピードと共に車窓からの景色が目で追えなくなり、いつの間にか駅を出ていた。
ぼんやり顔をあげると窓に己の顔が映っている。
うっすら染まっていた桃色の頬が目に入っておれは小さく舌打ちした。

 

 

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