5

「や…何…?」
「ふふ。彼らが本当にエマルドは男なのか知りたいんですって」
「え?」
「皆が女装した少年を見たいっていうから、あなたをここに連れてきたのよ」
「じゃなきゃアンタなんか城に呼ぶわけないでしょう?勘違いも甚だしい!」

そういってフランシスカとモニカはクスクスと笑った。
これも金持ちの道楽のひとつなのだと。
僕は暇つぶしの玩具に他ならないのだ。
あらゆる遊びにマンネリを感じた彼らはいつも飢えていた。
それは世界中の美食に酔いしれた金持ちが珍味に手を出すと同じ事。
新たな刺激に目を輝かせる彼らがどこか恐ろしくて身震いをした。
近づいてくる彼らに逃げようと後ろに下がる。
しかし囲まれていた僕はドンと後ろの人にぶつかった。
見上げればこれまた豪華なドレスに身を包んだ美少女がニヤニヤしながら僕を見ている。

「痛いことはしないって」
「嫌だっ!!いやっ…っ」

一人の男が僕の腕を掴んだ。
もう一人が僕のドレスを捲り上げる。
暴れようとしたが数人の男に押さえ込まれれば身動きが出来なかった。

「やめっ…おねが…っ…やめて下さいっ!!」

捲り上げられるスカートに自分の足が顔を出す。
必死に逃れようと騒ぐが彼らは無視をした。
徐々に晒されていく肢体。
それを見つめる好奇な眼差し。

「いやだぁっ…いやっ…!!」

この世にこんなにも恐ろしい事があるとは思わなかった。
乱暴される事が怖かったんじゃない。
こんなにも必死に助けを求めているのに、平然と僕を見つめる彼らの瞳が恐ろしかったのだ。
泣き叫ぶ声は掠れて喉が痛い。

「な…んでっ…こんなっ!」

同じ人間なのかと問いただしたいが、彼らはきっと始めから同じだとは考えていないだろう。
ここにいる人間は最初から恵まれた人生を約束されているのだ。
自分で稼いだ金でもないのに偉そうに踏ん反り返っている。
下を見ればそこに動物も人間も大差はないのだ。
それは家畜を喰うのと同じ事。
だから僕のような底辺で生きる人間はどんな理不尽も受け入れなくてはならない。

「こんなっ…っぅ…ひどいっ…!」

恵まれた人間は恵まれた社会を作り恵まれた子孫を残す。
そうして世界は回っているのだ。
その歯車に振り落とされた人間は永遠に地べたを這うしかないだろう。
所詮、お伽話は夢のお話。
現実は実に残酷で甘美な世界だと思う。

「――そこで、何をしている?」

不意に燐とした声が響き渡った。
だからその場に居た全員が振り返る。

「あ――……」

僕は驚いて声を失った。
入り口には息を荒くし肩を上下させている王子が見える。
彼はそっと自分の頬に流れる汗を拭った。

「あ~ら、王子様」

傍に居たフランシスカが猫撫でるような声で王子を呼んだ。
自ら輪を抜ける。
それは全てを分かっての行為だ。

「いいところにいらっしゃいましたわ」
「え?」
「丁度、ご紹介したい友人がいるんです」

振り返ったフランシスカと目が合った。
それにギクリとさせるが時遅し。
彼女は僕の腕を掴んで輪から引っ張り出した。

「エ…マっ…!?」

するとボサボサの髪の毛をしてドレスの乱れた僕に王子は驚いた顔をする。
僕は見られたくなくて顔を背けた。

「私の友人のエマルドと申します」
「え?」
「実はこう見えて、殿方なんですの。驚きでしょう?」
「…っぅ…」

広間は彼らの笑い声に包まれた。
下品に嘲笑う声が大きく響く。
その中で僕は王子の方を見られなかった。

「…っぅ……」

一番知られたくなかった人に最悪な形で真実を知らせる結果になってしまった。
きっと彼は僕を軽蔑の眼差しで見ているだろう。
その気配を感じると呼吸が出来なくて死んでしまうかと思った。
それはまるで別の恐怖。
どんな暴力も理不尽も甘んじて受けるからせめてこれだけは許されたかった。

「エマルド!?」
「お姉様に何を!!」

僕はドレスを捲り上げようとしていたフランシスカの手を突っぱねた。
それに驚いたモニカが息を荒げる。
だがそれを無視してよろよろと起き上がった。

「痛っ」

立ち上がると先程より酷さを増した靴擦れに顔を顰める。
その場で靴を脱いだ。
そしてジッと見つめるとそれを投げ捨てる。

「こ…んなものっ…!」

初めて手に入れた自分の物。
膨大な借金と引き換えだったけどこの靴は大切だった。
初めて見たお城に感嘆の声を上げたこと。
王子に出会ったこと。
一緒に踊ったこと。
そしてロマンチックな口付けを交わしたこと。
沢山の思い出がその靴と共に蘇る。
だけど今は履いていられなかった。
冷たい床が僕の足の裏を針で突き刺す。
それすらどうでも良かった。
靴はカツンと音を立てて傍に転がる。
それを尻目で見て少しだけ泣きたくなった。
奥歯を噛み締めて涙を抑える。

「―――ごめんなさい」
「エ…マ…?」
「ごめん…なさいっ!!」

僕は裸足のまま広間を飛び出した。
最後まで王子の顔が見られなかった。
後ろでモニカ達の馬鹿にしたような笑い声を聞きながら逃げるように走り去る。
雨も構わず城を出て行った。

「はぁっ…はぁっ…」

足元は水たまりに濡れて靴擦れの痕が染みる。
ドレスはもうドロドロだった。
元々モニカのドレスだ。
長さが合わず裾が擦り切れている。
沢山の雨に降られてこれが涙なのか雨の雫なのか判別できなかった。
霞んだ視界に遠くなるお城。
真っ白なドレスは泥で汚れて酷い有様だった。
これが昼間なら町の人々はさぞ驚いたことだろう。
何せ城の方向からこんな汚い格好の人間が走ってきたのだ。
鏡を見なくても今の間抜けな姿が手に取るように分かる。
それが虚しくてやりきれなかった。

「はぁ…はぁ、けほっ…」

ようやく丘を下り町の中心までやってきた。
時計塔の前で体力の限界を向えた僕はその場にうずくまる。
心臓がドクドクと嫌な音を立てた。
このまま人魚姫のように泡になれたら楽なのにどうにも上手くいかない。

「はぁ…はぁ…」

息を落ち着かせながら時計を見上げればちょうど12時を過ぎた頃だった。
僕は苦笑しながら時計塔を背にズルズルともたれる。

「あはは…ホント、いやになる…」

12時を過ぎたら解ける魔法。
魔法の解けたシンデレラはこんな気持ちだったのだろうか。

――だからあなたも正直に誠実で心優しくありなさい。そうすればいつの日かきっと幸せになれるわ。

「っぅ…ふっ…」

無理だったよ、母さん。
僕は卑怯でずる賢かったからその約束を守れなかった。
あれだけ優しく説いてくれたのに、自らの欲に勝てなかった。
シンデレラになる資格なんてない。
否、始めから僕はシンデレラじゃなかったんだ。
彼女と同じものはなにひとつ持ち合わせていない。
魔女も、魔法も…ガラスの靴さえも。
12時の魔法。
そんなものは最初から罹っていなかったんだ。
夢のようなお城に愛しい王子。
全てまやかしだったら楽なのに。
吹き付ける雨と風が嫌でもそれを現実だと認めさせてしまう。
ここで夢から覚めたらきっと、僕は幸せだったに違いない。
今日もまた仕事を頑張ろうと思えたのに。

「ひっぅ…っく、ふぅ…」

残酷な現実に一滴の涙が零れ落ちる。
そのままずるずると崩れ落ちた。
沢山の雨は責めるように降り続く。
静かな町に灯っていた明かりもひとつずつ消えていった。
徐々に暗くなる視界は凍えるように寒くなる。

パカッパカッパカッ―!!

するといつかのような蹄の音が辺りに響き渡った。
それは徐々に近づいてくる。

「――――エマ!!」
「!?」

坂から駆け下りてきたのは紛れもなく王子だった。
彼は雨の中、何も被らずこちらに向ってくる。
そのせいで高貴な服も美しい髪の毛もずぶ濡れだった。

「ど…うし…」

彼は目の前で止まった。
真っ黒な馬は闇に同化してさらに大きく見える。

「エマ…、いや…エマルド」
「あ…」

まさか僕を捕まえに来たのだろうか。
王子の声は低く、そして鋭く聞こえた。
彼は軽やかな仕草で馬を下りる。
そして僕の前に立った。

「…っぅ……」

彼がどんな顔をしているのか見る勇気がない。
顔を背けたまま逃げ出したい気持ちをグッと堪える。

「ぼ、僕は…」

自らを僕と呼ぶ事が怖かった。
しかしとっくに自分が男であることがバレている。
ならもうエマであり続ける必要はなくなってしまったのだ。

「僕は…ずっと王子様をだましていました」

暗がりの街中で二人は対峙する。
訪れるべくして起こってしまったこと。
夢も希望も無いのは全て自らが招いた結果だからだ。
僕は静かに深呼吸をする。

「だから甘んじてどんな罰も受け入れます」

すると王子は傍まで近づいてきた。
手を伸ばせば触れられる距離までやってきた彼は、僕の顔を伺おうとする。
思わず顔を反らせて唇を噛み締めた。

「罰って何ですか?」
「……っ……」
「貴方はいつ誰に咎められるような事をしたというのです?」
「だ、だからっ…僕は――…!」

言い途中で王子の優しい手のひらが頬を包み込んだ。
「…っ!?」

その感触に驚いた僕は咄嗟に彼を見上げる。
王子は想像していたような顔をしていなかった。

「――可哀想に」
「え…?」

彼の瞳が悲しげに揺れる。
息を呑んだ。
冷たい雨に打たれながらその手の感触に浸る。

「今まで苦しかったでしょう?辛かったでしょう?」
「あ…っ…」
「気付けなくてごめんなさい」

彼は僕の体を抱き締めた。
濡れた衣服がお互い動きづらくて不恰好な抱擁だった。
しかし王子は力強く僕を抱き締めて離そうとはしない。

「貴方が何者か知りません。どんな人生を送ってきたのか、なぜあの城にやってきたのかも知りません」
「お…うじ様…?」
「だけど自分のせいだと思わなくていいのです。少なくとも私は自分をだまされたとは思っていません」
「っ」
「…だから、そんなに怯えないで下さい」

そういう彼の声は少しだけ震えていた。
僕は彼の腕の中で身じろぎもせず王子の言葉を聞いていた。
惨めな姿を晒した心に一滴の優しさが染み渡る。

「ふ…っぅ…」

思わず涙が零れた。
王子の前では泣かないようにと努めた心が砕け散る。
震える体に助けを求めて彼にしがみ付いた。
詰まった胸からは嗚咽しか出てこない。

「ひっぅ…ふぅっ、ふぇ…っ…」

誰かの腕の中で泣くなんて何年ぶりなのだろうか。
おぼろげな記憶を手繰り寄せても思い出せない昔話。
顔も曖昧な母さんの腕の中は暖かかった。
目を瞑れば彼女の優しい声が聞こえてくる。

「大丈夫です。ここには貴方を責める人はいません」
「ふっ…うぅっ、ひっぅ…ひっく…」

心地良い安堵感と僅かな温もり。
次から次へと零れ落ちていく涙はいつもよりずっと優しかった。
それは母親と違う暖かさ。
王子の想いが伝わってくるから痛む傷口が和らぐのだ。

「よく、今まで頑張りましたね」

卑屈な自分が溶けていくような気がする。
今までずっとお金も身寄りもないからどんな扱いを受けようが仕方が無いと諦めて自らを納得させた。
そうしないと自分が辛いから。
だから傷口は膿んで酷い事になっているのに気付かないフリをした。
じゃないと目に余る理不尽や不条理に耐えられないと思っていたからだ。

「ひっぅ、ぼくはっ…どこかのお姫様じゃないし、名家の跡取り息子でもありません」
「エマルド」
「それでもずっと、ずっと王子様をお慕いしておりました」

とうとう言ってしまった。
これ以上、偽るのは無理だった。
結ばれないと分かっていて堕ちていく。
それはなんて愉快で虚しい恋物語なのだろう。

「やっと言ってくれましたね」
「ひっく…ふ…え…?」
「その言葉がずっと聞きたかった」

王子は穏やかに笑った。
触れた腕が強く重なる。
彼はずぶ濡れだというのに自分の格好に対して気にも留めなかった。
甘ったるく微笑みながらどこかホッとした様子の王子に目を奪われる。

「私も貴方のことが好きです」
「っぅ…」
「中庭で申し上げたでしょう?どんな貴方だってこの気持ちに変わりないのです」
「王子様」
「嬉しいです。もっとこの気持ちを伝えられたらいいのに。どうやら嬉しすぎて言葉に出来ないようです」

王子は愛しそうに僕の頬にキスを落とした。
二人は微笑みあう。
ずぶ濡れの情けない格好にお互い苦笑した。
見上げれば未だ続く黒い雲の群れ。
降り注ぐ雨は以前にも増して強かった。
町中が霞みおぼろげな街灯が灯されている。
遠くで聞こえる雷の音にも見向きをしなかった。
お互いの存在が愛しくて抱き締め合っていた。

――その後、二人で町外れの小さな教会まで行った。
以前は使われていた教会で、今は廃墟と化している。
現国王は自分の権力の象徴として町中に大きな教会を作ったのだ。

「でもずっとここが私のお気に入りでして、よく遊びに来ているんです」
「へぇ…」

中は王子が来ているだけあって結構綺麗だった。
使えるランプや薪だって置いてある。
彼は手際よくマッチにランプを灯すと室内がいくらか明るくなった。

「わぁ…」

ランプの明かりに浮かび上がったのは細かい彫刻のレリーフだった。
教会内には細かい細工を施した天使のモチーフで溢れている。
暗くてよく見えない祭壇にはキリストの彫刻が掲げられていた。
思わず感嘆の声を上げる。
それを見ていた王子はクスクスと笑った。

「……そうだ。こっちで薪を組みますから濡れたドレスを脱いで下さい」
「え?」
「じゃないと風邪を引いてしまいます」

彼はその辺に落ちていたレンガで四角く囲うように組み重ねると中心に薪や枝、紙などを並べた。
そうして即席の焚き火をしようとする。

「あっ…はい!」

僕は慌ててドレスを脱ごうとした。
しかし雨で濡れたせいで布が貼り付いている。
しかもドレスの着脱はフランシスカの待女にしてもらっていたのだ。
窮屈に締め上げられたドレスは脱ぎたくても脱げない。
その間に王子は紙に火を付けた。
それを焚き木の中心に置くと火が広がっていく。
すぐに周囲は暖かくなった。
不思議なもので明かりを見ているとそれだけでホッとする。

「あ、あの…」
「ん?いかがなさいました?」

僕はマントを脱ぎ途中の王子の服を掴んだ。
首を傾げる彼に僕は俯く。

「ひ…一人で脱げないんですけど」
「あっ」
「手伝っていただけないでしょうか」

王子は僕の言葉に顔を真っ赤にした。
僕も恥ずかしくて顔を赤く染める。

「あ、すみません!!気がつかないで」
「い、いえ…」

なんだか変な雰囲気になって二人はぎこちなく言葉を交わした。
服を脱がされる程度で慌てる僕も王子もなんか変だ。

「じゃ、じゃあ失礼致します」
「は…はい…」

彼は僕の後ろに回った。
ウエストから胸にかけて後ろの紐でずいぶんキツク結い上げられている。
見えないところに王子がいると思うと余計に緊張した。
息を詰まらせてジッと彼を窺う。
最初は触れる事に躊躇っていた王子だったが、そのままでいたら本当に風邪を引いてしまうため僕のドレスに手をかけた。
だがどうやら苦戦している。

「す、すみません。ドレスを脱がせるなんて初めてで…。寒くありませんか?」
「いい、いえ。大丈夫です」

むしろ胸のドキドキが強くなって熱いぐらいだった。
焚き火のパチパチという音が異様に響く。
見渡せば火に揺らめいて壁に不安定な僕らの影が映し出されていた。
それが丁寧な細工を施された柱や壁に広がる絵画に映る。

「ここで手際よく脱がせられたら格好良いのですが……」

王子は手元をもたつかせながら苦笑した。
覚束無い手でなんとか脱がそうとしてくれる。
僕は首を振った。

「い、いいえっそれは違います」
「え?」
「むしろ初めてって言われて凄く嬉しい、です」
「エマルド」
「…って、僕なに言ってるんだろ…」

自分の言っている事が恥ずかしくなってそれを紛らわせるようにアハハと後頭部をかいた。
仕草がレディの欠片もなくて情けない。

「んぅっ…」

すると王子は僕の首筋に甘い唇を押し付けた。
そのせいでつい変な声を出してしまう。
肩紐が外外れ、露になる肢体を王子の前に曝け出した。
焚き火の明かりに揺らめく身体はなんとも悩ましい。

「…はぁっ王子様」
「ん、エマルド…」

彼はゆっくりとドレスを脱がしながら背中にキスの雨を降らせる。
僕はその度に身体を反らせた。

「なんて、美しい」
「んく、あっ…はぁ…」

王子の指先は滑らせるように僕の肌の上を這いまわった。
僅かに熱を持った身体が戸惑っている。
僕は変な声が出ないように自分の手で口を覆った。

「エマルド」
「あっ…」

それに気付いた王子は、後ろから抱き締めて手を払う。
振り返れば熱っぽい眼差しで見る王子と目が合った。
同時に自分のドレスがパサッと落ちる。

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