10

「あ、ありがとうございます」

全ての行為が終わるとシリウス様の膝の上に抱き上げられて腕の処置をしてくれた。
元々剣術に秀でた人ということもあり手当ても慣れたものである。

「ん、ふ……」

シリウス様は事あるごとにキスをしてくれた。
こうして膝の上に乗っけられて飽きずに何度も唇を重ねる。
そのせいでたった一晩のうちにキスを叩き込まれた。
それこそ息をするタイミングとか舌の絡め方とか。

「お前が好きだ」

その度にシリウス様は甘い言葉を囁いてくれた。
僕の方が恥ずかしくて縮こまっちゃうような事も平然と言ってくるから困る。
(昨日までと別人みたいだよ~……)
甘えるな、なんて言うくせに僕をめちゃくちゃ甘やかせてくれる。
お蔭で僕の思考は密みたいにトロトロ蕩けさせていた。
特に今日目が覚めてからは惜しみないほどの笑みを僕に向けてくれる。
まるで憑き物が落ちたように顔だけじゃなく雰囲気までも変わっていて驚いた。
その顔を見る度、無性に愛しさが込み上げて僕も想いのままに恥ずかしいことを言ってしまう。
結果、繰り返しイチャイチャとじゃれあってベッドの中から出られずにいた。

「ん、僕幸せです」
「私もだ」

きっと僕が思うほど簡単に乗り越えた夜ではなかったのかもしれない。
僕は行為に必死で気付かなかったけど沢山苦しんだのかもしれない。

でもその代わり夜は明けた。
夜明け前の闇が一番濃い。
しかしそれさえ過ぎれば誰にでも朝はやってくるのだ。
そして誰の上にもお日様は昇るのだ。
もちろん悪魔にも、罪人にも例外はない。
――つまりはそういうことなのだと思う。

「や、さすがにそれはちょっと…」
「いいから」
「だめ…っ旦那様っ…」

いい加減そろそろベッドから降りなければならない。
だが僕とシリウス様は揉めていた。

「さすがにそんなこと…っ…」

シリウス様は何でもしてやりたいのか床に跪くと僕に靴下を履かせようとしてくる。
だが例え恋仲といえども主人に対してそんな畏れ多いこと出来ない。
否、出来るわけがなかった。
だからお互い一歩も譲らず平行線を辿っている。
シリウス様は頑固なのか絶対に譲らなかった。
さっきまで何でも許してくれたのに今は岩のようである。
それぐらい僕を甘やかせたいのであった。
(それは嬉しいけど、でもでもっ)
何より恥ずかしいという気持ちがあった。
ただでさえ別人のように変わったシリウス様は何もかも甘い。
だから腰砕けのめろめろにさせられてしまう気がして困った。
と、いってももう遅い話である。

「いいから私にさせて欲しい」
「ん、やぁっ…舐めるなんてずるいっ……ですっ」

するとシリウス様が僕の足首を掴んで太ももまで舐め上げた。
未だに火照りが冷めない体はそれだけの刺激で身動き取れなくなる。
(跪いた姿も綺麗だな)
嫌だと言っているわりにそんな事を思っているのだから危ない。
というよりここまでくるとおめでたい二人である。
客観的にみればどっちもどっちだからだ。
だがもしこんなところを他の誰かに見られたらそれこそ一大事である。

「いい加減諦めろ」
「うぅーだってっ」
「私がしたいと言っているのだ」
「あ、ひぁっ……だ、だだっ旦那様っ…もしセルジオールさんが来たらっ」

ガチャ――。

するとそこにタイミング良く扉の開く音がした。
僕はぎょっとしたまま目を見開くとそこにはセルジオールが立っている。
今日の彼も姿勢が良くてしゃんとしていた。

「お呼びでございましょうか?」

だがセルジオールはこの状況を見ても眉一つ動かさなかった。
そしてシリウス様も同様僕の体を離すことなく彼に接した。

「旦那様、そろそろ朝食のお時間ですがいかがなさいましょうか?」
「分かった。今日は下に降りる」
「畏まりました」

すると僕の存在など空気のように触れる事無く会話が続けられた。
だが僕はひとり固まって動けない。
(っていうかセルジオールさんはいつから居たんだろう)
考えただけで次に合わせる顔がなかった。
僕は冬だというのに顔を真っ赤にして汗をかいている。

「それから旦那様」
「なんだ?」

するとセルジオールは去り際に再度シリウス様を見つめた。

「廊下に出されていた刃物類ですが、片付けておきましたので」
「そうか」
「あれはもう処分してもよろしいということでしょうか」

僅かにセルジオールの眼鏡が光る。
僕は彼の問いにシリウス様を見つめた。
すると彼は一旦考えるように間を置いた後に深く頷く。

「……今まで迷惑を掛けたな」
「いえ」

まるで労うように穏やかな顔で笑うとさすがのセルジオールも驚いていた。
その証拠にチラッと僕を見ると少しだけ口角を上げる。
だから僕は恥ずかしさと照れ臭さに居心地悪く苦笑いをした。
するとセルジオールは一礼して部屋から出て行く。
(やっぱり二人の絆は凄いな)
たったあれだけの会話でお互いに分かり合えるのだから素敵だなと思う。
それと同時に羨ましくてちょっぴり嫉妬した。
だから僕はセルジオールが居なくなったのを見計らってシリウス様に抱きつくと自分から唇を重ねた。

その後朝食の準備の為、僕だけ先に食堂へ降りた。
なにせ僕はここ何日も働かずに階段に居たのだ。
その必要が無くなった今これまでの遅れを取り戻すように働かねばならない。
というよりみんなの好意に甘えていたから人一倍働きたかったのだ。
だが時間が時間だけにとっくに用意は終わっていて僕は何もすることがない。
セルジオールに会ったが先程の事など何もなかったように挨拶をした。
そこら辺が彼らしいと思う。
食堂にやってくるとジェミニが嬉しそうに迎えてくれた。
僕が階段から戻ってきたしシリウス様は食堂にやってくると聞いた彼女は僕らのことに気付いたのだろう。
しかしどこまで僕らのことを知っているか判らないから一連の出来事を説明せずに「旦那様と仲直りした」と言って誤魔化した。
それもまた事実である。
それから久しぶりに下の階に降りて来たシリウス様だが全く変わった様子がなかった。
あくまでも淡々と食事を取り、食べ終わるとさっさと出て行ってしまう。
だがよほど昨日までのシリウス様は様子がおかしかったのか通常の状態に戻ったことが何より使用人たちを安心させた。
おかげで働かず階段に篭っていた僕にさえ「よくやった」と意味の分からない褒め言葉を頂いたのである。
自分が何かしたかと考えたが全く浮かばなかったから何も答えられなかった。

また彼が元に戻ったということで僕の勉強も再開した。
いつもの様にジェミニの淹れてくれた紅茶を飲みながら本を読む練習をする。
だが前とひとつ違うのは僕の座る場所がシリウス様の隣から膝の上に変わったことだ。
何かにつけて僕を膝の上に抱っこする。
(そんなに子供じゃないのに)

「あの」
「なんだ」
「僕重くないですか?」
「お前は誰に物を言っている」
「すみません」

さすがに人前ではそんな事をしないが二人っきりになるとシリウス様は別人みたいに優しくなる。
そして僕を限りない優しさで甘やかそうとする。
そのギャップが照れからきているのだと知った時、僕は首を横に振れなくなった。
だから大人しくシリウス様に委ねる。

「私がそうしたいからしているのだ」
「だ、旦那様……」
「だからお前は大人しく私の膝の上に居ればいい」
「はい」

僕は膝の上にちょこんと座ってシリウス様の背中にもたれる。
そうして心地良い鼓動の音を聞きながら彼の読むお伽話に耳を傾ける。
それが極上の幸せであった。

「あの旦那様」
「今度はなんだ」
「赤頭巾に出てくるおばあさんですが、食べられる時に噛まれなかったのでしょうか?あと狼の胃というのは人間一人が入るほど大きいのでしょうか?」
「ふむ、いい質問だ。それはだな――」

二人はそうしていつまでも談笑していた。
僕はシリウス様のドライな性格が移ったのか本を読みながら変な質問をしてしまう。
すると彼は楽しそうに笑って自らの考察を述べてくれた。
平和で穏やかな日々。
シリウス様も徐々に気を許し始めたのか僕の前でも平気で眠るようになった。
彼は僕を信頼してその身を全て預けてくれる。
それが分かるから嬉しくてもっと一緒に居たくなる。
季節はやがて雪解けを向かえ魔の森にも遅い春がやってきた。
新芽を伸ばした木々が森に広がり賑やかさを取り戻している。
吹き付ける風は冷たくも息吹の匂いを感じさせた。

「こちらにいらっしゃいましたか」

テラスにセルジオールがやってきた。
僕は座っていたイスの間から顔を出して唇を指で押さえる。

「しー」

隣では心地良い天気の下で昼寝をしているシリウス様がいた。
僕の肩に頭を預けたまま眠りに入っている。

「おっと、失礼致しました」

それに気付いたセルジオールは苦笑してシリウス様の寝顔を覗き込む。
穏やかな笑みを浮かべた。

「起こします?」
「いえ、急用ではございませんのでお気遣い無く」

健やかな寝顔を二人で見つめると目で会話するように笑い合う。
セルジオールはシリウス様の変わりようが嬉しいみたいで深く頭を下げてくれた。
彼自身緊張の糸が切れたのか前より穏やかになった。
僕が来た当初はピリピリしている部分があったが今はそれもない。
主人と執事というより親と子のような空気だった。
セルジオールはシリウス様が幼い頃から働いていたからそんな風に思うのだろう。
何もかもが満ち足りた幸せな日々。

「ケイトさん」
「大丈夫です」

だが影はいつまでも僕の後ろから離れなかった。
最近になって隣国の兵士が何度か偵察に来ている。
きっと魔の森も春になって捜索しやすくなったからだろう。
さすがに領土が違うから強引にこの城へ入ってくることはなかった。
門の前を何人かの兵士が見ては去っていく。
僕がこの森に入ったところを見ていたのだろう。
彼らは僕の死体を捜しているのか、それとも――。

「絶対に無茶はしないで下さいよ」
「はい」

僕はこの城に幽閉状態であった。
庭に出ているところを目撃されたらひとたまりも無い。
せっかく待ち望んでいた春がやってきたのに、庭に降りれないことは悲しいことだった。
せめてもの慰めでこうしてテラスから森を見ている。
僕が遠くを見るような眼差しをしているせいか、セルジオールは釘を刺す様に忠告した。
「何とかするから今は大人しくしていて欲しい」
だけど本当はそれが難しいことを自分が一番知っていた。
こんな大きな城に住んでいるとはいえ、彼らは許さない。
兵士の奥には執行人の公爵がいて、その奥には元老院がいるのだからだ。
彼らに勝てないことぐらい僕でも知っている。
むしろ怖かったのはこの城の住人が巻き添えをくらうことであった。
(そうなる前に去らねばならない)

「大丈夫です。ちゃんと分かっていますから」

せめてあともう少しだけ。
緑豊かな春が訪れるその時まで、この幸せに浸っていたかった。

だが事態は僕を待ってはくれなかった。
次第に増える兵士の数にシリウス様とセルジオールは夜な夜な話し合っているようだった。
僕はその話し合いに参加させてもらえなかったが、よくない雰囲気である事は明確だった。
二人して深刻な顔をしている。
時に、シリウス様は苦い顔をしてセルジオールに訴えかけていることもあった。
確実に自分の責任である。
僕が迷い込んできたばかりに迷惑を掛けているのだ。

“「お前は人々に不幸をもたらす存在だ」”

ふといつだったか言われたことを思い出す。
僕自身何の見覚えもない為、深く気にすることはなかったが、今になってあの時の言葉がチラついた。
まさか本当に自分はそういう存在なのだろうか?と。
だがシリウス様は断固としてそれを否定してくれた。
僕は僕なのだと暖かい腕で抱き締めてくれた。
(しかしこの城はどうなる?)
もし兵が強行突破で中に入って来たとしたら?
これだけ広い城だから見つからない自信はある。
だがそれほどこの城が怪しまれた時点で“終わり”なのだ。
常識は通用しない世界である。
それが理不尽な話であっても不合理な制度であっても関係ないのだ。
権力の名の下に屈せざるを得ない。
僕がたとえ見つからなくてもこの城の人間がどうなるか判っていた。
それが最悪恐ろしい結末になる可能性を秘めている事も。

「ん、んぅっ……旦那様っ…」

僕は毎晩のようにシリウス様に抱かれていた。
彼はいつも僕の醜い背中にキスを落とした。
鏡で見るのも嫌な傷跡が優しい唇の感触で癒されていく。
僕はその度に背中を反り返って喘いだ。
胸が疼いてその歯痒さに頭が変になってしまいそうになる。
だからそのお返しにシリウス様の体に残った傷跡に口付けた。
愛する恋人から付けられた沢山の切り傷は多くの悲しみを残している。
それでも彼はその恋人を傷つける事をしなかった。
(愛されていたんだろうな)
体に沿って唇を這わせながら少しだけ嫉妬する。

「……どうした?」

すると様子が違うことに気付いたのかシリウス様は起き上がった。
僕は彼の体の上に跨っていた為、そのまま膝の上で抱っこされる。

「もう……痛くはないですか?」
「あ、ああ傷か?」

僕はシリウス様の胸にもたれながらじっと見つめた。
すると彼は笑いながら頭を撫でる。
後頭部に触れた手は大きくて温かかった。

「疼くことはあるが痛くはない」
「そうですか」

僕の体に触れるシリウス様は満足そうである。
時が経てば経つほどに彼は人間らしさを取り戻していった。
それを間近で見られる幸せは何にも代え難い喜びであった。
隣に並んでいられるだけで心は満ち溢れる。
いつまでもそうしていられたらどれだけ幸せなのだろう。
僕はつい自分を甘やかせて城を離れられずにいた。
覚悟はとうに出来ていたのに、最後の一歩が出て行かない。
嫌だ嫌だと首を振って踏み出そうとしなかったのだ。
(でもそれも今日で終わる)
そろそろここら辺が潮時だろうと思っていた。
城に突入されてからでは遅い。
それまでにこの城から出なければならない。
そして自ら出頭すればいい。
後に何を聞かれても否定をすればこれ以上彼らを巻き込まないで済むのだ。
これは勝手な自己犠牲精神ではない。
幾つもある選択肢の中で最善の方法がこれなのだと思ったのだ。

「あの……」
「ん?」
「旦那様はどうしてシンデレラを何冊も持っているのですか?」

僕が急に突拍子もない質問をするとシリウス様は苦笑した。
そして引き寄せて軽く口付ける。

「私の弟がシンデレラに逢ったというのだ」
「え、ええっ」

だが彼の返答が自分の想像と違って驚いてしまった。
シリウス様の反応から勝手にシンデレラの話題がタブーだと決め付け、よくない過去があると思っていた。
(どういうことだろう?)
何度も瞬きをしながら首を傾げる。
僕の様子に今度は額にキスを落とした。
その感触がこそばゆくて身を捩ってしまう。

「弟が城を出て行く前日に話しをした。なぜ全てを放棄して出て行くのか、あの時は理解できなかったからな」
「…………」
「だが彼はシンデレラを見つけたとしか言わなかった。私はそんな彼を馬鹿にしたよ。シンデレラが何者か知らなかったからな。どこかの娼婦だと思っていた」
「娼婦、ですか?」
「その前にそれらしき女を見たのでな」

シリウス様は何かを思い出したのか話し途中で笑ってしまった。
不思議そうにしていると「すまん」と僕に笑いかける。

「だが実際には女でなく――」
「?」
「いや、この話は長くなるからいつかまた話そう」

軽く咳をすると本題に戻った。
僕はわくわくしながら続きをねだる。
いつもの授業みたいに楽しんでいた。

「その後私はこの城にやってきた」
「はい」
「それからの私はただイスに座って外を眺める日々が続いた。そんな状態に陥っても忘れられない言葉があった。それが弟の言うシンデレラだったわけだ」
「あ……」
「弟は昔、人形だと言われていてな。あまり感情を表に出すような子ではなかったのだ。その彼がめいっぱい頬を緩ませてそう言ったから印象に残っているのかもしれない」
「…………」
「私はセルジオールに頼んでシンデレラを探した。そうして辿り着いたのがお伽話や童話だった、ということだな」

シリウス様は一息つくようにベッドサイドに置かれたグラスの水を飲んだ。
僕の側に戻ってくると抱き上げて苦笑する。

「気付いたら世界中のお伽話や童話の本を集めていた。もしかしたら私もシンデレラを見つけたいと思っていたのかもしれない」

そうやって穏やかな眼差しで見つめられるとドキッとした。
別に自分がシンデレラなんて自意識過剰な事は思っていない。

「生憎シンデレラは見つからなかったがな」
「…………」

そのくせシリウス様に言われると落ち込むのはなぜか。
これじゃまるで僕がシンデレラだと言ってくれるのを待っているみたいで嫌だった。
そんな葛藤にどう反応すればいいのか判らずオロオロする。
するとシリウス様は笑って僕の体を抱き締めた。
(うぅ、やっぱりシリウス様の笑顔には弱い)
最近のシリウス様は笑顔の大安売りでいっぱい笑ってくれた。
見つめる瞳の優しさに戸惑うことも多い。
あれだけ無表情だったのにいつの間にか表情が戻っていた。
とはいえそれは二人っきりの時ばかりで、この微笑みを独占しているのは僕なのだ。
お蔭で僕の心臓はドキドキしっぱなしである。

「なんだ?お前はシンデレラになりたかったのか?」
「ち、違いますっ」
「ん?」
「うぅっ意地悪です……」

わざわざ分かっていて言わなくていいのに。
口をへの字に曲げるとシリウス様を睨む。
だが僕の反応を面白がっている彼は笑うだけであった。

「ケイト」
「む……」
「ケイト」

何度もシリウス様が僕の名を呼ぶ。
悔しいけどそれだけで何もかも許してしまいそうだった。
結局僕の方が弱いということである。

「意地悪なのはお前だろう」
「ぼっ僕は旦那様に意地悪なんか――」
「じゃあいつになったら私の名を呼んでくれるのだ?」
「!!」

驚く僕をシリウス様が押し倒した。
いきなり反転する視界に見上げれば、彼と美しい細工の施された天井しか見えない。

次のページ