11

それからヤマトはケイトと共に客室に戻ってくるとユニウスの話をした。
苦しみや悲しみを分かち合ったこと、一緒に国を変えようと奮闘したこと、日常の些細な出来事まで話した。
話してみて気付いたのは、常に彼が傍で見守っていてくれたことだ。
思えば城に来た当初からそうだった。
ヤマトがどんなに冷たくしても飄々として顔を出した。
あの時は興味本位で近づかれているのだと警戒していたが、今はそうして構っていてくれたようにも思う。
(でも、なぜ?)
そんな話、今までユニウスとしたことがなかったから、彼の心がよく分からなかった。
彼は肚を見せない男だから仕方がない。
でもケイトに話して良かった。
聞き終えた彼が最後に、

「僕、実はずっとユニウス陛下のことを良く思っていなかったんです。ごめんなさい。僕にとっては旦那様を傷つけた人って印象しかなくて、きっと意地悪で嫌な人なんだろうなって勝手に思っていたんです」
「ケイトさん」
「本当にごめんなさい。でもヤマトさんのお話を聞けて良かったです。陛下が素敵な人だと分かって良かったです!」

純粋な瞳を向けられて、ヤマトは彼の頭を撫でた。
(きっと彼は素晴らしい両親のもとに生まれてきたのだろう)
シリウスが好いた理由が分かった気がした。
ヤマトでも愛らしく思うのだから、彼にはとても愛おしく思えたに違いない。
同時に自分もユニウスに愛されたらどんな気持ちになるのだろうと思った。
ただの想像なのに、それだけで幸せになれた気がした。

その後、風呂を勧められて、お近づきの印にケイトを誘ったら断られた。
ひとりで広々とした風呂を堪能して欲しいとのことだった。
風呂のあとは夕食が待っていて、食堂で全員がテーブルを囲った。
この城はこれだけ大きいというのに、料理人がひとり、執事がひとり、その他使用人がケイトを合わせて数名しかいなかった。
どの身分の人間も一緒になって食事をするというのは久しぶりで、和気藹々団欒を楽しむ。
ここにいる人たちはみんな優しくて面白くて、食事中は笑いが絶えなかった。
ヤマトは客人ということでシリウスの隣に座っていたが、彼も楽しそうに人の話を聞いて笑っていた。
その中でふとユニウスの放った言葉が蘇る。

「端から見れば余が勝者でシリウスは敗者に違いない。だが、その時知ったのだ。本当は逆なのだと。余はいつまで経っても闇を彷徨い、シリウスは希望の光を手にしていた」

シリウスには心から愛する人がいて、家族のような仲間がいる。
例え王位を失い、心身共に傷だらけになり、現在はこうして魔の森の奥でひっそり暮らしていても、彼の周りには信頼できる人がいて、実り多き人生を歩んでいた。
対するにユニウスは望み通り全てを得たのに何もない。
あれだけ大きな宮廷に住み、多くの家臣たちを使い、贅沢三昧な日々を送っていたのに、中身は空虚そのものだ。
奥方を死へ追いやり、家族のように接する仲間もいない。
端から見れば圧倒的にユニウスが勝ちなのに、なぜこんなにも違うのだろう。
否、なぜと問わなくても分かる。
ユニウスは自分でそう仕向けたに過ぎない。
自ら不幸の道へ歩んでいったのだ。

「やっぱりビールはうまい!」
「久しぶりのお酒だからって浮かれすぎですよ」

城では客を招いたりしないらしく、宮廷も驚く豪華な料理が振舞われた。
ビールやワインも出て、男たちは飲んで歌って大盛り上がりである。
まるで下町の酒場に来たみたいだ。

「おわっ!」
「つめた……っ」

案の定酔っ払ったボルジアの手元が狂ったのか、何かの拍子にケイトはビールを被ってしまった。
服が濡れて肌が透ける。

「お、おおすまん、すまん」
「だから言ったのにー!」
「ちょっとケイト君大丈夫?」

ケイトは口を尖らせたが、どこか楽しそうに笑っていた。
唯一の女性であるジェミニはタオルを持ってくるとケイトに渡す。
だが濡れすぎて拭く意味はなく、彼は「着替えてきます」と慌てて食堂をあとにした。
他の仲間が後片付けをしているのをヤマトは黙って見守る。
(夏なんだから脱げばすぐ乾くのに)
主人の前で憚れるとはいえ、急いで出て行ったケイトに首を傾げた。
向かいにいた執事のセルジオールはコホンと咳をつき、何事もなく食事を再開させる。

「ケイトは――」

すると、まるでヤマトの心を読むようにシリウスが口を開いた。
持っていたフォークとナイフを皿の端に置き、ヤマトの方を向く。

「人前ではあまり肌を晒さん」
「そうなの……ですか……?」

そういえば夏なのに、半袖ではなく七分袖だった。
(さっき風呂に誘ったのを断ったのも?)

「あれの背中には罪深き人の咎が刻まれている」
「……どういうことですか」
「何の証拠もなく魔女狩りにあって二度死にかけている。背中には拷問の痕が残っているのだ」
「そういえばシリウス様は魔女狩りの件にて罪人をお救いになったと聞いています。それが……」

そうか。
シリウスは魔女裁判にかけられた愛する者のために、仇であるユニウスに頭を下げた。
ケイトは恋人だ。
つまり彼がその罪人だったのである。
魔女というからには女性ばかりを連想させて、ケイトと結びつかなかった。
しかしあの裁判では男性も多く処罰されている。
全ては彼のために国を動かしたのだ。
たったひとりの愛する者のために。
(シリウス様はどんな顔で頭を下げたのだろう)
堂々たる今の仕草から、人目も憚らず土下座したとは思えない。
王族としてのプライドもあるだろうし、全てを奪った男に頭を下げるというのは屈辱的である。
周りには大勢貴族や臣下がいただろう。
噂好きの彼らがいるなら、その後自分がどんな風に言われるか想像は難くない。
噂には尾ひれがついて、きっと面白おかしく情けない話にされるだろう。
永遠に笑い者とされる。
シリウスは全て承知の上で行動を起こした。
全ては大切なケイトのため。
彼は愛する命を救うために躊躇いなく王子としての誇りを捨てたのだ。

「……しかし、愚かな迷信だと気づかぬものですか?聞けばかなり強引なやり口だったと言うではありませんか。私の国では到底理解できません」
「百人が同じ嘘を言えば、それは嘘じゃなくなるものだ。上の人間がそれをやれば広まるのも早い」
「なれど」
「お前の言いたいことも判る。私も同じ了見だ。第一、上の人間は本当に魔女や悪魔がいるなんて信じていないさ。ただ罪人の資産が欲しかっただけで、理由なんざ二の次だ。大切なのはそう仕立てることだったのだ」

シリウスは食堂への入り口を見つめ腕を組むと、

「本当はあいつが一番人の恐ろしさを知っているのかもしれん。ただ平凡に生きていただけなのに、ある日突然、後遺症が残るほどの拷問をしいられて、命からがら抜け出し、連れ戻されると処刑される寸前まで追い詰められたのだからな」
「そんな過去があったとは存じませんでした。全くそういった素振りを見せないので」
「ま、誰にだって辛い過去のひとつやふたつはあるもんだ」
「……………」
「それでも決して人を怨まず憎まず、まっすぐ前だけを見ているから守ってやりたくなる。私はケイトを尊敬している。だから今まで辛かった分、存分に甘やかせたくてな、つい構いすぎると「甘やかすな」と頬を膨らますから困ったものだ」
「旦那様の場合、構うというよりからかっているように見えるから怒られるのではないですか?」
「ふむ。そうとも言うな」

横から口を出してきたセルジオールに、シリウスは尤もだと言わんばかりに頷いた。
残っていたチキンの最後の一口を豪快に押し込むと、もごもごと噛み締める。

「とにかく、どんな過去があれど未来は判らん。それを選ぶのが今だと言うことを忘れるな」
「はい」
「ユニウスは根っからの陰険なやろうだ。根性が腐っている。……あれを叩き直すのは骨が折れるだろう」
「そう……なのでしょうか」
「ふむ。私たちは昔から性格が合わなくてな。あれは誰かが強引に手を引いてやらんと、変わることが出来ないだろう」

シリウスの言うユニウスと、ヤマトの知っているユニウスを重ねることが出来なかった。
その釈然としない様子が伝わったのか、

「お前とユニウスのことは大体聞いている。城の状況も把握しているつもりだ」
「えっ」
「私はこの城から離れないが、クラウスとセルジオールがいれば情報に困ることはない」

シリウスがそういうと、セルジオールは誇らしげに背筋を伸ばし、軽く会釈をした。
当然とでも言いたげな仕草だった。

「もうお前の運命は動き出している。何を選ぶのかは自由だ。しかし、その選択がユニウスにも大きな影響を与えることを忘れるな」
「話が見えません。別に私と陛下は――」
「そういうのは面倒だからユニウスとやれ。詳しい話は明日伝えると言っただろう」
「そんなっ」
「あ、ケイトやっと来たか。遅いぞ」
「旦那様すみません」

もう少し詳しく聞きたかったのに、話を流されてシリウスはケイトの方へ行ってしまった。
他に知っている相手として、向かいに座るセルジオールを見たら、

「今夜一晩ゆっくりとお考え下さいませ」

としか答えず、あとは聞こえない振りをされて終わった。

その夜、ぼんやりとベッドに横たわり、高い天井を見つめながら静かな時をすごした。
周囲を森に囲まれて、虫の声しか聞こえない。
昨夜はユニウスに抱かれて心地よく眠りについた。
たった一晩傍にいないだけなのに、途方もなく寂しくて変な気持ちになる。
シリウスは選べといった。
しかし自分が選ぶ立場なのかは疑問だった。
ヤマトは選べるほどの選択肢を持っているのか懐疑的だ。
今までなすがまま流れ着き、城で囲われて生活していた。
自分の人生を変える選択なんて滅多に出来ることじゃない。
大抵が夢中で走り続けた結果、あとで振り返った時に無意識に選んでいたことを知るものだ。
何もしていない時から「選べ」と言われたところで用意なんて出来るわけがない。
(今を変える――か)
どうするべきかが分らないのなら、どうしたいかを考えた方が早い。
(僕は陛下とどうしたいのだろう)
好きだからといって伝わるような恋愛ではない。
愚かな恋心は百も承知だ。
だけど、毎日ユニウスと笑ってすごせたら幸せなことだ。
今は癒えない傷かもしれないけど、いつかの未来、この傷を大事に出来る日が来るかもしれない。
そのためには自分が何をどう望むのかが大切だ。
血塗られた二人の行く先が、シリウスやケイトのようであればいいのに。
願かけるように目を閉じると、布団をかけ直して深い眠りにつくのだった。

翌朝、ヤマトはシリウスに呼び出された。
彼は二つのことを告げた。
ひとつは今夜の晩餐会に極秘でとある東方の島国が招待されていること、もうひとつはその影でユニウスの命を狙う貴族の一派がいるということ。

「以前陛下は仰っていました。私にプレゼントがあると。もしかしてそれは――」
「宣戦布告するのか、その場で血祭りにあげるのかは、ユニウスにしか分らん。本来なら友好が目的だと望みたいが、あれの性格からして大人しく和合を結ぶなんざありえないだろう」
「されどひとつの国家ですよ?」
「ユニウスはそういう男だ。あれは目的のためなら容赦はしない。そのためなら己の命をも投げ出す覚悟を持っているだろう」
「そんなっ――」

ユニウスは始めからヤマトの仇をとるつもりだった。
ヤマトを席から外して、極々身内だけで会議をしていたのは、この晩餐会のためだったのだ。
しかし公式の晩餐会ならば国内外の貴族も招待せねばならない。
ところが今回は一切が内密で処理されて、他に招待客のリストはないという。
つまり晩餐会に見せかけて皆殺しにするつもりなのだ。
ヤマトの母国の一団は、罠とも知らずおびき寄せられた獲物にすぎない。

「となれば、陛下を狙う一派はまたとない好機になるでしょうね。暗殺が成功したところで見知らぬ国の者たちのせいにすれば自らの罪には問われない。その後、王が変われば見せしめにもなる。改革案を実行に移せばどうなるか一部の賢臣なら理解するはず」
「左様。唯一気になるのはユニウスがどこまで情報を仕入れているかだが……あれのことだ。あえて泳がせているのだろう。――が、相変わらず己の命を軽視するにいとわない根性が気に食わん」
「陛下……」
「自分が死んで悲しむ者がいることに気づけないほど愚かなことはあるまい」
「…………」
「セルジオール、ボルジア――ちょっと来い」

シリウスは紙に何かを書き始めると、セルジオールとボルジアを呼び、何かを耳打ちしていた。
書き終えた紙は封書にしてボルジアに渡すと、彼は足早に広間を去る。
続けてセルジオールが出て行くと、広間はシリウスとケイトとヤマトだけになった。

「しかし、どうして私の母国が知られているのですか。私は陛下にさえ出身国を明かしたことはありません」

ヤマトが語ったのは、兄に殺されかけたことと命からがら国を脱出し、アルドメリアに渡ったことしかない。

「もともとお前の出身なんざ知られていたのだ」
「なっ」
「ユニウスはお前が兄に殺されそうになって逃げてきたことを事前に知っていた。だから城へ囲った。お前が乗ってきたという貿易船さえ割り出せば、辿るのは早い。何せ私ですら知っているのだからな」
「それで始めからあんなに優しく気にかけて下さったのか」
「贖罪か同情か愛情かは知らん。――が、どこかで共鳴し興味を抱いたのだろう。その仇を討つということは、自らの死を覚悟しているのか、それとも――」
「私は陛下の死など望んでおりません」
「ならばお前のやることは決まっているな」
「――――っ!」

シリウスの鋭い片目が光り、ニヤリと口許を歪ませた。
その言葉にヤマトは闊然として悟り、深く頷く。
(このまま運命に流されるなんて嫌だ。このまま会えなくなるのはもっと嫌だ)
今が決する時だとするならば、自分が動かなくて誰が動く。
もう無力な己に縛られるのは嫌だった。
繰り返される悪夢を見るのもごめんだった。
誰だっていつかは必ず立ち上がらなければならない時がやってくる。
それは廃人となった魔の森の主人も、権力に翻弄され魔女狩りにあった少年も同じ。
その時に負けず立ち向かったから今ある幸せを掴めたのだ。

「ならば、私は早く王宮へ――」
「まぁ、待て」

逸るように立ち上がると、シリウスに片手で制された。
同時に料理人のクリスが大急ぎでやってくると、

「クラリオン大佐がお見えになりました!」
「ほう、予想より速いな」

持っていた封筒を差し出す。
シリウスはそれを破るように開けて、中の手紙を読むと含み笑いをした。

「さすが弟。クラウスも中々機転の利く男だ」

それまで書き途中だった手紙を手早く書き終えて、蝋で封を閉じるとヤマトに渡す。

「クラウスは王都の床屋の二階にいる。クラリオンがお前を連れて行ってくれるから、クラウスに会ったらこれを渡せ」
「畏まりました」
「昨夜も言ったが、お前の選択がユニウスの命運を決める。それは同時に国の行く末を決めることだ。意志を強く持つのだぞ」
「はい!」

ヤマトは深く頭を下げると、クリスに誘導されて広間をあとにした。
残されたケイトは心配そうに出て行った先を見つめる。
それぞれが出払って広間は急に静かになってしまった。
朝日が大きな窓から射しこみ、光は帯のように揺れている。

「あの、僕に出来ることはありませんか?」

ケイトは何か力になりたくてそう問う。
しかしシリウスは首を振り、ケイトの腰を抱き寄せた。

「お前は私の傍にいろ」
「ですが……」
「いいか、ケイト。大将というのはみだりに動かず、大きく構えているものだ。あとは彼らが上手くやってくれる。大丈夫。お前は私の隣でこの物語の結末を見守っていれば良い」
「…………」
「そう心配そうな顔をするな。安心しろ。この世は案外お伽噺より優しく、奇跡に満ちているものだ」

二人は窓際まで来ると、そっと寄り添い、渺茫と広がる空を眺めるのだった。

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