店先の初恋

「好きなんです」

そう言われたとき驚いたふりをしたけど、内心「ああ、そうだよな」って納得したんだ。

「つ、付き合ってください」

彼はいつも店の外から俺を見ていた。
なんて言うと自意識過剰だと笑われるかもしれないが、昔から似たような視線を感じたことがある。
始めは当然疑った。
少年が自分を見ているなんて思い過ごしに違いない。
ましてや特別な感情を抱いているわけなんてない。
だが彼は毎日のようにやってきて、ひたすら俺を見ている。
一時的な憧れかと思ったが、今日の告白で確信した。
やっぱり彼は俺に恋をしていたのだ。
大体店は可愛い小物で溢れた雑貨店だ。
彼のような少年が見て面白いものなんてない。
(付き合うって意味分かっているのかな)
今日も店の外から見るだけで終わると思ったのに、彼は顔を真っ赤にして入ってきた。
そわそわと落ち着かない素振りで店内を見て回っていたが、商品のことなんて頭にないのは誰が見ても明白だった。
女性客が買い物を済ませて店を出て行くと、狭い店内には二人っきりになる。
それを待っていたのか、レジ打ちをし終わった俺のもとへやってくると、水色の封筒を差し出した。

「へ、へ、返事は……い、いつ、いつでも……」

そして冒頭の如く告白をしてきたわけだが、緊張しすぎのせいか呂律が回っていなかった。
顔面は羞恥に固まったまま垂れ下がり、決して上げようとはしない。
お蔭でどんな表情をしているのか見えない。
いつもそうだった。
視線に気付いて振り返ると、さっと逸らされてしまう。
あげく声をかけようとすれば猛烈な勢いで走り去ってしまう。
そのせいか一度も話したことがなかった。
(こんな声をしていたのか)
年齢を聞くのも躊躇うほど年下の子ども。
初めての会話が告白なのは、ロマンチックだろうが無謀とも言える。
まして俺は男だ。
しかも彼よりかなり年上の大人だ。
百パーセント振られるに決まっている。
付き合える可能性なんて一ミリもないに決まっている。

「――いいよ」

その無謀さが気に入った。
彼の恋はあまりに清く眩しすぎる。
恋人と別れたばかりのやさぐれていた心を癒すにはちょうどいい相手だった。
学生時代の穢れを知らぬ、甘酸っぱい思い出が胸をよぎる。
現実感のない純粋なときめきに触れていたかった。
そうすれば再び俺も恋に落ちるかもしれない。
(――たとえ相手は彼じゃなくても)
つまり適当なリハビリのために彼の純情を利用したのだ。

「お付き合いしよっか」

想いが詰まった手紙を軽々しく受け取る。

「え……っ」

同時に彼は顔をあげた。
絶対に断られると思っていたのか、不意打ちにあったような驚愕の色を見せる。
初めて目が合った彼は、ずいぶん間抜けな表情をしていた。

***

雑貨店「フルール」は住宅街の中でひっそりと経営している小さな店だ。
ログハウス風のカントリーな外装と、おもちゃ箱の中をイメージした乱雑な店内は七八人の客が入るだけで窮屈になる。
狭い店内には可愛い小物や雑貨が所狭しと置かれていて、俺は男ひとり場違いみたいに働いていた。
実は兄の店で、大学卒業から頼まれて雇われ店長をしている。

「それ、可愛いでしょ? 昨日仕入れたんだ」
「わあ……」

近くには高校、中学があって放課後になると学生たちで賑わった。
女の子を見ているのは好きだ。
キラキラふわふわどこもかしこも柔らかそうで保護欲を掻きたてられる。
昔から可愛いものが好きだった。
雑貨も女の子も可愛くて愛でたくなる。
だから雑貨店の店長というのは天職だと思っていた。

「ありがとうございました」

声をかけた女性客は勧め通りジュエリーボックスを買っていった。
満足そうに頬を緩ませ店を出て行くのを見送る。
大事そうに商品を抱えて去っていく後姿に、俺まで嬉しくなって弾かれたようにお辞儀をした。
(やっぱり女の子はいいな)
フェミニストではないが、か弱き者には優しくしたくなるもの。
それは肉体差からいって男としてはごく自然な考え方かもしれない。
客の姿が見えなくなると、俺はその場で伸ばすように腕を上げ背伸びをした。
夕風が心地良く頬を掠める。
店前はイチョウの並木通りになっていて、涼しげな葉のさざらう音が響いていた。
夏をすぎてそろそろ色が変わる。
風がひんやりすると一面黄色く染まり、秋晴れの空によく似合う葉になる。

「あ、成瀬君」

一通り体を伸ばしてストレッチすると、振り返ってから彼がいることに気付いた。
また黙って俺を見ていたのか、目が合うと蛇に睨まれたカエルのように動けなくなる。
せっかくお付き合いを始めたのに、予想通り関係は変わらなかった。
唯一の変化は彼の名前を知り、呼び始めたことくらいで恋人らしいことなんてしない。

「あ……あっ……っ……」

成瀬は鞄を前に抱え、言葉を探して目を泳がせている。
吹く風に前髪が乱れて額が顔を出すと、年齢より幼く見えた。

「学校帰り?今日も店寄っていきなよ。ちょうど客が途絶えたところだし、お茶出してあげる」

風に煽られてくしゃくしゃになった髪を梳いてあげると、途端に耳まで赤くなってしまった。
下を向いたまま頷く彼の手を引き店に入れる。
そういえば変化があった。
成瀬が店に入ってきたことだ。
今まで店先から覗くだけで中に入ろうとしていなかった彼が店内にいる。
レジの横に置かれたイスが特等席で、いつもそこに座ってお茶を飲んでいた。

「はいどうぞ」
「あ、ありがとうございます」

萎縮しながら恐る恐るグラスを受け取ると、緊張で強張っていた表情がわずかに緩む。
それを隣のイスに腰掛けて眺めるのは嫌いじゃない。
二人で店内にいると、いささか時間が穏やかに流れているような気がした。
アンティークなデザインの照明が橙の落ち着いた色で柔らかく照らしてくれる。

「今日は何があったの?」

レジ台に片肘ついて目を細めた。
成瀬は顔を背けたまま、少しずつ学校での出来事を話してくれる。
年齢差がありすぎて最初は何を話せばいいのか戸惑った。
会話に困るのは初めてで、悩んだ挙句出した結論が学校の話を訊くことだった。
同時にそれは彼を知るため、声を訊くためでもあった。
一方的に俺が喋り続けた方が楽だが、それならこんな関係になる必要はない。
分かり合うには努力も必要だと過去の恋愛が教えてくれた。
今までの恋人と違って互いのことを知り合うところから始めなければならない。
成瀬の話を聞くのが一番手っ取り早かった。

「そ、それでジャンケンに勝って……」

彼は思ったとおりの純粋な人だった。
話すのが苦手なのに、俺が「話して」と言えば、精一杯応えようとしてくれる。
出会い当初の会話さえままならないころに比べると、これでも進歩した方だ。
(でもまだ今日は目が合ってない)
話を聞きながら前屈みになると、にじみ寄るように顔を覗き込んだ。
成瀬はそれを意識して益々俯き視線から逃れようとする。

「ふーん。成瀬君って冷凍みかんが好きなんだ」
「……あっ……ぅ……」
「俺もすごい好きだったな。つーか未だに給食で出ていたなんてびっくりした」
「……っ……」

(ああ、押し黙ってしまった)
ちょっとした出来心で様子を探ろうとしたのに、意識しすぎて体が板のように硬直してしまった。
タイミング良く成瀬が持っていたグラスの氷がカランと音を立てる。
表面についた無数の水滴が手を濡らし、雫となってズボンに垂れた。
それすら気が回らないくらいいっぱいいっぱいになり、息を詰めている。
聞こえないはずの鼓動が伝わってきた。
浅い呼吸が店内に木霊する。

「手、濡れちゃうよ」

グラスを取り上げようと手を引くと肩が震えていた。
露骨な反応は可愛い。
俺は可愛いものが好きだ。
それがたとえ同じ男だとしても、感性は変わらない。

「俺の目を見て」
「……っぅ……」
「成瀬君の顔を見せて」

引き寄せると成瀬は覚悟を決めたのか深く頷いた。
彼は決して俺の言うことを拒絶しない。

「あ、秋津さん」

縮こまるように顔を上げ、蚊の鳴くような声で俺の名を呼んだ。
頬は見る見る紅潮し、瞳は潤み、神経は張り裂けんばかりに昂っている。
俺にまで汗ばむような緊張感が移ってしまいそうだ。
なぜそんなに好いてくれるのか不思議だった。
何度か聞いてみたものの納得できる答えには辿り着けない。

「そ、そんなに、み、みな、見ないでください……」
「なんで?」
「死んじゃいそうなくらい、は、恥ずかしい」

成瀬の反応はそこいらの女より可愛いから困った。
(そっちの台詞の方が恥ずかしいぞ)
あくまで無意識にやっているからタチが悪い。
計算で可愛く見せる女の子の方が扱いはずっと楽だった。

「俺も恥ずかしいよ。でも俺たち恋人だよね」
「んく」
「成瀬君がそんな調子じゃいつまで経っても好きになれないよ」
「あっ」

その言葉に成瀬は冴え冴えとした目を剥いた。
いつの間にか繋いでいた手を強く握られる。

「す、好きになって欲しいですっ……」

それまでの消極的な態度から一変して、一生懸命俺を見ようとした。
手が震えているのも構わず目を合わせる。

「お、おれっ、なんでもします。秋津さんに好きになって欲しいです!ちょ、ちょっとでも……そのっ、図々しいのは分かっていますけど……でもっ」

想いが口を迸る感じで溢れ出した。
参ってしまいそうなほどの一途さに眩暈がする。
軽い気持ちで付き合い始めたことに罪悪感さえ抱きそうなほど真剣な面持ちだった。

「ん、なにもしなくていいから、せめて目を見て話そう?」
「秋津さ……」
「意地悪言ってごめんね。大丈夫。俺、成瀬君のこと嫌いじゃないよ」

腕を引き寄せると、額にキスをした。
一瞬のことに彼は遅れて反応すると目を白黒させる。
(うん。嫌いじゃない)
好きかと問われると答えられないが、嫌いじゃないことは確かだった。
それは情に絆されているのか雰囲気に流されているのか、定かではないけど今現在断言できる素直な気持ちだ。

「う、うれし……」

成瀬は抑えられない感情に、花が咲くように破顔させた。
和らいだ目元や口もとが僅かな愛しさを芽生えさせる。
俺まで顔を綻ばせると、二人の視線が甘く絡んで想いを共有するんだ。
拭えないぎこちなさが余計に微笑ましさを生み、いつまでも見ていたくなるのはなぜだろう。
考えてみてもいまいち分からなくて、でも、今はその心地好さに浸っていたかった。

一週間後、俺は成瀬の学校の前にいた。
店は定休日で、学校帰りに待ち合わせてどこかへ行こうと約束していたのだ。
(それにしても目立つな)
場所柄若い男がいるというだけで怪しまれる。
やはり店の前で待ち合わせるべきだったかと後悔したが、時計を見ればそろそろ出てくる時間だ。
下手に動かない方がいいかもしれない。
案の定他の生徒は俺を訝しむように見やりながら立ち去った。
窮屈な居た堪れなさに苛まれて苦笑いも出てこない。
先生でも呼ばれたら一大事だ。
プルルルルル――。
その時ポケットにしまっていた携帯が鳴った。
成瀬からかと取り出せば違う相手からで、携帯を掴んだ手を躊躇い凝視する。
発信者の名前に苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らした。
通話ボタンを押そうともせず、何事もなかったようにしまおうとする。

「あ、秋津さんっ……」

それとほぼ同時に聞きなれた声が背中に響いて振り返った。
校舎から出てきた成瀬がかなり離れた門へ向かって駆け寄ってくる。

「走らなくていいって!」

声を張り上げて止まるよう呼びかけたが、成瀬は満面の笑みで手を振り訊いていなかった。
(確か運動が大の苦手って言ってたよな)
肩からかけた大きな鞄が走るたびに四方へ揺れて激しく暴れまわっている。
小さな体には負担が大きく、こちらからだと鞄に体が振り回されているみたいだ。
他の生徒は成瀬を避けるように左右へ寄る。
走る姿の危なっかしさに冷や汗を垂らすが、部外者は門の中へは入れない。

「遅くなってごめんなさ――……!」

そうしてなんとかあと数歩まで来たと思ったら、

「あっ――――あぁっ!」

気が抜けたのか最後の最後で成瀬の足がもつれて躓いた。
「やばい」と言った顔で蒼ざめたまま前のめりに倒れる。
見てみぬ振りは出来なくて、咄嗟に飛び出していた。
転ぶ寸前で上体をキャッチすると抱きかかえる。
俺の体はとっくに門の中へ入っていた。

「ふぅ。運動音痴なんだから無理しちゃだめでしょ」
「す、すす、すみませ……」
「ホント、危なっかしくて放っておけないな」

胸の中で謝る彼をぎゅっと抱きしめると喜びを頬に浮かべる。
成瀬も今日の約束を楽しみにしていたに違いない。
ホームルーム中もそわそわして、挨拶と共に教室を飛び出してきたのかもしれない。
荒い息の背中をポンポン叩き体を離すと、どこも怪我していないか確認をした。
その様子を成瀬は照れながら嬉しそうにはにかんでいる。

「やだぁ。何やってんの、バカ成瀬」

そこへ後ろから数人の女の子がやってきた。
二つに結った髪に星型のピンが刺さり、鞄にもたくさんキーホルダーがついて、いかにもおませさんといった雰囲気だ。
少女に反応した成瀬が俺の肩を借りて立ち上がると悔しそうに睨む。

「ば、バカじゃない」

女子の蔑む言葉に食って掛かった。
その様子が珍しくてやりとりを見守る。
俺に対しての成瀬は、いつも大人しくて静かですぐに照れてしまう気弱な少年だ。
しかし今目の前で負けじと言い合っている姿は、弱弱しくも男のプライドを感じる。
(案外意志の強い子なのかな)
そういえば俺に告白してきたのだって凄いことだ。
見込みのない相手に想いを伝えるのは勇気のいることである。
よほどの固い決意や強い意志がなければ遂行できないだろう。
その後、少女は成瀬と堂々巡りのような言い合いを続けると、飽きたのか去っていった。
もう成瀬のことなど眼中になく、ファッションの話をしている。
一方彼は口をへの字に曲げると明らかに不服そうな顔で彼女たちの後ろ姿を見送った。

「ぷっ」

俺は思わず吹き出していた。
ゲラゲラ笑い成瀬の横に並ぶと二人は歩き出す。
通学路近辺は桜並木だ。
イチョウとは違った葉が僅かに黄色く染まり舗道に落ちている。
(あの子は成瀬君が好きなんだろうな)
ある意味分かりやすい態度の可愛らしさと、好意を寄せている当人には届いていない憐れさが切なくておかしい。
眩しいほどの青春を目の当たりにして気恥ずかしさとほろ苦さの板ばさみになった。

「な、なにがおかしいんですか」

笑い続けていると成瀬が戸惑いながら見上げる。
彼は一週間前からちゃんと目を見て話す努力をし始めた。
照れくささに負けて目を逸らすことはあっても、懸命に慣れようとしているさまは十分に伝わる。
その健気さは俺のやさぐれた心を何より癒してくれた。

「成瀬君、女の子には優しくしなくちゃだめだよ」
「えっ……でも、雅たちはしょっちゅうおれのことバカにする」
「それでも。バカって言われたからってバカって言い返しちゃだめだからね」

口を尖らせる成瀬の頭を撫でると、彼は途端に目を輝かせる。
感情と表情が直結していて、すぐ態度に出る。
さらに撫で続けると、首から上が真っ赤になって今度は真顔になるんだ。
我慢が限界に達すると下を向き、一点だけを見つめて羞恥と歓喜の間を耐え忍ぶように押し黙る。
とはいえ何か言わなくちゃと思っているらしく、口もとをモゴモゴさせて慎重に言葉を選ぶ。
毎日のように店へ来てくれる彼と、話すうちに見えてきた定型パターンだった。

「じゃあ行こっか」

肩を叩くと、ニッと笑い促した。
それに頷いた彼は隣を歩き始める。

「どこ行きたい?」
「ど、どこでも!」

水のように澄みきった秋空の下、二人は弾むような足どりで出かける。
小さな成瀬は歩くのも遅くて、歩幅を合わせるよう気遣いながら歩いた。
まさにおままごとのようなデートだ。
数ヶ月前の俺なら物足りなかったに違いない。
だけど今はこれに満足し、微笑ましく隣の少年を見守るのだった。

***

その後、子どもを連れ回すわけにもいかず、お茶をすると近くの高台にまでやってきた。
夏までの日の長さから日ごと短くなりゆるりと夕暮れを迎える。
淡い暮れ方の日光に照らされて、景色だけでなく俺も成瀬も橙に染まった。
つい最近まで全てを溶かしそうな熟れた熱気に包まれていたのに、日ごと涼しくなり夜は肌寒くなることもあった。
海を見下ろす高台に吹く風は、潮の匂いを漂わせてピリリと皮膚を刺激する。
見渡す町は明かりが灯り始めて、無数の煌く星のようにうつろに輝いていた。
すぐ近くの港にはいくつかの船が止まっている。
オレンジ色の空を辿ると、水平線には夕陽の濃さが溶けて、青紫の海の彼方へ沈もうとしていた。
海面は鏡のように静かで潮騒も聞こえない。

「久しぶりに来たけど気持ち良い場所だな」

滅多にない休みに体の凝りをほぐすよう伸ばし深呼吸する。

「ごめんね。付き合うってなったのに、中々デートに行けなくて」

彼女がいたころは、休みが合わずによく喧嘩になった。
休みが少ない上に平日が定休日ならば、土日休みの会社勤めな彼女が怒るのも無理はない。
互いに時間を作る努力をしたのは始めだけで、すぐに面倒になり擦れ違うようになった。
性格の合わない上司の下で働くのは大変だそうで、自由気ままな接客業の俺に八つ当たりするのも珍しくなかった。
会社に入りたてのころは反論せずに聞いてやっていたが、会うたびに同じ愚痴を聞かされればうんざりしてしまう。
時間も会話も噛み合わないという意味では、雑貨店の店長というのは恋愛に不向きな職業だった。

 

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