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「だ、だっ…だったら――」

不安で胸の奥に靄がかかる。

「い、いっ…い、一緒に…いる……」
「え?」

その闇に囚われないように思わず口走っていた。
熊さんは驚いた表情で僕を見下ろす。

「ずっと…ずっ…と、一緒にいれば…あのっ、その…」
「三太く…」
「熊さんはっ…綺麗で、いられ……る?」

言っている途中から自分が途方もなく恥ずかしい事を言っていることに気付いた。
だから最後は言葉を濁すように無理やり疑問詞にしてしまった。
おかげで物凄く中途半端な言葉になってしまった気がしなくも無い。

昔、秀樹達と五人の戦隊ものごっこをしていた時のことだ。
僕は変身時に叫ぶお決まりの台詞が恥ずかしくて言えなかった。
それを見ていた秀樹は何の躊躇いもなく変身シーンの台詞を叫んだ後、こう言った。
「いいか、三太。照れ臭い事を言う時に本当に恥ずかしがったら十倍、いや百倍は恥ずかしくなるんだぜ」
秀樹の言葉は力強くて説得力があった。
それを聞いて素直に納得した覚えがある。

そして今同じような場面でその言葉の深さに感服していた。
秀樹の言うことは尤もで現に今の僕は死ぬほど恥ずかしくて顔を上げられずにいる。
下半身を水に浸かるような形で座り込んでいた為、下を見れば透明な光の粒が拡散しながら雫となって流れていく様子が見えた。
柔軟な葦のような川の流れは僕と熊さんの体だけを避けて通り過ぎていく。

「?」

するとひとつの影が小さく伸びた。
それに気付いた僕は思わず顔を上げる。

「熊さ――」

見上げれば熊さんの真剣な顔が間近にあった。
それに驚く間もなく彼は僕に口付ける。

「んっ……」

それはほんの一瞬の出来事だった。
瞬きさえ忘れるほどの衝撃に思考が麻痺する。
なぜなら熊さんの唇は柔らかくて温かなものだったからだ。

「……っ……」

(――なんだ、これ?)
僕は今のがキスだと理解するまでに時間が掛かった。
そんなものはまだ子供の僕には程遠い世界の行為だと思っていたからだ。

「ふ……」

唇は触れた時の衝撃を緩和させるようにゆっくりと離れていく。
僕は固まったまま熊さんを凝視していた。
すると彼はふと我に返ったように目を見開くと一気に頬を赤く染めた。

「ごっごめん!!」

まるでキスをした彼にも、その意識があったか危ういような口調だった。
自分で自分の行為に驚いているようにもとれる。
だが僕は言葉を発せ無いまま座り込んでいた。

「――でさー、緑のばっちゃんに怒られてさ」

そこに秀樹の明るい声が響き渡った。
それと同じく数人の笑い声や足音が近づいてくる。
あまりに明るい話し声はこの場に相応しくないと思えるほど無神経に聞こえた。

「あっ」

それに気付いた熊さんは僕の腕を掴むと立たせてくれた。
慌てて離れようとする。
彼が秀樹達のことを考えた上での行動だという事は分かっていた。
しかしその時の僕は同時に変な焦燥感に苛まれてしまう。

「っ」
「え!?」

だから咄嗟に彼の手を握ってしまった。
それが何を意味するのか自分でもよく分からない。
どうしてそんな事をしたのか。
まるでキスをした彼が自分の行いに驚いたみたいに理解できなかった。
もしかしたら所詮人間の思考など浅く、その程度の認識すら曖昧なのかもしれない。

「…………っ」

――ぐいっ!
「わっ……!」

熊さんは何かを決意したみたいな顔で僕の手を取った。
そのまま強い力で下流の方へと引っ張っていく。

「熊さ…?」

僕はチラチラと後ろを振り返りながら彼についていく。
それは秀樹達に見つかるのではないかという不安もあったからだと思う。
赤い橋の下までやってきたところで熊さんは止まった。
ここら辺は大きな岩場に囲まれていて、先ほど居た所からはちょうど死角になっている。
そして身を潜めるように僕の体を後ろから抱き締めた。

「あっ…ぅ…」

温かくて大きな胸板を背中越しに感じて胸が震えた。
先ほどから無言な彼に振り返ろうとしたが僕を抱き締める力が強くて身動きが取れない。
そうこうしているうちに秀樹達の声が大きくなってきた。

「…………あれー?」

どうやら皆が川辺に着いたらしい。
一際間近に感じる気配に心拍数が上がる。
今の格好を秀樹達に見つかったら何を言われるのか。

「おいっ三太のやつまだ来てないぞ」
「ホントだ。珍しいね。まだご飯でも食べてんのかな?」
「ありうるかも。今日はいつもよりずっと暑いし」
「じゃあしょうがないね。先に泳いでよっか」
「ま、来ればすぐ分かるだろうし、そうしよう」

そう言いながら彼らは川で泳ぐ準備を始める。
僕は秀樹達の行動を窺いながら見つかる様子がない事に安堵した。
彼らもここら辺では泳がないだろう。
何せゴツゴツとした岩場は泳ぐにはあまりに危険だからだ。
もっと上流に深さの丁度良い場所がある。
それを分かっていたからホッとしたのかもしれない。
もし釣りが目的ならそれこそこちらにやってくる危険がある為冷や汗を流していたに違いない。

「ふぅ」

熊さんも同じ考えだったみたいで肩越しに彼のため息を聞いた。
僕はそっと体に巻きついている彼の腕に触れる。
すると彼は僕の肩に頭を預けてきた。
その重さと温もりが肌を通して伝わってくる。

「わわっ…くすぐった、熊さ……」

ちくちくとした髪の毛が首筋を刺激していた。
何よりこんなにも他人と触れ合った経験がない僕はその不思議な感覚に呑まれてしまいそうになる。

(熊さんの匂いと体温を感じる)
それはさっき熊さん自身が呟いた言葉に近いものがあった。
こんなに緊張して脈拍が速くなっているのに、ホッとする。
落ち着かない状況で身体は固まっているのにどこか身を委ねたい気持ちが湧いてくる。
まるで正反対の感情が交差して自分でもワケが分からなかったと思う。
ただ言えることはひとつ。
そうしたかったから、そのままでいた。
頭ではああだこうだと思考が渦巻いていたが結論は至極シンプルかつ簡単なものだった。
それに対して疑問だとか違和感はなかった。
この場合、幼さゆえの無知さが上手く作用したといってもいいかもしれない。
とにかくこの時の僕は全く嫌悪感を示さなかった。

「ひゃ…っ…」

すると熊さんは僕の首筋に優しく唇を這わした。
その感触は背筋をビリビリと刺激して一気に後頭部を駆け上がる。
蚊の鳴くような声は橋の下ということもあって僅かに篭ったように木霊した。

「く、熊さっ…!」
「――もっと、触れてもいいか?」

熊さんは僕の言葉を遮るように耳元で囁いた。
その声はいつもの豪快さも大らかさも消えてまるで別人のようである。
低く湿った掠れ声は子供にはない色気を含んでいた。

「なんて、三太君が嫌じゃなければの話なんだけど」

だけど言葉の節々に熊さんを感じられた。
それだけじゃなく息遣いや触れた手の感触、窺うように見ているであろう瞳。
その全てを背中で感じながら僕は小さく頷いていた。
膝下の水が異様に冷たく感じるほど体温が上がる。

「ふぅっ…!?」

すると突然熊さんの手がシャツの中に入って来た。
それに驚いて思わず変な声が出てしまう。
だが彼は構う事無く撫でるような手つきで僕に触れた。

「ん、熊さっ…」
「悪い。だけどホントはずっとこんな風に触れたかった」
「っぅ、こ、んな風にって…?」
「分からない。ただ時折無性に三太君が可愛く見えて、その肌に触れてみたいとか俺が抱き締めたら折れてしまいそうな身体だなとか思っていたりする。実際に言ってみると変態過ぎて笑えないんだけどね」

そういう熊さんの言葉にはどこかぎこちなさを感じた。
それが照れからくるものなのか伝える事の難しさから来ているのか今の僕には判断出来ない。
何せ熊さんの体は僕の真後ろにあるのだ。

「へ、変態って…。んく、熊さん…変態なの?」
「うーむ。今の状況を考えると否定できないなあ」
「なんだそれ」
「さぁ?」
「じゃ…あさ、秀樹達にも同じ事してる?」
「まさか!」

熊さんは苦笑しながら僕の体をぎゅっと強く抱き締めた。
彼があっさりと否定するとは思わなかった。
だって僕よりずっと秀樹達の方が仲良しだと思っていたからだ。

「触れたいと思ったのも、実際に触れているのも三太君だけだよ」
「そそ、そうなの?」
「ん、だからこそ困っていたりするんだけど」
「え?あっ…わわっ!?」

彼の自嘲的な笑みは見なくても分かった。
だがそれを問う前に上半身に触れていた手がズボンもといパンツの中に入って来た事により遮断される。
動揺して彼の腕を掴んだ。
だが僕の戸惑いを置いて熊さんの行為は進んでいく。

「ひゃぅ…な、んで?はぁ…そ、なとこ」

熊さんは迷う事無く僕の性器に触れた。
優しく包み込むように握るとゆっくりと上下に扱く。

「だめっ、熊さっ…きたなっ…いっ」
「汚くない。むしろちゃんと見たい」
「はぅっ…」

熊さんは僕の体を解いてそのまま反転させた。
その強引さに何も出来ず僕は橋の柱を背に彼を見上げる。

「こんなの、恥ずかし……」

捲り上げられてお腹が丸見えの上半身にパンツとズボンをずり下げられて僅かに性器が見えている下半身。
橋の下で薄暗いとはいえ他人にそんな姿を晒している羞恥心に泣きたくなった。
だが熊さんは僕の手を掴み離そうとはしない。
唯一できる反抗といえば身を捩らせる事だが、その姿が余計に彼を誘惑している事には気付けなかった。
熊さんが生唾を飲み込む様子が辛うじて見える。
その瞳はいつになく真剣で少し怖い。
じっとりとした視線を感じて体が震える。

「…怖い?」
「ん」
「そっか、そうだよな」

まるで別人に見えて素直に頷いてしまった。
そんな僕に彼は困った様な顔で笑った。

「じゃあキスは平気?嫌じゃない?」
「ん」
「そっか」

今度は安堵するように笑う。
その顔はいつもの熊さんで僕も知らずにホッとしていた。
だからまた熊さんの顔が近づいて来ても、避けようとは思わなかった。

「ふ…ぅっ…」

触れる唇は一度目の衝撃を突き抜けて甘い余韻を残す。
最初は窺うように控えめだったキスも嫌がっていない僕の反応に彼は少しだけ長く唇を重ねた。

「熊さ…」
「ん、苦しかった?」
「だって息が…」

吐息が交わる距離で囁くように呟く。
無意識のうちに絡み合っていた手は片方だけ腰を抱き寄せた。
大きな彼の手が細い腰に絡みつく。
熊さんが言ったように僕の腰は脆く、彼に抱かれると折れてしまいそうだった。
だからこそ熊さんの掌は優しくてそこから気遣いが滲み出る。

「じゃあ苦しくならないように練習しよっか」
「え?ホントにくるしくならない?」
「ん、いっぱいすればコツが分かると思うよ」
「い、いっ…いっぱいって」

今でさえ何度も唇を重ねているのにもっとするのだろうか。
僕は恥じらいに頬を赤く染めて彼を見つめた。
いつの間にか熊さんは僕の身長に合わせるように屈んでいる。
話しながらも言葉の合間に彼は唇を重ねてきた。
吐息が絡まる距離で会話するのも億劫なほど間近に熊さんを感じる。
まるで磁石みたいに離れてはくっついてその繰り返しを延々と飽きもせずにやっていた。

「はぅ、んっ…熊さ」
「何?」
「くちびる噛むの…禁止」
「どうして?」
「……くすぐったい」
「そっか」

すると熊さんは楽しそうに笑った。
そして言った傍から僕の唇を甘噛みする。
彼の顔はいつも以上に緩み穏やかな笑みを浮かべていた。
だから僕も気分が高揚してしまう。
「禁止」なんて自分で言っておきながら彼が噛みやすい様に唇を寄せてしまうなんてどうかしていると思うんだ。
ほら、いつの間にか僕は背伸びをして熊さんの肩に手を置いてしまっている。
消極的で引っ込み思案なのは自他共に認める僕の性格だ。
そんな僕が熊さんに何を求めているのか分かりもせず触れたい欲求だけを募らせていた。

「ん、ぅ…ちゅ、くっ」
「はぁっ…っぅ…」
「熊さ…っんふっ」

長いキスは簡単に人の思考を奪い取る。
熊さんの生暖かい舌を絡ませながら無心に唇を合わせた。
次第に言葉数も少なくなって唇を重ねている時間の方が長くなった。
あんなに苦しかった呼吸も少しずつコツを掴んで慣れていった。
お互いにこれが練習なんて気は更々無かった。
まるで獣みたいに貪欲に相手を求めたキスだった。

「ん!?く、くま…ひぁっ」

熊さんの手が滑るように僕の体を這う。
甘いキスに酔いしれていた僕は、今の自分がどんな格好をしていたのかすっかり忘れていた。
乱れた衣服の合間に見える肌は暗闇の中で浮かび上がる。
熊さんは僕の唇を塞いだまま身体に触れていく。
キスをするだけで精一杯だった僕は、その行為を止める事も出来ずに甘んじて受け入れた。
太い指が生き物みたいに自分の肌を弄る感触は、くすぐったさを通り越して不思議な感じがする。
無意識に口元から零れる声は、自分でも驚くほど艶やかに聞こえた。

「はぁぅ、またっ…ソコ、触る…の?」

熊さんは先ほど同様に僕の性器に触れる。
他人の性器に触れるなんて信じられなかった。
一番仲良しの秀樹とでさえ、そんな遊びをしたことはない。

「だめか?」
「だ、だから汚いって…」
「そう?三太君のは凄く可愛いと思うけどな」
「あ…っぅ!んぅ、はぁっ…言ってるそば、からっ」

熊さんの大きな掌が僕の性器を上下に扱く。
その度に腰が抜けそうな衝撃が貫いた。
上手く強弱をつけた彼の手は熱く摩擦熱を起こすように激しさは増す。
抵抗する力すら持っていかれて僕は無造作に腰を揺らす事しか出来なかった。

「へ、変だよ…ぅ」
「うん」
「きたないのに」

触られて霰もない声を出す自分が恥ずかしくてうわ言の様に「汚い」と呟いた。
すると熊さんは苦笑しながら僕の身体を抱っこする。

「わ…っ」
「そんなに言うならキレイにしようか」
「え、あ…」

まるで悪戯っ子の様な笑みを浮かべた彼は僕を抱いたまま川の水に浸かった。
ゆっくりと腰を下ろして二人の体は水に沈む。

「はぁっぅ…!」

僕は思わず甲高い声を出してしまった。
何せ先ほどまで扱かれて熱くなっていた性器が突然冷たい水の中に入ってしまったからだ。
しかも流れる水の速さはぐいぐいと性器を刺激する。
それは人の手で扱かれるとは違った気持ちよさがあった。

「…っぅ…」

僕は恥ずかしくて熊さんにぎゅっと抱きつく。
水の中でも熊さんの体は温かくて彼自身の熱を感じだ。
立っていた時は膝下ぐらいまでだった川の水が下半身ごと浸かっている。
お互いの服は言うまでも無く濡れて肌に張り付いていた。

「…………」

こうしてみると熊さんの体が良く分かる。
太い腕に大きな胸板。
不安定な川の流れに浸かっていても機械に乗っているような安定感のある胸の中は居心地が良く収まってしまう。
途端に自分が小さく見えた。
いや、年の差は十分にあるわけだし体格だって全然違う。
しかし明らかな差を認めていても実感する機会は少ないと思う。

「ん、どうした?」

口をポカンと開けていたら熊さんに顔を覗き込まれた。
僕は黙って首を振る。
熊さんは「変なの」と軽く笑って先ほどのように僕の性器に触れた。

「んく…」

水の中で洗うように扱く手つきは、ゴツゴツした男らしい彼の手と違って優しく丁寧だった。
繊細な指の動きが手に取るように分かる。
僕は為すがまま身を委ねていた。
耳元で僅かに荒い熊さんの吐息を聞きながら自らも甘い声を放つ。
どうして熊さんまで呼吸が荒いのか分からなかった。
今の僕は欲情されている事実にさえ気付かない。
だから一人で勝手な心配してしまう。

「はっぅ、っ…熊さっ……」
「なに?」
「熊さ…も、苦しいの?」
「え?」
「だって…こ、呼吸が苦しそうだったから」
「は、えっ?」
「だいじょ…ぶ?」

すると熊さんは何度も瞬きをさせながらキョトンとした。
同時に口元が緩む。

「ふ……」

その顔は何かを悟ったように見えた。
いや、何かを諦めたようにも見えた。
それが嬉しそうにも悲しそうにも、そして切なそうにも見えて僕は言葉を失う。

「……ん、大丈夫」
「熊さん?」
「まだ大丈夫」
「なに言っ…」
「――ホント、敵わないなぁ」

彼はまるで独り言のように小さく呟いた。
その一言はあまりにか細く寂莫たる思いを抱かせる。
だがそれ以上彼に掛ける言葉が見つからなかった。
熊さんは最後に一度だけ軽く唇を重ねると僕の体をそっと抱き締める。
だから僕は熊さんの腕に抱かれて静かに目を閉じた。

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