ひめはじめ

わが家は代々地元の神社の神主をしている。
だから生まれてこの方正月休みなんてしたことなかった。
神社が一年で最も賑わうこの時期に休んでいられない。
それどころか期間限定でバイトを雇うぐらいだ。
年末年始は朝から晩まで家族総出で仕事するのが伝統である。

「2380円です」

僕は販売の仕事をしていた。
お守りや破魔弓、御札なんかを売っている。

「はい。2500円お預かりしま……っふぁ…」
「?」
「す、すみません。120円のお返しですね」

客が怪訝な表情を浮かべる。
だから僕は顔を真っ赤にして手早く買ったものを袋に入れるとお釣りを渡した。
それでも首を傾げる彼は立ち去った後もチラチラこちらを見ている。

「もー!誠司さんっ」

僕は眉間に皺を寄せると振り返った。
そこに居た男は悪びれもせずニコニコしている。

「ごめんって」
「全然誠意が感じられないよ!」
「そう怒るなよ。ちょっとした悪戯じゃないか」
「お尻を触るのは十分セクハラです」

この人は歳の離れたお兄ちゃんの友達で昔からよく遊びに来る誠司さんだ。
毎年神社の手伝いに来てくれる。
それは大学生になった今も変わらなかった。

「だって充(みつる)くんが相手にしてくれないんだもん。おじさん寂しくて死んじゃう」
「やめてよ気色悪い。それにまだおじさんじゃないでしょ」
「えー、充くんから見れば十分おじさんだよ」
「やだよ。それじゃお兄ちゃんまでおじさんになっちゃうもん」

僕はお兄ちゃんに凄く懐いていた。
きっと子供の頃からお父さんもお母さんも神社の仕事で忙しかったからに違いない。
必然的にお兄ちゃんが僕の面倒を見てくれた。

「おっ、仲良くやっているか」

するとちょうどよく袴姿のお兄ちゃんが顔を出した。
正月の三が日を過ぎて顔に疲れが出ている。

「お兄ちゃんっ」

僕の表情が一気に明るくなった。
それを見て誠司さんは面白くなさそうに口を尖らせる。

「頑張っているよ。お兄ちゃんは?」
「ん、まずまずだね」
「あまり無理をしちゃだめだよ。お兄ちゃんはいつも頑張りすぎなんだから」
「ありがとう」

お兄ちゃんの顔がくしゃっとなるだけで幸せな気持ちになった。
笑いかけられるとそれだけで嫌な気分が吹っ飛ぶ。
いつも優しくて自慢の兄だ。
撫でられてくすぐったそうに身をくねらせる。

「誠司もありがとな」
「はいはい」
「なに?その気のない返事は。せっかくお兄ちゃんが声を掛けてくれたのに」

僕は睨みをきかせて振り返った。
だけど誠司さんの態度は相変わらず。
それが余計に腹立つ。

「まったく二人はいつもそうなんだから」
「僕じゃないよっ。誠司さんがだらしないから悪いんだもん」
「なんだよ。俺のせいかよっ」
「じゃなきゃ誰のせいなんだよ」
「はいはい。ケンカはそこまで」

どうにかお兄ちゃんが仲裁に入ってくれたけどいつもこうだった。
それに挟まれて彼は困ったように苦笑する。

「ま、ケンカするほど仲が良いってね」

だが元々マイペースな性格でお兄ちゃんは気にしなかった。
それだけ呟くとさっさと持ち場に戻っていく。
ある種一番強いのがお兄ちゃんだった。

「あーあ。いっちゃった」

残された僕は寂しげに呟く。
もっと頑張っているところをアピールしたかったのに、くだらないケンカで終わってしまった。

「お前さ、さっさと兄離れしろよ」
「うるさいな。なんで誠司さんに言われないといけないわけ?」

お兄ちゃんは憧れの存在である。
離れたいと思ったことはないし、離れようとも思わない。
むしろずっと一緒にいられたらいいとすら思っていた。

「だいたい関係な――」

するとそう言おうとした手前、急に腕を引っ張られた。
そのままイスからずり落ちると誠司さんの体に乗っかる。

「ちょ…っん――!」

抵抗する間もなくキスをされてしまった。
目を見開くと機嫌悪そうに睨む誠司さんと目が合う。
(こ、こんなところで何して――)
逃れようともがくが腰を抱き寄せられて動けない。
それどころか唇を甘噛みされた。
僕の咥内に入ってくる気満々である。

「んー、っん…っんんぅ…っ」

だがそれだけは許さなかった。
歯を噛み締めて絶対に開かないよう力む。
第一にこんな場所じゃすぐ人に見つかるだろう。
なにせ覗き込めば僕らの状態が丸見えだ。
狭い販売所の隅で二つの体がモゾモゾと動く。

「ひぁ…うぅっ、うっ」

すると誠司さんは下から下半身を擦りあげるように突いた。
彼のはもう硬くなっている。
その熱に驚いて声を上げると、誠司さんの舌が進入してきた。
口を閉じようにも顎を押さえられ、逃げられない。

「ん、ふっ…ぁっ、だめ…っ、こんなとこ、見えちゃ…んんぅ、ふ…っ」

すぐそこには賑やかな人の群れがある。
社から少し外れた場所にあるとはいえ、いつ人が来るか分からないのだ。

「んんぅ、も、キスやだぁ…っんふぅ、ふぅっ…ちゅ、ぷ…はぁっ…」
「充、舌出せ」
「ふぁ…呼び捨てに、すんな…あっ、はぁ…はぁっ…」

ねっとりと舌を舐められて体が震える。
誠司さんの腕の中でうずくまり与えられるがまま愛撫された。
あれだけ嫌がっていたのに拒絶できない。
重ね合わせた舌の先から垂れる唾液が卑猥な水音を残した。
誠司さんとキスをするのはこれが初めてではない。

「はぁ、充の唾液おいし…」
「バカか…っ、も…はな…せっ…」
「だーめ。俺を怒らせた罰」
「んくっ、ちゅ…はぁ、だって誠司さんのキス、しつこ…っんんっ、はぁ…またっ…」

口の中を好き勝手に舐め回されて頭が蕩けそうだ。
粘膜同士が絡みついてヌメっている。
僅かに目を開ければ不敵な笑みを浮かべる誠司さんと目が合った。
ついさっきまで不機嫌そうな顔をしていたのに、いつの間にかご機嫌になっている。
奥二重の鋭い眼差しが羞恥心を刺激して、それ以上目を開けていられなかった。
だから甘んじて目を閉じ、触覚だけを堪能する。
涎でべちょべちょに汚れた口許は荒淫な雰囲気のまま光っていた。
そばにある日常から隔離された世界に浸って思考が働かない。
ただ舌の温かさだけが僕の脳裏に焼きついた。

「もっとしていい?」
「はぁ、やだ…ぁっ…」
「なんで?」
「あ、ひっ…ちんこ、擦り付けんなぁ…」

先ほどより硬さを増した性器が股に当たる。
誠司さんは目を細めて僕の唇をなぞった。
触り方がいやらしくて身震いする。
(拒絶したいのに)
口付けの甘さを嫌というほど教えられて抵抗できなかった。
トロンとまどろむような意識の中で口が寂しくなる。
乱暴なキスの余韻は荒々しく僕の心を奪った。
お蔭で再び口付けられた時、彼のシャツにしがみ付いてしまったほどだ。

「ごめんくださーい」

するとその時だった。
近付いてくる足音と共に声が響く。
それに気付くと僕は慌てて起き上がった。
涎まみれの口許を強引に袖で拭き取る。
不自然に口の周りだけ赤くなった。
だけど鏡も無く気付かない僕は平然を装い対応する。

「い、いらっしゃいませ」

幸い客には気付かれなかった。
前に置かれたお守りを選んでいる。
それに安堵しながらそっと息を吐いた。
いつも誠司さんに流されっぱなしである。

「おーい、充ー!」

そこにもうひとり客が現れた。
ちょうど前の客のレジを済ませたところだった。
お守りを買った人と入れ違いに少年が近付いてくる。
同級生の阿部くんだった。
彼は家族で来ていたのか、後ろに両親がいる。

「よっ、あけおめ」

寒そうにマフラーと手袋をしていた。
片手にはお向かいのテントで出されているお汁粉を持っている。

「あけおめ」

窓が開いているとはいえ、販売所内は温かい。
それに比べて外は気温が低いのか阿部くんが喋るたびに白い息が漏れた。

「今年も手伝いか?」
「うん。阿部くんは参拝に来てくれたんだね」
「当たり前じゃん」

二人で貰ったお年玉の数だとか、出された宿題の話をする。
一週間ぶりにあった阿部くんとの話は楽しくてつい誠司さんの存在を忘れていた。
話に盛り上がっていると下からモゾモゾと動く影に気付く。

「え、…っんぅ……」

誠司さんは起き上がらず隠れたままだった。
販売所の窓は内側からだと僕が立って丁度いい。
外からだと一段石垣の下にあるから高く見えた。
だから背の高い誠司さんといえども床に座っていれば外から見えない。

「ん、はぁ…っ!」

それをいいことに悪戯をされた。
彼の指が僕の尻を撫でる。
手つきが妙にいやらしくて変な声が出た。
驚いて見下ろせばニヤニヤと笑っている誠司さんと目が合う。

「どうした?」
「え、あ、ううん。なんでもないよ」

視線を戻せば阿部くんがキョトンとしていた。
それが恥ずかしくて思わず首を振る。
まさか大人の男性に悪戯されているとは言えない。

「それでさー、ばあちゃんちに行く予定だったんだけど急遽無理になっちゃってさー」
「へ、へえ…っぅ…は…ぁっ…」

阿部くんは気にした素振りもせずに話し続けた。
僕は身動きも取れずに相槌を打つだけ。
幸いなのは彼が鈍感なことだった。
――いや、まさかこんなところで悪戯されているなんて夢にも思わないだろう。
だから不審に思わないのは当然のことだった。

「んぅ…、ふぅ……ふぅ……」

誠司さんは面白がって悪戯をやめなかった。
それどころかどんどんエスカレートしていった。
捲りあげた袴に手を突っ込むと僕のお尻に手を這わす。
最初は素肌を滑らせるように撫でて、時折ぐにゅっと揉んだ。
それに飽きてくると尻の割れ目からたまの部分まで人差し指で辿るように触れる。

「んくはぁ…ぁっ…」

長時間座っていたせいで蒸れたお尻を擦られて呼吸が詰まる。
噛み締めて声を押し殺すと気にしない素振りをした。
相変わらず暢気に話を続ける阿部くんを少し恨めしく思いながらどうにか耐える。
だけど話に集中なんて出来なかった。

「んぅ…っ…」

太ももまで捲り上げられた袴を必死に手で押さえる。
涎で濡らした誠司さんの指は這わすだけでは満足しなかった。
そのうちお尻の穴の周辺を擦り始め、皺を伸ばそうと指の腹を押し付けてくる。
(だめっ、挿れちゃだめっ……)
とっくに体は火照り、勝手に前かがみになっていた。
勃起したペニスがパンツの中で震えている。
直接触ってもらえず、寂しそうに汁を溢れさせていた。

「おい。おい充っ、ちゃんと聞いてたか?」
「はぁ…っん…ちゃんと聞いてた…よ…」
「えー。怪しいな」
「ごめ…ねっ…ひぅっ――」

どうにも意識はお尻に持っていかれる。
ようやく異変に気付いた阿部くんだったが止められなかった。
あれだけ皺を弄くられて入り口はとろとろに蕩けている。
そのせいで誠司さんの指をあっさり腸内に受け入れてしまった。
押し広げられて背筋に電気が走る。
いきなり二本の指で内壁を掻き回されて下半身が痙攣した。

「ひぁ…はぁ…はぁっ、ん……」

何とか片手で口を塞ぐ。
その間に腹の指で縦横無尽に擦られてしまった。
強烈な指の感触は奥を突っついては僕の反応を伺っている。
内股で震えた僕の足は弱々しくて座り込んでしまいそうだった。
(やぁ…ぁっ、声が出ちゃ…あぁっ…)
彼の指はいつも弱いところを苛める。
嫌だといっても泣いてよがるまで止めてくれなかった。
そうして散々弄ばれた結果、より感じる体に開発されてしまう。
今だってちんちんの裏側を執拗に責められて射精してしまいそうだ。

「ん……ふぅ、ふぅ……」

腰が勝手に揺れる。
下品にもがに股に開いた足は踏ん張ろうと力んでいた。
上半身だけは何事もないかのように動かない。
引き攣った口許からはいつ喘ぎ声が出ても可笑しくなかった。

「風邪でも引いたんか?」
「ん、はぁ…そんな、とこかな……」
「ふーん」

それでも彼の顔は納得していない。
見つめられると余計に羞恥心が募った。
穢れなき眼に見透かされてしまいそうな気がして顔を逸らす。
(ひぁ…ぁっ、イクとこなんて、見ないで…っ…)
阿部くんは知らないんだ。
僕が肛門を弄られて射精しそうなことなんて。
(ふ…あぁっ、も…だめっ、だめっ……)
容赦なく根元まで挿入された指が乱暴に掻き混ぜる。
グリグリと弱い部分を擦られて身震いした。
本来ならもっと奥の味を知っているのに、指ではそこまで届かない。
もどかしさと歯痒さに胸を掻き毟るような焦燥感に襲われた。

「んぅっ――」

体がビクンビクンと波打った。
湧き上がるような快楽が背中を駆け上がり歯を噛み締める。
悶えるような震えをどうにか耐えると途端にパンツの中が生温かくなった。

「はぁ…はぁ…」

どうやら射精したらしい。
机に肘をつき前屈みのまま果ててしまった。
激しい快楽の後に残された疲労感が襲い掛かる。

「ま、マジで大丈夫?」

目の前にいた阿部くんは何も知らず、立ちくらみでも起こしたのかと心配そうに覗き込んだ。
その瞳に背徳感を覚え、ぶるりと震える。

「はぁ…はぁ…ん、大丈夫。ちょっと休憩するから」
「そっそうか。悪いな。引き止めちゃって」
「ううん、こっちこそごめんね。また始業式に会おうね」
「おう」

阿部くんは首を傾げながら踵を返した。
そうして両親の元に駆け寄る。
僕はそれでも体勢を崩したまま呼吸を落ち着かせていた。
パンツの中はいつの間にか冷たくなり、嫌な感触しかしない。

「…誠司さんのバカ」

僕は睨んだまま誠司さんを見下ろした。
だが彼は悪びれもせず笑っている。

「うわー、充のお尻トロトロ」
「んはぁ…ちょっ、抜いてよっ」

それどころか未だに彼の指は僕のお尻に挿入されていた。
誠司さんは飽きもせず、穴を弄繰り回している。
果てる瞬間は搾り取るようなキツさだったのに対し、すっかり力の抜けたアヌスは開かれていた。
緩んだ肛門が熟れた果実のように蕩け、心地好く彼の指を締め付ける。

「やばいだろ。俺の指が溶けちゃいそうだ。充の穴気持ちよすぎ」
「んっ、そんなわけないもん…はぁっ」
「ね、舐めていい?」
「やだっ。何考えて――!」

僕は慌てて腰を引いた。
だがその拍子に足を滑らせる。
長い間必死に踏ん張っていたせいで痺れていたみたいだ。
思うように動かず、その場に尻餅をつきそうになる。
だが座り込んでいた誠司さんに引き寄せられて、転ばずに済んだ。
その代わり彼の胸の中に飛び込んでしまう。
そこが一番危ないことを僕は知っていた。

「な、いいだろ?」
「んっ」

耳元で甘ったるく囁かれて目を瞑る。
誠司さんの呼吸が荒くて妙にドキドキした。
彼は僕を抱き寄せたまま片手を掴む。
そうして導いた先には誠司さんの性器があった。
それにビクリと震え、体を引き離そうとする。
だがしっかり腰を掴まれて逃れられなかった。

「ん、はぁ……」

熱っぽい眼差しを向けられて動揺を露にする。
誠司さんの性器は袴の上からでも分かるぐらい熱くなっていた。
(まさか僕のを見て……?)
勃起したペニスの形を確かめるように触れる。
すると彼は目を細め、僕の頬にキスをした。
ゆるゆると辿る指が止まらない。
いつしか誠司さんの手が離れてもソコを触っていた。
袴の上から扱くように手を上下に動かす。
(熱い……それに、かたい……)
扱くたびに誠司さんの甘い吐息が漏れた。
それだけで自分の体も熱くなる。
気付けば僕も勃起していた。
パンツの中で窮屈そうに主張している。
知られたくなかったけど無理だった。
するりと隙間から手を忍ばせ、彼の手が僕のパンツに入ってくる。
精液でドロドロなパンツは肌に貼りついていた。
当然勃起していることもすぐにバレてしまう。

「ひぁ…誠司さんっ、やぁ……」
「やだ?」
「んふぅ、ここじゃ…いやぁ……っ」
「じゃあ二人っきりになれるとこに行く?」
「ふぅ…ふぅ……」

低く掠れた声が耳を擽る。
無性に恥ずかしくてぎゅっと抱きついた。
顔を見られたくなかったからだ。
僕の顔は真っ赤に燃え上がり今にも泣きそうになっている。
辛うじて頷くと誠司さんは強く抱き締めた。
チラッと見上げると僅かに口許が上がっている。
(むかつく。こんなヤツに流されて)
だけど体は正直だった。
中途半端なまま終われない。
だからといって、いつまた客が来るかも分からない場所でしたくなかった。
(あんな恥ずかしい思いは二度としたくないもん)
蘇る阿部くんの顔が行為の卑猥さを映し出す。

「…さて、どこに行こうか?」

すると誠司さんは僕の頭を撫でた。
その感触が温かいから悔しい。

「ぼ、僕の部屋に……」
「あれー?あれだけ俺が入るの嫌がっていたのにいいの?」
「っ…だって」

(今日はどこも人だらけで落ち着ける場所なんてないんだもん)
僕は心の中で言い訳をする。
嬉しそうに笑う誠司さんを見ればそれ以上何もいえなかった。
出掛かった言葉が喉の奥に引っ込むと黙って頷く。
すると誠司さんはもう一度頬にキスを落とした。

――その後、お兄ちゃんに具合が悪いからと言い訳して母屋に戻ってきた。
彼もだいぶ人混みが落ち着いてきたからと、休憩を許してくれた。

「ちょっとっ、着いたんだから早く下ろしてよっ」
「うるさいな」

販売所から抱っこされて部屋まで来てしまった。
途中で会ったお兄ちゃんも苦笑しながら僕を見ていた。
それが恥ずかしくて死んじゃいそうだった。

「歩けるって言ったのに!」
「嘘付け。足腰ヘロヘロだったくせに。大体勃起して前屈みになってたじゃねーか」
「そ、それは誠司さんだって一緒でしょ。僕を抱き上げてカモフラージュしていたくせに」
「子供がそんな洒落た横文字使うな」
「なんだとっ」

理不尽なことを言われて暴れる。
だが僕が騒いだところで彼の体はビクともしなかった。
軽々と抱き上げると、まったく重そうな素振りを見せない。
(こんな力を残しているくせに)
誠司さんは絶対に乱暴な真似はしなかった。
それが大人の余裕な気がして腹立つ。

「暴れるな。落ちるぞ」
「っぅ」

落とすつもりなんてないくせに。
僕の胸がぎゅうと痺れた。
誠司さんはそっとベッドに降ろしてくれる。
お尻に柔らかい布団の感触がした。
見上げると誠司さんと目が合って即座に逸らす。
(なんかヤダ。この感じ)
先ほどから胸の痺れがとれない。
ふとした瞬間こんな気持ちになった。
真っ直ぐに見つめられると、どうしていいか分からず、ぎこちない態度になる。
それならまだケンカをしている時の方が楽だった。
(気まずい)
照れくさくて、立ち上がると窓際に向かう。
そして傍にあるエアコンのスイッチを入れた。
窓からは神社の様子が一望出来る。
午後の混む時間を過ぎ、だいぶ人の流れが穏やかになっていた。
見事な冬晴れに空気が乾燥してカラッとしている。
丘の上にある神社は町を見渡すことが出来た。
お蔭で遥か遠くの連なるビル郡まで見えた。
雲ひとつない空はいつもより近い。

「へぇ、直樹の言った通りだ」

すると後ろから声がして慌てて振り返った。
そこにはベッド脇に置かれたぬいぐるみを手に取る誠司さんがいる。

「な、何して!」
「お前の兄貴から聞いていたんだよ。充の部屋には沢山のぬいぐるみで溢れているってね」
「そっそれは……」

僕は顔を真っ赤にすると彼の手からぬいぐるみを引っ手繰った。
それだけでなく置かれていたぬいぐるみを持てるだけ持つと押入れに押し込む。

「寂しいのかな?怖いのかな?」
「やめてよっもう!」

誠司さんは残ったぬいぐるみに語りかけていた。
口調が子供っぽくてバカにしている。
だからそれも強引に奪い取った。

「こ、怖くないもん」

そう言って虚勢を張る。
本当は怖かったからぬいぐるみを並べていた。
夜の神社は怖い。
お墓がある寺ほどではないにしろ、独特の雰囲気があった。
しかも住宅地にあるのとは違い、周囲に民家はない。
それどころか辺りは林に囲まれて薄暗かった。
夜に真っ赤な鳥居を見るとゾッとする。
家の隣にはお炊き上げ用の蔵があった。
正月の飾りやお守り、それからお札に人形まで。
昔怖い話を聞いて以来、いつもそのイメージが頭から離れなかった。
家だってお洒落な都会の一戸建てと違い、昔ながらの日本家屋である。
無駄に広い家はトイレまでの道のりが長く、大変だった。
木の軋む音、風の音、ガラスの揺れる音。
連想させる全てのものが恐怖と結びつく。
だからぬいぐるみといえども立派な“仲間”だった。
夜寝る時、もしくはトイレに目覚めてしまった時。
兄を頼る年齢を過ぎてしまった僕は、ぬいぐるみを傍に置くことで恐怖に耐えていたのだ。

「ほ、本当に怖くないよ。怖くなんてないんだからっ」

むきになればなるほど、墓穴を掘っている。
それに気付かず、一生懸命言い訳をしていた。

「へーへー」
「なんだよっ。その言い方。僕は別に怖くないって言っているのに」

誠司さんの棒読みが気に障る。
つい声を荒げるが、当の本人はこちらを向いていなかった。
相変わらずベッドサイドに腰を屈めている。

「だ、だから――」

そうして畳み掛けるように文句を言おうとした時のことだ。
急に誠司さんが振り返る。
しかも満面の笑みを浮かべて。

「じゃあこれ、何?」
「え、なっ――!?」

彼の手元を凝視すれば一枚の写真を持っていた。
その瞬間、僕の顔は一気に青くなり――間もなく真っ赤に染まった。

「枕元に置いてあったんだけど誰かな」
「………っ……」
「ふむ。見覚えがあると思えば充の兄貴だが――その隣には……」
「う、うるさいっ!」

誠司さんの言葉を遮るように怒鳴った。
そして駆け寄ると写真を奪おうとする。

「ほれほれ」
「くぅ!」

しかし圧倒的な身長差から飛び上がっても手に届かなかった。
ヒラヒラと弄ぶように見せつけ遊んでいる。
僕は完全に頭に血を上らせると必死に写真を取り返そうともがいた。
(むかつく。むかつくっ)
明らかに悪意のある行為に頬を膨らませる。
そうして顔に出せば出すほど喜ばれると分かっていて、抑えられなかった。
もはや誠司さんの様子など眼中になく、写真を奪い返すことしか頭にない。
それほど知られてはならない秘密だったのだ。

「このっ――――わっ!」
「おわ……っ」

すると無我夢中になっていたせいか、足元を気にしていなかった。
何度もジャンプするうちにベッド際に寄っていたのだろう。
誠司さんの上半身に体が当たった瞬間、二人の体勢が崩れた。
これ以上、後ろに下がれなかった彼の膝がカクンと折れる。
同時に後方に倒れると僕も巻き込まれる形でベッドにダイブした。

「痛っぅ……」

幸い倒れた場所がベッドだった為、怪我はない。
何より誠司さんの体がクッションになった為、どこも痛くなかった。
(ん……?)
だが自分のではない誰かの鼓動に気付くと顔を上げる。

「あ、ごめっ……」

僕は誠司さんの胸元に居た。
突然の状況に慌てふためく。
起き上がろうとしたらその手を掴まれてしまった。

「こんなことしなくても」
「え……?」
「俺がいつでも添い寝してやるのに」
「な、なっ……」

右手に持っていたのは問題の写真。
そう。
お兄ちゃんと誠司さんの写真だった。
僕はそれを内緒でお兄ちゃんのアルバムから抜き取ってしまった。
まだ高校生の頃の写真で今より若い。
二人とも体育祭の応援団長で長ランを着ていた。

「ぬいぐるみと違って意思疎通は可能だし、幽霊やら妖怪が出ても守ってやれるよ」
「……っ……」
「望むんなら一晩中抱き締めてやってもいい」
「なに言って……」

突然真面目な顔をされて戸惑う。
こうして鋭い瞳で見上げられると、どうしていいのか分からなくなった。
本気なのか遊んでいるだけなのか判断に惑う。

「ち、違う……違うんだってば」

思わず動揺して声が裏返った。
即座に目を逸らす。

「これはお兄ちゃんが写っていたから持っていただけ!」
「…………」
「隣の人なんて知らない!」

本当は違うのに、そう言い切ってしまった。
途端に辺りが静まり返る。
言った手前、もう引き返せない。
直後に後悔したがどうしようもなかった。
(全部誠司さんが悪いんだ。急に調子が狂うようなことを言うから)
いつも振り回されるから腹立つ。
その苛立ちをどこにぶつけていいのか分からないから余計に困惑した。
いまさら素直になんてなれない。

「…………あー、そうですか」
「え?」

すると黙り込んでいた誠司さんのため息が聞こえた。
驚いて顔を戻せば、不機嫌そうにブスッとした彼がいる。

「お兄ちゃん――ね」

昔から誠司さんはお兄ちゃんの名前を出すと機嫌が悪くなることがあった。
普段は二人とも仲が良いのにふとした瞬間、不機嫌になる。
僕が金魚のフンみたいに「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と引っ付けば、「ブラコン」だの「兄離れしろよ」とからかった。

「なんか萎えた」
「せ、誠司さ」

誠司さんは僕の頭をポンポンと軽く叩き起き上がった。
そして何事もなかったように袴を直すと部屋を出て行こうとする。

次のページ