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あれから二ヶ月以上経った。
おれはおっさんの乗る電車をあえて避けて通学していた。
遊びは終わったのだ。
これ以上深入りする必要はないし、好意を持たれても困る。
元々不毛な関係だったのだ。
だが、ふとした時に最後に見たおっさんのショックを受けたような顔が蘇る。
彼だって薄々おれの正体に気づいていたはずだ。
でなければこんな子どもが大人の性器を弄るどころか咥えることなんてしないだろう。
それでも直接告げられた事実に衝撃を受けるのは無理もない。
ましてただ気まぐれにもてあそばれただけならば傷ついたに決まっている。
(やっぱ金が絡まないと後味悪いし面倒だ)
あれからもウリは続けていた。
今日の夜も馴染みの客に買われて、卑猥な女性物の下着を身に付けている。
客はコスプレ萌えに加えて羞恥心を与えるのが好きな男だった。
少年がエッチな下着を付けながら何食わぬ顔で登校し、友人たちと学校生活を満喫する姿を想像するのがたまらないらしい。
お陰で今日一日大変だった。
体育の着替えは人に見られないようトイレでしたし、下着がキツくてちんこは痛いし、当然、用を足す時は個室に入ってした。
待ち合わせの時間が夜だからと、尻の穴の準備も学校で済ませた。
人の数だけ性癖があるといっても、あまり理解できるものはない。
とはいえ太客を無下にするわけにはいかなかった。
(あれもこれもおっさんのせいだ)
駅のホームで電車を待ちながら悪態をつく。
腸内を綺麗にしてきたせいか尻の穴がじんじん痺れて無意識に内股になっていた。

「……はぁ、く…」

目を閉じるとおっさんの大きなちんこが思い浮かんだ。
あれを挿れられたらと想像するだけで腹の奥がひくつく。
おれが咥えてやったら今にも泣きそうな顔で気持ち良さそうに喘いでいた。
もっとその表情を見たくていつの間にかおれも一生懸命フェラしていた。
ウリをして最初の難関が他人の性器を咥えることだった。
むしろ尻の処女を散らすよりも覚悟と勇気が必要だった。
普通に生きていたら絶対にしたくない行為である。
なのにあの時はおれのほうがご馳走を前にした獣みたいで、食らいつくように舐め回してしまった。
思い出しただけで今だって身震いしてしまう。
見返りない相手にしたって無駄なのに何を考えているんだ。
あの別れの直後は、溜まった性欲の吐き出し口を求めて、そこらじゅうの男に声をかけて体を売ったが、発散はおろか満たされない欲望だけが肉体を蝕んでいった。
抱かれているとき、無意識におっさんに抱かれていると妄想してしまう。
目を開ければ似ても似つかない中年オヤジが自分に乗っかっていて吐き気がした。
今までなら一定以上は感じていたし、セックスを楽しんでいる部分もあったわけだが、今は全然気持ちよくなれない。
もはや客がイキそうになったら自ら己のちんこを扱いて半ば無理やり射精することでどうにか凌いでいた。
ウリだって客商売である。
相手は自分が気持ちよくなることを最優先にしながらも、相手を満足させてやったという達成感を求めている。
そこにはクソみたいなプライドとか自尊心が絡み合っていて、ヘタに突っ込もうとすれば大火傷を負うこと必至なので、適当にやり過ごすのがベターだった。
客だって金を払っている手前、余計なことは言われたくあるまい。
そもそも彼らには満足させてやろうという気はないのだ。
時間を金で買っている彼らは、ウリ相手に愛撫や奉仕をするより早く結合したがる。
そのくせ相手も自分と同じくらい満足している、いや、自分が満足させてやっていると思い込んでるから反吐が出そうだ。
だが、おれにとってはそっちのほうが都合が良かった。
金だけの付き合いだからこそ余計な触れ合いはいらなかったし、さっさとセックスしてスッキリしてお金をもらって終わるのが楽だった。

そうして満たされない欲求とイライラが募った先に待っていたのは食欲だった。
今までは完璧に体重をコントロールしていたのに、この胸のモヤモヤを解消するにはバカ食いをするしかなく、欲するがままに食べた。
それでもモヤモヤは消えず、ネットで必要もない高級品を買いまくったが、金がなくなっただけで満たされなかった。
しいていうなら体重が増えてしまい、制服もキツキツ――ブラウスにいたっては何かの拍子にボタンが弾け飛んでしまいそうだ。
このままではポチャどころかデブになってしまう。
デブ専には喜ばれるだろうが、それだけは勘弁だった。

「……一平君…」
「……えっ…」

すると背後から聞き覚えのある声に名前を呼ばれて思わず振り返った。
聞き間違えるはずのない声に言葉を失う。
そこにいたのはあのおっさんだった。
二ヶ月前におれが散々罵って別れたおっさんだったのだ。
多少のことには動揺しないおれが驚きから口をぱくぱくさせる。
それまで考えていたことは全部吹っ飛び、おれの思考は空っぽになってしまった。
彼は今日もきっちりとした七三分けをしている。
いかにも真面目が歩いているようなサラリーマンスタイルである。
だが、赤のネクタイが目を引いた。
彼は見た目性格共に地味そのもので、ネクタイはそれを表すかのように渋い色しか見たことがなかった。
とことん意思表示が苦手な男なのである。
だが、今日はどうだ。
どこで買ったのか洒落た赤い柄は決意の色を感じる。
それだけじゃなく、くたびれたスーツが新品のスーツに、いつもの猫背がピンと伸びて視線は真っ直ぐおれを見ていた。
(べ、別にもう関係ないし)
おっさんとの関係は終わったのだ。
臆する必要はない。
(今までだって向こうから何かしてくることはなかった)
おっさんにそんな度胸はなく、それがおれを苛立たせていた。
でも変だ。
最初はそういう気弱なところを可愛がっていたし、面白かった。
クソみたいな要求ばかりの男どもの中で、興味が湧いたのだ。
なのに、なぜ今はその態度にイライラするんだろう。

「何?駅員呼ぶよ?」
「…っ…」

ほらみろ。
少し脅しただけで口をつぐんでしまった。
こいつには力ずく奪うなんて発想ないんだ。
無害な男。
毒にも薬にもならないつまらない男。
おれは腹立たしさをまぎらわすように大袈裟にため息を吐くと、わずかに振り返った。

「おれはこれから用事があるんだから、ストーカーみたいな真似やめてくれない?」
「…よ、用事……?」
「そ」

おれはニヤッと笑うと胸元のボタンを外した。
すると紫のブラジャーがちらりと見える。

「あはっ。こんな色、汗かいたらすぐにシャツから透けちゃうよね。あー、恥ずかしい」

言葉とは裏腹に恥じらいなんてない仕草で胸元を見せるとおっさんはこのまま倒れてしまわんばかりに顔を赤くした。
まるで熟れた林檎のようである。

「……お客さんに言われたの?」

しばらく無言のあと、彼は声を振り絞るように呟いた。
そろそろ電車が到着するホームは騒がしくて、その声はアナウンスによって掻き消される。

「そーだよ。それ以外になにがあるっての」
「……っ…」

電車がホームに入ってきた。
生ぬるい風を頬に受けながら乗るために服を整える。
おっさんはそれ以上なにも言ってこなかったから無視をしていた。
もう関わりたくない。
考えを乱されたくない。
そんな思いがあったのだ。
電車のドアが開くが、あまり人は降りなかった。
まだ外は黄昏だが時計を見ればもう十八時近くで、帰宅ラッシュに差し掛かりつつある。
停車駅の少ない特急は人気があり、普段から混んでいた。
とはいえそれにしては混みすぎである。
朝のラッシュほどではないにしろ、異様な混み具合だった。
自分が入る前からぎゅうぎゅうで躊躇する。
一本遅らせようとも考えたが、そうすると客との待ち合わせに間に合わない。
何より後ろにいるおっさんとこの状況で話していたくなかった。
人混みに紛れてしまった方が楽だった。
仕方がなくおれは混んだ電車に足を踏み入れた。
奥へ行くどころかドア前からもう動けない。
そのあとにおっさんが乗る。
そして続くように二三人の学生が乗ってきたが、どうにかドア前は死守する。
背の低いおれは掴まる場所がないと立っていられないし、これだけ混んでいると息をするのも困難になるからだ。
さらに改札の方から女性が走ってきたが、おれの乗っている車両はパンパンで、これ以上は乗れないと判断したのか、慌てて空いてる車両を探しに行ってしまった。
すぐに発車のベルが鳴るとドアが閉まる。
ひとまず安堵した。
当分こちらのドアは開かない。
混雑した車内のドア前はうんざりだ。
駅に到着するたびに降りる人のために退かなきゃならないし、気を遣う。

「……ふぅ…」

車内は騒がしかった。
どうやら近くの高校で行事があったのだろう同じ制服を着た学生が大勢乗っている。
普段はない光景だった。
おれはおっさんに背を向け、逃げるように窓の外を見ていた。
先程より明度を落とした空に街灯が点り、その明かりは電車の速度により線のように流れていく。
(暑い……)
これだけ密集していると鬱陶しくなってくる。
そうして手で扇いでいると背後に気配を感じた。

「おっ…さ…」

先程まで斜め後ろにいたと思っていたおっさんが、すぐ後ろにぴったりと張り付くようにいて、さすがに驚く。
耳元の息の荒さはウザイ以外の何者でもない。

「い…だ…」
「は?」

囁くような小さな声が耳に障る。

「いやだ」

おれが聞き返すように顔だけ振り返ると、今度ははっきりと聞こえた。
そして同時に下腹部に手が回る。

「はっ?…え、ちょっ」

思わず戸惑いの声をあげた。
だってあのおっさんがおれの尻に、股間に、手を這わし始めたのだ。

「…ん、ずっとこうしたかった」
「ふざけっ…何考えてっ!」

止めさせようとおっさんの手を掴んだが、彼は止めるどころかズボンの上から性器をまさぐる。

「はっ…やめ…!」

想定外だ。
後ろから抱き締めるように密着されて執拗に触られる。
尻には硬いものが押し付けられ、その存在を主張するようにゴリゴリと擦られた。
(…本当にあのおっさんかよっ…)
だって触る手には容赦がないんだ。
手のひら全体を使って股間をぐにぐにと揉まれる。
つたない刺激に声を出しそうになったが我慢した。
周囲にバレる以上におっさんを喜ばせたくなかった。
かたくなに平静を装う。
そのうちおっさんは短パンのボタンを外すとズボンの中に手を突っ込んだ。
こんな大胆な痴漢は知らない。
だが、パンツに触れた途端その手が止まった。
そっとレースをなぞる。
その指先があまりにエロくて身悶えてしまった。

「パンツも…女性物を履いているの?」

その声は聞いたことがないほど低く、腰にクる響きをしていた。
もともと彼はいい声をしていた。
彼の長所は声とちんこぐらいだろうと言ってもいいくらいだった。
その甘ったるい声が責めるような口調で問うから耳がぞわぞわする。

 

 

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