12

***

一方そのころ――。
ヤマトはシリウスの手紙を手に階段を駆け下りていた。
あのクラリオン大佐が城へ来ているというのだ。
仮面舞踏会で会ったあと、再びカメリアの戦場へ戻り、つい最近、勝利を手に凱旋してきたはずである。
舞踏会以来の再会に胸を弾ませ、信じられない気持ちでいっぱいだった。
城の玄関は開けられていて、軍人の格好をしたクラリオンが待ち構えている。

「おお、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「大佐こそ。無事に帰国されて良かったです」

互いの性格からあっさりとした再会が果たされて軽く握手をする。
城の前には馬車がつけられていた。
門までの間は醜い悪魔たちが並び、異様な雰囲気である。

「話は全てクラウス様から聞いている。早く王都へ戻ろう」
「はい!」
「……と、言いたいのだが、その前に会わせたい者がいる」
「え?」

クラリオンは無骨な軍人に似合わぬ微笑を湛えて、馬車の戸を開けた。
中から現れたのは予想外の人物で、ヤマトは思わず絶句する。

「ヤマト、久しぶり」

クラリオンのエスコートで馬車から降りたのはミシェルだった。
会ったのは寮で別れた以来のことである。
ずっと心のしこりとして残っていた。
勝手にエオゼンを兄に重ねて、八つ当たりのために駒にしたことを悔いていたのだ。

「どうして……」

ミシェルは、いまや一流のヴァイオリニストとしてアルドメリア音楽団を引っ張っている存在だ。
王都にいたヤマトのもとにも、彼の評判が風の噂となって届いていた。
ヤマトの狙いは的中して、音楽団の海外遠征は大好評だったようだ。
今も続々と他国から依頼が舞い込んでいる。

「ずっと謝りたかったんだ」
「僕は謝られるようなことをしてないよ。むしろ僕の方が――」
「いいから聞いて?」

ミシェルはヤマトの前に立つと、その手を握り、

「君の言うとおりだったんだ。僕はどんなに辛くても、自分からは行動を起こせず甘んじて受け入れていた。仕方がないって言い聞かせてね。エオゼン様の嫌がらせだって、いつかは分かってくれるって信じて我慢ばかりしてた。何もしようとしてこなかったのは自分なのに、ヤマトに図星を指されて酷いことを言ってしまった。僕はそれをずっと悔やんでいたんだ」
「悔やむ必要なんてないんだよ。僕が勝手にやったんだ。しかも自分のことしか考えていなかった」
「そんなことないよ?」

ミシェルは首を振ると目を細めた。

「たとえ目的は自分のためだったとしても、僕は君によって救われた。あのままじゃきっと、いつかは音楽が嫌いになっていたと思う」
「…………」
「たった一度だったけど、ヤマトとのセッションは楽しかった。君の歌声はとても素晴らしかったし、あの時、久しぶりに音楽に触れられた気がしたんだ」
「ミシェル」
「未だに鮮明に思い出すよ。とても楽しい思い出だったからね」

ヤマトの両手を包むように繋ぎ、ミシェルは柔らかく微笑む。

「音楽院の改革がヤマトの発案だと知った時、僕はすぐに君に会いに行きたかった。感謝とお詫びをすぐにしたかった。だけど結果を残すのが先で、オーケストラの評価が君の評価に繋がればいいと思ってた。遅くなって本当にごめんね」

ヤマトは目頭が熱くなって何も言えなかった。
曲がりくねった道。
ずいぶん遠回りをしてしまったけど、ヤマトの思い以上に返ってきたのはミシェルの真摯な気持ちで、とても嬉しかったのだ。
感謝してほしかったわけではないし、謝る必要もない。
だけどミシェルの言葉ひとつひとつが琴線に触れて、細い肩を震わせた。
ミシェルはその肩を抱き寄せると、

「今度は僕が君を助ける番だよ」

そうヤマトの手を引いて、馬車へと連れ出した。

***

ヤマトたちを乗せた馬車が王都についたのは、もう夕方の五時を回ったころだった。
城下町に入ると馬車から降りて、人目から隠れるようにこそこそと約束の床屋へ向かう。
床屋の主人はクラウスの仲間で、一階は普通の店舗、二階は何かあった時のための隠れ家になっていた。

「シリウス様からクラウス様へと手紙を預かって参りました」

無事に床屋の二階にいたクラウスと合流し手紙を渡すと、彼は読んですぐに燃やした。
些細な証拠も命取りだからだ。

「なるほど。どうやら同じことを考えていたようです。では、ヤマトさんとミシェル君にはご用意していた東洋の着物を着て鬘をつけ、私と共に入城しましょう」
「はい」
「クラリオンは事前の通りに」
「畏まりました」

そういうとクラリオンは先に床屋から出て行った。
二人して女物の着物を着て化粧をすると鬘を被る。
ヤマトはクラウスの勧めで、その前に床屋の主人に髪を切り揃えてもらった。
この国に来てから一度も散髪はしていない。
伸びきっていた髪だが、侯爵にさらわれた時乱暴に切られたのか長さもあわず、ズタズタにされていた。
それを主人の手で少年のように短く切り直してもらう。

「わっ、ヤマトが幼い子供になった」
「童顔で悪かったね」
「そ、そういう意味ではないよ」

こんなに短く切られたのは幼少のころ以来で、首筋に髪が当たらず軽くて楽だった。
お陰で妖艶な雰囲気はなくなってしまったが、もう必要ないのでどうでもいい。
その上から同じ黒色の鬘を被った。
長い女たちの髪は重くて、慣れないミシェルは頭が重いと眉間に皺を寄せる。
そうして変装が完了すると、三人は裏口から出て路地を抜け、待たせてあった馬車に乗り込んだ。
城の門番には「諸事情で遅れた招待客のうちの二人」とクラウスが説明して通してもらった。
王子の諸事情を深く突っ込むことは出来ず、招待客を待たせる広間の名を教えて頭を下げる。
本来城の警備は厳重だ。
身分証なく入城出来るのは王族と上流貴族、例外としてヤマトだけだが、城から立ち去ったことになっているらしく正体は明かせない。
それがユニウスの耳に入ったらまたひと騒動起きることは必至だからだ。
城の内部に無事潜入出来たが、中は普段より静まり返っていて物音ひとつしない。
ミシェルいわく、今日は宮廷オーケストラも不要とのことで城への出入りを禁止されているというのだ。

謁見の間に着くと、ヤマトと同じ髪型、瞳の色をした人間が大勢集まっていた。
ミシェルは内部の様子を確認したあと、ヤマトと別れてクラリオンのところへ行ってしまう。
クラウスも入れないらしく、ヤマトは静かにドアを開け、さも召使のひとりのように列の最後尾に並んだ。
広間は豪奢な大理石彫刻やきらびやかなタペストリーが飾られている。
これから宴が始まるような賑わいに、最前列へ見やると見覚えのある後姿が目に入った。
それは兄の姿だった。
見慣れた家臣を連れて楽しそうに笑っている。
まさか同じ部屋に殺し損ねた弟がいるなど露にも思っていない暢気さだった。
しばらくして、護衛をつれたユニウスが現れた。
彼は愛想よく兄に握手を求め「長旅の中、よくお越しくださった」と通訳に伝えてもらうと一団を労った。
だがどこか冷たい眼差しに違和感を覚える。
ユニウスは臣下に持たせていた剣を握ると、兄へ献上するよう差し出した。

「そなたが次の帝を継がれるとお聞きしている。余も父上から王位を継いだ身、同じ立場として嬉しく思います。そのお祝い代わりの品にございます」
「これはかたじけない。西洋の刀か。なんとも見事な装飾。私もあなたのように立派な王となって民を守っていきたく存じます」

剣を受け取ると鞘から刃を出した。
よく研がれた剣先はきらりと光りを放つ。
満足そうに見上げた兄は鞘へ戻すと笑顔を見せた。
それに応えるよう優美に振舞うユニウスは、

「この剣は古代の王が持っていたという由緒正しき歴史がございましてな、所有できるにはひとつの条件があるのですよ」
「ほほう、面白そうな話だ。その条件とは?」
「弟殺しでございます」

彼は眉ひとつ動かさず微笑を浮かべている。

「弟、殺しだと……」

一方の兄は眉を顰めて隣の家臣に目配せをした。

「そなたも殺そうとしたではありませんか」
「は?」
「忘れたわけではあるまい。あの荒れた日の夜。手薄になっていることを存じて屋敷へ侵入し、今も周りにいる臣下と共に襲ったのだろう。弟である志月皇子(しづきのみこ)を殺そうとね」

(陛下……!)
ヤマトは久しぶりに聞いた己の本当の名にびくりと震えた。
同様にユニウスの言葉が訳されると、一団はざわめきたち嫌な雰囲気が漂い始める。
お付きの者たちも顔を見合わせて険し気にユニウスを睨むのだった。

「……何を仰っている。私は決してそのような鬼畜ではない。自らの弟を殺すなど、なんて恐ろしい所業」

兄はそれでも冷静だった。
鼻で笑うと、挑戦的な瞳でユニウスを見つめ、

「ならばこの剣を持っていたあなたも弟殺しの過去があるのでしょうか。アルドメリアは西で一番の大国と聞いております。……が、さすが野蛮な狩猟民族、やることが違いますな」
「左様」
「何?」
「だから左様と申した。そなたの言っている通り、余は弟を殺して王に成り上がった。この剣を持つに相応しい過去を持っている」

ユニウスも従容としていた。
決して感情を露にせず、淡々と、さも当然のように認めて頷く。
護衛からもうひとつの剣を受け取ると躊躇いなく鞘から抜いた。

「そなたは余と同じ部類の人間よ。仲良くしようじゃないか」
「どういうことだ」
「言葉通りだ。その剣を取って向かって来い。余が返り討ちにしてくれよう」
「はっ、見えぬ肚で何を考えている?」
「そなたの生き血を啜ることかな」
「招いた客に刃を見せるとは失礼千万。この国の非常識さが見てとれるな。せっかく父上に大きな土産を持って帰ろうと思っていたが、無駄足だった」

兄はユニウスの挑発には乗らなかった。
隣の家臣と頷き合い、帰る準備をしようとする。
それに合わせて他の者も支度をしようとした。
――が、ヤマトが入ってきた大扉と、ユニウスが現れた小扉の前に剣を持った兵士が通せん坊のように立ちふさがる。
始めから全て仕組まれていたと気付いた兄は怒りを露に振り返った。

「なぜそこまでする?」
「…………」
「たとえ私が志月皇子の屋敷を襲い、殺したとて、ユニウス殿には何の関係もないではないか」
「…………」
「あなたも弟を殺したのならば私の気持ちも理解できるでしょう。着実に力を蓄え、人々の人気を物にする志月が羨ましかった、妬ましかった、恐ろしかった」

兄も剣をとった。
それをユニウスに向けて憎らしげに唇を噛み締める。

「早く消さねば父上まで志月を帝にと思ってしまう。私は生まれてからずっと帝になると言われていたのだ。それを横槍されて黙っていられるわけなかろう」

彼は見たこともないほど必死だった。
弟のヤマトでさえ、初めて見る苦悶の表情に息を詰める。
(僕が兄上を追い詰めていた?)
そんなつもりはなかった。
決して帝になるなど、兄の求める座を奪おうなどという気はなかった。
全ては豊かな国にするため、民のため、そして何より兄のためだった。

「そなたの焦りは痛いほどよく分かっている。余も同じ気持ちだ。なれど、ここでそなたを殺さねばならぬ」
「なぜっ」
「余がヤマトのために出来ることはこれくらいなのだ。もう生きている価値もない男。せめて最後くらい、愛する者のために何かしてやりたい」

ユニウスの瞳は切なげに揺らぎ、剣を兄に向けた。
同時に互いの護衛も剣を抜き、一触即発の空気になる。
キン――と張り詰めた雰囲気は息を呑むのも躊躇うほどで、ヤマトは俯くと零れそうな涙をこらえて小さく首を振った。
(違う。僕が望んでいるのはそんなんじゃない)
彼は震えを静めるよう深く息をして顔をあげる。
あとはもう何も考えられなかった。
人々の間を強引に掻き分けて、最前列の兄たちがいる場所までやってくる。

「もう、やめましょう!」

ヤマトは乱暴に鬘をとり、着物の端で顔を拭うとユニウスの前に現れた。

「ヤマト――!」
「志月っ……」

同時にユニウスと兄から驚きの声があがる。
振り返ると、そこにいた一団は面食らい絶句したまま見開いた目でヤマトを凝視した。
東のとある島国で突如姿を消し、死んだと思われた少年が西の大国で生きていたのである。
これ以上の驚愕に堪えない出来事はあるまい。
兄もその後音沙汰なく現れないことから、どこかで野垂れ死にしたと思っていたようだ。
咄嗟に握り締めていた弟殺しの剣を落とす。

「……もうやめましょうよ」

ヤマトは同じ言葉を繰り返すと、兄を守るように手を広げ、ユニウスの前に立った。
彼もまた驚いて目を瞠っている。

「兄上、僕は一度も父の跡を継ぎたいと思ったことはありません」

背中越しに兄へと呟く。

「僕は兄上のお役に立てるようにと勉学に励んで参りました。決して帝の座を狙っていたわけではないのです。どうかそれだけは分かってください。僕は国のため、民のため、何よりもあなたのために賢くなりたかったのです」
「志月……」
「あなたのせいでみんな死にました。僕も異国の地で生きていかねばならなくなりました。同時にそれは故郷を失ったことを意味し、どれだけ辛い夜を過ごしたのか定かではありません」
「…………」
「なれどあなたは国に必要な人、これからも民を守らなくてはならない人。ここで死なせるわけにはいかないのです」

ヤマトはそこまで言い切ると、違うと首を振った。
(そうじゃない)
頭で考えた理屈なんか今は必要じゃない。
本当の言葉を口にしなくちゃ、誰の心にも届かない。

「あの出来事があったから、僕はこの国へやってきた。ユニウス陛下にお会いすることが出来た。……僕はあなたが憎い。だけどあなたにはとても感謝しているのです」

おかしな話だ。
ああ、本当におかしな話だ。
なぜ自分を殺そうとした男を守っているのか。
感謝なんて言っているのか。
だけど今発している言葉に嘘偽りはなくて、純粋な本音だった。
少し前まで思い出すたびに震え上がっていた兄に、無防備な背中を見せて呟いている。
どれだけ愚かで可笑しな話か、笑い飛ばしてやりたくなった。

「されど、ヤマト……」

ユニウスは悲痛な顔でヤマトを見つめた。
今すぐ抱きしめてあげたくなるくらい悲しい顔で、心配ないと微笑んでやる。
そういえばいつも彼に抱きしめられていた。
あやすように背中を撫でられて、不安に思えば強く抱いてくれた。
彼によって初めて他人の体の温かさを知った。
それは同時に自分の体の温かさに気付いた瞬間でもあった。

「良いのか。余はこれしかそなたにしてやれない」
「だからって陛下が仇を討とうとしなくて良いのです」
「どうせこの手は血で染まっている。今さら何人殺めようが大して変わらない」
「あなたは本当に……シリウス様の仰るとおりのお方です」

とことん陰険で、物事を悪く考え、人の命を軽んじている。
もっと人が喜ぶことなんてたくさんあるのに、それが分からない。
それはつまり、分からぬ世界で生きてきたということ。
分からぬまま生きてきたということだ。

「僕がこうして止めたのは兄上のためだけではないのです」

ユニウスの悲しい人生を顧みた時、無性に切なくなる。
(そうなる前に僕が抱きしめてあげられたら良かったのに)
いつも抱きしめられるのはヤマトの方だった。
でも本当に人肌を必要としていたのはユニウスではなかったか。
どんな鬼畜も怪物も、生まれた時は純真な赤子であったはずで、誰も望んで獣になんかなりたくない。
それでもユニウスは選んでしまった。
最も過酷で修羅の道を選んだ。
誰よりも自分を許せないのはユニウス自身ではないのか。
だから国をも壊そうとし、この無様な人生に終止符を打とうとしていたのではないのか。

「確かにあなたの手は血で汚れてしまっているかもしれない。闇に掴まった心は、早々光を手にすることなんて出来ないのかもしれない。……だけど、僕はこの手の温かさに救われた。助けられたのです」

ヤマトは兄たちを守るよう広げていた手を閉じ、剣を持ったユニウスの手に触れた。
両手で包み込むように握り、

「これ以上自分を傷つけるような真似はして欲しくありません。なぜなら、僕はあなたを愛しているからです」
「ヤ、マト……」
「兄を殺したって嬉しくない。仇をとってもらっても嬉しくない。陛下の手が再び血で汚れるなんて、全然嬉しくない。まして生きる価値がないだとか、僕のために出来ることはこれしかないなんて言って欲しくない!」
「……っぅ……」
「僕は笑ったあなたの顔が好きです。国のために頭を悩ませている横顔も、優しく抱きしめてくれる腕も、みんなみんな大好きです。僕のためを思うなら、もっと自分を大切にしてください。そしたら僕がもっともっと楽しいことを教えてあげます。この世界で生きる価値がどれほどあるか、嫌というほど教えてあげます」
「ヤマト、余は……」
「だから死のうとしないで。もしあなたが死んだら僕は……っ……」

まだ言いたいことはたくさんあるのに、我慢していた涙が頬を伝う。
世界で一番大切な人が、生きることを諦めている。
それほど悲しいことはない。
(自分が死んで悲しむ者がいることに気づけないほど愚かなことはあるまい)
そう呟いたシリウス様を思い出して益々涙が止まらなくなった。
それほど先ほどのユニウスは生きる意志が薄弱となっていたのだ。
広間は二転三転する状況に、ざわめきさえ失せて静かになる。
その中でヤマトの嗚咽だけが響き渡っていた。

「……っユースは……愚かですっ……。涙なんてとっくに枯らせた僕をこんなに泣かせて、悲しませてっ……ひどい人ですっ」
「すまない。ヤマト、頼むから泣かないでくれ」
「ひっぅ、絶対に死なないでください。……もう、国のため――なんて賢いことは言いません。自分勝手と思われようが関係ない。僕のために死なないでください。僕のために生きていてください……っ」

その言葉にユニウスも剣を離した。
泣きじゃくるヤマトの体をしっかりと抱きしめ、胸元に寄せる。
彼は深く息を吐いた。

「……ああ、良かった。本当に良かった」

しみじみ思うように囁く。

「そなたが消えたと聞いて、余は激しく後悔した。狙われていたことは分かっていたのに、ヤマトを守ってやれなかったことが辛かった。自分の身が引き裂かれるより辛かった」
「そんなに自分を責めないでください。人生なんて予想外の連続なんです。頭で考えたって仕方がないことは山ほどあるんです」

ヤマトはシリウスの受け売りをそのまま話していることに気付いて笑ってしまった。
そのことに気付いたユニウスもようやく表情を緩め抱きしめる力を弱める。
これだけ大勢の前で、ずいぶん大胆な告白だ。
だけど二人は互いの存在しか見えなかった。
見上げたユニウスは、悲しい顔をしていない。
藍色の瞳でヤマトを見つめ、嬉しそうにはにかんでいる。
それだけで苦しみから浄化されるようだ。
辛かった過去も、痛んだ心も、全てが愛おしく思えてくる。
癒えない傷に悪夢を見る夜はやってくるかもしれない。
とてつもない恐怖に襲われ、部屋の隅で膝を抱えて震え上がる日もあるかもしれない。
だけど希望さえあれば、きっと人は生きていける。

「――――なんていう茶番。お遊びはそこまでにしてもらいましょうかね」

すると小扉から貴族と傭兵たちがなだれ込んできた。
侯爵の言葉に我に返ると振り返る。
押し流すように人々が入ってきて、広間は途端に人で溢れた。
みな銃や剣を手にして、始めから戦闘態勢に入っている。
ユニウスはヤマトを隠すように背を向けた。
護衛の兵たちも一斉に剣を取る。
兄を始めたとした一団は、何が起こっているか分からず、だがとんでもない状況だと悟ると、広間の隅へ逃げて武器をとった。
あれだけ厳重に守られていた城の警備を突破したということは、相当腕がたつ輩を雇ったのだろう。
大柄な男たちに守られた侯爵のひとりが手を上げると、銃を持っていた男たちは構えてユニウスに向ける。

「これ以上、陛下に仕えるのは無理とご判断いたしました。そちらのお客様方には申し訳ありませんが、ご一緒に死んでいただきたく存じます」

しかしユニウスは取り乱すどころか、口許に笑みを浮かべていた。

「本来ならそなたたちの希望に沿うよう死する予定だったが、どうやら本当に人生は予想外の連続だ。生憎ここで死ぬわけにはいかなくなった」
「戯言を。ご安心なされ。すぐにヤマト殿もご一緒に逝かせてあげますよ」

カチャ――と、金属の音がしてヤマトの体は強張る。
どうにかしてユニウスを守りたいのに、彼はてこでも動かず、身じろぎひとつ出来ない。
その時だ――。

「ウィストン卿、そこまでにしていただこうか」

突然大扉が開くと、その奥には剣を握ったクラリオン大佐とミシェル、クラウスまでもが立っていた。
その周りにはユニウスの臣下や兵士たちが武器を手に睨んでいる。
それだけじゃなく、侯爵や傭兵たちがやってきた小扉の方にも城の兵士たちが押し寄せた。
中心にいたのはボルジアだった。

「何っ――!もっと傭兵はいたはずだが、何故っ!」
「悪いがお前たちが雇っていた男はみんな俺たちが倒した。この時間、城の警備を手薄にしたのはクラウス様とセルジオールの手配だ。当然シリウス様も全てご承知の上でのこと、お覚悟めされよ」

あとで聞いた話によると、ボルジアは昔王立騎士団の団長だったそうだ。
現在あるアルドメリア軍の前身で、その昔、ある戦場で一晩のうちにニ百人以上の敵兵を倒したという逸話を持つ男である。
シリウスの城で見た酔っ払いの姿との違いに、後々ヤマトは仰天することになった。

「言い逃れは出来そうにないね」
「くっ……」

国王陛下を殺すどころか、自分たちの身が危うくなった貴族たちは手を上げて降参のポーズをした。
それにならうよう傭兵たちも武器を置き、手を上げる。
クラリオン大佐は兵士と共に彼らを捕まえると牢獄へ連れて行った。
ボルジアはシリウスに報告するため足早に王宮をあとにし、クラウスは別室にて晩餐会の用意をしてあるからと全員を招いた。
縦長に伸びたテーブルには銀食器が並び、精緻な細工を施した燭台には火が灯っている。
高い天井には水晶のシャンデリアが下がり、壁にはいくつもの絵画が展示されていた。
ヤマトはユニウスと兄の手を引き合わせると、やり直すよう懇願した。
両者とも始めは気まずそうにしていたが、ヤマトの頼みということで渋々了承する。
だが一度始まってしまえば宴は宴。
宮廷オーケストラを呼んでいなかった代わりに、ミシェルがヴァイオリンを弾きヤマトは唄った。
それは決して不吉な歌でも終末を予感させるわけでもなく、清らかな賛美歌だった。
おかげで晩餐会は盛況のまま終わり、アルドメリアと島国は新たな和合を結んだ。
兄が出立の日、ヤマトは見送りに行った。
戻ってくる気はないのかと問われたが、彼は首を振った。
その代わり、国や民、妹たちのことをよろしくと頼み、兄を乗せた一団は去っていった。
こうして城は忙しくも平和な日常を取り戻したのである。
アルドメリアはその後、さらに豊かな経済大国として発展することになる。
世界各地で革命や侵略が続いた時も、この国は平和に乗り切り、後世の歴史家たちはユニウス陛下の王政と功績を褒め称えた。
彼の血は脈々と受け継がれ、国民に愛され続けたという。
まさかその影に異国の吟遊詩人が絡んでいたなど誰も知る由はない。

「ねぇ、もう一度ユースって呼んでよ」

ヤマトは表面上、城のお抱え吟遊詩人となった。
表面上と記すのは、さすがに国王陛下のお相手が異国の少年だと発表するに憚れるからだ。
ユニウスは、そんなもの――!と、声を荒げたが、提案したのがヤマト本人なので仕方がない。
その代わり彼は陛下を癒す役目を担うことになった。
これ以上ない適役だ。

「しつこいですよ。もう絶対にお呼びしないと申したでしょう」

甘えるように囁くユニウスが愛しくて困った顔をする。
今日も抱きしめる腕は温かくて心地良かった。

「こんなに愛情を示しても、そなたは相変わらずつれない男だ。……まったく、どれだけ愛していることを伝えても足りない」
「風習の違いでしょう。ん、髪にキスをしないでください。あなたの好きだった長い髪はもうなくなったのですから」
「……分かってないなぁ」

最近ユニウスは子供っぽく拗ねるようになった。

「ヤマトが好きだからあの長い髪も好きだったの!」

満足そうにヤマトを腕に抱いて口をへの字にする。
その矛盾が可愛らしく思えてきた時は、おかしくて笑ってしまった。
相手は自分より倍以上長く生きている男だ。
とうとうこの目は節穴となってしまったのかもしれない。

「そんなの知っていますよ。陛下に言わせたかっただけです」
「もう、本当に……っ、そなたくらいだぞ。王である余を手玉に取るなんて」
「変な言い方やめてください。誰かに聞かれたら誤解されそうです」

なのに誰より愛らしくて誰より恋しいなんて、人間は本当に予想外な生き物だ。
頭で考えていたらきりがないから、最近は適度に考えないことを覚えた。
案外恣意的に生きてみるのも楽しくて、毎日新しい発見がある。

「余はこんなにヤマトを想っているのに」

膨れっ面のユニウスは、それでもヤマトを離さず胸元に押し込めている。
彼はユニウスに見られないよう、隠れて微笑むと頬擦りした。
体を離し、腕を首に回すと耳元に口を寄せて囁く。

「僕の方がもっともっと……何十倍も何百倍もユースを愛していますよ」

いつだって負けるのはヤマトの方だ。
最後にはユニウスの願いを聞いてしまう。
だって心から好いているのだ。
幸せな方法で相手を喜ばせられたら、ヤマトも嬉しくなるに決まっている。
二人は額を重ね合わせて頬を緩ませた。
きっとこのあとユニウスに押し倒されてしまうだろう。
抱き寄せられてキスをして、天蓋付のベッドへ連れて行かれる。
ああ大変。
明日は朝から会議が控えているのに、また朝方まで求められてしまわぬだろうか。
考えるべきことはあるのに、恋人のキスがそれを溶かしてしまう。
まるで魔法だ。

「――なら、余はその何十倍、何百倍もそなたを愛しているぞ」

解けぬ魔法は生きている限り永遠に続く。
喜びだけじゃなく憎しみも哀しみも引き連れて、ひとつ粒残さず救いあげよう。
ここは神に見放された者たちが集う場所。
エデンの東はその胸にある――――。

END