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「だって先生は独り身だと」
「だからってなぜ急にそういう了見になるんです。第一に貴方達と一緒に行けないことは最初に申し上げたでしょう」
「だ、だがっ」

食い下がる徳田さんは前のめりになって見つめてくる。

「それに私を連れて行ってどうするんです?城に帰れば私に居場所がないことぐらい徳田さんにはお分かりでしょう?」
「うぐ」

痛いところを突かれたのか、急に押し黙ってしまった。
どうやら図星である。

「めちゃくちゃですね」
「…………」
「人のことを一体なんだと思っているんです?教え方が気に入らない、藤千代が変わるのが気に入らない、だけど私を連れて行きたい、城に帰ればどうなるか分からないのに」
「……そ、それは」
「私はそこら辺にいる犬や猫と違うんです」

どうして徳田さんが無茶苦茶な事を言うのか理解出来なかった。
それこそ「口出しするな、関わるな」と言われた方が納得できる。
あまりに支離滅裂な了見に苛立ちだけが募った。

「やっぱり侍というのは理解できないものです」

私は立ち上がってこの場から去ろうとした。
あまりに気分が悪く顔を見ていられなかったからだ。
(自分勝手にもほどがある)
ただでさえ振り回されているというのに、更に要求を呑めというのは酷な話だ。

「ち、違うんじゃ」
「何が違うというんです」
「だから先生っ話を聞いて――」

歩き出した私を追いかけるようについてきた。
後ろから焦った声が聞こえても振り返らない。
青々しい畑の中をずんずんと歩いていった。
周囲には沢山のかんぴょう畑が広がり、白い実が輝いている。
前方から藤千代様が向かってきた。

「先生っ、先生!」

大はしゃぎで一之助と共にやってくる。
私の前まで来ると息を乱して止まった。

「はぁはぁ、どうしたんじゃ?」

藤千代様は徳田さんと私を交互に見ながら問いかける。
だから「別に何もありません」と言い切った。
後ろで気まずそうな気配を漂わせるが、何も言ってこない。
その雰囲気を感じ取ったのか、藤千代様は私の着物を掴んだ。

「な、なんじゃ。おい徳田。お前先生を怒らせるような事を申したのか」
「……い、いえ」
「嘘を申せ。先生は怒ると怖いんじゃ。鬼になるんじゃ。私にはちゃんと分かるぞよ」

彼は頭に指を添えると角が生える仕草をした。
どうやら鬼を表したかったらしい。
ずいぶん失礼である。

「藤千代」

私は低い声で名を呼んだ。
藤千代様はビクリと震えて恐る恐る振り返る。
じっと見つめる私に気付くと必死に首を振った。
まるで言った事を撤回するような素振りである。

「ええーいっ、とにかく先生を怒らせることはこの藤千代様が許さん」
「も、申し訳ございません」
「だからお前には罰を与えよう」
「はっ」

徳田さんはその場に土下座した。
前では藤千代様が腰に手を当て、ふんぞり返っている。
まるでどこぞの歌舞伎役者のような立ち振る舞いであった。
唯一何も知らない一之助だけが目をパチパチさせて、事の成り行きを見守っている。

「ちょっ、ちょっと藤千代。やめなさい!ほら、徳田さんも顔を上げて下さい」

私は慌てて間に入った。
真昼間の、しかも村民や子供達がいる前で、堂々と土下座をするのはやめて欲しかった。
これでは二人の関係性が怪しまれてもおかしくない。
子供相手に土下座をする大人なんておかしな光景だからだ。
急いで徳田さんの元に向かうと屈んで側に寄る。

「藤千代、いい加減にしなさい」
「なっ、先生は徳田の味方か!先生の為にこやつを裁いてやろうというのに。……ま、ま、まさかお前ら私に内緒でそういう仲ではあるまいな」
「そんなわけないでしょうが」

思わず怒鳴りながら徳田さんの上体を強引に持ち上げる。
しっかりと土下座した額には土が付いていた。
それを手で掃ってやる。
すると尚更藤千代様の機嫌が悪くなった。

「くそうっ徳田の分際で何をしてもらっているんじゃ!」
「ああ、藤千代様申し訳ございません」
「私だってそんなことしてもらっとらんのに」

悔しがると地団駄を踏みながら怒鳴りつけた。
またもや土下座しそうな彼を止める。
これでは埒が明かなかった。
私は二人の間に入ると藤千代様の手を引く。

「わかりました。じゃあこうしましょう」

そして交互に見つめながら小さく頷く。
彼らは身を乗り出して案を聞こうとした。

「徳田さんは私を怒らせた罰として一之助の家の手伝いをして頂きます」
「手伝い?」
「もうかんぴょうの収穫時期です。若い男手はいくつあっても助かるものです。だから彼らの仕事を手伝いなさい」
「な、なんとっ」
「それから藤千代は私が見ますから寺子屋がお休みに入っても勉強しに来なさい。朝から晩までみっちりと学問を見てあげます」
「なっなんでじゃ~」

二人はそろって嫌な顔をした。
だが無視して「はい決定」と決め付けてしまう。
ひとり一之助だけが新しい男手に喜んだ顔をしていた。

「ならんっ絶対にならん。何より藤千代様をお守りするのが拙者の役目。だから拙者は絶対に離れんぞっ」
「そうですか。なら藤千代も一緒に一之助のお手伝いをしましょうか」
「嫌じゃっ。私だって土いじりなどしとうない!それならまだ先生と――」

そこまで言ったところで、急に藤千代様が黙り込んだ。
顎に手を当て、考えている。
私と徳田さんは顔を見合わせて首を傾げた。

「お、おおそれが良い案じゃ」

しばらくしてから全く違う声色で、満面の笑みを浮かべた。
残された三人は眉間に皺を寄せる。
先程までと言うことが正反対でおかしかった。

「徳田。お前は私に代わり一之助の父上の股肱となって働くのじゃ」
「な、な、なんと!急に慮外な事を」
「その代わり私の事は心配いらぬ。お前が側にいなくても勉学に励もうぞ」
「そんな……」
「いや、これは良い機会じゃ。私も将来を見越して少しは自立せねばならないと思っとったところじゃ。だからたとえお前が見ていなくても真面目にやりとげてみたいと思っている。安心しろ」
「ふ、藤千代様……」

藤千代様は優しく徳田さんの肩を叩いた。
はじめは嫌がっていた徳田さんだが、藤千代様の言葉に感動して流されている。
それを気付かないのか目に涙を浮かべてひたすら頷いていた。
側で客観的に見ていた私と一之助は哀れっぷりにぐうの音も出ない。
(徳田さんは嫌な仕事を押し付けられているって分かっていないだろうな)
藤千代様の言っている事は尤もで素晴らしいが、要約するとお前が私の分まで働けと言っているだけなのだ。
逆に立派な台詞が出てくると胡散臭く思えて信じられなくなる。
藤千代様のことだから真面目に勉強する気がないのだ。
気付かず目の前の甘い言葉に騙されているのだから哀れとしか言いようがない。
だが口を出しても水を差す結果になり兼ねないので黙っていた。
言うなれば知らぬが仏というヤツであろう。

「うぅ、いつの間にか藤千代様も大人になっていたのですね。今のお言葉、殿が聞いたらなんとお喜びになることでしょうか」
「ふむ。私だってもう童ではない」
「ええ、ええ。畏まりました。そのお言葉を聞けただけで徳田は満足であります。仰せのままになさいましょうぞ」

徳田さんは深々とお辞儀をした。
騙されているとも知らず、幸せそうに笑っている。
(やれやれ、世話の焼ける)
確かに悪知恵が働くぐらい藤千代様は大人になったのかもしれない。

「離れるのは心苦しいですが、どうぞ藤千代様は勉学に励まれて下さい」
「うむ。任せろ。お前もしっかり働いて皆を助けるのじゃ」
「はっ」

手を取り合っている二人を冷めた目で見ながら深くため息を吐いた。
彼らがやってきてから毎日のようにため息を吐いている。
だがこんな場面を見せられて無意識に出てしまうのは仕方がないことだった。
――結局徳田さんはその日のうちに一之助に手を引かれて、家に連れて行かれたみたいだった。
去り際に念を押すように何度も
「藤千代様を頼みます。絶対に彼を一人にしないように。また目を離さぬよう願います」
と、言ってきた。
どれだけ過保護なのかしらないが相手は世人である。
大切な跡継ぎの無事を思うのは当たり前のことだ。
むしろお付きが徳田さん一人という方が違和感があるぐらいである。
しかし武家社会に精通しているわけでもなけ、内部のことは知らなかった。
だから言われるままに「大丈夫です。私がずっと側に居ます」と、宥めるだけである。

こうして始まった侍による初めての農作業は、実に大変なことの連続であった。
最初の難関は侍としての自尊心を打ち砕くことである。
農民と一緒に仕事をすること、農作業をすること自体が己との戦いであった。
今まで鼻で笑っていたであろう人種と、肩を並べて仕事をせねばならない。
その精神的苦痛は、私には理解出来ないほど大きなものであっただろう。
しかし徳田さんは健気にも藤千代様の言葉を信じ、命令に忠実に従おうと言い聞かせていた。
なんとも涙ぐましい話である。
藤千代様はそんな彼を見に何度も畑に行った。

「おおっ徳田が働いておる」
「そうですよ。貴方の為に必死で働いているのです」
「ふむ。当然じゃ」

家臣が泥まみれになって働いている様子は、とても新鮮だったのか、目を輝かせて働きっぷりを見ていた。
言うことは可愛げないが、心の底では色々思うところがあるに違いない。
また藤千代様自身がそういった態度であるから、頑張れたのだろう。
藤千代様の変化を嘆いていたが、私から見れば徳田さんも変わり始めているような気がした。
一之助の家族に対する接し方も徐々に変わる。
同じ畑で汗水流して働くせいか、彼らにしか分からない結束が生まれ始めていたのだ。
一之助の父親は、恰幅が良く有り余る体力を持っている徳田さんを気に入り、打ち解けていた。
たまに家で仲間たちと酒を酌み交わしていたのだから私の方が驚いたのである。

「じゃあ今日も藤千代様を頼むぞ」
「はい。分かりました」

そうして畑に出るようになって十日近く経った。
藤千代様を私の家に送ると、一之助の家へと向かい、農具を持って畑へ降りる。
日が暮れるまで収穫すると、家に帰って加工の手伝いをしていた。
その後長屋に寄ると、藤千代様を連れて古屋に帰る。

今日も藤千代様を送り届けると、徳田さんは急いで一之助の家へ行ってしまった。
残された私たちは机に向かい勉強を始める。

「最近の徳田は楽しそうじゃ」
「そうですか」
「夜もぐーすか気持ち良さそうに眠っておる。あやつはイビキが煩くてのう。こっちは堪ったもんじゃない」
「そうですか」

そういう藤千代様も楽しそうで微笑ましかった。
頷きながら笑ってしまう。
収穫は最盛期に入っていた。
毎日降り続いた雨も少しずつ無くなり、日が照っている時間が長くなっている。
低い山に囲まれた村は、いち早く季節の変わり目を感じて、夏の準備に入っていた。
もう少し経てば村中に蝉の声が響き渡るようになる。
この部屋も日中は暑くてたまらず、窓や玄関には簾を立てかけていた。

「図体ばかり大きい奴かと思っとったがの」

藤千代様は俯き加減のまま小さく呟いた。
顔が構ってもらえないことへの寂しさを表していて、クスリと笑ってしまう。
(手伝いに夢中な彼に拗ねているのかな)
生き生きと農作業を手伝い村人と笑い合っている徳田さんを見て、複雑な気持ちになっているようだった。
その心中を想像してみると可愛らしくて笑わずにはいられない。
自立すると言って離れたのに、結局徳田さんが居ないと心細いのだ。
もしかしたら取り残されて疎外感を抱いているのかもしれない。

「はぁ……徳田は私の世話をするより農民の手伝いをしていた方が楽しいんじゃ」
「ふふ、そうですかね」

普段あれだけ好き勝手に扱っているのに、離れてようやく大切さに気付いたみたいだ。
藤千代様にとっては良い薬だったのかもしれない。

「あーあ」

すると膨れたように机に突っ伏してしまう。
彼の側に座ると優しく頭を撫でた。

「む、先生。だから私はもう子供ではない」

手が頭に触れると、顔だけ向いた。
口をへの字に曲げたまま睨む。
だがその顔は嫌悪だけでなく照れも含まれていたため、離そうと思わなかった。

「先生は私の事が一番好きか?」
「何を言っているんです?」
「それとも徳田のように私なんかと居ても楽しくないんか」

彼は頭を撫でられながら呟くように問いかける。
どうやら思っていたより拗ねているみたいで、もはや卑屈になっていた。

「私は何度も言うように先生が好きじゃ。先生が一番好きじゃ。だから連れて帰りたいと思っている」
「…………」
「でも先生は私を好きにはなってくれん。どこが駄目じゃ?言うてみ?そしたら何でも聞く。言うとおりにする」

悲しそうに眉毛を下げ、着物を掴むと手繰り寄せる。
そして自ら頭を預けてきた。

「好きじゃ」

まるで囁くように小さく呟く。
その声は静まり返った室内に溶けて消えた。
私は何も言わずに微笑み返すだけである。

「先生が大好きじゃ」

確かに彼は何度も「好き」を伝えてくれた。
いつの間にか挨拶みたいに思えるほど言われ続けた。

「藤千代……」

それほど言われたら情だって湧くものである。
だが彼の言う好きに付き合っていられるほど暇人ではなかった。
出会って最初の言葉が「お前に惚れた」だったが、それは父親や兄と同じこと。
徳田さんと同じように好意の上での発言だった。
少なくともそう思っている。
まさか小さな子供に愛だの恋だの分かるはずがない。
ましてや大人の男相手に恋をするほどおかしな子供ではない。
徳田さんも同じ考えだった。
だから上手くあしらって欲しいとお願いされていた。

「私も好きですよ」

そっと抱き寄せて優しく背中を擦る。
藤千代様は一瞬顔を歪めるが、何も言わず胸元にうずくまった。
(彼にとっては今まで出会ったことの無い大人だったから気を引いただけのこと)
冷静に分析すれば分かる事であり、取り乱す必要も無い。
この村を立ち去って少し経てば私の記憶なんて薄れてしまうものだ。
だから振り回されてはならない。
情に絆されてはならない。
そう自分を戒めていた。

静まり返る長屋で藤千代様は微動だにしない。
体を預ける彼にかけてやる言葉が見当たらなかった。
話題を変えようと明るい口調で話しかける。

「そうだ。明日は山の方に行ってみましょうか」
「山……?」

胸元でもぞもぞ動きながら藤千代様はこちらを見上げた。
私は微笑みながら頷く。

「藤千代はまだ行った事がないでしょう?」
「…………」
「山といってもそんなに高くないし中腹にお堂があるからちゃんと山道も出来ています。頂上からの景色は素晴らしいですよ」

もうあと数日で期限の日になろうとしていた。
驚くくらい早く過ぎた一ヶ月に、少しの寂しさを滲ませる。
私に出来る事といえば思い出作りぐらいだった。
だから無理やりにでも明るい調子で話しかける。

「ね?行きましょう?」
「……先生がそういうのなら…」

藤千代様は苦笑しながら頷いた。
それは彼がまったく同じ事を考えていた証だった。
お互い期限には触れずに笑い合う。
もしかしたら二人とも口に出すのが惜しかったのかもしれない。
それは消えない胸のしこりとなって体に留まった。

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