18

***

僕たちはそのままヤマトを連れて王都へとんぼ返りとなった。
また同じ距離を揺られて帰る。
だが、苦にはならなかった。
ヤマトは僕と大佐に過去の話をしてくれた。
故郷の国でどんな生活をしていたいのか、なぜアルドメリアへやってきたのか。
それだけじゃなく、僕のヴァイオリンのことや音楽院での話、僕と別れたあとのことまで聞かせてくれた。
本当は口に出すのも辛いだろう内容に、僕のほうが始終泣いていると、

「そこまで分かりやすく同情してくれると、逆に気持ちいいよ」

ヤマトは頬を緩めて笑いかけてくれた。

王都へ着いたのは夕方になってからだった。
石畳の街が一面血のような赤さで色づき、夕陽は西日を強めながら静かに沈んでいく。
陽は落ちれど残照は空に貼り付き、黒ずんだ牡丹色に雲を染めていた。
僕らは馬車から降りると人目から逃れるように裏通りへと回った。
大佐が先導して一件の床屋へと辿り着く。
どこにでもある普通の店だった。

「ヤマトを連れて参った」

ドアを開けて出てきた夫妻に大佐がそういうと、二人は固い面持ちで頷いてタンスをどかし、隠し扉へと案内した。
その奥には二階へ続く階段になっている。
上がると、クラウス様が待ち構えていた。

「シリウス様からクラウス様へと手紙を預かって参りました」

真ん中にいたヤマトは、クラウス様まで歩み寄ると、持っていた手紙を差し出す。
クラウス様は顎に手を置き、真剣な眼差しでそれを読み終えると、机の上のランプで燃やしてしまった。
パチパチと火に包まれる手紙を見つめながら彼は、

「なるほど。どうやら同じことを考えていたようです。では、ヤマトさんとミシェル君にはご用意していた東洋の着物を着て鬘をつけ、私と共に入城しましょう」
「はい」
「クラリオンは事前の通りに」
「畏まりました」

大佐はクラウス様に深くお辞儀をすると、足早に床屋から出て行った。

「さ、二人はこちらへ」

僕らがクラウス様に促されるまま一階へ降りると、店主夫妻は着物を用意して待っていた。
店は僕たちが来ると閉めたのか、木枠の窓はカーテンがかけられている。
射し込む陽がなくなり、灯した蝋燭の明かりだけでは薄暗かった。

「わっ、ヤマトが幼い子供になった」

ヤマトは髪の毛を切られていた。
長く絹のように美しかった髪は、誘拐された際に切られたらしく、長さが揃っていなかった。
僕と同じくらいの短さになると、途端に少年の面影が濃くなる。
これが年相応の姿なのだと感心していると、ヤマトは馬鹿にされたと思ったのか、口をへの字に曲げて、

「童顔で悪かったね」

と、横を向いてしまった。
機嫌を損ねてしまったかと慌てて否定をするが、着付け中で奥さんに叱られる。
僕とヤマトは化粧も相まって見る見るうちに東洋の女性へと化けてしまった。
重い鬘と着物は着心地悪かったけど、新鮮な姿に何度も鏡を覗き込む。
ヤマトなんかどこから見ても本物の女性で、男だと分かっていながら目を奪われてしまった。
そうして変装すると、三人は裏口から路地へ抜け、待たせていた馬車に乗り込んだ。
城門での衛兵チェックをクラウス様のお陰で乗り切ると、ようやく城へ潜入する。
中は凍てついた世界に閉じこめられたように静かで、深閑とした廊下は足音すら胃に響くようだ。
衛兵はおろか小間使いや侍女の姿もない。
まるで忽然と人だけが消えたみたいな異様さだ。
僕は、昨日城へ報告に行く前に、音楽院へ寄った時のことを思い出していた。
普段、城で晩餐会や舞踏会がある時、必ず呼ばれる宮廷専属音楽団が、珍しく不要として自宅待機を言い渡されていた。
誰も陛下の命令に異を唱えられないから、彼らは神妙な顔つきで去って行った。

その後、僕らは謁見の間へ辿り着いた。
扉の隙間から中を窺うと、ヤマトと同じ黒い髪の人たちで溢れていた。
これが彼の国の人々かと興味津々に見回す。
だが、僕はここにはいられず、大佐のもとへいかなくてはならない。
僕が変装したのは、あくまでヤマトの存在を際立たせず入城するためなのだ。
でなくともヤマトの風態は目立ちすぎる。
故に合流して紛れてしまえば、あとは必要ない。

「じゃあね」

扉の前でヤマトと別れると、僕は長い回廊を進み、空いている部屋を探した。
着替えは袋に詰めて持ってきた。
早くこの動きにくい服を脱ぎたい一身で見て回ったが、どこも鍵がかけられているらしく、開かなかった。
こんなこと初めてである。
(おかしい)
しかもこれだけ歩いてまだ兵士ひとりにさえ出会わない。
僕は見つからないようにビクビクしていたが、あまりの人気のなさに不安になっていた。
クラウス様いわく、この城には陛下を暗殺せんと企む一派が紛れているらしい。
厳重に守られている城の中でそんなことあり得るのかと疑問だが、敵側には侯爵の称号を持つ貴族がいるらしく、兵士や小間使いの中に内通している者がいてもおかしくない。
これは、そういった反逆者たちを一網打尽にする作戦らしいが、僕は詳細をほとんど聞いていなくて、何も分かっていなかった。
なにせ、昨日王都へ帰ってきたばかりだ。
しかも城へ挨拶に来たまま大佐にさらわれるように馬車へ乗り込んだのである。
状況についていくだけで精一杯だった。
(そうだ。厠なら鍵がかかってないぞ)
この格好で出歩くリスクを考えたら早く着替えるに越したことはない。
僕は着物の裾を手で掴むと、足早に手洗いへと向かった。

「おい、そこの女。止まれ」

すると廊下の途中で男に声をかけられた。
僕はその声にビクリと震え、立ち止まると振り返る。
後ろからは衛兵と思われる甲冑を着た兵士が剣を差しながら近付いてきた。
(どっちだ?)
敵か味方かの判断がつかない。

「なぜこんなところにいる」

僕は警戒するように息を呑むと、顔を隠すように伏せた。

「厠へ行こうかと思いましたら、お恥ずかしながら迷ってしまいましたの」
「ずいぶん謁見の間から離れているようだが」
「初めてこのような城へ招いていただいたのですもの、戻ろうにも道が分からず立ち往生となっておりました。よろしければ厠まで案内してくださらない?」

変装がばれてしまうのではないかと肝を冷やしながら平静を装う。
上擦った声は、いつ裏返るとも知らず、緊張で心臓が壊れそうだ。

「分かった。案内しよう」

だが、衛兵は思ったよりあっさりと僕を信じて歩き出した。
陽が沈んだ城内は暗く、ところどころにある松明しか頼れる明かりがなかったのが功を奏していたのかもしれない。
(大佐の居場所を知りたいけど、まだ信用は出来ないよね)
僕は衛兵の後ろを、間隔を開けながら歩いた。
不気味なほど静かな白亜の城は眠りについたようにひっそりとしている。
高い天井は容易く音を反響させるせいか、足音がいつまでも耳に残った。
次の曲がり角から悪魔や魔女が現れても、そう驚きはしないだろう。

「着いたぞ」
「……っぅ……!」

厠へ着いて止まった衛兵に、忙しなく辺りを窺っていた僕はぶつかってしまった。
硬い甲冑が鼻にあたって痛みに顔を押さえながら礼を言う。
すると衛兵は僕の着物を掴んだ。

「え?」
「おい、女。礼で済むと思っているのか」

衛兵は強い力で僕を引き寄せると、乱暴に壁へ押し付ける。

「ひ……っ!」
「声を出しても無駄だ。この城は俺たちの手中に落ちているのだからな」

まるで獣のような目つきで僕を見下ろすと、衛兵は力のままに着物の襟を乱した。
闇の中に僕のひ弱な肩が露出する。
(こいつ、僕を女と間違えて……!)
ああ、なんという誤算だ。
まさか女に間違われたまま兵士に襲われるなんて思わなかった。
僕なんかよりずっと美しいヤマトを見ていたから、自分が女として狙われるなんて想像すらしていなかった。
うっかりでは済まされない事態に狼狽する。

「ひひ。東洋の女か。礼代わりにたっぷり味わわせてもらうぞ」
「ち、違……!」

僕は必死に抵抗するが、暴れれば暴れるほど着物が乱れていくだけで、衛兵の体はビクともしなかった。
この雰囲気から察するに、本物の衛兵ではない。
城の兵士には内通者のほかに、誰かが雇った傭兵も紛れているのだ。
(陛下は何を考えているんだ)
己の城だというのに、これでは巣食う虫の如き穴だらけではないか。
まるで始めから死ぬつもりのようにすら思える。
――そう、全てを壊す気でいるような――。

「やっ……」

髪を振り乱して暴れたが、その間に帯が緩んだのか、胸元ぎりぎりまで着物の襟が開いていた。
男の体が僕の足の間に割って入ってくる。
耳にかかる衛兵の吐息は荒々しくて、首筋を舌でなぞられた時には背筋が震えた。
だが、今僕が男だと知られてしまったら消される可能性が高い。
迂闊な言動は危険だ。
だが、どっちみちこのままでいたら知られてしまう。
陛下側の人間である僕は確実に殺されるだろう。
まさに人生最大の危機だ。

「……そこで何をしている」

すると衛兵の背後から声がした。
気配すら感じなかった僕と衛兵は面食らったように振り返る。

「た、大佐」

するとそこには兵士を二人従えたクラリオン大佐がいた。
軍人らしい厳しい表情で、その眼は冷ややかで鈍い光を放っている。
垣間見えた殺気に、衛兵の手が止まった。

「そこのお前、所属はどこだ。城内でのいかがわしい行為は厳罰に値するぞ」

衛兵は底知れぬ大佐の強さを感じ取ったのか、ふてぶてしいくらいに開き直ると、僕から体を退け、

「申し訳ありません。この女が具合悪いと言うので厠へ案内したところ、抱きつかれ、誘われるがまま淫らな行いを――」

いかにも礼儀正しく頭を下げた。

「ちがっ」

僕は咄嗟に反論しようとするも、大佐の眼差しによって制されると、大人しく黙り込む。
衛兵は悪びれもせず大佐へ近付くと、脇に差した剣に手をかけた。
鞘から僅かに出た刃の光に、大佐を殺す気かと目を見開くが、

「ぐっ…………」

衛兵は大佐の前まできたところで急に床へ膝をついた。
束の間、僕は自分が見たものが信じられず立ち尽くす。
それは大佐の背後にいた兵士二人も同じだった。
すると、衛兵は呻き声にも似た声を放ち顎を落とす。
同時にそれを見下ろしていた大佐が、頸部を手刀打ちすると、衛兵はがくんと項垂れて身を崩した。
甲冑の甲高い音と共に衛兵の体が廊下へ転がる。
その右腕は見る見るうちに血で赤く染まっていった。

「肘後部の筋を切った。もうこの男は剣を握れまい。連れていけ」
「はっ」

控えていた兵士に命令すると、彼らは倒れた衛兵を担いで遠ざかっていった。
次第に足音が小さくなる。
僕は瞬きすら忘れていた。
一瞬の出来事。
その刹那の瞬間に、大佐は剣を抜き、衛兵の腕を切ったというのか。
だが、確かに見た。
衛兵が脇の剣に手をかけた瞬間、大佐は自らの剣を鞘から抜いて振り上げ、目を見張るほどの正確さで甲冑のつなぎ目に打ち下ろした。
まるで紙で皮膚を裂くようにすっぱりと切れた傷口は、血が滲むのさえ遅く、衛兵本人にすら斬られた感触があったのか曖昧だった。
あまりにも鮮やかな太刀筋に驚きの声もあげられず、呆然とする。
すると、僕の前までやってきた大佐が、苦々しそうに目を背けた。

「君の前で剣を振るいたくなかった」
「………………」
「俺といるのが怖くなっただろう。嫌になったらすぐに言ってくれ。いつでも身を引く覚悟は出来ている」

大佐は己の傷だらけの手のひらを握りしめると、僕に背を向けた。
その背中はどこか不安そうで、つい先ほど易々と男を倒したとは思えない気弱さが滲み出ている。

「え、なんで?」

僕はきょとんとしていた。
いきなり何を言い出すのだろうと思った。
大体、こんなところに連れ出された挙げ句、襲われたのは僕の責任で、大佐は何も悪くない。
むしろ自分の愚かさを呪っていたところだった。

「なんでって、ミシェル」

訝しそうに振り返る大佐に、僕は乱れた襟元を直しながら、

「僕は大佐を怖いと思ったことなんてないです。今だって同じですよ。大体、何年憧れていると思っているんですか」
「だが、目の前で人が斬られたのは初めてだろう?」
「そうですけど……もう綺麗事はやめたんです」

僕は大佐の手の甲に口付けた。
きっとこの手によって命を奪われた人間は、何十人、何百人といる。
例え死なずとも痛みを与えてきた手だ。
怖い。
酷い。
なんて容易く口に出来るのは楽な役回りの人だけだ。
安全な場所からではいくらでも綺麗事を言える。
他人事であればいくらでも理想論を振りかざせる。
そうして世界中手と手を繋いで「ああ幸せ」なんて価値のない夢だ。
(大佐がいなければ僕は今ごろ殺されていたかもしれない)

「あの衛兵を斬ったことが罪になるのなら、僕は大佐に守られたんですから同罪です」
「ミシェル」
「だってそうでしょう?あの衛兵を斬らせてしまったのは僕の責任です」

僕たちが何気なく得ている生だとか、豊かさだとかは、誰かが血を流し守り与えてくれているものなんだ。
それを嫌悪するならば、生も豊かさも享受する資格はない。
人だけじゃなく――家畜だとか、魚だとか、植物だってそう、常に僕らは多大な犠牲の上で生かされているのだ。
どんなに目を逸らしたくてもそれが現実で、抗うならば死ぬしかない。
でも僕は死にたくないし、夢だと誤摩化したくもないから、この世界の摂理を受け入れる。
それは僕自身も営みの歯車になるということだ。

「あ、それより着替えてきますね。なんだか胸騒ぎがして、ヤマトたちが心配なんです……今の状況って――」

そうして着替えの袋を抱えて厠へと行こうとしたら、後ろから大佐に抱きしめられてしまった。
着崩れて直せなかった襟元を手で隠していたのだが、大佐に掴まれて襟を割られる。

「あ、あの」
「ミシェルは本当に良い子だな」
「……っ、ん…大佐…いい子なんて…、子ども扱いしないでください…っ」

丸出しになった肩に甘ったるく唇を押し付けられて心臓が激しく波打った。
そのままなぞるように首筋まで這われて肌が身震いする。

「子ども扱いしていたら、こんなことしないと思うが」
「あ、ん……っ、それに…さっき大佐が仰っていたんじゃないですか…城内でいかがわしい行為は厳罰だ…って、っぅ…ふ…」
「そうだな。こんなところを見られたらおしまいだ」

背後で大佐がくすっと笑った気配がした。
それが妙に気恥ずかしくて顔が燃えるように熱くなっていると、突然頭が軽くなる。
見れば大佐が僕の鬘を外していた。

「あわわっ、ちょっと返してくださいよー!」
「うーん。やはりこっちのほうが俺は好きだ。君は短いほうが愛くるしい」
「や…っ、そりゃ…僕だって全然似合わないのは分かってますけど」
「そうだな。ミシェルはミシェルだから可愛いのだ」

大佐は鬘のせいでくりくりになった毛先に口付けた。
(そんなこと言われたら、もう何も言えないよ)
不意打ちのようにさらっと口にしてしまうからずるい。
しかも本人はどれだけ大胆なことを言っているか気付いていないのだ。
僕は耳まで真っ赤にすると、言葉に詰まって「あー」とか「うー」とかしか言えなかった。
照れ隠しに唇を尖らせるも、そんなの建前だけだと見透かされている。

「こんなに愛らしい君をもう二度と手放したり出来ない」
「……っ……」
「この先もずっと俺の傍にいてくれ」

(た、大佐。それ…ぷ、プロポーズじゃないですか)
きっとそこまでの意識なんてない。
大佐はただありのままの気持ちを言っているだけなのだ。
だけど情欲を掻き立てるような彼の目が、心をとろりとさせるほど狂おしく突き刺さる。
その言葉は紛れもなく大佐の本心。
僕は咽ぶばかりの深い愛情に、堰を切ったように恋しさが溢れて大佐の胸元に擦り寄った。

「ずっと、ずっと…慕い続けます」

その首に手を回す。
見つめ合うだけで息苦しいほど甘美な気分に捉えられる。
好き。
大好き。
恋焦がれて皮膚が疼く。
人生において奇跡があるのだとするならば、こんなにも愛し愛される人に出会えたことだ。
二人はこの時、互いに考えていることが手に取るように分かった。
くすぐったくて、心の底から笑いたくなる幸せ。
大佐は僕の体を軽々と抱き上げる。
いつまでも色褪せない想いに、僕と大佐はくしゃくしゃになるほど破顔させた。

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