12

 

 

数ヶ月後——。
いつも通り痴漢クラブに足を運んだ綾人は、久しぶりに会う友人の後ろ姿を見つけてカウンターへ駆け寄った。

「一平くん!」
「綾人くん久しぶり」

一平はここ数ヶ月連絡が取れずにいた。
いつもならウリ相手を探している痴漢クラブにも顔を出していないらしく、この間、全然会っていなかった。
綾人は隣に腰掛けると問題集を広げて勉強している一平のほうに振り返る。

「ど、どうしたの?体」

綾人は一平を見るなり、素っ頓狂な声をあげた。
以前の一平は自分の体重管理に厳しくグラム単位で管理をしていた。
ふくよかな体形をしているくせに、並のダイエッターでは敵わないほど自分の体の見え方、見せ方に気を配っていた。
それがどうしたことか。
最後に見た時よりも大きな肉の塊が丸い腹に乗っている。

「んー、実は」

だが一平は落ち込むどころか嬉しそうに目尻を緩ませて自らの腹を撫でた。

「おれ、赤ちゃんが出来ちゃって」

きゃはっ——と、照れくさそうにカミングアウトする一平に、綾人は思わず出されたジュースをブブっと吹いてしまった。

「な、な、な」
「……いや、冗談だよ。男が妊娠するわけないじゃん。はぁ、綾人くんが相変わらずチョロ過ぎて心配だよ、おれは……」

いつもの口調に戻った一平は、真に受けて動揺した様子の綾人を呆れた目で見つめる。
だが、それでも眼差しが優しい一平に疑問は募る。
プロフェッショナルぽっちゃりだった彼が、そのプヨプヨした腹を許しているというのはどういうことなのか。
一平は白黒はっきりしていて、どこかキツイ部分があった。
客前ではそれぞれの好みに合わせてぶりっ子やら小悪魔やら使い分けていたが、それ以外の時の一平はどこか一線引いた冷めた態度でいた。
それくらいでないと大人たちと金銭のやり取りなんて出来ないんだろうくらいに思っていたから綾人には今の一平に違和感があったのだ。

「きょ、今日はどうしたの?ここで勉強してるなんて珍しい」
「ああ、これ?最近ちょっとね、心境の変化があってちゃんと勉強しようかなって」
「えー、すごい!じゃあ今日は勉強するためにここに来てたの?」

すると一平は筆を置き、どこか含みを見せた視線でにやりと口元を上げた。

「今日はこのあとステージ予約してんの」
「えっ、す、ステージって。……ひえっ――、まさかあそこで一平くん……!」

綾人は驚きすぎて思わず声がひっくり返ってしまった。
痴漢クラブは、入口にほど近い場所に、ドリンクの提供が行われるバーカウンターがある。
誰かと待ち合わせをするときや、一平のように客漁りをするために人を観察したい客はここで飲んでいる。
その奥にはコの字型に五列ほどのソファ席が並べられて、さらにその奥がステージになっている。
ステージさえなければハプニングバーとほぼ変わらないが、ここはセット付のステージがあるおかげで痴漢クラブとして秘密裏に経営されていた。
痴漢というからには、廃車となったのを改造したのか、それともそれ用に作られたのか精巧な電車のセットがあり、痴漢されたい人、痴漢したい人、それを見たい人がここに集い性癖の発散に使っている。
綾人の登場以降、電車痴漢以外にも色々使われているステージだが、事前に予約をすれば時間内は自由に使えるのが特徴だった。
しかし一平は断じて人前でエッチはしない派だった。
ここはベッド付の個室もシャワールームも完備されているが、合意さえあればどこでもセックスが出来る決まりになっている。
綾人は彼氏のおじさんと我慢が出来ずソファやら廊下やらでしてしまうことがあるのだが、一平は断固として客漁りにしかこの店を使ったことがなかった。
その一平がステージを予約している。

「急にどうしたの!か、体のことも、勉強も……ステージだって!この数ヶ月なにがあったの!」

綾人は心配するように語尾を強めに問いかけた。
だが、一平はどこ吹く風で平然としたままである。

「必死になっちゃってやだなぁ。体は単純に管理をする必要がなくなっただけ。おれウリやめたし。勉強は守りたい人が出来たから、その人と一生一緒にいるために誰よりも知恵をつけておこうと思っただけ。ステージは――」

するとそこで一平の言葉が途切れた。
開いたドアのほうを見た彼は一瞬で目を輝かせると、見たこともないほど柔らかく目じりを下げる。

「え、ちょっ……ウリやめたって」

だが綾人は新情報の渋滞で頭が混乱状態だった。
あれだけ金に固執してウリをしていた一平がすんなりとこの業界から足を洗うとは思えなかったからだ。
しかし一平は綾人のことなど気に留めずそのまま立ち上がると、店に入ってきたばかりの客の方へ駆けて行ってしまった。
そしてそのまま抱き着いてしまう。

「おーそーい」
「ん、ごめんね」

現れた男性は抱き着いてきた一平の頭をなでなでしている。
拗ねたように口を尖らせる一平だが、本気になって怒っているわけでもなく、じゃれているといった方が正しいかもしれない。
男性もそれを分かっているからデレデレと口元を緩ませて一平を撫でているのだ。

すると二人そろって綾人のほうへやってきたから彼は緊張して直立不動になってしまった。
内心二人の関係を知りたくてたまらなかったが、ヘタに突っ込んだことを聞いて怒らせたら大変だと戸惑う。
だが案ずるより先に一平が誇らしげに紹介をしてくれた。

「じゃじゃーん、おれの旦那様!」
「ど、どうも」
「見てこのクソイケメン!ちょうかっこいいでしょ!ヤバーっ。これでね、めちゃくちゃ可愛くて優しくてエロくて……もうしゅきぴー!」

一平は見たこともないほど浮かれていてテンションが高かった。
一方彼の横で男性は恐縮そうに頭を下げる。

「は」

だが綾人は言葉を咀嚼できずにいた。
一平は今まで散々綾人と彼氏のことを馬鹿にしてきたのだ。
彼自身、絶対に男性のことは好きにならない、セックスするのは金もうけのためだけと割り切った考え方であったのだ。
第一、紹介された男性の冴えなさ加減が酷い。
初対面で相手の本質を見抜くことが出来るとは思っていないが、それでも圧倒的属性を持った人間のことはなんとなく分かってしまう。
例えば性格がきつそうな人、優しそうな人、仕事が出来そうな人など、どれだけ相手のことを知っても結局第一印象と変わらないことがあった。
それでいうと、この一平の旦那様と名乗る男性は何をしても冴えないであろうことが、容姿や仕草からも感じ取れてしまう。
一平は散々男性を褒めちぎっていたが、見ているものが違うんじゃないかと思うくらい同意出来なかった。
むしろ催眠やら洗脳を疑いたくなるくらいだった。
(いや、一平くんのことだ。絶対に容姿よりお金を取るに決まっている。きっとこの人はどこかの大きな会社の社長さんなんだ)

「ど、どど、どうも。一平くんの友達の綾人です。おじさんは社長さんなんですか」

綾人は驚きを隠せないまま、おずおずと自己紹介をした。
だが、綾人の問いに一平はブハッと吹き出した。
初対面の人にどんな質問だよ――と、ゲラゲラ笑い転げそうないきおいで綾人の肩にもたれる。
よほど面白かったみたいだ。

「さっきからなに言ってるの?この人は別にお金持ちでもなんでもないけど。普通のサラリーマン。……ね?」

そうして一平が同意を求めるよう男性へ視線を送ると、彼は恥ずかしそうに頷いた。

「まぁ、そっか。今までのおれを見ていたらそうなるか。……OK。じゃあそこで見てて。どれくらいおれが旦那様ラブかを見せてあげる」

すると一平と男性はそのまま個室へと消えていった。
見せてあげるとは、やはりこのあとのステージのことを指しているのだろうか。
信じられなかった。
今までたくさんの人が一平の客になった。
その中には超絶イケメンゲイから大企業の幹部クラス、はたまた大学の助教授やら医者やらハイクラスな人間たちがいて、少なからず何度か熱烈なラブコールを受けていたようだが、一平は頑なに自分のテリトリーへ入れるようなことはしなかった。
だからこそ一平の恋愛相手は女性か、とんでもなくレベルの高い男性なんだろうと思っていた。
そこへ現れたのが前途の冴えない中年男性である。
こういう場は初めてなのか気まずそうに視線を泳がせ、常に自信なさげな様子であった。
 

 
しかし、その後のステージになると一変した。
男性は貪るような愛撫をし、一平の小さな体を蹂躙する。
一平も見たことがないほど嬉しそうに甘え、自分たちの行為を観客たちに見せつけている。
足をM字に開かせ、結合部分は丸見えであった。
綺麗に管理されている小さな穴から赤黒いとんでもない質量の肉棒が突き刺さる様子に客たちは興奮を露にしている。
綾人はカウンター席に座ったまま動けずにいた。
あんなに楽しそうにエッチをしている一平が想像できなかったからだ。

「ありゃダメだな」
「おじさん!」

すると待ち合わせをしていた恋人の男性が横からそっと囁いた。
綾人はびくりと肩を震わせる。

「一平君にアッチの気はなかったはずなんだがなあ」
「アッチって?」
「露出狂属性っていうのか。……いや、あれは露出して悦んでいるんじゃねえな。根っこにあるのは独占欲だよ。俺と同じだなあ」

男の手がそっと綾人の尻に伸びてきた。
手慣れた様子で尻を揉み、パンツの中へと入ってくるのはいつものこと。

「ん、おじさんと……同じ?」
「綾人くんはおじさんが好きだからステージのセックスに同意してくれてるだろう。それは俺が好きだから従っているに過ぎない。自分からステージでセックスしたいとは思わないだろう?」
「あ、んっ……ま、そうだね。僕はおじさんのためならなんでもしてあげたいから。だからお願いされたらステージの上でも町の中でもエッチなことしていいよ? ……でも自分からしたいとは思わないかな……」
「ははは。素直だね」

すると男は気をよくしたのか綾人のズボンとパンツを一気にズル剥いた。
そして背後に回るとぷりぷりの桃みたいな尻にねっとり舌を這わす。

「おじさんや一平君は知ってしまったんだよ。大勢の前で心の底から大切な人と交わる悦びをね。たくさんの人に見せることで牽制するんだ。コレは俺のモノだから触るな近寄るなってね。同時にどれくらい愛されているのか見せつけたいのさ」

綾人はどきりとした。
そんな執着じみた独占欲を一平が持っているは思えなかったからだ。
(でも……)
ふいに顔をあげた綾人はステージ上の一平を見た。
すると彼と目が合った。
どうやら一平はずっと綾人を見ていたようである。
その視線は煽情的だが同じくらい挑戦的で、ステージから遠く離れたところにいる綾人を煽るように唇をペロリと舌で舐める。
信じられないくらい妖艶な姿に綾人は思わず生唾を飲み込んでしまった。

「あれまあ、彼氏も同じ性癖をお持ちなようで。いやはや過激なカップルだねえ」

すると一平の旦那様は、綾人へ意識を逸らしていた一平を責めるように彼のおっぱいを揉みくちゃにすると、一層激しく突き上げた。
挨拶をした際の気弱な様子など皆無で、まるで別人みたいだった。
まさしく彼の荒々しさは独占欲による牽制であった。
一平が気に掛ける綾人への嫉妬を露に抱いている。
だが、一平の表情はまんざらでもなく、その狂気にも思える愛情を一身に受けて幸せそうであった。
周囲の男たちは一平の姿に釘付けとなっている。
それまでふくよかな体格から興味さえもたれていなかったのに、一平の淫乱ぶりに前屈みになっている。
抱き心地の良さそうなつきたてのお餅みたいな体に瞬きすら忘れて見入ってしまっている。
綾人はその様子に少しだけ胸の奥をざわつかせた。
何を見せられているのかと思った。
だってこんなの壮大な二人のオナニーではないか。
わざわざ大勢の前で見せたところでなににもならない。
綾人は盛り上がる場内を尻目に小さく舌打ちをした。
見せつけられるだけ見せつけられて腹の底がジリジリしていた。
味わったことのない焦燥感に軽く眩暈がする。
(……面白い)
だが、そこで終わらないのが調教済みの綾人であった。
彼は口元を引き上げると、躊躇いなくその場で上着を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になる。
すでに綾人の性癖も常人からは離れてしまっている。
綾人に見せつけるよう淫らに抱かれる一平に、自分の方が彼氏に愛されていることを知らしめたい、みんなに見てもらいたいという静かな激情が湧いてくる。
方向性は違えど大きな成長であった。
子どものころからこだわりもなく、意志だって強くもない綾人が、他人を意識し、好戦的になっている。
それどころかこの状況を楽しもうとしているからたまげたものだ。
流されるだけ流されてきた彼が自らの感情と向き合い、その上をいこうとしている。

「行くのか?」

男は彼の様子に愉快そうな笑みを浮かべた。
綾人は返事をするわけでもなく背筋を伸ばすと、遠くステージで喘いでいる一平を見据える。

「僕って知らなかったけど意外と負けず嫌いみたい。売られた喧嘩は買わないとね。だって僕とおじさんのほうがラブラブなんだから」

綾人の瞳は、縄張りを守る肉食獣の如き鋭い閃光を放つ。

「……それに、僕のほうがずっと可愛いでしょ」

 

 

 

END