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「貴方がまだ幼い事は分かっています」
「ん…っ…」
「でもその身体に欲情してしまう自分を止められそうにありません」

彼は何度も手の甲にキスをした。
それだけでは飽き足らず指先まで口付ける。
僕はそれを見ながらうっとりと彼の美しさに酔いしれた。
濡れた青髪は肌に張り付いていつもより色っぽい。
上半身だけ脱いだ身体は引き締められていて見た目の印象より強そうだった。

「勿体無いお言葉です」
「エマルド」
「僕もずっと王子様に抱かれたいって思っていたから」

こんな貧相な身体を愛してくれるなんて、これ以上にない喜びだ。
何度も見た甘い夢の続き。
それは初めて会った時から続いている。

「エマルド」
「あっ…っぅ…」

王子は僕を抱き上げると焚き火の傍にやってきた。
そしてマントの上におろされる。

「神の前では平等です」
「はい」
「私はひとりの人間として貴方に愛を誓います」
「…んっ…」
「エマルドを愛しています」

僕たちはそうして神様の前で唇を重ねた。
それが冒涜なのか、それとも神聖な儀式なのか分からなかった。
二人の影はそのままひとつに交わる。
外は激しい雷雨が続いていた。
教会の中には小さな焚き火しかない。
だから二人は自分達の身体で暖をとった。
何度も肌を彷徨いその身体を確かめ合う。
王子は飽きずに僕の身体を抱いた。
交わるはずの無い二人は強引に身体を繋げ続ける。
甘美な痛みに響く痺れはまるで麻薬。
もっと欲して貪欲に身体は疼いた。
時に激しく、時に優しく彼の指が僕を解放していく。
膝を割って容赦なく打ち付けられた王子の熱を肌で感じた。
蕩けた身体は彼の言いなりで理性に歯止めが効かない。
僕は下品な格好でよがっては求めて喘いだ。
次第に空は白み始めたが二人にそれは関係なかった。
いつの間にか消えていた焚き火に目もくれずじゃれ合い抱き締めあう。
そうして二人は眠りについた。
その時こそ魔法の時間。
目を瞑れば彼の体温と共に初めて会った時のことを思い出す。
真っ白なテラスに星が輝いた夜空。
見るもの全てが憧れでどうしたらいいのか分からなくなった。
豪華なドレスを身に纏い夢のような場所で見た景色は今も鮮明に覚えている。
そこに立ち尽くしていた王子。
一夜の夢が現実のものになるとは思わなかった。
二人はひと目で恋に落ち愛を囁いた。
それから続いた二人の純愛。
王子は城内で、僕は厩舎でひっそりと誰にも知られずにその想いを募らせた。
…そして、まさかの再会。
運命なんて言葉で片付けたくないほどの切情に胸は締め付けられた。
忍ぶ恋。
誰がこんな結末を用意したのだろうか。
皮肉というには残酷で甘く優しい未来だった。

「……ん」
「王子様…」

だがどんな夢にも終わりは来る。
いつかの魔法は解けてしまう時が来る。
それが定めというものだ。
この三文小説にもちゃんとした結びを考えなければならない。

「神の前では誰もが平等、か」

僕は傍で眠っている王子に小さく口付けをした。
腕枕をしてくれている。
離れがたい想いが指先を惑わして王子に触れようとした。
僕はその手を隠すように握り締める。
代わりに彼が風邪を引かないようにマントで身体を包み込んだ。
僕はドロドロになったドレスを着る。
着方も分からないせいで不恰好だった。
だがまだ夜が明けて間もない頃。
そこまで人目にはつかないであろう。

「僕は初めて会った時からクラウス様が好きでした」

最後にホコリの被った祭壇に手を合わせた。
蜘蛛の巣まみれのイエスに祈りを捧げる。

「――そしてきっと、これからも想い続けます」

それは祈りというより誓いの言葉だった。
もう二度と会うことのない王子にそっと笑いかける。

限りない幸福と、絶える事のない栄光の未来を願って。

「さようなら、王子様」

一夜の夢はようやく終わりを告げた。
嵐が去った後の朝日がそれを教えるように日の光が降り注ぐ。
外はいつになくいい天気だった――……。

***

――夢の夜からひと月が経った。
あれからの僕は代わり映えのない生活を送っている。
今日も厩舎でひとり掃除をしていた。
体には激しい折檻の痕が残っている。
無理もない。
下っ端の使用人が無断外泊をした上、モニカのドレスをドロドロに汚してしまったのだから。

「はぁ…」

城では相変わらず、定期的に舞踏会が開かれていた。
もちろんもう二度とそこへ行く事はない。
屋根裏部屋から城の様子を眺めるのが一日の楽しみになっていた。
目を瞑れば今も鮮明に思い出す楽しかった日。
それは色褪せる事無く僕の心に刻まれていた。

ピチュッ―…
「……ロゼ?」

すると掃除途中に小鳥の鳴き声が聞こえた。
思わず外を伺って見る。
だがそこに居たのはロゼではなく違う鳥だった。
パサパサと羽ばたかせて飛び去っていく。
それを目を細めながら見つめた。
最後にロゼらしき小鳥の鳴き声を聞いたのもあの夜だ。
あれ以来姿を見せない小鳥に少しだけ寂しさを募らせる。
夢の終わりはあっけなくて、全てを失ったみたいに喪失感に苛まれた。
――最初から失うものなんてなかったのに。

「エマルドー!エマルド!!」

遠くの方でまたモニカが不機嫌に僕を呼んでいた。
今日はどんな無茶を言い出すのかと思うとそれだけで疲れる。

「エマルド出てきなさい」

彼女は厩舎の前までやってきた。
モニカは絶対にこの中には入らない。
彼女曰く臭くて汚いこんな場所には一秒だって居たくないらしい。

「はいモニカ様、お呼びでしょうか」

僕はブラシを置いて彼女の元に向った。
するとやはりモニカは不機嫌だった。
――否、いつも以上に不機嫌だった。
僕は何か怒らせてしまったのかと動揺する。

「お父様が呼んでいるわ」
「え?」
「使用人を全員屋敷の前に集めろって」

すると彼女の口から出たのはお怒りの言葉ではなかった。
嫌悪感を露にした顔でそれだけを口にする。
眉間の皺はいつもより二本も多く刻まれていた。

「いいこと。約束してちょうだい」
「え?」
「今からあんたはエマルドじゃない」
「は…?」
「ただの使用人その1でいること」
「な、なにを…」

彼女の言っている意味が分からなかった。
すると思いっきり背中を叩かれる。

「痛っぅ…」
「王子様がエマルドを探しているのよ」
「え!?」
「もうこの屋敷に来ているわ。…この先は言わなくても分かるわよね」
「あ…」

それがどういう意味なのか分かった。
僕があのエマルドとしてバレてはならない。

「あー腹立つ」

それは彼女達のメンツを潰す事になるからだ。
理不尽な嫉妬。
僕が幸せになる事を許せないと思っている。
モニカからすれば主を差し置いて、家畜がいい思いをするのは不公平なのだろう。
言われて見れば二人のお蔭で城にも行けたし、王子にも会えたのだ。
その二人を差し置くわけにもいかない。
素直にそれを言葉に出せるモニカが羨ましく感じた。

「……もちろん、自分の立場は存じ上げていますから」

始めから結ばれる身分ではない。
僕は帽子を深く被りなおしてモニカのあとに続いた。

屋敷の入り口までいくと他の使用人たちがずらっと並んでいた。
傍に大きな馬車が止まっている。
気付いた僕は下を向いて何食わぬ顔で彼らに近づいた。
僕はその列までやってくると、端っこの人目につかない場所に並んだ。

「これで全員です」

主人は自分の使用人たちを見渡すと目の前にいる男性に一礼した。
その男性は深く頷いて従者に合図をする。

「クラウス様」

呼び名に不覚にも心臓が高鳴ってしまった。
それを抑えようと胸元のシャツを握り締める。

「ありがとうございます」

馬車の扉が開いた。
同時に懐かしい声が聞こえてくる。
奥からゆっくり出てきたのはあの王子だった。
変わらず今日も美しい服を着ている。
青空に映える青色の髪が眩しかった。

「早速ですがエマルドを呼んで下さい」

王子は名の知れた主人の前だろうと燐としていた。
いつもより口調は厳しい。
だが彼は王子の申し出に困った顔をした。

「だからクラウス様。先ほども申し上げたでしょう。この屋敷にはエマルドなど」

彼はそういって苦笑する。
しかし王子は主人の言葉には耳を貸さなかった。
彼は平然とした態度で主人を見つめる。

「わかりました。では自分で探します」
「あっ…ちょっ…」
「そう言うだろうという事は想定済みです」

王子は主人の脇を通り過ぎた。
その様子に彼は声を荒げる。

「例えクラウス様でも困ります。今日は朝から仕事が立て込んでいて…」
「大丈夫です。そんなに時間はかかりません」
「し、しかしっ…」

彼は主人を突っぱねるように歩き出した。
王子の後を困ったように彼が付いていく。
主人はきっとフランシスカとモニカに泣きつかれたのだろう。
意地でも僕を引き渡したくないみたいだった。

「…っぅ…」

使用人を見渡す王子に僕は不自然にならないように努める。
足が僅かに震えていたが気付かないフリをしていた。
(誰もこんな僕をあのエマルドと気付くはずなんてないのに)
今の僕は泥だらけでみすぼらしい格好だ。
そう思いつつ変な期待をする自分が惨めで情けない。
それを払拭するように目を瞑った。
彼が立ち去るのを待つ。

ざわっ―…!

次の瞬間、周囲はざわめいた。

「え……」

その声に恐る恐る目を開ければ、目の前に跪く王子の姿があった。
僕は思わず声を上げてしまう。

「お迎えに上がりました。私のエマルド」
「えっ!?」

その言葉にさらに周りは騒がしくなった。
じっと見つめる彼の瞳が痛くて僕は目を反らす。

「な、なんのことでしょうか」

彼とは雨の日にこの格好で会っている。
しかしあれがエマルドだと気付かれた様子はなかった。
だから王子は僕にエマの居場所を聞いてきたのだ。
当然僕もあれが王子だと気付いてはならない。
チラッとモニカ達を見れば二人は鬼のような形相でこちらを睨んでいる。
それはどうにかしてその場を切り抜けろという暗黙の指示だった。

「い、いつお会いしたでしょうか?僕は王子様に会った事はありません」
「そうですよ、クラウス様。それより使用人如きにそんな格好を…」

すると主人がそこまで言いかけたところで王子はポケットから一冊の本を取り出した。
僕にそれを差し出す。

「素晴らしい本をありがとうございました」
「あ…」
「大切な本なのでしょう?何度も読んだ証がその本には刻まれていました」

それはあの日僕が渡した母さんの童話集だった。
ニコッと笑った彼は外野の声には見向きもせず僕に微笑みかける。
困惑した僕はついそれを受け取ってしまった。

「あの日の少年が貴方だと気づいたのは中庭でお話をした時です」
「え?」
「だから言ったでしょう。貴方が誰であろうと好きですって」
「あっ…!」

思い出すのは唇に宿った暖かな感触だった。
だからついそれに反応してしまいそうになる。
慌てた僕はもう一度帽子のつばで顔を隠した。

「し、知りません」

随分ぶっきらぼうに言葉を放ってしまった。
それほど今の自分には余裕が無かった。
溢れてしまいそうな気持ちに待ったをかける。
じゃないと目の前でまた泣いてしまうと思った。

「ほらクラウス様。彼は知らないと申しております。だからどうぞお引取りを」

主人は慌てて僕と王子の間に割って入った。
しかし王子はまったく動揺した様子がなかった。
彼は手に持っていた包みを開ける。

「町の靴屋で聞きました。これは特注で作らせた世界にひとつだけの靴だと」
「あっ」
「!!」

すると包みの中には僕が投げ捨てた白い靴が入っていた。
高価な布に包まれたソレは磨かれて光り輝いている。
それを見たフランシスカとモニカは顔を青くした。
僕もまさか王子がそれを持っていてくれるとは思わず驚いてしまった。

「まるで貴方のくれた本の中のシンデレラのようですね」
「…っぅ…!」
「――さぁ、エマルド。お手をどうぞ」

王子はその靴を僕の足元に置いてそっと手を差し伸ばした。
だから溢れる涙を堪え切れなかった。
頬に小さな涙の雫が伝う。
気付けば無意識に彼の方に手を伸ばしていた
汚れた手が再び王子の手の中に納まる。
周囲は息を呑んでその様子を見つめていた。
あれほど騒がしかった周りは波を打ったみたいに静かになる。
その場にいた全員の視線が僕の足元に集まっていた。

「…っ…」

恐る恐る靴を脱いで、白いヒールに足を入れた。
まるでパズルのピースのように足は靴にハマる。
ピッタリと一寸の狂いもなく作られた靴の感触は相変わらず不慣れで戸惑った。
泣き顔のまま彼を見下ろせば彼はそっと繋いだ僕の手の甲にキスを落とす。

「もう一度、言います」
「王子様…」
「私は貴方が誰であろうと好きです。だからこうして迎えに参りました、エマルド」
「王子様っ…!」

僕は我慢の限界に彼の胸元へ飛びついた。
王子はそれを受け止め優しく抱き締めてくれる。
その温もりは相変わらず暖かくて大きかった。
淡い香水の香りが心地良く胸を擽る。

「随分お待たせしてしまいました。申し訳ございません」
「ひっぅ…ぅ、ふっ…」
「自我を通すのに少し時間が掛かって……」
「え?」

苦笑しながら僕の頭を撫でる彼に首を傾げた。
王子は少し身体を離して、僕の目尻に溜まった涙を拭ってくれる。

「私は王位継承権を放棄して田舎に移り住もうと思っています」
「え…あ…」
「やっと自分の意志を押し通す事が出来ました。これも全てエマルドのおかげです」
「ぼ、ぼく…?」
「ええ。貴方が居なかったらきっと私は苦しみの中で一生を終える事になったでしょう。だから感謝をしています」

彼はそう言って穏やかに微笑んだ。
その顔はいつもよりずっと満ち足りた笑顔である。

「王子様…」

ピピピッピチュッ―!

そこにどこからともなく小鳥が羽ばたいてきた。
心地好い風に乗ってこちらにむかってくる。
そして躊躇う事無く僕の肩に止まった。

「ロゼっ!」
ピピッ

そこに居たのは見慣れた友人の姿だった。
ロゼは僕の耳元で美しい声で鳴く。
広げた羽は真っ白で僕を祝うようにバタつかせた。

「ロゼっ…ロゼっ!…良かっ…っぅ…!」

僕はまた泣きそうになっていた。
何度流してもわき出る涙がどうしようもない。

ピピッチュピッ!

ロゼは泣くなと言わんばかりに嘴で頬を突っついた。
それはいつもの彼の励ましだった。
どんなに苦しい時も辛い時もロゼはそうやって僕を励ましてくれたのだ。

「どうぞロゼも一緒に」
「え…」
「これから向かうのは緑豊かな美しい城です。きっとロゼも気に入る事でしょう」
ピピッピチュッ!
「ふふ、ほらね。やっぱり私とロゼは気が合うんです」

王子はロゼに笑いかけた。
それに答えるようにロゼは鳴き続ける。
気づいたら僕も一緒になって笑っていた。

「だからエマルド。どうか私と一緒に来て下さい」
「王子様」
「教会での誓いは今も変わらず胸の中にあります。だから……」

その言葉にチラッと主人を見つめた。
すると彼は手であしらい「もう勝手にしろ」とでもいいそうな顔で頷いている。
見回せばそこに居た皆が唖然として僕らを見ていた。
だってそうだろう。
僕だってこんなお伽話みたいな結末は信じられない。
フランシスカとモニカは口を開けたまま固まって動かなかった。
その顔がおかしくて思わず吹き出してしまいそうになる。

「――僕も」
「え?」
「僕も王子様に永遠の愛を誓います」

煤汚れた服に不自然な靴が輝きを増した。
それはまるでガラスの靴。
目の前には愛しい王子と大切な友人が僕に微笑みかけている。

「クラウス様を愛しています」

――こうして王子と結ばれた少年エマルドは緑豊かな美しい城で幸せに暮らしました。
王子は誰も妃を娶る事無くエマルドを愛し続けました。
エマルドも彼だけを愛し、多くの喜びに包まれてその穏やかな時を過ごしました。

この世界にはお決まりのご都合主義も心優しい魔女も居ない。
少年が持っていたのはボロボロになった母親お手製の童話集だけだった。
繰り返し読まれたその本はすぐにでも解けてしまいそうだった。
母親は彼に優しく説く。

「だからあなたも正直に誠実で心優しくありなさい。そうすればいつの日かきっと幸せになれるわ」

 

……奇跡はきっと起こる。
いつかのシンデレラのように。

 

 

 

END