8

***

辿り着いたのは数ヶ月ぶりにやってきた仮面舞踏会だった。
今日も華やかな装いの男女で溢れている。
前回との違いは、寒さに毛皮のコートを着ていた女たちが、初夏の暑さに麗しい肌を見せ付けていたことか。

「陛下」
「ここで陛下って呼んじゃだめだよ。余の正体が知られてしまうじゃないか」
「そうですけど……じゃあ、なんて呼べば」

ヤマトは困惑して窺うと、

「ユースって呼んでよ」
「ユース?」
「子供のころ、近くの町の子にそう呼ばれていた記憶があるんだ。出来ればそう呼んでもらいたい」
「なれど、陛下にそのような気安く……」
「いいかいヤマト。仮面舞踏会に国王陛下だとか吟遊詩人とか関係ないんだよ。これは一夜の夢なんだからね」

(一夜の夢……)
あまりに柔らかく笑うから、躊躇いがちに「ユース」と呼んだ。
彼は「うん」と嬉しそうに返事をした。
(一夜の夢か)
それは魔法の言葉。
全ての意味を帳消しにする合言葉なのだ。
誰もが一夜の夢に酔い、限られた時間を甘受する。
着慣れないドレスの感触に苦笑しながら差し出された手をとった。
エスコートされて人だかりを越え、劇場内に入る。
もう中は盛り上がっていて、賑やかな音楽は外まで漏れていた。
今宵も仮面をつけた人々が、騒ぎ、踊り、自由に楽しんでいる。
ヤマトにとっては二度目の仮面舞踏会だが、どうにも開放的な雰囲気に馴染めなかった。
派手な世界は眩しすぎて、近寄ることすら躊躇う華やかさがあった。
ここには礼節や品は必要ない。
普段閉じ込めていた野獣性をむき出しにして遊び狂っている。
今回は連れがユニウスだけで、二人っきりの参加が余計に心細かった。
彼がいなくなったら誰も知らない中に独りぼっちになる。
しかし彼はずっとヤマトの傍にいた。

「さぁ、ヤマト。踊ろう」

ユニウスはダンスに誘う。
恐る恐るフロアに下りて来たヤマトは周囲の目を気にしながら、

「しかし僕はダンスの経験がありません」
「いいじゃないか。ここには決められたステップなんてないんだ。自由に踊ればいい」
「さ、されど」

動揺していると、強引に腰を抱き寄せられた。
その密着感に驚き、一歩引こうとしたら阻止される。
ぎょっとして顔を上げたら、その近さに固まった。
吐息が交わる距離に目を見張ると息を呑む。
何から何まで初めての経験だ。
しかし周りは当然のように体を密着させ、流れる音楽に合わせて激しく踊っている。
とてもじゃないがついていけない。
逃げようとしたが、その前にユニウスが動き出した。
彼の右手はヤマトの左手を掴み、左手は腰を掴んだままフロア内をすべるように踊り始める。
無理やり始まったダンスだが、それはダンスと呼べる代物ではなく、ユニウスに振り回されっぱなしだった。
くるくる回ると、それだけで目が回る。
足の置き場に戸惑い、足元ばかり気をとられていっぱいいっぱいだ。
どうにかユニウスの足を踏まないよう気をつける。
何せ履いている靴は刃物のように鋭いヒールがついているのだ。
これで踏まれたら痛いに決まっている。
無我夢中なヤマトは、普段の落ち着きなど見る影もなく表情を変えた。
まるで百面相だ。
それを見つめるユニウスの眼差しは優しく、冷たい瞳には灯が燈っている。
ヤマトは下ばかり見て気がつかなかった。
余裕がなくて合わせようと必死だったからだ。
そんな彼の耳元に、ユニウスはそっと囁く。

「前もね、本当はこうして一緒に踊りたくて誘ったんだよ」
「ざ、戯言を。ユースは僕らを置いてどこかへ行ってしまわれたではないですか」

ヤマトは下を向いたまま口を膨らませる。

「困った顔を見たかったんだ。心細さにきっと余に泣きついてくれると思って」
「悪趣味な……」
「なのにそなたは他の男の腕に手を回して楽しそうに話していた」
「だからっ、あの時は……別に望んでしたわけではありません。陛下は知らないでしょうが、ちょっと事情があって……」
「知っていたよ。見ていたからね」
「は?」
「クラリオンを助けたんだよね」
「な、なっ……!」

さすがのヤマトも信じられないと振り仰いだ。
同時にステップが止まる。
だが、文句を言おうとした口は、声が詰まって何も出てこなかった。
賑やかなフロアで、そこだけ静かになる。
中央で立ち止まった二人に、周りの男女は迷惑そうに避けたが、そんなことにも気付かなかった。
見つめ合う。
馬鹿にしているとばかり思っていたユニウスの顔が優しかったからだ。
仮面越しの顔にドキリと胸が鳴って、不自然に目が泳ぐ。
突如何も言えなくなった。
ふざけるな――と、いつものように怒ればよかったのに、頭が真っ白になったのだ。

「そなたはいつも予想外の行動に出る。見ているとおかしいが、時に歯がゆく、胸が締め付けられそうになる」
「……ぼ、僕は、ただ思う通りに動いているだけです」
「あははっ、その通りだが余は振り回されてばかりだ。なのにそなたの一挙一動が気になって仕方がない。構いたくて仕方がない」
「そんな」

どう反応していいか分からず狼狽していると、ユニウスはヤマトの前髪をかき分け覗き込んできた。
自然とダンスの輪を外れ、フロアの隅にある柱の影に隠れる。
ヤマトは柱を背に彼を見上げた。
青い仮面をつけたユニウスは、どことない色気が漂い、鼓動は速くなるばかりである。

「……もうダンスはよろしいのですか?」
「うん。まだ一曲も踊ってないのに、ヤマトを見るのに忙しくて手につかないや」
「見ないで下さい。女の格好をして、化粧までして……恥ずかしいのです」

いつも擦れ違っていた二人。
ほんの少し歩み寄るだけで素直になれる。
そう思えるのは互いに隠し続けた秘密を共有した仲だからか。
立場は違えど気持ちは痛いほど良く分かった。
それは当事者じゃないと分からない痛みだった。
分かち合うことで軽くなった心が、ユニウスという存在に気を許してしまう。
ヤマトは表面を鎧で固めていた分、取っ払うと驚くほど無防備な顔を見せた。
間近で見ていたユニウスは、そのギャップに息を呑んで愛しさを募らせた。
正体を隠すため身につけた妖艶さの、合間に見せる幼い表情は目を逸らせないほど可愛らしかった。
決して他人を近づけさせず、心から笑うことさえなかったのに――今は違う。
ユニウスにだけ、あどけない顔を見せる。
豊かな表情を見せてくれる。
無意識だから敵わない。
これでは本当に惑わされてしまう。

「ゆ、ユース?」

ヤマトは首を傾げた。
黙り込んだユニウスはヤマトの頬に手を這わす。
真剣な顔は少し怖かった。
藍色の瞳は吸い込まれそうなくらい強くて、瞬きひとつ出来ない。

「ユー…………んぅ、っ」

唇に甘い煌めきが走った。
それがキスだと気付いたのは離れたあとで、近づきすぎてぼやけていた焦点が合うと、目を瞠る。

「な、な、なっ――――!」

無意識に口許を手で押さえると、目を丸くして見上げた。
今、確かにヤマトの唇にユニウスの唇が触れたのだ。
あまりに自然な仕草で、止める間もなかった。

「おや、顔が真っ赤だ。キスは初めてかい?」
「当たり前ですっ。このようなことをする相手などいるわけがありません」
「じゃあ余が初めての相手か」
「変な言い方をしないで下さい。あなたにとっては軽い遊びでも、んっ……んぅっ」

ユニウスはヤマトの言葉を遮るように再び口付けた。
押し付けられる唇の感触に絶句する。
それは予想以上に温かく柔らかかった。
押しのけようとユニウスの胸元に手を置いたが、まったく離れる気配がない。

「ちょっ、んぅ!っ、ふ……ちゅっ、はぁ……ん、んぅっ……っ」

それどころか唇をぺろりと舐められた。
驚いて口を開くとユニウスの舌がするりと入ってくる。
逃れようと顔を背けるが、頬に寄せてあった手がしっかり固定して動けなかった。
長いキスに酸欠状態になる。
息があがったヤマトは、激しく肩を上下させた。
影になっているとはいえ、少し横にずれれば明かりのもとフロアから丸見えである。

「はぁ、はぁ……こんな、口付け……」

されるがままの苦しさに瞳を潤ませる。

「ねぇ、さっきの本当?そなたには他にキスをする相手はいないのかい」
「だからそう言っているでしょう?……第一に僕を見ていたらそんな相手がいないことくらい存じているはずです」
「ヤマトの口から直接聞きたかったんだ」
「い、意地悪です」

辱めに口を尖らすと、ユニウスは手をとり、ヤマトの手の甲に唇を落とした。
次に額、頬と啄ばむようなキスをしてくる。

「へ、陛下……だめです」
「陛下じゃないよ。今はただの男だ」
「んっ、んぅ…はぁ、あっ……ゆ、ユース…」

顔中に甘ったるいキスをされて、ヤマトの胸は躍る。
どうして男と口付けてこんなにドキドキするのだろう。
なぜはっきりと拒絶出来ないのだろう。

「そなたにキスをしていいのは余だけだ」
「ん、また…っ……」
「大丈夫。みんなしてる。誰も我々のことなんて見ていないさ」
「しかしっ」

何か話すたびにキスをされる。
次第にキスをしている時間の方が長くなると、息が止まるような深い口付けをされた。
柱に押し付けられて、気付けば膝を割られる。
間に入ってきたユニウスの体が擦り寄ってきた。
その滑らかな動きはどこか卑猥で、どうしていいのか分からなかった。
咥内に入ってきた舌が遠慮なくヤマトの舌を追いかけて舐め回す。
口の中を舐められていると、頭の中まで舐められているような気がして思考が働かなくなった。
巧みな口づけに翻弄されていつの間にか酔いしれてしまう。
粘膜のくちゅくちゅとした音が恥ずかしくて身を捩ると、僅かに笑われたような気配がして益々頬を染めた。

「んぅ、んっ……ふぅ、ふぅ……」

確かに周りにも人前だというのに淫らに絡み合う男女がいた。
仮面を被っているのをいいことに見せ付けるようじゃれあっている。
だけどヤマトは男だ。
女装しているが、もし男同士だと知られてしまったら奇異の目を向けられるに決まっている。

「ほぅ……」

なのに漏れる吐息は色っぽかった。
強く抱きしめられて、体を上下に揺らしながら飽きることないキスを続ける。
見上げたユニウスの瞳はヤマトしか映っておらず、求めるように屈んでくれた。
それに合わせて必死に背伸びをするヤマトは、とっくに拒絶を忘れて受け入れている。
時間も忘れて柱の影に隠れ、いちゃいちゃする様はただの恋人同士にしか見えなかった。
キスをしすぎたせいか、ユニウスの口の周りにはヤマトの口紅が移っている。
持っていたハンカチで拭いてあげるとその手を掴まれた。
綺麗にした矢先に唇を重ねて、再び口紅の痕がついてしまう。

「んっ、ちゅ…、はぁっ、せっかく拭いたのに……」
「ならばまた拭けばいい」
「もう。あんまり拭くと唇が腫れますよ」
「安心しなさい」

するとユニウスは嬉しそうに笑った。

「元々唇が腫れるまでキスをする予定だったんだ。……問題ないよ」

内緒話をするように耳元で小さく呟かれて耳まで赤くする。
その前にきっとヤマトの口紅が落ちてしまうだろう。
これだけ色を移してしまっているのだ。
色あせた唇が貪欲にキスをしていた証に思えて恥ずかしくなる。
だがユニウスは離さないのだ。
話している最中でも目が合うと口付ける。
鼻を擦り合わせて楽しそうにキスをする。
その表情は甘えているようで悪い気分にはならなかった。
むしろ年上の男を愛しいと思えるほど、満たされた気持ちになった。
穏やかな横顔は決して弟殺しを企てるようには見えない。
寂しそうに虚空を見つめていた瞳は、焼けそうなほど熱く、強い眼差しでヤマトを見つめている。

「そなたは唇まで愛らしいな。今さらだけど、本当はずっとこうしたいと思っていた」

ユニウスは唾液で濡れたヤマトの唇に指を這わし、

「余を惑わせる悪い唇だ」
「そんなの勝手にあなたが思っていることでしょう?」
「頬を膨らませてたって煽るだけだからやめた方がいいよ。今のそなたは全部が可愛い」
「か、かわっ……」
「ツンとしていた時も、今も、余はヤマトに夢中だ。これ以上夢中にさせてどうする気だい?」

彼はそう言って頬にちゅっとキスをした。
吐息混じりに囁かれる言葉は、甘すぎて胸焼けしそうだ。
余裕あり気な眼差しは経験を物語っていて、うぶなヤマトは満足に受け流すことさえ出来ない。
これなら罵倒された方がずっと楽だった。
(だってこんな陛下知らないから……)
他の女にもこんな風に睦言を囁いたのだろうか。
こんな優しく触れたのだろうか。
ふとそんなことに気付くと、無性に腹立たしくなった。
甘い言葉で雰囲気を盛り上げるのは当然で、ユニウスには千という側室がいたし、奥方もいたのだ。
実際に四人も子を儲けている。
それ以外にも多くの貴族の娘に言い寄られていただろうし、男女関係が激しかったころの話も多く聞いている。
何せ彼は少し前まで国一の遊び人だったのだ。
王政を放り出して日がな一日淫蕩な生活を送り、多淫に耽っていたのだ。
(陛下だって大人の男だ)
どれほど肉体関係があっても驚きはしない。
だが、愛する人はいたのだろうか。
そっちの方が気になっていることに変な違和感を覚えた。

「はぁ、ヤマト……んっ」
「あ、っぅ……んぅ、ユース……」

ユニウスはヤマトの白い首筋を唇で愛撫する。
胸の開いた黒いドレスは、雪のような肌を際立たせた。
膝を割られたまま強引に彼の足が下半身を擦る。
そのたびに艶やかな声を出しそうになった。
ヤマトの男が反応しかけている。

「こ、これ以上したら……っ、んぅ」

分かっているのか、ユニウスは自らの下半身も押し付けてきた。
彼の熱を知り、目を見開く。

「余も同じだ」
「お、なじ……?」
「このままでは治まらないほど、体は火照っている」
「あっ…んぅ、はぁ……」
「続きは馬車でしよう?ここではそなたの甘い声を他の男に聞かせてしまう」
「あっ、わわっ……!」

するとユニウスは突然ヤマトの体をお姫様抱っこした。
思わず素っ頓狂な声をあげる。
落ちないよう慌てて彼の首に腕を巻きつけると額に口付けられた。
そのまま躊躇なく柱の影を出ていくと、フロアの階段を上り、エントランスへ向かう。
周囲は二人に道を開けた。
顔を見合わせて黙るも一瞬。
通り過ぎたころには何もなかったようにお喋りを始め、つつがなく宴は夜明けまで続く。

「余が許すまでドアを開けるな」

ユニウスは恰幅の良い御者にそう告げると、馬車は城へ向かって走り出した。
外は風が強くてガラス窓がガタガタ騒ぐ。
空はどんどん雲が流れていき、合間に見える月は幽玄と浮かんでいた。
湿った空気に明日の天気は荒れることを悟る。
しかし今は目の前のこと以外考えられなかった。
揺れる馬車の中で、ユニウスとヤマトは淫らに体を絡め、ひとつに交わっていたのだ。

「あぁ、あん、っ…はぁっ、あぁっ……ユースっ」

ヤマトの尻の穴は丹念にほぐされたあと、ユニウスによって貫かれた。
ドレスを脱がされ、ガードルだけの姿になったヤマトは、ユニウスの上に跨って喘ぎ声を漏らす。
体は劇場でとっくに出来上がっていた。
馬車に着いた時には、なし崩しのように座席へ縺れ込み、服を脱ぐのも煩わしく思うほど興奮していた。
キスをしながら窮屈なドレスを脱がされ、露になったヤマトの肢体にユニウスは喉を鳴らした。
仮面をとる前に体を重ねるほど欲情しきっていたのだ。

「ひぁ、ああっあはっ…んぅ……」

根元まで挿入されてヤマトは淫らに腰を揺らす。
ユニウスの上に跨ると、彼の方が高くなった。
いつも見上げていた顔を見下ろす。
新鮮でくすぐったい気持ちになるのは、ユニウスも同じだったのかもしれない。
二人は互いの仮面を取り合った。
ヤマトは髪色を隠すための鬘も取った。
重苦しかった頭部が開放されて、長い黒髪がさらさら揺れる。
それをユニウスは指で絡め何度も唇を落とした。

「はぁ、綺麗だよ。そなたと出会って黒がこんなに美しい色だと知った」
「ん、んぅ……変な、感じです。僕の国はみんな同じ色をしていますから」
「ヤマトの瞳と髪の色は特別だよ。こうして向き合っているだけで欲情してしまう」
「あぁ、あっ…あぁっ!」

ユニウスは下から激しく突いた。
同時に馬車は舗装された道を抜けて、整備されていない道に出る。
石の上に車輪が乗ると、場車内も激しく上下した。
性器を咥えこんでいたヤマトは、その衝撃に甲高い声をあげて仰け反った。
意識が飛びそうになりながら、しっかり足を腰に絡めて密着する。

「きもちい……っ、いいっんぅ……っはぁ」
「ヤマトの体はいやらしすぎだよ。これじゃ何度出したって足りない」
「んはぁ、あぁっ、やぁ、あっん…くっはぁ……!」

存分に下から突き上げられると、今度は四つんばいになって後ろから受け入れた。
それまで異物を挿入したこともない穴が、卑猥に広がり肉の輪を作る。
奥の奥まで入れられて、激しく突かれた。
逃げるようガラス窓にへばりつくと、吐息でガラスは曇る。
手をつくと、手形が残った。
水滴が垂れて落ちる。
再び甘い吐息に窓は曇る。
水滴が垂れる。
その繰り返しを淫猥な気分に浸りながら見つめた。
窓の外に見えた空は僅かに白み始め、間もなく夜明けを迎えようとしている。
まだ人のいない町を馬車で抜ける。
もしこんなところを見られたら大変だ。

「ひぁ、っう…ユースの、んく、奥まで入ってます…っ」

恍惚と呟くと後ろから腹を撫でられた。

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