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その後、着替え終えてほかの兵士たちのもとへ行くと、もう現場では臨戦態勢になっていた。

「おう。クラリオン、遅かったな。お前を置いていくところだったぞ」
「申し訳ありません」
「その子がクラウス様の仰っていたミシェルか」
「そうです」

その中で僕らを迎え入れてくれたのはボルジア様という、元アルドメリア騎士団の第一師団、第二師団の団長だった人だ。
まだ大佐が訓練兵だったころからの上司で、彼にとって頭が上がらないうちのひとりだそうだ。
ボルジア様は現在あの黒城に住んでいるらしく、今回はシリウス様に命を受け、いち早く馬を飛ばして王都へやってきたそうだ。
曲がった腰に反してずいぶんアグレッシブな人だと感心した。

「侯爵側の傭兵どもはほとんど俺たちが捕らえた。あとは僅かに泳がせている程度だ」
「ボルジア団長は全く腕が落ちていないんですね。聞きましたよ。隣国で公開処刑中にクリス団長らと乱入したって。相変わらずとんでもないことしますね」
「あれは仲間を助けるためだ。俺たちは仲間のためなら、火の中、水の中、飛んでいくぞ。第一にシリウス様から許可も得ていたから問題なしだ」
「色々問題あると思いますけど、あなたに言っても無駄でしょうね。それより、黒城で落ち着いた余生を過ごすって仰ってませんでしたっけ?」

大佐は兵士たちを並ばせながら隣にいたボルジア様へ呆れたように呟いた。
すると、ボルジア様は「あっはっは」と豪快に笑い、

「ちょうど今はトマトを収穫している。今度食わせてやるから城までこい」
「何をやっているんですか」
「美味いもん作るのは案外面白いぞ。お前みたいな軍人バカにはまだ分からないだろうがな。一年があっという間に過ぎるんだ。それは思いも寄らないほど豊かな時間だ」
「……………」
「まぁ、だからってお前たちに負ける気も早々ないがな」
「でしょうね」

ボルジア様が鍛え抜いた上腕二頭筋を見せつけると、大佐はおかしそうに笑った。
そうこうしている間に、作戦の最終段階に入った。
ボルジア様とクラリオン大佐は二手に分かれて兵を動かすと、それぞれ謁見の間を目指す。
途中で会った侯爵側の傭兵や兵士の格好をした内通者は捕らえて先を急いだ。
別行動していたクラウス様や陛下の臣下たちも加わり、僕ら一団はヤマトたちのもとへ向かう。
そうして騒がしい謁見の間の大扉を兵士たちが強引にこじ開けると、今まさに、侯爵が陛下とヤマトに銃口を向けていたところだった。

「ウィストン卿、そこまでにしていただこうか」

大佐が剣を構えると、ぐいっと前に出た。
騒然とする室内に、今度は奥の小扉があくと、そこからはボルジア様が率いる兵士たちが傾れ込んでくる。
謁見の間は大勢の人で溢れ、もはやこれまでとクーデターを引き起こそうとしていた貴族たちは膝を折り、がっくりと項垂れた。
剣や銃を突きつけられて、彼らは手を挙げると降参を示す。
大佐や兵士たちは次々に反逆者たちを縄で縛ると牢獄へと連れていった。

「さ、これからがミシェル君の出番ですよ」

隣にいたクラウス様は僕に微笑んだ。
彼が大佐たちと別行動していたのは、他の部屋で晩餐会の用意をしていたからだった。
見事な宮廷料理が続々と出てくる。
あんな事件のあとで、アルドメリア人も東洋人も気まずそうにしていたが、晩餐会が始まると、クラウス様の計らいもあって次第に打ち解けていくようになった。
僕はヤマトに演奏しようと声をかけた。
せっかくの雰囲気をもっと盛り上げたいと思ったのだ。
すると彼は快く応じてくれた。
二度目のセッションも楽しかった。
ヤマトの声は相変わらず瑞々しくて透き通るようだ。

「ミシェルの音色は変わったね」

歌の合間にヤマトは目元を緩めて呟いた。
僕はドキッとした。
以前の――まだ無垢だったころの音色が好きだと言ってくれていたヤマトを失望させたかと思ったからだ。
だけど彼の表情は柔らかいままで、

「僕はどっちの君も好きだよ」

晴れやかに笑いかけてくれた。
(ヤマトも変わったよ)
僕は声にならない声をヴァイオリンの音色に乗せる。
だってそんな風に柔らかく笑えるようになったんだ。
人を寄せ付けようとしない君が、無邪気な顔で笑いかけてくれる。
その一言が僕に救いをもたらせてくれる。
(僕もどっちの君も好きだよ)
信じた道を突き進んで良かったと心の底から思った。
たくさん苦しいことがあったけど、それでも信念のままに歩んで良かった。
ヴァイオリンを続けて良かった。
僕は幸せを噛み締める。
こんな結末が用意されていたなんてお伽噺みたいだ。
でもそれは予定調和で作られたものではない。
ひとりひとりが必死になって運命に抗い、食らいついた結果なのだ。
誰かが欠けても今日という日は訪れなかった。
そう思うと益々特別な日だと思った。

その後、ヤマトの美しい歌声も相まって、晩餐会は大盛況のまま終わり、二つの国は新たな和合を結んだ。

「あのさ……ヤマト」
「ん」

僕は緊張で顔を強ばらせながらずんずん近づくと、

「僕と友達になって!」

真剣な眼差しで声を張り上げた。
するとヤマトは「ぷっ」と吹き出して笑った。
鈴が転がるような軽やかな声だった。

「残念だな。僕はもう君の友人のつもりでいたんだけど」
「ほ、ほんと!」
「大体、友達になって――なんて口に出すようなものじゃないだろう」
「そうなの?」

首を傾げる僕にヤマトは、

「これだから音楽バカは」

極上の笑みを見せてくれたんだ。

***

そうしてアルドメリアの国難は無事に去った。
ヤマトはあのまま故郷へ帰るかと思ったが、彼はユニウス陛下のもとで暮らすことを決めたらしく、その後も城に住んでいた。
あれだけ陛下を嫌っていたのに、人の気持ちってよく分からない。
二人が好き合っていると聞いた時は、驚きすぎて顎が外れるかと思った。
今だってヤマトのところへ行くと、大抵陛下と言い合いをしていて、全然恋人同士っぽくないんだ。
陛下はヤマトを怒らせるようなことばかり言うし、ヤマトだってそんな陛下をあしらうようなことばかりしてる。
それを大佐にいうと「君にはまだ早い話だ」なんて諭されてしまうんだ。
やっぱり僕を子ども扱いしている。
これでもヤマトより年上なんだ。
今まで世間知らずだったことは認めるけど、少しは世の中の仕組みについて分かってきたはずだ。
もちろん大佐はそんな僕を大切にしてくれている。
彼はあのまま出世街道を行くと思ったのに、ある日突然軍に辞表を提出した。
軍幹部の間で激震が走った。
いずれ大佐も爵位が与えられるくらいの地位につくと思っていたのに、彼は軍人であることをやめようとした。
多くの人が引き留めた。
その中にはユニウス陛下もいた。

「ならば国王としてクラリオンに命ずる。お前のこれからの任務はミシェルとアルドメリア音楽団の護衛だ」

その発言で益々城内は混乱した。
確かに遠征する僕らにはいつも護衛の兵士が一緒だった。
しかし危険なことなどほとんどなく、訓練兵あがりの新人がその役を担っていた。
それを天下のクラリオン大佐に与えるなんてとんでもないことだ。
(陛下って僕と大佐の関係に気付いているのかな)
まだヤマトにすら言っていないのに、そんな予感が胸を騒がせた。
大佐はもちろんその命を受けた。
そうして大佐は僕と世界を回ることになった。

「実はカメリアでの報賞は何がいいかと陛下に問われていたのでな、ミシェルと世界を巡りたいと願い出た」
「そ、そんなのありですか!」
「最近の陛下はずいぶん話が分かるようで、俺もまさか本当にそれが許されるとは思わなかった」
「そ、そんな嘘みたいなことが……で、でも、僕と一緒なんかで」

退屈しないだろうか?
自分の夢を彼に付き合わせているのではないか?
だけど大佐は微笑みを崩さなかった。

「これは約束であり俺の夢だ。君を守るってことはね」
「ずるいです、大佐!」

結局、大佐は望んでいた職務につくことになった。

「なんとでも言えばいい。ようやくやりたいことを見つけたんだ。俺は俺の望む道を行く」

そうやって甘やかされている気がするが、大佐が心の底から幸せそうに笑うから反論出来なくなるんだ。
僕だって本当は嬉しい。
二人の道は違うと、いつかの別れを覚悟していたからだ。

「ならば聞き返そう。ミシェル、君の夢は何だ?」

分かっていて、大佐は嫣然と微笑んだ。

「そ、そんなの決まっています。僕の夢は、世界中の劇場で演奏すること!そして音楽の素晴らしさをたくさんの人に知ってもらうことです!」

胸を張って言い切る。
僕にはもう恐れるもの、隠すものがなかった。
ありのままの自分でいられる。
願いを口に出せる。
いつかサイフォーンでも演奏したい。
両親や兄弟たちにも誇れる姿で会いたい。
僕はこんなに大きくなったんだ、音楽の道を志して良かったんだと言いたい。
音楽によって僕の人生は大きく変わった。
心を揺するということを知った。
だから同じように大勢の人に音楽の素晴らしさを伝えていきたい。
僕と大佐の人生はまだまだこれからも続くのだ。
夢も終わることなく抱き続ける。

「君らしい素敵な夢だな」

それが生きている無上の喜びなんだ。

END